2010年05月31日
2010JFL13節 長崎vsUVAのこと
試合内容は例によって期間限定をどうぞ。
この試合はずっと前から行く準備をしていたのだが、諸事情で行くことが難しくなった。だが・・家族の暖かい心遣いで行くこととなった。他にも背中を押す要素があったので家族に深く感謝しながら向かう。
朝5時30分。まずはバスで空港へ。
その頃、前日の夕方1人に車で栃木に向かった山頭さんはもう到着している。
山頭さん「遅めに走れば疲れないっすよ」
俺「でも時間かかるっしょ。」
山頭さん「確かに長い。でも金も車で運転なら1番安いし」
俺「人件費と時間、犠牲にしてるでしょ」
山頭さん「えぇ!無料です。」
山頭さんは時々、自分が腕と時間を商売にしているアーティストだと言うことを忘れる。とても有名カメラマンだとは思えない。単なる物好きな人な発想だ。そういや、前に自分を技術屋みたいなとか言ってた気がする。70歳くらいにやっても無茶な冒険をしているだろう。
長崎空港で和樹さんと合流。飛ぶ。
羽田で関東支部の三宅君と合流しレンタカーで栃木へ。首都高速は混んでる上に金も高い。アコギだ。と思いながら運転。車中で「先制点を取るのは誰だ大会」開催。
俺はアリ、和樹さんは宮尾、三宅君は神崎。
競技場着。
駐車場入り口に仕掛けられた巧妙な罠にレンタカーが落ちる。アウェイの洗礼だと思う。
会場入りするとUVAの運営が来て「佐藤陽介さんは来てないんですか?」
陽介の後輩だそうで、そのまま陽介はなぜ時折、サッカーの第1線から引くのか?とか身体能力がトンでもないとかの話をする。
さて、この日は通常張るダンマクを持っていかなかった。そろそろ変化球と思ったし、もっとストレートに行こうかと思ったから。なのでシーツダンマクのみ。メッセージはいくつか考えてたが、スプレーの量やシーツの量を考えて短く、ひたすら直接。
「打て」「勝て」
試合はまぁ、ウチは基本は変わらない。
あえて言うなら・・純也は本当によく走るようになった。持ち過ぎの癖も随分と消えた。先制点のシーンは余裕持ってボール持てたとは言え、狙い済ましてゴール隅に転がしていた。一瞬、スタンドからは「それるんじゃ?」と思う位の狙いすましたシュート。
しかも決まる直前には純也はゴールにクルリと背を向けてベンチに、仲間にニヤと笑って手を広げて見せた。落ち着きと良い、実際のプレイと良い・・充実している。
間違いなく長崎の軸になりつつあると思う。
神崎はSBでも神崎だ。
攻撃がいつも頭にある。勘もだいぶ戻ってきた。何よりゴール前でクロスボールが来た時にボールに触れず体の向きだけを入れ替えてボールの勢いを殺さず、止めずにコントロールするプレイを見せた。神崎が最も良い時プレイだ。去年はこれでサイドをガンガンに勝負していた。いよいよ帰ってきたなという感じだ。
試合後に佐野さんは「今日のなら6点は取らないと」と笑っていたが、この日は勝点3が全てだ。色々言われているがチーム内のムードは本当に良い。それだけに結果だけで言われる事は各選手思う事はあったと思う。それでもフットボーラーである以上、結果で答えを返さないとならない。それをしっかりとやれて本当に良かった。
佐野さんが良い顔を見せてくれた。釣られて楽しそうに山頭さんや和樹さんもその写真を撮っていた・・佐野さんの応援歌のやりとりで一緒に応援していた人がみな笑った。それで良い。
あと・・無料でいただいたレモン牛乳が普通に美味かった。
土産に買おうかと思ったよ。
帰りはテンションが高く「ヤヴェ、俺このまんま長崎まで車運転出来そう」などと会話。車中で長崎新聞の見出しは何か予想をする。
「V・ファーレン連敗脱出!栃木UVAに2-0!」が見出しに違いないと推理するが外れた。
ついでに囲み記事のコメントまで予想。
「きっと神埼をとりあげるぞ、そんで「ポジションはどこでもやる事は変わらないから・・そういって背番号22は顔を引き締めた」とか書いてるに違いない。」と推理したがこれも外れた・・。まさか久々勝利の試合の直後の記事で由紀彦の好きなパンの話題とは・・意表をつかれまくったぜ。
帰り渋滞に合う。何でも中国の温家宝首相が来ていて交通規制だそうだ。俺らの車も止められ警察に「要人が通るのでちょっと待っててください」と。すると突然、隣の席にいた関東支部の「みやK君(仮称)」が「フリーチベット」と呟きだした。挙句に「竹島は日本固有の・・」とか政治問題を口にし出す。(みやK君(仮称)・・竹島問題は日韓の問題だよ)っと思いながら「みやK君(仮称)」をなだめて空港へ向かう。
空港では悲劇が・・これまで選手と常に同じ飛行機に乗る事となった。ある法則に気付いた。常にANAだ!よし!今回はJALだ!!これでもう大丈夫!!
なのに・・事務局のM口君曰く「7時のJALです」
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
お陰で空港では出発する4番搭乗ゲートに選手が待機しているので、隣の3番搭乗ゲートに座って隠れる。だが、ゴミを捨てにきた近藤に見つかってしまう。
見つかった瞬間、近藤が「あっ!」とまるで、かくれんぼで鬼を見つけた時みたいな顔をする。笑顔で「どうも、今日はありがとうございました」と言われるが、こっちはしどろもどろで危うく不審人物だった。
飛行機でも席は近くなかったが何人もの選手が側を通る。
その度に読みたくもないJALの機内誌を読む真似をする事になり、知りたい訳でもないのに機内誌特集の「片桐はいりさんの屋久島探訪」の記事を熟読する羽目になった。
空港には福島家とキリちゃんが迎えに来てくれた。
せっかく、アウェイで戦った選手を空港に出迎えに行こうムードを作ろうと写真を撮って紹介しようと目論んだのだが、選手が哲っちゃん以外、嫁に逃げられて家事に疲れたお父さんみたいな顔で出てきて写真は没となった。あと藤井がいつもマスクをつけているので「マイケル・ジャクソンみたいだね」と皆で話した。
福島家に送ってもらい帰宅。
日付が変わらない内に家に帰れる飛行機って素晴らしい。
2010年05月26日
簡単に今の長崎のことを・・
佐野さんが今季目指しているフットボールは優れた個に頼らず全員で戦うフットボールだ。具体的には攻撃時はSBやボランチの片方も上がってゴール前の人数を増やす。守備時はCBとボランチの片方を中心に守りながらSBやサイドハーフが戻って守るというものだ。
この攻守で数をかけるのに必ず必要なものが時間だ。この時間を稼ぐ事をタメを作ると言う。しかし時間は相手の陣形を整える事にも使われる。そこで佐野さんは常にボールを回して、相手を揺さぶりながらキープする方法を採用している。通常、キープするプレイはサイドハーフやトップ下で行われるが、今時はトップ下なんてポジションはそうそうないし、長崎の場合、サイドハーフが中に切れ込んで攻撃参加するのが決まりなので必然的にボランチで行われる事となる。
つまり、ボランチ近辺でのパス交換は、味方の上がりを待つプレイ・・攻撃の一手目なんである。このプレイはボランチのパスミスで即ピンチと言うリスクを抱えているが、攻撃サッカーの為に目をつぶっている。長崎の選手がボールをすぐボランチに預ける、戻す理由が分かっていただけるだろうか?
次に得点に関する話。
基本的に長崎の攻撃の形は・・こう。
FWは攻撃時に横に広がり、サイドハーフが中央へ切れ込む。サイドハーフとFWはクロスして相手のマークを外し、サイドハーフを中に切れ込ませる事でSBの攻撃参加スペースも作る。FWがチャンスメイクやオトリをする事でMF陣やSBにFWの役割を分担させる(特にサイドハーフ)という事なのだが・・現在の得点が少ない理由がここにある。
ここ3試合のサイドハーフのシュート数は“ゼロ”。つまり、分担されたFWの役割が果されていないという事だ。ちなみに4試合前のアウェイのSony仙台戦では左サイドハーフの山城純也は決勝点を叩き出している。
左SBの梶原は精度の高いキックを持っている。だが、彼が早めのクロスを入れるシーンが今季は少ない。クロスを上げるのはサイドの深く位置へ入った時だけ。今季、梶原がクロスを早めに入れようして途中でやめ、近くの味方に短くつなぐ姿が目立つ。何故か?クロスを上げる先に味方がいない為だ。FWが横に開けば、サイドハーフが入り込んでいない限り敵ゴール前に味方はいない。
かと言ってサイドハーフ陣だけを攻める事も出来ない。特に山城純也の場合・・彼は守備に忙殺されているからだ。攻撃の際の起点はボランチだが、これまでの長崎はボランチが余り大きく動かないタイプだった。その為に中盤の底のボランチと他の攻撃の選手の間に距離が出来やすく守備が脆かった。純也は走り回って守備をケアしていたんである。
攻撃が消極的に見える理由がある程度理解いただけたろうか?
では、この戦術が機能してないということか??・・否だ。
実は1試合毎に着実に戦術は構築されていると思う。例えば開幕した事、サイドハーフが中央に切れ込む動きは極端に少なかった。FWも横に開く動きは今ほど多くなかった。着実に改善は進んでいるんである。
だが、順調と言い難いのも事実だ。
理由は成功体験が不十分な事による不安だと思う。
不安だから苦しくなると、厳しくなると冷静さを失う。本来なら相手を”観察する”事が出来るのに余裕をなくし、基本的役割を必死に繰り返して打開しようとする。
キープする事、準備を整えようとする余り・・自分らのタイミングで攻撃を開始する事をしようとして相手の嫌がるタイミングを逃す。
全て不安が最大の理由だ。
確固とした成功体験を掴む前に壁にぶつかった。そして、その壁を乗り越えようとしている最中が今だったりする。
こないだの試合では神崎がボランチに入って積極的に動いた。ボールを持てる神埼がアレだけ動ければ山本ももっと大胆に動けるだろうし、そうなれば山城はもっと攻撃に専念出来る。
壁を乗り越える道みたいなものは見えつつある。
その部分をみんなで後押し出来れば、もっと壁を越える日は近くなる。そんな風に考えて欲しかったりする。
最後に・・元々、全員守備、全員攻撃のフットボールは構築に時間がかかる。そこへ持ってきて強化方針をしっかり打ち出せなかった昨年からの問題点などが重なった点は記しておきたい。
成功体験が構築されなかった最大の原因は・・昨年の失敗に関する総括がハッキリ打ち出されず、その為にどんな対策を打ったか?が一部にしか示されなかった為だ。
失敗は成功の母という・・だが、失敗を無かった事、過去の事にすれば成功の元も存在しない。
追伸
実際はこの10倍の分量を書きました。さすがに長いのでザックリ切りました。なので分かり難い所、はしょった所もあります。興味ある方は、はち蔵にでもどうぞ。飯でも食いながら語りましょう。
2010年05月23日
2010JFL第12節 長崎vs金沢のこと
今回も例によって試合内容は期間限定をどうぞ。
さて、金沢戦。今季初のナイターゲームでホームナイター3連戦の初っ端だ。ナイターであるが、元々長崎では土曜開催は厳しい事、今季ずっと天候に恵まれていたのに見事に雨がドパーっと振ってきた事で観客動員は当初からかなり厳しいと思った。雨の中でダンマクを貼る。
一番デカイ横断幕のオラショは雨を含むと洒落にならないのだが・・ホームゲームで手を抜きたくない。チームの事やら・・何よりそれは選手と対等でありたい意地だったりする。
とは言え、いつも張っているホームゴール裏の土手は雨でぬかるんでおり、人災を招きかねないので運営と協議した結果、観客動員の様子を見てバックスタンドに席張りの許可を貰う。オラショの中。
横断幕を張った後はJからの視察に来ている佐藤さんと世間話をする。
以前、我々が長崎県にサッカー専用スタジアムを望む会として署名を1万以上集めて県に提出している話をしたら、「それは素晴らしい事!!」と感心されていた。
佐藤さんがメインへ移動した後は、みんなで色々話して過ごす。
「7班の奴らと仲の悪い8班の奴らがカラオケボックスで・・」とか「自転車に乗った奴が居酒屋で飲んでいる田中さんとうえきさんを・・」とか「ここでホルモンを焼こう」とか「旧東側の空気を残す東欧のフットボールは・・」とか。
試合前に発表になったマスコットの名前は「ヴィヴィ」。
まだ行動でどういうキャラか分からないので、これからすりよせをしていこうと思う。
是非、女性や子供ハートを心電図が止まらんばかりの勢いでワシ掴んでほしい。握りつぶすくらいの勢いでお願いしたい。
中の人なぞ存在しないが、頑張れ、中の人。
まぁ、試合は皆が不満を募らせたのも充分に理解出来る。スタジアムの至る所で「勝負しろ」「前に蹴りだせ」「ゴール前に入れろ」と言う声が怒声交じりで飛んでいた。
結果ではなく経過に対して・・それが一般の人達の正直な声なのだろう。
自分らは選手や監督の声を直に聞くことも出来ているし、色々耳にする事から今の現場に対して支持をしている。それは変わらない。だが、一般の人達には中々そういう機会はない。だから、なぜ?みたいな感覚をもったままいる状態だと思う。
例えば・・佐野体制が始まって、佐野さんの戦術や今の長崎の状態を分析したり、解説したりしているのを俺以外殆どみない。これが代表やJ1では専門誌やTV中継で解説してくれる。だが、長崎にはそれはない。俺も(自分勝手に)やっているが、それを好む人は少ないだろうという理屈から余り積極的に書かないようにしている。
だが、このなぜ?を持ったままいる事が更に不信を生んでいる気がする。
本来はマスメディアが佐野さんに聞いて佐野さんと戦術論でもしながら解説するのが最高なのだが・・なので、近い内に一度、何故前に蹴りださないのか?など書きたいとは思う。
でも、読みたがる人も少ないと思うけどね。
さて、試合後は雨がかなり強くなった。
ダンマクの片付けは完全に水害への救助活動みたい事になった。
帰りはもう大雨だった。
今季ずっと晴れていたホームゲーム。
雨を見ているとフト「溜まっていたものがついに決壊した感じだな」と思った。
水に流す、雨降って地固まる、覆水盆にかえらず。
水を飲んで井戸を掘った人を忘れず、背水の陣、明鏡止水・・
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
俺達という川はどんな水になっているだろう?
その川は海へ続いているだろうか?
2010年05月21日
久々の夜練見学と感謝の意
トップチームの夜練と言うのは随分と久々だ。
2年くらい前までは結構普通で毎晩、長崎市から往復1時間以上かけて通っていたもんだ。ついこないだのような気もずっと昔な気もする。
県総は改修中で入り口は封鎖。更には駐車場も工事の為に入れない箇所が。
あと1週間もしない内に閉店予定のコンビニに入ってしまった時のような「終末感」が漂う。
ピッチ内のムード自体はず~っと良い感じだ。
結構、霧が凄くちょっとホラー映画っぽい。
福島家は練習の合間にせっせと持ち込んだ塩を至る所に盛っていた。
その盛り方は清めの塩と言うより土俵入りな感じだ。
行く前はなにかシーツダンマクでメッセージでもと考えた。何にしようか?
フト「感謝」と言うフレーズが頭に浮かぶ。よし、先人に感謝してみよう。
やはりチーム創設の元である社長か?
「ありがとう、小嶺先生」
まて!勿論、小嶺先生は俺にとって神様だが、小嶺先生をも育んできた偉大な県サッカーの恩人達まで感謝は遡るべきだはないのか?
「ありがとう、古川憲介先生!」 「ありがとう、中村康次先生!」
いや、まてまて、更に先人がいるではないか。
何より、日本にフットボールを伝えてくれた人・・その人がいるではないか。
「ありがとう、アーチボルド・ルシアス・ダグラス少佐(イギリス海軍)!」
いや!まて。彼は1873年に日本にフットボールを伝えてくれたが、やはり創始してくれた方々への感謝が優先されるべきではないか?しかし、困った事にフットボールの正確な起源はハッキリとしない。世界中のいたる所でフットボールの起源らしき・・足で球状のものを蹴るという儀式や祭事はあっているのだ。
つまり、フットボールの起源は人類の原初からあると言って良い。
ではそれら全てを網羅するのは・・こうしてあるメッセージが思い浮かんだが、何度考えてもメッセージが周囲にキチンと伝わる、理解してもらえる気がしなかったのでシーツダンマクは却下した。
だが、感謝の念は表したいのでブログに書いて表明する。
「ありがとう、アダム!」
もう・・何が何だか・・。
2010年05月20日
週末に県総で勝つために
今週末はホーム県総だ。
今期まだ県総では勝っていない。
県総での勝利は去年8月の長崎県選手権決勝にまで遡る。
尋常ではない。ここまで勝てないのは実力以外の部分があるのだろう。
そんな時に、ふと目にした本屋の棚。
リング・・貞子・・呪い。
陰陽師・・阿部清明 安倍晴明・・呪い!
冒険者達・・ガンバと仲間達・・ノロイ(白イタチの名)!!
間違いない。
何者かがきっと美しい長崎に呪いをかけたに違いない!
払わねば!
沢山の人が同じ思いを持っていたようで、
前回のホームの時に雄二さんは塩をまこうと思ったが塩を忘れてしまったそうだ。
聞いた話では宮尾も塩を準備していたが、別な選手が何も気づかず蹴ってしまって効果無かったと言う。
これは塩をまかせないとする邪悪な意志に違いない。
負けてはいけない。そんなものに負けない術で対抗しなければ。
早速、市立図書館へ行き魔術や儀式系の本を数冊借り調べる。
右の靴ひもがほどけたら両想いになれる。
・・何かが違う。
くしゃみを3回すると誰かに好意を持たれた印。
・・僕、花粉症です。くしゃみ連発です。
これは違う。別の本を当たる。
30種類以上の虫などを箱に入れて土に埋め・・
これは威力ありそうだが、人間としてレベルダウン著しいだろう。俺の方が虫に恨まれそうだ。
別の本!
五穀断ちをして土中に入り、天下安寧を祈りながら経を唱え、数ヶ月。鈴の音が聞こえなくなったら即身成仏・・。
俺はミイラになりたくないです。
別の本!
ワルプルギスの夜に山に集い、山羊の頭を捧げ・・
これは悪魔を呼び出す儀式じゃねぇか、サバトだろ。
別の本!
セミナーに参加し、信頼関係を深めたら財産を教団に寄付し信者村へ・・。
ツボは買わないぞ!
こうしてどの術も期待は出来ないようだ。
ぜひ、週末は自力で勝って欲しい。
とりあえず、俺は右の靴紐は、ほどけやすいようにしておこう。
2010年05月17日
2010年JFL11節 長崎vsSAGAWAのこととか
今回の滋賀へは チームで日付が変わる頃に出発。
出発の時点でタムの場所を計算していなかった我々だが、タムを分解してスッキリ収納。
テレビショッピングの収納家具のようだ。
1晩中車を飛ばし、SAで買い食いをし滋賀へ向かう。滋賀と言えば琵琶湖だ。琵琶湖と言えばブラックバスだ。至る所で釣り竿が!!
バッグの中の山菜摘みセットの中にひょんな事から紛れ込んだ釣り竿やリールが俺を呼ぶ!!だが、時間という現代社会特有の規制に阻まれた我々はキックオフ1時間前に競技場着の見込み・・チッ!
佐川守山パーク着。
ダンマクを設置し、収納家具状態のタムを組み立て、関西在住だけど、長崎に来た方が幸せになれる気がする人へ賃貸住宅ニュース長崎版を渡す。
その頃、山頭さんは美桜ちゃんと素敵な写真を撮る打ち合わせをしていた。
さて、この試合ではハーフタイムに滋賀在住の女性歌手SAGAWA応援ソングを歌っていた。曲は気にいらないが、「ホームの人よりイベントに盛り上がる俺」というキャラを今年は徹底しているので、休みもそこそこにタムを叩いて盛り上がってやる。
DJの人がウケて「長崎のサポーターまで盛り上がってくれました。ありがとー」と言い、シンガーも俺に手を振る。
報われた!
・・・はずだったのに!
俺とシンガーの直線場に、試合中は座ってノンビリ観戦し、一緒に応援してた訳でもないのに、何故かハーフタイムにこっちの方へ来たデュカが居て・・
俺をDJ達の視界から遮る!
更にさも自分がタム叩いたかのように手を振り返してやがった!!!
しかもやり遂げたような笑顔で。
こん味噌五郎モドキが!!
てめぇは何もしてねぇだろ?
ダンマク運びくらい手伝え!
こうして美味しい所をデュカに持っていかれた。
・・どうにもフに落ちねぇぜ。
まぁ、そんなコントはおいといて試合の事を箇条書きする。
・リトリートしての守り方はSAGAWAのSB封じに一定の効果をあげていた。
・誤算は御給。CB・・特に伝でも弾き飛ばされるのは想定外だった。昔より鋭さ
はなくなっているが強さはある感じ。藤井、伝の警告が出たのは御給との競り合いが激しかった証拠。御給が決定機を何度か外したのも伝、藤井が粘った証拠。
・ただし攻撃ではアイデアに乏しかった。
リトリート式の守り方と、この日見せた攻撃のつなぎ方は相性が悪くほとんど驚異にならない。
・ボランチへのパスがねらい打ちされ、何度も逆襲を招いた。
・この日の元気のかるいタッチのパスはボランチ近辺では余りに危険。同じく伝のボランチのパスは完全に読まれていた。
そして、最後の長崎のCKのシーンだが・・非常にムードが良かった。
1本目のキックは全員で必死にシュートまでつなぎ、もう一度CKを得た。ラストプレイなのは誰の目に明らかだったし、流れも凄く良く・・期待出来た。
だが、副審がタッチライン上に落ちているGK用の水筒が邪魔だとプレイを止め・・それが思いのほか長くかかり・・良い流れが切れてしまった。2本目のCKはあっさり弾き返されて終った。ルールを守った線審の判断は正しいのかもだろうが・・ゲームコントロールは出来ていたと言えるか??
試合後、選手がダウンするのをずっと見ていた。
その後、佐野さんが声をかけてくれた。
その背後で・・選手達がそれぞれ話し合っていた。
それがこの日、試合を見た俺達から見れなかった人へ伝えたい事だ。
各自で自由に受け取ってほしい。
試合後、我々は王将へ向かう。去年もここでSAGAWAに負けた時に来た。
みんなで「こうなったら滋賀で勝つまで王将に来続けよう」と・・。
我々の意地だ。何の意地かは分からないが・・そんな意地もある。
帰りもみんなで交代しながら運転して帰宅する。
年甲斐もない・・気恥ずかしい言い方だが、仲間と一緒だと嬉しさは人数分倍で、悔しさは人数分で割れる。それが凄く大きかったりする。日付が変わる少し前にうえきさんと電話して、「まぁ、やるこた変わんねぇよね」みたいな話をする。
その2時間後くらいに関門海峡を超える時・・起きてる皆で「帰ってきた♪、帰ってきた♪俺達の街に~♪」と歌う。
負けようが、叩かれようが、何があろうが、俺の街にはかけがえのないフットボールクラブがあって、俺は一緒に戦える。そんな昔夢見てた人生を送れている。
それが全てだ。バラ色の人生だ。
さぁ、週末もきっとバラ色だ。
2010年05月12日
週末のSAGAWA戦
さて、週末はアウェイのSAGAWA戦だ。
現在無敗。間違いなくJFL最強チームの一つだろう。
そんなSAGAWA戦では去年書いたコレを読んでもらえれば戦い方が見えてくると思う。
長崎とすれば
・安易なSBの攻撃参加や高い位置取りは避けて、ある程度リトリートしてでもSAGAWAのSBをケアする。
・途中にSAGAWAが打ってくる布陣に対しては逆にカウンターを狙うつもりで。
・SAGAWAの布陣変更には常にFWの枚数を流動的に変えて対応。こういう時にチャンスメイクも高いレベルで行えるアリは使い勝手がとても良い。
・サイドハーフが起点となる。展開に応じてドリブラー、クローサーを使い分けたい。
自分達の戦い方をすれば勝てると言う。
裏を返せば自分達の戦い方が出来なければ苦戦するという事だ。試合とは相手に狙う戦い方をさせない事を行いあう事。SAGAWAの戦い方を封じればそれだけ自分達の戦い方は行い易い。SAGAWAの戦い方を封じるため“だけ”の戦いをするのではなく、その上で自分らの戦い方を行うべきだろう。
それが本当の『自分達の戦い方』だと思う。
2010年05月10日
2010 JFL10節 長崎vs横河のこと
いつもの如く、試合内容は期間限定をどうぞ。
朝イチから競技場へ向かう。朝からやっているU-15の試合を見学。
本当にV・VARENU-15は足元の上手い子が揃っていると思う。見ていて楽しい。
1人1人、プレイや経歴を書きたいが、下部の子達はトップチームと違うのでやめておく。前田監督の指導の元で大きく伸びていって欲しい。
ユースの試合の横ではボランティアが設営準備をしている。
勿論、ボランティアの人達は金銭や名誉の対価に働いているのではない。それなりに社会的地位もある彼らが朝かから汗をかき、頑張っている。V・VRAENの場合、まだまだ高校生の参加無しに運営出来ないほどボランティアが不足している。もっとボランティアの人が得をするシステム作りが必要なのかもなと考えた。
とは言え、応援やらに対する考えが浸透していないと時折、「試合中の応援じゃなく、ボランティアでもやれ!」と言われる事がある。
残念ながら余りにサポーターとか応援とかの関係を理解していない言葉だ。
この言葉の裏には「ボランティア>>>>>応援」という図式がある。
俺が知っているボランティアの人にそういう風に俺達を見ている人はいない。当然、俺達も「応援>>>>>ボランティア」なんて思わない。俺はボランティアでも俺らと同じ位に熱いと思ってるし、凄いと思っている。接する方法が違うだけで根っこは一緒だと思っている。
だが、「応援よりボランティア」と言われると違和感を感じる。
俺は自分がクラブに貢献出来る1番の方法が応援する事や書く事だと思っている。ボランティアの人も同じようにボランティアという貢献が自分が1番力を発揮出来ると思っていると思う。俺がテントに入ってグッズを売っても、今のボランティアの人より手際よく笑顔でテキパキと対処出来ないだろう。
ある程度、手伝えればとは思うが以前、応援の準備前にテント設営などを手伝ったら、中途半端な手伝いはかえって運営に支障をきたす可能性があるという事だったので、以後は手を出さないようにしている。なので、今はプロフェッショナルな運営手腕のボランティアの人達に俺は任せている。それは彼らに対する俺の信任であり、敬意だ。
さて、試合会場にはこんなものが・・
沢山のULTRAが「俺のじゃない」と倒れこんでいた。
横断幕を設置後、すみやかに有光亮太100試合出場記念の準備に入る。
バンデーラで100の字を作るのは中々大変なのだ。
その後、V・VARENのスタジアムではお馴染みのレッドペッパーからカレーとパスタを買う。
パスタのミートソースはかなり甘く美味い!こうなればカレーとパスタをハーフサイズにして揚げ物のっけてトルコライスにしてもらいたい。名物が狙える!!
さて、試合だが・・疲労が全てだ。
今年の長崎は単純なチーム強化と言う点では、物凄く難航している。多難だ。
佐野さんもそんな素振りは見せないが、かなり頭を痛めている・・それ位だ。
なので、今の状態で大事なのは「切れない事」だ。
JFLの団子レース化は昨年以上に顕著だ。切れずにいれば今、先行投資的に我慢している部分が必ず後期の大きな武器になると思う。そこまで雌伏出来るかが大事だと思う。
切れた奴から脱落する・・そういう事だ。
あと、疲労について口にすると必ず「相手も条件は同じだ!甘えるな」的意見が出るのだが・・そう思われる方はもう1度、長崎という西の果てから全国に挑む事の大変さを理解してほしい。
参考までに書くと・・長崎:5450キロ。横河2325キロ。
第9節までの時点での両チームのアウェイ移動距離だ。この4月25日からの連休での移動距離だけに絞ると・・アウェイ総距離は長崎は2550キロ。横河は長崎との試合を入れても1520キロ。横河は最短のアウェイは19キロとかもあってる。蓄積される疲労度の差が解るだろうか?
今年、全試合応援に行っている。さすがにこの連休は疲労が溜まっていた。2週間で4試合バスドラを叩いた右手は中指を曲げると痛みが走り、もう10日以上痛みは引かない。
これが連戦で蓄積される疲労であり、西の果てから全国へ挑む厳しさなのだ。
琉球はこのハンデを克服するのに今も時間を費やしている。札幌はこのハンデの解消に医療設備の徹底充実を図っている。
「甘えている」はこの辺りを一切考慮せずに単純な根性論を押し付けているだけな気がする。別に選手を甘やかす必要はないが、考慮すべき部分は考慮すべきでは??っと考える。
この辺を考慮した上で「じゃぁ、どういう手があるか?」を考えるべきだと思う。
さて、週末は滋賀だ。
ちなみに長崎-滋賀は900キロ。
前節のSAGAWAはびわこ草津とのダービー、その前は当然ホームだった。
これが西の果てから全国を目指すという事だ。
選手の気持ち一つで何とかなる程度の甘さではない!
2010年05月08日
有光亮太が100試合出るかも?
V・VAREN長崎が誕生して6年目。
所属した選手の数は現在までで101人。
その101人の選手で挙げた得点は404点にのぼる。
その404点の内、50得点を1人で叩き出しているFWが有光亮太だ。
アリは2007年に加入して以来常にリーグで2桁得点を挙げてきた。
特に福嶋洋とのコンビは2人あわせて100得点をマーク。ちなみに、歴代のチーム得点ランキングでもアリと洋は50得点でトップを分け合っている。3位の岩本昌樹が29得点である事を考えると、V・VAREN長崎の得点はアリと洋抜きに語れない事が分かるだろう。
5月9日の横河武蔵野戦でアリが出場すれば・・
アリは長崎通算100試合目の出場となる。
100試合50点。2試合に1点。凄まじい数字だ。
本来ならば、こういうメモリアル的なモノはクラブ主導で行うべきだが・・
前回の加藤の100試合出場の時にクラブと話し合った際、
「JFL100試合出場の場合はセレモニーやるようにと規定があるが、中々しっかり手が回らないし、皆さんがやってくれるなら任せた方が良いのではないかと思うし、その方が選手も喜ぶのではないか?」という事だった。
なので、有光亮太100試合メモリアルマッチ兼50得点おめでとうという事で・・今回もやります。ちなみにクラブ側には以前に集計を渡しており記録の整合性に問題はない。
なので横河戦で一緒にアリの100試合を祝いたい人はバックスタンド中央に集合!!
勿論、100%アリが出場すると決まっている訳ではないが・・それでもアリを祝ってあげよう。「アリのうた」にあわせてパラソルグイングイン回してみないか?
有光亮太 V・VAREN長崎通算成績
99試合 50得点 14アシスト 警告6
今年は近藤、加藤、そして有光と長崎通算100試合出場が相次いだが・・今年はシーズン終わり事にあと1人出るか出ないか?確実に100達成はアリが今年は最後かもしれない。
2010年05月07日
2010JFL第9節 Sony-長崎の完璧遠征 後編
あらすじ
~長崎最高の結束集団『チーム:完璧結束』の仙台講演。座長Yujiと看板女優Seiko、新進気鋭の女流歌人Waki、演芸一族として有名な福島一門、そして明日の大スタアを夢見るHIROはついに念願の舞台『せんだい』に到着した~
競技場はこんな感じ。
球技専用でタッチラインとスタンドが数メートル。
応援する場所はベンチ真裏ではなく、やや離れた所とする。
・余りに近い為に応援の音量がベンチでの会話や指示を邪魔する可能性
・静かに応援したい人への配慮
この2点から暖かい配慮をした。その暖かさは、夏場に間違えて自販機で押してしまった「あたたか~い」のように簡単にさめないナイス配慮なのだ。
さて、去年の試合ではベガルタ仙台を応援している東北在住な人達が由紀彦めあてに大量に訪れていたのだが・・この日は去年を上回る数が来た。しかもメインでなくワザワザ我々の後に陣取る。
昔とは時代が違うゴール裏だ。長崎らしい感じでフレンドリーでアンニュイに接する。
去年の時点で既に彼らの好む応援を認識していたので、試合前の段階でしっかりと、ネタを・・ どうアジテーションしようか考える。
彼らは特に「危険そうだったけど実は大した事のないシーン」で使う「問題ないから」が気に入っていて、この日もそれをかなり待っているのが解った。
簡単に披露なぞ出来ない!我々はお笑いではないのだ!
だから「芸は安売りせんけん!簡単に使わんよ、芸が荒れるから」と釘を刺す。
そして、逆転をされ反撃に向かうシーンでは同点の後・・
「あと1点を奪わねば!」
と思った俺は、ドラゴンボールの元気玉を打つ時の梧空みたいに由紀彦目当ての後にいる人達へ声をかけた。
「全選手を由紀彦と思い込め!」
「イマジネーションで勝負しろ!」
素直な彼らは思い込んでくれた。その勢いで一気に逆転。完璧だ。
試合後には彼らに
「今日はね、みんなのイマジネーションの勝利や。思い込み最強!」と労を労う。
まぁ、正味・・試合に関しては主審の曖昧判定が全てだ。良くも悪くも。
このシーン後の10分くらいがこのチーム・試合の全てを表していた。
問題のシーンは長崎の選手が倒されたように見えた。当然抗議が起こる。
それをきちんと主審が説明せぬまま強引に試合を再開し、その為に守備が出来ず、完全にゲームの流れ外の部分が得点の大きな要素を占めた。
この時、佐野監督は猛抗議をした。当然だ。こういうシーンで選手に代わって戦う姿勢を見せない指揮官について行く者はいない。
その瞬間に2年前に練習場で聞いた当時の監督の言葉を思い出した。
「どんなに文句あっても我慢しろ。お前らがカードを貰えばチームは少ない状況で戦わねばならなくなる。だから主審には俺が言う。俺が退場にでも何でもなれば良い事だ。」
その言葉を聞いて以来・・監督が激しくつめよるシーンでは出来るだけ監督の変わりに俺らがブーイングをするようにしている。例えそんな俺らを「みっともない」とか「見苦しい」と言う人が多くても、代わりに監督が退場しないなら充分だ。
だから佐野さんにも叫んだ。「俺らが言うけん。佐野さん下がって!」
次の瞬間・・佐野さんが主審の前に踏み出した。(通じてないのか?)と思った。
だが、佐野さんは主審の足元のボトルを拾うとそれを主審の前で飲んでニヤっと笑った。
(俺は水飲みたくて前に出ただけですよ)と言うように。
そして、次にサブの中からピッチの選手達へ声が。
「大丈夫!2点とりかえせば勝つんだから」
多分、言ったのは阿部ちゃんだと思う。上手いと思った。
俺らは佐野さんを退場させないようにしてる・・だが、その間、ピッチの選手に声はかけれない。そこを上手く阿部ちゃんがフォローした。この言葉が俺らの目の前で聞こえた。自然と応援の流れが「攻撃」「逆転」へつながった。
ピッチ内の選手、ピッチ外の選手、監督が同じベクトルへ向いている事を証明したシーンだと思う。
逆に気の毒だったのはSony仙台の方だ。
微妙な形で点を取り、直後にゲームが止まって切り替えが上手く出来なかったと思う。
杉山が倒されてPKを獲得したシーンもよく見えていなかったSonyの選手にすれば
「さっきの長崎失点のシーンで気を使って・・」と頭をよぎっても不思議ではない。彼らは混乱してしまったと思う。
1つのプレーで大きく明暗が別れた。
主審はこういう形でゲームを演出した事を忘れないでもらいたい。
試合後、少しだけゆっくり目にして車で競技場を後にする。
渋滞にハマる。NHK-FMでサッカー三昧の音楽がやってる。ラジオネーム「問題ないから」で「木蓮の涙」をリクエストしたが読まれなかった。採用されそうなネタ満載で送ったのに・・。
その後もみんなで運転を替わりながら、交代で休みつつ渋滞に巻き込まれながらも予想を上回る22時間で長崎に到着。
こうして完璧な形で遠征を終えた我々は「勝点72くらいは持ち帰ってるのではないか?」と自画自賛する事となった。
さぁ、週末はまた試合だ。
有光亮太が出場すれば100試合出場となる。ちなみにSony仙台戦で得点した事で有光は長崎で50得点目を挙げた。これは福嶋洋と並んでチーム最多だ。
アリのコーヒールンバを嫌になるほど歌いたい。
2010年05月06日
2010JFL第9節 Sony-長崎の完璧遠征 前編
例によって試合内容とかは期間限定をどうぞ。
5月2日 20時頃、うえきさんに差し入れなどを貰いつつ出発準備。
徹底的に快適さを追求する我々は社内を『はち蔵』仕様にカスタマイズし、福島ファミリー、和樹さん・・大人6名、子供2名で出発。快適さを求めた結果、外からは自由の国アメリカへ国境を越えて不法入国しようとする明日無き人達みたいな絵となる。
夜の高速を軽快に走り夜が明ける頃には関西を突破。北陸へ入る。ドライバーを余裕を持って交代する事で楽々遠征だ。
東北に入る頃は景色が九州とまるで違う。
みんなで山を見る度に「ブラックモンブランだ」と感心。
美桜ちゃんも献身的にミフゥの面倒を見る。
ミフゥも最近はパパ、ママ、あーちゃん(おねーちゃん)だけでなく、せいちゃ(聖子さん)、ゆーさん(雄二さん)、わきしゃ(和樹さん)と名前を呼ぶようになった。
子供は成長するものだ。この子が産まれた頃に「ハッピーウェディング」を目標に掲げていたササキさんはまだ婚活中だが、歳月の流れを実感する。
その後、福島県に入り、今夜の宿である山奥のキャンプ場へ。何でも全コテージが手作りらしい。地図に従っていくと・・ここへ入れと言う。
一瞬、コテージの概念を壊されそうになったが、幸いにもこれは酒屋でもっと奥だった。
途中で崖を越え・・着。
忍者の隠れ里のような場所だ。
今夜、我々が泊まるコテージ。
早速、バーベキューの準備に入り食事開始。
食事後、仮眠を取ったり、周辺を散策。
周辺は水木しげるの漫画やホラー映画に出てきそうなナイスロケーションだ。
奥の川周辺や、溜め池近くに子供が作った秘密基地は映画「ブレアウィッチプロジェクト」だ。21時頃に再びバーベキュー開始。
フットボール好きな我々は牛タンとタマネギを選手に見立て戦術論に花が咲く。
「ここのスペースに肉ば投入せんばやろうが。」
「こんタマネギは肉にマンツーマンで張り付いとる」
「どら、肉に攻め上がらせるけん、タマネギば前線に上げろ」
こうして我々は時間と無縁の夜を過ごした。
翌朝もバーベキューで朝食を済ませた我々はキャンプ場の人も驚く手際の良さと効率的な片づけを見せ、仙台へ向かう。史上最強の結束集団『チーム:完璧結束』だ。
そして・・競技場着!
こうして今回も選手が一切出てこないまま前編を終える。
つづく。
2010年05月04日
北の国から2010~帰宅中~
僕は・・東北にいるわけで・・
きっと今、蟹工船の労働者たちのように不眠不休で高速を長崎へ向けて走っていて・・
でも、いま書いてるのは5月2日で・・勿論、結果とかわからなくて・・。
だけど・・
どんな結果であっても気持ちとか揺らいだりすることないわけで・・
きっと、帰宅してまた働いて、週末は県総で笑っている訳で・・。
そんな毎日が好きで・・
だから、頑張って長崎へ帰ります。
追伸:
単に東北だからこのネタを思い出した訳で・・『北の国から』好きで・・。
だから、オチはないわけで・・。
2010年05月02日
長崎の負の連鎖を断ち切る為に・・後編
今、負の連鎖を断ち切るために、方針や指針を作りながら戦っている。この連鎖を断ち切らない限り問題は解決しないし将来もないと思っている。
俺は「今年は目先に追われすぎた流れを断ち切るシーズンだ」と考えてるし、断ち切ろうとする現在の方針を支持している。「とりあえず昇格してから改善しよう」と言わない事を素晴らしいと思っている。
リーグ優勝もJ昇格も目指すし全力は尽くす。
だが、リーグ優勝やJ昇格のため“だけ”の戦いはしないという事だと思っている。
そして、今年の戦力でも昇格は狙えると思う。今の長崎は開幕して苦戦中だが、無敗で首位の町田にも鳥取にも正面から戦って勝ちを狙えたし、上位の秋田や印刷とも引き分けている。あと1歩足りないのは事実だが、あと1歩まで来ているのも事実だ。成績や勝てない批判は当然だが、悪い所しか無い訳でもない。
佐野さんのサッカーが長崎にあっているかは判らない。時に割り切って勝ちに徹する事も必要だと思うが、それは俺の意見で、佐野さんのサッカーや試合が明らかに通常以下の力しか出せない采配を振るっているのでない限り、その長崎の方針の下で俺もやっていく。
「信じて文句を言うな!」と言うのではない。
意見は言うし、おかしいと思ったら声は挙げる。その上で失敗した。求心力が無くなった。支持がなくなったら・・それはクラブの打ち出した方針が間違っていたという事で、その時はクラブが改善していかなきゃだし、その為の意見や批判は必要で、クラブは責任も負わなければならない。そういう話だ。
だから、色々考える所はあるだろうが、その辺も考えてもらえればと思う。
同じものを見据えた上での意見対立ならば、建設的だが、違うものを見据えた者同士の意見対立は単なる対立だから。
長崎は西の果てだ。離島が多く、交通網も整備されておらず、経済力も下の方だ。単純な人口規模や大都市からの距離では長崎と差のない都市もあるだろうが、地理・地形・交通的な部分等を加味すると、ハンデは想像以上だったりする。そして、サッカー界の中心からでは現実以上の距離がある。
マスコミにもそれは現れる。出版社の大半が東京にある以上、取材は東京近辺が便利だ。でも長崎を取材するには?なぜ長崎は監督選考に苦労するのか?単純に「来てくれない」のだ。長崎に来る事はサッカー界の中央や本道ではないからだ。熊本は長崎から近い。だが、経済力や人口・・そして交通の便で差は大きい。
その長崎からJチームを作る。他の街と真っ向から張り合うものを、大企業の後援もない中ではやっていくのに楽な方法なんて存在しない。長崎から世界へなんて夢を本気で実現させるには想像を絶する努力が必要という事だ。
夢を見るだけなら構わないが、夢を見せよう、実現しようとすれば努力が必要だ。
V・VAREN長崎という存在は・・楽に実現出来る程度の夢ではない。
そういう事だ。
2010年05月01日
長崎の負の連鎖を断ち切る為に・・前編
これまでのV・V長崎は指針やチームコンセプトを打ち出してこれなかった。
「地域密着」「県民に愛される」そういう抽象的理念はあったし、各人の中に「こんな風な」という思いはあっても、それを理論立てて示す事は出来なかった。頭の中にある理念を具現化する為の道筋を示せなければ、それは単なるアイデアに過ぎない。
例えば、長崎という街にあうチームは?と検討された事もないし、どんな年齢構成でチームを作るのが良くて、その為にはどんなサッカーが適切で、そのサッカーを指導出来る監督は?なんて示した事は1度もない。理念を具体化出来なかった上に、親会社もないクラブは、Jという既に具現化された夢にすがらねばならなかった。ここに根本的問題がある。
2005年は「Jを目指すチームを作る事」に追われて体制を整えるのに精一杯。2006年は「J昇格」に追われ、地域決勝前に不必要な補強を行い失敗。(補強選手やスタッフに非はない。あるとすれば、このような決断を下したフロントだ。)2007年は「J昇格」と「S級」という資格に振り回され失敗。2008年、迷走の末に昇格をしたが、総括不十分で継続し、翌年は監督解任や昇格断念を経験する事となった。
ゼロから始めた為にチームは常に忙しかった。
クラブの通常業務、KYUへの昇格、JFL昇格への昇格、準加盟申請、・・気付けばずっと自転車操業だった。6年目に入り、フロントの人員も増えたし、知名度も上がった。進歩した面もある。だが、長崎に、らしい戦い方はあるか?長崎らしさは見えるか?何が長崎らしさか?長崎の伝統は?こういった部分では・・悪い言い方をすれば、2005年と状況が変わっていない。勿論、一朝一夕に伝統は出来ない。だが、明確な方針や指針無しには伝統は永遠に出来る事はない。
目先の事に集中しすぎてしまった負の連鎖が存在するのだ。
そこで、去年末から長崎はその辺を改革しようと体制や仕組みをあらためた。そしてクラブ側は再三「日本最西端の地方クラブは他と同じやり方では駄目。常に独自の方法を探らねばならない」と口にした。「1年で変えるのではなく、継続性を大事にしたい」とも口にした。5ヵ年計画も策定した。目の前の業務をこなしながら、先を見据えてという方針だ。
それは計画だけ、口だけでは当然駄目で実行されなければならない。実際、それを受けて体制は大きく入れ替わり、部署も配置変えも行われた。枝折君の入閣は彼の今の手腕以上に、しっかり経験を積ませて将来の中核スタッフの1人にしようという・・将来を見据えたものだ。そして、当然ながら佐野監督の招聘もその方針に則っていなければならない。「いや、佐野監督だけは目先を・・」なんてチグハグな運営はありえないのだから。
佐野さんのスタイルは基本的に不変だ。草津で指揮を執っていた時と変わらない。微調整や成長はあるだろうが、根本は変わらない。長崎はそれを把握した上で招聘している筈だ。つまり、クラブは佐野さんの目指すサッカーをある程度容認し、土台の一つに加えようとしているという事だ。そうでないのならクラブは未だに迷走しているという事だ。
明日に続く。