2011年12月30日
長崎の失敗、そして・・再生 その⑤
フロントへの不信でファンの心が揺らぐ中・・ピッチ上は佳境を迎える。
リーグ終盤戦、長崎の戦い方は研究され内容は悪くなっていた。
特に守備は試合を追うごとに崩壊の度合いが強まり攻撃力で補えなくなっていく。
終盤下位相手の5試合で9得点したが11失点し1勝1敗2分。
長崎はシーズンを昨年と同じ5位で終えた。
順位は変わらないが、昨年の5位は滑り込みであった事を考えると上昇だ。
試合内容も得点力も上がった。
去年勝てなかった町田、SAGAWA、Hondaにも勝利した。選手の意識も変わってきた。
だが、失点は昨年より増え、ホームでの勝率は下がった。
そしてそれは良くも悪くも草津時代からの佐野監督のカラーだ。
高い攻撃力と弱い守備。それはそのまま監督の志向の結果だ。
現在、佐野監督続投はほぼ規定路線だ。
つまり佐野監督は3年目の指揮に入る。草津時代は1年のみの指揮。
2010年は就任したてで佐野色を出し難かった。今年が実質1年目と言える。
つまり、監督は初めて真の意味で継続路線を歩む。
誰も知らない2年目・・佐野達という監督の全貌は2012年で問われる。
12月14日の支援会に参加した宮田社長はフロントの問題点指摘を受けこう言った。
「今年は財務再建に自分が追われていて、他の部分にまで手が回らなかった。これからはやります。」
そろそろこの話題をシメる。
来年、長崎はJ2昇格へ総力戦に入る。スタジアム問題も俺が聞く限り対案はあり、昇格は可能だ。クラブはかなりの勝算を持っている。入替戦も去年末から想定してきた。来年は良いニュースも多いらしい。
財務や昇格基準といった長崎を取り巻くものは整ったと思う。
だが、それらは入れ物や環境に過ぎない。問題はその中に入れる魂だ。綺麗な服を着せて、造形が美しくとも魂がなければ人形に過ぎない。
かつて、その人形は小嶺忠敏という強烈なエネルギーで動いていた。だが、巨大なエネルギーは時に服を燃やし、肌を溶かす。このままでは人形が保たないとなって、そのエネルギーを抜き、人形の再生が始まった。そして服や肌の修復をが今ようやく終わる。
今度、人形を動かすには”魂”が必要だ。
だが、外見は修復されても中に入ってる魂に問題があれば、それは”問題のある人間”に過ぎない。人形修復の間、かりそめの”魂”と過ごすファンはとても哀しい日々を強いられ、傷ついた。
来年、俺達はJへ行く。
勝負事だから100%はない。だが、クラブに高潔な”魂”が本当にあれば、きっと俺達はどんな結果でも笑って翌シーズンの話を出来るだろう。
『子どもたちは、ぼろきれのお人形に時間を費やす。
だからそのお人形はとっても大事なものになる。
それで、とりあげられると泣くんだね・・・』(by 星の王子様 サン・テグジュペリ)
リーグ終盤戦、長崎の戦い方は研究され内容は悪くなっていた。
特に守備は試合を追うごとに崩壊の度合いが強まり攻撃力で補えなくなっていく。
終盤下位相手の5試合で9得点したが11失点し1勝1敗2分。
長崎はシーズンを昨年と同じ5位で終えた。
順位は変わらないが、昨年の5位は滑り込みであった事を考えると上昇だ。
試合内容も得点力も上がった。
去年勝てなかった町田、SAGAWA、Hondaにも勝利した。選手の意識も変わってきた。
だが、失点は昨年より増え、ホームでの勝率は下がった。
そしてそれは良くも悪くも草津時代からの佐野監督のカラーだ。
高い攻撃力と弱い守備。それはそのまま監督の志向の結果だ。
現在、佐野監督続投はほぼ規定路線だ。
つまり佐野監督は3年目の指揮に入る。草津時代は1年のみの指揮。
2010年は就任したてで佐野色を出し難かった。今年が実質1年目と言える。
つまり、監督は初めて真の意味で継続路線を歩む。
誰も知らない2年目・・佐野達という監督の全貌は2012年で問われる。
12月14日の支援会に参加した宮田社長はフロントの問題点指摘を受けこう言った。
「今年は財務再建に自分が追われていて、他の部分にまで手が回らなかった。これからはやります。」
そろそろこの話題をシメる。
来年、長崎はJ2昇格へ総力戦に入る。スタジアム問題も俺が聞く限り対案はあり、昇格は可能だ。クラブはかなりの勝算を持っている。入替戦も去年末から想定してきた。来年は良いニュースも多いらしい。
財務や昇格基準といった長崎を取り巻くものは整ったと思う。
だが、それらは入れ物や環境に過ぎない。問題はその中に入れる魂だ。綺麗な服を着せて、造形が美しくとも魂がなければ人形に過ぎない。
かつて、その人形は小嶺忠敏という強烈なエネルギーで動いていた。だが、巨大なエネルギーは時に服を燃やし、肌を溶かす。このままでは人形が保たないとなって、そのエネルギーを抜き、人形の再生が始まった。そして服や肌の修復をが今ようやく終わる。
今度、人形を動かすには”魂”が必要だ。
だが、外見は修復されても中に入ってる魂に問題があれば、それは”問題のある人間”に過ぎない。人形修復の間、かりそめの”魂”と過ごすファンはとても哀しい日々を強いられ、傷ついた。
来年、俺達はJへ行く。
勝負事だから100%はない。だが、クラブに高潔な”魂”が本当にあれば、きっと俺達はどんな結果でも笑って翌シーズンの話を出来るだろう。
『子どもたちは、ぼろきれのお人形に時間を費やす。
だからそのお人形はとっても大事なものになる。
それで、とりあげられると泣くんだね・・・』(by 星の王子様 サン・テグジュペリ)
2011年12月29日
長崎の失敗、そして・・再生 その④
今年、クラブが全力を注いだ増資を含む財務改善は、
予定より時間を費やしたが10月には予想以上の成果を上げようとしていた。それはクラブ史に残る快挙ではあったが、社長らがそれに傾注した結果、現場レベルの変革が手付かずとなった。
「社長が代わり、クラブが変わる」
そう思っていたファンや関係者にとって以前と変わらない対応や体質への失望は大きい。連絡の遅れ、返答なし、デリカシーを欠く発言、クラブ内情報共有不足、「選手マネージャー部」と揶揄される過保護な姿勢とホームイベント参加姿勢。監督依存の強化方針・・。
断っておくが、スタッフ各人は本当によくやっていた。
大変な環境で、情熱を失わない彼らは本当に凄い。だが、ズサンな運営への慣れがあった。そして、社内整備の出来る社員を多く入れたがクラブ内の情報共有不備では誤解を招く。結果、各スタッフや部署は連動して動けずそれぞれ孤立する。フロントがそういう状態では、ファン・ピッチ内・フロントが一つになりきれる訳はない。
例えば・・1回目のラッピングトレインツアーは選手が参加していない。理由は監督の「当日、サブも練習」。結果次第で解雇もある監督がピッチ内の都合を主張するのは当然だ。だが、ファンの要望は「選手も乗って欲しい」だった。
2回目のツアーでは監督を説得し「勝った場合は選手乗車」が決まった。ところが、監督の「サプライズだから内密に」と言う意見で告知が不可となった。監督の遊び心だったのかもしれないが、ファンのニーズとずれていた。
そして、2回目のツアーは負けたにも関わらず選手が乗車する。これは試合後に突然監督が決めたそうだ。クラブのイベントならば、1個人に振り回されるべきではない筈なのだが・・。
佐野監督は気分のムラが大きいという評判はよく聞く。予定されていた試合後のインタビューも土壇場キャンセルが多く、憤慨しているメディアもある。無論、話せる状態じゃない時や話せない時もあるだろう。こういう時こそフロントが双方面目が立つ対応しなければならない。だが、今のクラブには徹底的にそれが欠けている。結果、互いのニーズが噛み合わない。
更に7月にクラブが「応援について話そう」という会で見せた対応や発言もファンの気持ちを逆撫でした。出席していた元選手である竹村の言葉が全てを表している。「話を聞いて、お門違いだった(クラブの姿勢が間違っていた)と思っています。出直してきます。」ファンと対話しようという姿勢は間違っていないが、事ここに及んでファンを理解していなかった事は不信を大きくしただけだった。
「一つになろう」
震災後に選手が書いたの横断幕の言葉に対し実体は程遠く、今年、ファンを支えていたのはもうクラブへの信頼ではなかった。ファン互いの支えあいや竹村、加藤、原田らOBの存在である。フロントとしての手腕より、功労者である彼らにクラブが報いるという事実と、彼らがいつか経験を積んでクラブの未来を担うという希望、そして彼らの人柄がファンの気持ちを支えた。
そんな状態のままシーズンは進み、終盤を迎える。
(つづく 次回、最終回)
予定より時間を費やしたが10月には予想以上の成果を上げようとしていた。それはクラブ史に残る快挙ではあったが、社長らがそれに傾注した結果、現場レベルの変革が手付かずとなった。
「社長が代わり、クラブが変わる」
そう思っていたファンや関係者にとって以前と変わらない対応や体質への失望は大きい。連絡の遅れ、返答なし、デリカシーを欠く発言、クラブ内情報共有不足、「選手マネージャー部」と揶揄される過保護な姿勢とホームイベント参加姿勢。監督依存の強化方針・・。
断っておくが、スタッフ各人は本当によくやっていた。
大変な環境で、情熱を失わない彼らは本当に凄い。だが、ズサンな運営への慣れがあった。そして、社内整備の出来る社員を多く入れたがクラブ内の情報共有不備では誤解を招く。結果、各スタッフや部署は連動して動けずそれぞれ孤立する。フロントがそういう状態では、ファン・ピッチ内・フロントが一つになりきれる訳はない。
例えば・・1回目のラッピングトレインツアーは選手が参加していない。理由は監督の「当日、サブも練習」。結果次第で解雇もある監督がピッチ内の都合を主張するのは当然だ。だが、ファンの要望は「選手も乗って欲しい」だった。
2回目のツアーでは監督を説得し「勝った場合は選手乗車」が決まった。ところが、監督の「サプライズだから内密に」と言う意見で告知が不可となった。監督の遊び心だったのかもしれないが、ファンのニーズとずれていた。
そして、2回目のツアーは負けたにも関わらず選手が乗車する。これは試合後に突然監督が決めたそうだ。クラブのイベントならば、1個人に振り回されるべきではない筈なのだが・・。
佐野監督は気分のムラが大きいという評判はよく聞く。予定されていた試合後のインタビューも土壇場キャンセルが多く、憤慨しているメディアもある。無論、話せる状態じゃない時や話せない時もあるだろう。こういう時こそフロントが双方面目が立つ対応しなければならない。だが、今のクラブには徹底的にそれが欠けている。結果、互いのニーズが噛み合わない。
更に7月にクラブが「応援について話そう」という会で見せた対応や発言もファンの気持ちを逆撫でした。出席していた元選手である竹村の言葉が全てを表している。「話を聞いて、お門違いだった(クラブの姿勢が間違っていた)と思っています。出直してきます。」ファンと対話しようという姿勢は間違っていないが、事ここに及んでファンを理解していなかった事は不信を大きくしただけだった。
「一つになろう」
震災後に選手が書いたの横断幕の言葉に対し実体は程遠く、今年、ファンを支えていたのはもうクラブへの信頼ではなかった。ファン互いの支えあいや竹村、加藤、原田らOBの存在である。フロントとしての手腕より、功労者である彼らにクラブが報いるという事実と、彼らがいつか経験を積んでクラブの未来を担うという希望、そして彼らの人柄がファンの気持ちを支えた。
そんな状態のままシーズンは進み、終盤を迎える。
(つづく 次回、最終回)
2011年12月28日
長崎の失敗、そして・・再生 その③
リーグ戦中期、CB補強で守備力を挽回しようとした長崎だが・・そうは行かなかった。崔は練習生からの加入で、頑強なフィジカルが武器ながら軽率なプレイが多く調子に波があった。加えて19試合出場で警告8、退場1という状態。一方の野本は周囲を使い、読みで勝負するタイプで、連携が整わない状態では力が出せない。
だが、SAGAWAやHondaなど、去年勝てなかった上位との試合を攻撃力で押し切った事で守備の問題は露呈せずに済んでいた。
それが露呈するのが天皇杯2回戦。この試合、長崎はセットプレイで4失点、計7失点で粉砕される。当時JFL3位で翌年に優勝すべきクラブとしてはありえない。ちなみに草津時代に佐野監督解任の引き金はロアッソ熊本戦の0-6大敗である。こうして守備の問題を露呈した長崎はこの試合を景気に苦戦を続けて行った。
SAGAWAを敗った時に選手が異口同音に口にした。
「長崎が本領を発揮すればJFLのどこにでも勝てる。」
だが、そこには落とし穴があった。今年の長崎はHondaにもSAGAWAにも負けていないが、一方でUVA、讃岐に勝てず、下位に連勝も出来ていない。
引かずに攻めてくる上位との試合では攻撃力で押し勝つ。だが、中位以下の引いて守るチームに苦戦する。特にその傾向はホームで顕著だった。代表的な例がMIOびわこ戦だ。アウェイでは前に出て来たMIOを圧倒した。だが、10日後、引いてカウンターのMIOには辛勝。(長崎と正面切って撃ち合いを出来るのは町田くらいだった)そして、長崎は守備において昨年よりダウンしている。勝ち試合を余計な失点で引き分けにしている。
この評価は草津時代と同じである。つまり、佐野フットボールはまさに機能し、機能したが故に5位に終わったのだ。
来期はこの監督含めてこのあたりを打開出来るかが大きな影響を握る事になるだろう。シーズン当初のCB補強含めて、守備強化は失敗したシーズンだと断言して良いと思う。
長崎は確実に強くなった。監督の手腕だ。だが、守備強化は失敗し、シーズン前に掲げたセットプレイ失点率47%の改善は若干見られたが40%近いまま。フェアプレイ賞を狙うと公言しながら今季も黄色61、赤1と改善されておらず、指揮官が退席処分を受ける事もあった。問題点も明確になったシーズンと言えるだろう。
一方、フロントは集客に苦戦していた。
国体への準備の関係で最多の動員が見込める長崎市開催は1試合行のみ。佐世保も島原もキャパが小さく、交通アクセスが劣悪。更に長らく地域密着を怠り、見当違いのイベントを乱発してきた事で県民にクラブは浸透していない。設備問題、地域事業のこれらの問題は7年前もの間、見通しの甘い、ズサンな運営が招いた結果だと言える。
しかし、誇る点が一つある。
それは観客数発表の一切の水増しを行っていない事だ。一時期の長崎は適当な集計でかなりヒドイ数字を発表した事があった。1000人程度の観客を4000人と発表した事もある。これはJFL1年目から関係者の間でも不評で「実数集計」の方針が採用された。だが、それが本当に浸透するのに1年を費やし、2009年当時はまだ曖昧な集計がまかり通っていた。
そして、今年は本当に実数発表と切り替えた。実際、長崎の基準で今年のJFLチームを集計すれば、他チームの観客数は激減するだろう。その自信がある。
また、招待券を一切バラまかないのも現在の方針だ。
昔は関係各所に行って50枚チケット置いてくる等があったらしいが、今は招待するチームにも枚数を聞いて、その枚数のみを提供する。同じ所に毎回やるような真似もしない。今年、大掛かりに招待券を出したのも2試合程度だったと記憶している。
ここは無借金経営と共に長崎が世界に誇る部分だろう。
だが、誇れるのはそこまでで・・フロント問題は一気に表面化しようとしていた。
(つづく)
だが、SAGAWAやHondaなど、去年勝てなかった上位との試合を攻撃力で押し切った事で守備の問題は露呈せずに済んでいた。
それが露呈するのが天皇杯2回戦。この試合、長崎はセットプレイで4失点、計7失点で粉砕される。当時JFL3位で翌年に優勝すべきクラブとしてはありえない。ちなみに草津時代に佐野監督解任の引き金はロアッソ熊本戦の0-6大敗である。こうして守備の問題を露呈した長崎はこの試合を景気に苦戦を続けて行った。
SAGAWAを敗った時に選手が異口同音に口にした。
「長崎が本領を発揮すればJFLのどこにでも勝てる。」
だが、そこには落とし穴があった。今年の長崎はHondaにもSAGAWAにも負けていないが、一方でUVA、讃岐に勝てず、下位に連勝も出来ていない。
引かずに攻めてくる上位との試合では攻撃力で押し勝つ。だが、中位以下の引いて守るチームに苦戦する。特にその傾向はホームで顕著だった。代表的な例がMIOびわこ戦だ。アウェイでは前に出て来たMIOを圧倒した。だが、10日後、引いてカウンターのMIOには辛勝。(長崎と正面切って撃ち合いを出来るのは町田くらいだった)そして、長崎は守備において昨年よりダウンしている。勝ち試合を余計な失点で引き分けにしている。
この評価は草津時代と同じである。つまり、佐野フットボールはまさに機能し、機能したが故に5位に終わったのだ。
来期はこの監督含めてこのあたりを打開出来るかが大きな影響を握る事になるだろう。シーズン当初のCB補強含めて、守備強化は失敗したシーズンだと断言して良いと思う。
長崎は確実に強くなった。監督の手腕だ。だが、守備強化は失敗し、シーズン前に掲げたセットプレイ失点率47%の改善は若干見られたが40%近いまま。フェアプレイ賞を狙うと公言しながら今季も黄色61、赤1と改善されておらず、指揮官が退席処分を受ける事もあった。問題点も明確になったシーズンと言えるだろう。
一方、フロントは集客に苦戦していた。
国体への準備の関係で最多の動員が見込める長崎市開催は1試合行のみ。佐世保も島原もキャパが小さく、交通アクセスが劣悪。更に長らく地域密着を怠り、見当違いのイベントを乱発してきた事で県民にクラブは浸透していない。設備問題、地域事業のこれらの問題は7年前もの間、見通しの甘い、ズサンな運営が招いた結果だと言える。
しかし、誇る点が一つある。
それは観客数発表の一切の水増しを行っていない事だ。一時期の長崎は適当な集計でかなりヒドイ数字を発表した事があった。1000人程度の観客を4000人と発表した事もある。これはJFL1年目から関係者の間でも不評で「実数集計」の方針が採用された。だが、それが本当に浸透するのに1年を費やし、2009年当時はまだ曖昧な集計がまかり通っていた。
そして、今年は本当に実数発表と切り替えた。実際、長崎の基準で今年のJFLチームを集計すれば、他チームの観客数は激減するだろう。その自信がある。
また、招待券を一切バラまかないのも現在の方針だ。
昔は関係各所に行って50枚チケット置いてくる等があったらしいが、今は招待するチームにも枚数を聞いて、その枚数のみを提供する。同じ所に毎回やるような真似もしない。今年、大掛かりに招待券を出したのも2試合程度だったと記憶している。
ここは無借金経営と共に長崎が世界に誇る部分だろう。
だが、誇れるのはそこまでで・・フロント問題は一気に表面化しようとしていた。
(つづく)
2011年12月27日
長崎の失敗、そして・・再生 その②
未曾有の災害「東日本大震災」でJFL開幕の延期が決定した。再開は未定。
オフはグッズや入場料といった現金収入が無くなり、「現金倒産」が頻発する時期だ。開幕延期はその時期が伸びる事を意味する。ポスター、チラシも無駄になり、メディアの協力で開幕をPRしてきた努力も崩れる。最悪の場合、広告費やスポンサー料返還も視野に入れねばならない。
この時期、フロントは最悪の事態を想定しつつも、とにかく目の前の社内制度整備等に追われて行った。
ここでざっと、ピッチ内の動きを整理する。監督続投は昨年の段階で既定路線であった。この時点でクラブは2011年昇格を断念し、2年かけて、J2との入替戦が導入されても確実に昇格出来るチームを作る事を決定していた。強化の権限は監督がほぼ全てを握っている。権力の一極集中であるが他に人材がいない。
監督はオフに入るとすぐに補強に動いた。だが、苦しい予算内で2年先も考えねばならず、選手育成の暇もないが、J2でも戦える事にも備えねばならない。補強方針は「CB補強」が柱ではあったが、2012年も視野に入れれば補強ターゲットは「計算出来る力が既にあり、同時に伸びシロも残している選手」となる。
監督の戦術は変わず、3点奪われても4点取って勝つ徹底攻撃だ。当初はメンバーも大きく替えず、FWに中山という軸をトップに置いた事、左SBを持留で固定し、左SBの井筒をCBにコンバートした程度。
だが、この時点で守備に不安があった。補強予定のCBは、後に加入する野本にもこの時点で声をかけているが獲得出来ず、橋本を獲得するに止まる。そして、橋本が即戦力として厳しい事はシーズン前に露見し井筒をコンバートせざる得ない。左SBに入った持留は元が攻撃の選手で守備では計算出来ない。
GKとCBとボランチ1枚のみで守備を行う佐野フットボールで守備力低下は守備破綻と言って良い。
プレマッチでそれなりに守備が機能した事で問題視する声は少なかったが、この時期の結果はアテにならず、不安は消えない。
それでも勝算はあった。開幕時はどのチームも戦い方が定まっておらず、チーム力は不安定。更に昨季5位の長崎はリーグ序盤はチーム力の劣る相手との対戦が組まれる。長野、讃岐という未知のチームでもなく、未完成でも充分に建て直しがきく相手。結果を出しつつチームを高める余地はある。
だが、開幕延期が他チームより早く準備していたアドバンテージを奪い、JFLが再開は第7節から。中堅を相手にスタートする事になったのである。
JFL中位との対戦で左SBが格好の標的とされた。序盤10試合の失点は13。この内実に6失点が左サイドから。逆サイドは3、中央が3、CKが1。いかに餌食とされていたか分かるだろう。
監督はSBをDFではなく攻撃のPOSと捉えている。守備に問題があっても、攻撃にそれ以上メリットがあれば良しという考えだ。だから本来攻撃型の選手をSBに配しやすい。当然、守備は期待出来ない。草津時代はこのSBの弱さを徹底的に批判されている。そして、今年左SBに入った持留は元来MF。
こうして長崎はスタートに失敗する。だが、リーグを重ねるにつれ、攻撃力で長崎は打開をしていく。特にこの時期のアリの切れは凄まじく、得点を量産。負ければかなり追い込まれる筈だったアウェイのHonda、ホームのSAGAWAを紙一重で物にした事でチームは手応えを得る。中山の負傷離脱があっても水永が台頭しカバーする。CBは崔と野本を途中加入させ加入し層の問題への対処が進む。
シーズンが半ばに入る頃・・チームは一見安定しているように見えた。
だが攻撃はともかく守備は改善されていなかった。
そして、結局それが全ての失敗だった。
(つづく)
オフはグッズや入場料といった現金収入が無くなり、「現金倒産」が頻発する時期だ。開幕延期はその時期が伸びる事を意味する。ポスター、チラシも無駄になり、メディアの協力で開幕をPRしてきた努力も崩れる。最悪の場合、広告費やスポンサー料返還も視野に入れねばならない。
この時期、フロントは最悪の事態を想定しつつも、とにかく目の前の社内制度整備等に追われて行った。
ここでざっと、ピッチ内の動きを整理する。監督続投は昨年の段階で既定路線であった。この時点でクラブは2011年昇格を断念し、2年かけて、J2との入替戦が導入されても確実に昇格出来るチームを作る事を決定していた。強化の権限は監督がほぼ全てを握っている。権力の一極集中であるが他に人材がいない。
監督はオフに入るとすぐに補強に動いた。だが、苦しい予算内で2年先も考えねばならず、選手育成の暇もないが、J2でも戦える事にも備えねばならない。補強方針は「CB補強」が柱ではあったが、2012年も視野に入れれば補強ターゲットは「計算出来る力が既にあり、同時に伸びシロも残している選手」となる。
監督の戦術は変わず、3点奪われても4点取って勝つ徹底攻撃だ。当初はメンバーも大きく替えず、FWに中山という軸をトップに置いた事、左SBを持留で固定し、左SBの井筒をCBにコンバートした程度。
だが、この時点で守備に不安があった。補強予定のCBは、後に加入する野本にもこの時点で声をかけているが獲得出来ず、橋本を獲得するに止まる。そして、橋本が即戦力として厳しい事はシーズン前に露見し井筒をコンバートせざる得ない。左SBに入った持留は元が攻撃の選手で守備では計算出来ない。
GKとCBとボランチ1枚のみで守備を行う佐野フットボールで守備力低下は守備破綻と言って良い。
プレマッチでそれなりに守備が機能した事で問題視する声は少なかったが、この時期の結果はアテにならず、不安は消えない。
それでも勝算はあった。開幕時はどのチームも戦い方が定まっておらず、チーム力は不安定。更に昨季5位の長崎はリーグ序盤はチーム力の劣る相手との対戦が組まれる。長野、讃岐という未知のチームでもなく、未完成でも充分に建て直しがきく相手。結果を出しつつチームを高める余地はある。
だが、開幕延期が他チームより早く準備していたアドバンテージを奪い、JFLが再開は第7節から。中堅を相手にスタートする事になったのである。
JFL中位との対戦で左SBが格好の標的とされた。序盤10試合の失点は13。この内実に6失点が左サイドから。逆サイドは3、中央が3、CKが1。いかに餌食とされていたか分かるだろう。
監督はSBをDFではなく攻撃のPOSと捉えている。守備に問題があっても、攻撃にそれ以上メリットがあれば良しという考えだ。だから本来攻撃型の選手をSBに配しやすい。当然、守備は期待出来ない。草津時代はこのSBの弱さを徹底的に批判されている。そして、今年左SBに入った持留は元来MF。
こうして長崎はスタートに失敗する。だが、リーグを重ねるにつれ、攻撃力で長崎は打開をしていく。特にこの時期のアリの切れは凄まじく、得点を量産。負ければかなり追い込まれる筈だったアウェイのHonda、ホームのSAGAWAを紙一重で物にした事でチームは手応えを得る。中山の負傷離脱があっても水永が台頭しカバーする。CBは崔と野本を途中加入させ加入し層の問題への対処が進む。
シーズンが半ばに入る頃・・チームは一見安定しているように見えた。
だが攻撃はともかく守備は改善されていなかった。
そして、結局それが全ての失敗だった。
(つづく)
2011年12月27日
長崎の失敗、そして・・再生 その①
年末恒例の超個人的KLM責任編集のV・VAREN総括だ。
第1弾「2008 ありがとう東川昌典。さらば東川サッカー」 その① その② その③ その④
第2弾「2009 俺達が09年昇格出来なかった理由 」 その① その② その③ その④
第3弾「2010 長崎の非常、V・VARENの無常」 その① その② その③ その④ その⑤
に続く第4弾。
まず昨年のシーズン後から書いていく。
昨年、クラブは5位の好成績を納めたが、2度目のJ加盟断念がファンの心に影を落としていた。そこに加えて、選手の大量解雇が発表される。ファンも選手がいつか必ず引退する事は理解しているし、監督が戦力分析して判断したのならば尊重する。だが、功労者への敬意もファンへの配慮も無い対応は皆を失望させるに充分だった。
選手に封筒1枚渡して部屋の外で中を見るように言い、封筒の中は「あなたと契約します」か「契約しません」に○があるだけ。ファンは選手と別れを言う機会さえない。
監督の決定が悪いのではない。だが、クラブは説明や配慮を怠り、ファンの反感を煽ってしまい、監督や一部選手も、ファンの反応に「全選手残せば良いのか!」と反発してしまう。結果的にフロントは選手もファンも監督も守れず、周囲の信頼を失う事となった。
一方、クラブは社長交代に動いていた。(小嶺社長退陣についてはココを参照)この時点でクラブは小嶺前社長の体制では存続が難しくなっていた。1月に宮田社長就任が発表されるのだが、前職退社から社長就任まで僅か10日。いかに緊急事態であったか判るだろう。
過去のズサンな運営が招いた危機的状況の中、緊急に社長を託せる人材は少ない。そこでクラブ創設に関わり、クラブ発足後はボランティアで参加し、クラブ事情に精通している宮田社長の登板となった。
この時のクラブの組織体制はズサンで財務も深刻。社内制度を見直し普通の会社とする事、早急に財務改善をする事、この2つが新社長の優先案件となった。だが、後に社長が「財務改善と社内整備に追われ、他の部分に手が回らなかった」と吐露する様に、この時点でクラブ最大の問題点は手つかずである。
クラブ最大の問題点はフロント環境にあった。小嶺前社長が絶対的に存在したが故に、社内の情報共有体制・意識は貧弱。前社長の存在が大きい故に、社内には閉鎖性と馴れ合いが生まれる事もあり、在職中の社長選挙出馬や、高校の指導から公私の区別意識も薄くなる。その環境は確実にスタッフに染みていく。
地域密着、ホーム密着・・そんな言葉と裏腹の対応を平然と行うクラブ。こうしてクラブは変わりきらぬままシーズンへ進む。
それでも社長交代への期待が皆を後押しした。メディアは積極的にクラブを取り上げ3月の開幕へムードを盛り上げる。武男、竹村、加藤らOBがフロント入りした事もファンの慰めとなった。ピッチ内も好調。問題は多いが、開幕戦を勝利して勢いを得れば・・誰もがそう考えた。
だが3月11日、未曾有の大震災は長崎をも揺さぶった。
(つづく)
第1弾「2008 ありがとう東川昌典。さらば東川サッカー」 その① その② その③ その④
第2弾「2009 俺達が09年昇格出来なかった理由 」 その① その② その③ その④
第3弾「2010 長崎の非常、V・VARENの無常」 その① その② その③ その④ その⑤
に続く第4弾。
まず昨年のシーズン後から書いていく。
昨年、クラブは5位の好成績を納めたが、2度目のJ加盟断念がファンの心に影を落としていた。そこに加えて、選手の大量解雇が発表される。ファンも選手がいつか必ず引退する事は理解しているし、監督が戦力分析して判断したのならば尊重する。だが、功労者への敬意もファンへの配慮も無い対応は皆を失望させるに充分だった。
選手に封筒1枚渡して部屋の外で中を見るように言い、封筒の中は「あなたと契約します」か「契約しません」に○があるだけ。ファンは選手と別れを言う機会さえない。
監督の決定が悪いのではない。だが、クラブは説明や配慮を怠り、ファンの反感を煽ってしまい、監督や一部選手も、ファンの反応に「全選手残せば良いのか!」と反発してしまう。結果的にフロントは選手もファンも監督も守れず、周囲の信頼を失う事となった。
一方、クラブは社長交代に動いていた。(小嶺社長退陣についてはココを参照)この時点でクラブは小嶺前社長の体制では存続が難しくなっていた。1月に宮田社長就任が発表されるのだが、前職退社から社長就任まで僅か10日。いかに緊急事態であったか判るだろう。
過去のズサンな運営が招いた危機的状況の中、緊急に社長を託せる人材は少ない。そこでクラブ創設に関わり、クラブ発足後はボランティアで参加し、クラブ事情に精通している宮田社長の登板となった。
この時のクラブの組織体制はズサンで財務も深刻。社内制度を見直し普通の会社とする事、早急に財務改善をする事、この2つが新社長の優先案件となった。だが、後に社長が「財務改善と社内整備に追われ、他の部分に手が回らなかった」と吐露する様に、この時点でクラブ最大の問題点は手つかずである。
クラブ最大の問題点はフロント環境にあった。小嶺前社長が絶対的に存在したが故に、社内の情報共有体制・意識は貧弱。前社長の存在が大きい故に、社内には閉鎖性と馴れ合いが生まれる事もあり、在職中の社長選挙出馬や、高校の指導から公私の区別意識も薄くなる。その環境は確実にスタッフに染みていく。
地域密着、ホーム密着・・そんな言葉と裏腹の対応を平然と行うクラブ。こうしてクラブは変わりきらぬままシーズンへ進む。
それでも社長交代への期待が皆を後押しした。メディアは積極的にクラブを取り上げ3月の開幕へムードを盛り上げる。武男、竹村、加藤らOBがフロント入りした事もファンの慰めとなった。ピッチ内も好調。問題は多いが、開幕戦を勝利して勢いを得れば・・誰もがそう考えた。
だが3月11日、未曾有の大震災は長崎をも揺さぶった。
(つづく)
2011年12月24日
俺の年末年始予定
一体どこにニーズがあるのか自分でもまったく判らないのだが、年末年始の俺のだいたいの予定を書いておく。
気難しそうに見えて、実際に気難しいのだが、そんな気難しいなりに皆に愛されたい・・具体的に言うなら俺には「皆、僕に物凄く親しんで仲良くしておくれ!ハハッ、僕は皆の友達さ。でも、僕には肖像権があるからね!例え、幼稚園の卒園記念に皆でプールに僕の絵を書いただけでも、僕にお金を払わなきゃ、消しちゃうよ!世界は資本主義だからね!ハハッ!」という”でずにー”とかいう会社のネズミのように都合良く愛されたいと言う気持ちがある!上手く都合のあう人はドンドン、俺に優しく絡みながら親しんで欲しい。
12月24日(土):家族サービスデー
(余りに自由に生きているので友人達の間でも数年に1度しか目撃されず、一部では”伝説上の生き物、””架空の生物”よばわりされている俺の家族だが、妻も娘も実在する。毎年クリスマスは家族でホテルのディナーへ行くのが通例であり、今年は24日に行くのだ)
12月25日(日):新人戦の地区予選観戦
(文字通り、県内の各会場であっている新人戦の地区予選を観戦だ。観戦カードは会場の近さ、時間、カードによって決定される。多分、この日はかきどまりだ。)
12月26日(月):仕事
(日中は仕事だ。夜は多分作業系の文書をやってるだろう。)
12月27日(火):仕事
(一応、仕事納めなのだが30日までフレックスタイムで事務をやっている。夜ははち蔵に行く予定。)
12月28日(水):
(フレックスタイムで仕事したりしながら、予定のあう新人戦地区予選とかに向かう。夜は空いてる筈。
*追記:この日か次の日あたりに山頭さんと飲む予定)
12月29日(木):
(フレックスタイムで仕事。予定があえばいろんなフットボールの大会を見に行く。*追記:この日か次の日あたりに山頭さんと飲む予定)
12月30日(金):仕事納め
(フレックスタイムで仕事をしながら昼は大掃除をしている予定。夜は空いてたりする筈だ。)
12月31日(土):年末事やらはち蔵やら
(注文していたおせちや鯨の刺身やら肉やら蕎麦を受け取ったりで日中は中々忙しい。夜は家族で過ごした後は、多分、20:00過ぎ頃からはち蔵に顔を出すつもり。)
1月1日(日):午前は年始事
(早朝は、去年と同じようにどっかの高台から長崎の街を眺めて、大志を抱く。その後は釣り具かめやの福袋を求めて朝から出かける。家族もそれぞれ目指す福袋を求めて活動だろう。)
1月2日(月):
(そろそろノンビリする事に飽きてきて、適当にうろつく。)
1月3日(火):
(明日からまたフレックスとは言え仕事が始まる事に戸惑いと覚えつつ同上。)
1月4日(水):
(フレックスで仕事しながら適当にうろつく日々)
だいたいこんな感じだ。
空いた所には適当に企画準備作業やら文書書きやら、お呼ばれする新年会やら忘年会が入る事になると思うし、とにかくフットボールの試合があってれば顔を出すと思う。
あと、かきどまりや、県総の工事の進捗具合なども見に行きたいし、釣りもこの期間に確実に2回は行きたい。夜釣りだろうが俺は恐れないのだ。それ以外に幾つか声をかけてもらったイベントがあるが、上手くタイミングが合ったら行くと言う感じ。
こんなに予定がスカスカなんて年末年始しかない。
さぁ、皆で俺を奪い合え!って感じの年末。
気難しそうに見えて、実際に気難しいのだが、そんな気難しいなりに皆に愛されたい・・具体的に言うなら俺には「皆、僕に物凄く親しんで仲良くしておくれ!ハハッ、僕は皆の友達さ。でも、僕には肖像権があるからね!例え、幼稚園の卒園記念に皆でプールに僕の絵を書いただけでも、僕にお金を払わなきゃ、消しちゃうよ!世界は資本主義だからね!ハハッ!」という”でずにー”とかいう会社のネズミのように都合良く愛されたいと言う気持ちがある!上手く都合のあう人はドンドン、俺に優しく絡みながら親しんで欲しい。
12月24日(土):家族サービスデー
(余りに自由に生きているので友人達の間でも数年に1度しか目撃されず、一部では”伝説上の生き物、””架空の生物”よばわりされている俺の家族だが、妻も娘も実在する。毎年クリスマスは家族でホテルのディナーへ行くのが通例であり、今年は24日に行くのだ)
12月25日(日):新人戦の地区予選観戦
(文字通り、県内の各会場であっている新人戦の地区予選を観戦だ。観戦カードは会場の近さ、時間、カードによって決定される。多分、この日はかきどまりだ。)
12月26日(月):仕事
(日中は仕事だ。夜は多分作業系の文書をやってるだろう。)
12月27日(火):仕事
(一応、仕事納めなのだが30日までフレックスタイムで事務をやっている。夜ははち蔵に行く予定。)
12月28日(水):
(フレックスタイムで仕事したりしながら、予定のあう新人戦地区予選とかに向かう。夜は空いてる筈。
*追記:この日か次の日あたりに山頭さんと飲む予定)
12月29日(木):
(フレックスタイムで仕事。予定があえばいろんなフットボールの大会を見に行く。*追記:この日か次の日あたりに山頭さんと飲む予定)
12月30日(金):仕事納め
(フレックスタイムで仕事をしながら昼は大掃除をしている予定。夜は空いてたりする筈だ。)
12月31日(土):年末事やらはち蔵やら
(注文していたおせちや鯨の刺身やら肉やら蕎麦を受け取ったりで日中は中々忙しい。夜は家族で過ごした後は、多分、20:00過ぎ頃からはち蔵に顔を出すつもり。)
1月1日(日):午前は年始事
(早朝は、去年と同じようにどっかの高台から長崎の街を眺めて、大志を抱く。その後は釣り具かめやの福袋を求めて朝から出かける。家族もそれぞれ目指す福袋を求めて活動だろう。)
1月2日(月):
(そろそろノンビリする事に飽きてきて、適当にうろつく。)
1月3日(火):
(明日からまたフレックスとは言え仕事が始まる事に戸惑いと覚えつつ同上。)
1月4日(水):
(フレックスで仕事しながら適当にうろつく日々)
だいたいこんな感じだ。
空いた所には適当に企画準備作業やら文書書きやら、お呼ばれする新年会やら忘年会が入る事になると思うし、とにかくフットボールの試合があってれば顔を出すと思う。
あと、かきどまりや、県総の工事の進捗具合なども見に行きたいし、釣りもこの期間に確実に2回は行きたい。夜釣りだろうが俺は恐れないのだ。それ以外に幾つか声をかけてもらったイベントがあるが、上手くタイミングが合ったら行くと言う感じ。
こんなに予定がスカスカなんて年末年始しかない。
さぁ、皆で俺を奪い合え!って感じの年末。
2011年12月23日
2011の県新人戦地区予選を観にいく
毎週末が試合か練習見学か企画準備だったシーズンが終わり・・随分と久しぶりによく寝た週末。
10時に起きて新人戦の地区予選を見に行く。まず、向かったのは総科大グラウンド。
総附vs南山

中々の好カードだ。
総附の選手の佇まいを見て「ん?」っと思う。相手を呑んでいるというか、悪い言い方をすればふてぶてしいのだ。自信を持っているとも言える。過去、こういう雰囲気を持っていたのは島商と国見だ。小嶺先生が率いるチームの空気だ。こういう自信を与える事が多分、小嶺フットボールの神髄なのだろうと思う。

南山は早くて器用な子が多い。波はあるがハマれば一気に相手を押し込むタイプだ。1~2年に面白い子が多いので当分、南山は注目チームだ。個人的には右の本田君がしっかり伸びているようで先が楽しみだ。
結果は3ー1で総附の勝利。
この時期の新人戦はまだ戦い方もメンバーもPOSも定まっていないのでどこも不安定さがある。その中で個人技を生かし、「走る」「寄せる」「体張る」を履行し速攻という得点パターンが既に浸透している総附が去年に続き本命ぽいかなと感じた。
その後は創成館高校へ移動。

V・VARENの最終戦で”たー”ことOBの久留貴昭にあったので新人戦の地区予選「創成館vs鎮西」を観戦。

創成館はフットボール経験者が2人、メンバーは11名ぴったりしかおらず、GKも専門がいない。方や鎮西は去年は苦戦したが地区を代表する強豪の一つ。試合は鎮西の大勝で終わった。

とは言え、創成館がダメと言うことはなく、90分動きが落ちない所や大量リードされても諦めないあたりは驚かされた。確かに技術はまだまだだ。基本もつたないし、交代メンバーもいないので、たーが打てる采配なんてまだほとんど無い。多分、たーももの凄くもどかしいと思う。でも、役割分担と攻守の切り替えの早さ、そしてあと一歩踏み込む気迫や自信・・があれば、あとは少し技術が伸びるだけで随分と変わるように感じた。
試合後に「試合が出来るだけ幸せです」というたー。
メンバー不足で初心者だらけのチームをよくここまで土台作り出来たなぁとちょっと関心した。

日が暮れる頃に帰宅。
しかし・・新人戦で4-2-1-3の布陣のチームが多い事。いくらトレンドだからって、こんだけ続くと「こんな時代に3-3-3-1」とか「今時だけど3-2-3-2」とかのへそ曲がりな指導者が居ても面白いだろうなぁと思った。ちなみに、俺が創成館vs鎮西みてて創成館の布陣をどうする・・と思った時に浮かんだのは4-3-3-0だったりした。ゼロトップって!?と自分でも思った。
そんな週末。
10時に起きて新人戦の地区予選を見に行く。まず、向かったのは総科大グラウンド。
総附vs南山

中々の好カードだ。
総附の選手の佇まいを見て「ん?」っと思う。相手を呑んでいるというか、悪い言い方をすればふてぶてしいのだ。自信を持っているとも言える。過去、こういう雰囲気を持っていたのは島商と国見だ。小嶺先生が率いるチームの空気だ。こういう自信を与える事が多分、小嶺フットボールの神髄なのだろうと思う。

南山は早くて器用な子が多い。波はあるがハマれば一気に相手を押し込むタイプだ。1~2年に面白い子が多いので当分、南山は注目チームだ。個人的には右の本田君がしっかり伸びているようで先が楽しみだ。
結果は3ー1で総附の勝利。
この時期の新人戦はまだ戦い方もメンバーもPOSも定まっていないのでどこも不安定さがある。その中で個人技を生かし、「走る」「寄せる」「体張る」を履行し速攻という得点パターンが既に浸透している総附が去年に続き本命ぽいかなと感じた。
その後は創成館高校へ移動。

V・VARENの最終戦で”たー”ことOBの久留貴昭にあったので新人戦の地区予選「創成館vs鎮西」を観戦。

創成館はフットボール経験者が2人、メンバーは11名ぴったりしかおらず、GKも専門がいない。方や鎮西は去年は苦戦したが地区を代表する強豪の一つ。試合は鎮西の大勝で終わった。

とは言え、創成館がダメと言うことはなく、90分動きが落ちない所や大量リードされても諦めないあたりは驚かされた。確かに技術はまだまだだ。基本もつたないし、交代メンバーもいないので、たーが打てる采配なんてまだほとんど無い。多分、たーももの凄くもどかしいと思う。でも、役割分担と攻守の切り替えの早さ、そしてあと一歩踏み込む気迫や自信・・があれば、あとは少し技術が伸びるだけで随分と変わるように感じた。
試合後に「試合が出来るだけ幸せです」というたー。
メンバー不足で初心者だらけのチームをよくここまで土台作り出来たなぁとちょっと関心した。

日が暮れる頃に帰宅。
しかし・・新人戦で4-2-1-3の布陣のチームが多い事。いくらトレンドだからって、こんだけ続くと「こんな時代に3-3-3-1」とか「今時だけど3-2-3-2」とかのへそ曲がりな指導者が居ても面白いだろうなぁと思った。ちなみに、俺が創成館vs鎮西みてて創成館の布陣をどうする・・と思った時に浮かんだのは4-3-3-0だったりした。ゼロトップって!?と自分でも思った。
そんな週末。
2011年12月20日
俺がULTRAだった頃
俺がウルトラだった頃、見返りなんて一切求めなかった。
優遇されている、癒着しているなんてデマを広める輩もいたがそんな真似は一度もしなかった。
だからこそ、クラブに対してこれだけ文句言って、実際に衝突した事があっても、今の立ち位置にいる事が出来ている。
ウルトラだった頃、何度も得点シーンを見てきた。でも選手が得点して俺らの方にアピールしたのは7年間で10回ちょい位。それも半分以上が2005年や2006年に集中している。
J昇格断念の時に事情を全て知っているだけにハラワタが煮えくりかえっていた。
それでも、これ位で応援辞めたりしない、一緒に立ち上がろうぜと言う意味を込めてシーツにスプレーで「大丈夫!」と書いた。色んな感情を押し殺して応援しようという気持ちだった。それを見たある関係者が「大丈夫じゃないんだよ!甘いよ」とはき捨てたと後で聞いた。
決定機を外した選手の名前を呼んで応援し続けたが試合に負けた。
その選手が凄い形相だった。皆で「あいつは得点出来なかった悔しさを感じてるんだろう。」と話した。その選手が俺らに向かって「かかって来い!かかって来い!」とキレていたのを他の選手がなだめていたと後で聞いた。俺らはなぜ彼がキレるのか判らなかった。
あとで他の人から聞いた。
ウルトラから離れた所で見ていた人が決定機を外した選手をかなり厳しく野次ったと。その選手はそれをウルトラが言ったと勘違いしたらしいと。それでも最終節まで俺らは彼のコールで手を抜かなかった。
ウルトラは青とオレンジのパラソルを持っている。その数は100本。
ウルトラは誰かに援助してもらっている訳じゃないので全部自分らで金は手出しして買った。たしか・・7~8万だったと思う。応援道具としてのパラソルだ。日本ではマリノスがやっている。チームカラーのビーチパラソルをクルクル回すのはアルゼンチンではメジャーなやり方。
これなら声出すより、飛び跳ねるより参加しやすいと思った。
それでも強制はしたくないから「日よけ代わりに使ってもらっても構いません。でも時々で良いから応援で一緒に回してください」と言ってから周囲に渡した。でも半分以上の人は回さない。それどころかまだ配っていないパラソルを無断で持って行き、返すときも黙って置いていく。投げて返す人もいた。ヒドイ時にはメインの人に「パラソルを持ってきてくれ」と言われた。壊れて返されたのもあった。
昔、諫早でマリノスと試合をした後・・色んな人に
「マリノスは沢山応援する人がいた。あんなならんば!人数が少なか。あいじゃ駄目」と言うような事を言われた。その人は一度もバックスタンドはおろか声を出して応援した事もない人だった。
「じゃぁ一緒にやりましょうよ。バックスタンドに来てくださいよ」と言うと
「それは僕の役割じゃないから」と言われた。
俺がウルトラやってた頃はこんな話ばっかりだ。
俺がウルトラだった頃は、それでも別にこんな事を話す気もしなかった。自分の事だから・・黙って飲み込んでいた。俺は去年でULTRAを辞め、今は支援会やらV-istやらやっている。
それでも、相変わらず「えっ??」って事を言われる。
今年、開幕戦でマスゲームをやりたいと提案した。
今はいない関係者に「何度かやってるし、飽きました」と言われた。マスゲームよりチームのタオルマフラーを買って掲げる応援をしろと言われた。過去に何度かそれは呼びかけたが長崎では根付いていない奴だ。それはチームが率先して取り組まないと駄目じゃないですか?と言ったら、そういうのはサポーターの仕事だ。さも協力が当然という顔で言われた。
今年、佐世保でマスゲームをやるのでスタンドの子供に呼びかけたら青とオレンジのジャージを着た子供達に「一人ですれば」「やりたくありませーん」と言われた。ブチ切れようかとも思ったがゲームを壊したくなかったのでグっと飲み込み・・隣に座ってそんな子供に注意もしないコーチに「協力お願いしますね」とだけ言った。
きっとULTRAもまだそんな話だらけの中にいるんだろう。
優遇されている、癒着しているなんてデマを広める輩もいたがそんな真似は一度もしなかった。
だからこそ、クラブに対してこれだけ文句言って、実際に衝突した事があっても、今の立ち位置にいる事が出来ている。
ウルトラだった頃、何度も得点シーンを見てきた。でも選手が得点して俺らの方にアピールしたのは7年間で10回ちょい位。それも半分以上が2005年や2006年に集中している。
J昇格断念の時に事情を全て知っているだけにハラワタが煮えくりかえっていた。
それでも、これ位で応援辞めたりしない、一緒に立ち上がろうぜと言う意味を込めてシーツにスプレーで「大丈夫!」と書いた。色んな感情を押し殺して応援しようという気持ちだった。それを見たある関係者が「大丈夫じゃないんだよ!甘いよ」とはき捨てたと後で聞いた。
決定機を外した選手の名前を呼んで応援し続けたが試合に負けた。
その選手が凄い形相だった。皆で「あいつは得点出来なかった悔しさを感じてるんだろう。」と話した。その選手が俺らに向かって「かかって来い!かかって来い!」とキレていたのを他の選手がなだめていたと後で聞いた。俺らはなぜ彼がキレるのか判らなかった。
あとで他の人から聞いた。
ウルトラから離れた所で見ていた人が決定機を外した選手をかなり厳しく野次ったと。その選手はそれをウルトラが言ったと勘違いしたらしいと。それでも最終節まで俺らは彼のコールで手を抜かなかった。
ウルトラは青とオレンジのパラソルを持っている。その数は100本。
ウルトラは誰かに援助してもらっている訳じゃないので全部自分らで金は手出しして買った。たしか・・7~8万だったと思う。応援道具としてのパラソルだ。日本ではマリノスがやっている。チームカラーのビーチパラソルをクルクル回すのはアルゼンチンではメジャーなやり方。
これなら声出すより、飛び跳ねるより参加しやすいと思った。
それでも強制はしたくないから「日よけ代わりに使ってもらっても構いません。でも時々で良いから応援で一緒に回してください」と言ってから周囲に渡した。でも半分以上の人は回さない。それどころかまだ配っていないパラソルを無断で持って行き、返すときも黙って置いていく。投げて返す人もいた。ヒドイ時にはメインの人に「パラソルを持ってきてくれ」と言われた。壊れて返されたのもあった。
昔、諫早でマリノスと試合をした後・・色んな人に
「マリノスは沢山応援する人がいた。あんなならんば!人数が少なか。あいじゃ駄目」と言うような事を言われた。その人は一度もバックスタンドはおろか声を出して応援した事もない人だった。
「じゃぁ一緒にやりましょうよ。バックスタンドに来てくださいよ」と言うと
「それは僕の役割じゃないから」と言われた。
俺がウルトラやってた頃はこんな話ばっかりだ。
俺がウルトラだった頃は、それでも別にこんな事を話す気もしなかった。自分の事だから・・黙って飲み込んでいた。俺は去年でULTRAを辞め、今は支援会やらV-istやらやっている。
それでも、相変わらず「えっ??」って事を言われる。
今年、開幕戦でマスゲームをやりたいと提案した。
今はいない関係者に「何度かやってるし、飽きました」と言われた。マスゲームよりチームのタオルマフラーを買って掲げる応援をしろと言われた。過去に何度かそれは呼びかけたが長崎では根付いていない奴だ。それはチームが率先して取り組まないと駄目じゃないですか?と言ったら、そういうのはサポーターの仕事だ。さも協力が当然という顔で言われた。
今年、佐世保でマスゲームをやるのでスタンドの子供に呼びかけたら青とオレンジのジャージを着た子供達に「一人ですれば」「やりたくありませーん」と言われた。ブチ切れようかとも思ったがゲームを壊したくなかったのでグっと飲み込み・・隣に座ってそんな子供に注意もしないコーチに「協力お願いしますね」とだけ言った。
きっとULTRAもまだそんな話だらけの中にいるんだろう。
2011年12月19日
2011シーズンラスト練習
12月18日の練習は今季のラスト練習だった。
日曜でシーズンオフでもあり、久々に練習を見に行く事が出来た。

すっかり参加選手の数は減っている。少し奥まったベンチに座りジッと見学。寒さで石のベンチは冷たい。座っている所だけ暖まるから余計に動けなくなり・・彫像のように固まって練習を見る。
ゆったり、ゆっくりな練習だ。シーズン中はピリピリして周囲に何か言われると反発して意地を張ってるかのようだった佐野さんも随分と落ち着いているに見える。本に書かれていた元ヴェルディ監督、小見氏の「監督の仕事は勝負の連続で現場に集中しきっている。周囲の人間が自分を後押ししているのか、足を引っ張っているわからないもの」という言葉が浮かぶ。

練習の最後に選手がファンの前で並び、佐野さんが 哲ちゃんにうながして挨拶をさせる。そういう心使い一つでファンは嬉しいものだ。
哲ちゃんの挨拶が終わった時に、うながされて哲ちゃんのバースデーソングを歌った。
桃木さん達は「哲ちゃん、ありがとう」のゲーフラを持ってきていた。
皆で写真を取り、哲ちゃんと握手し、お疲れ様、ありがとうと声をかけた。
その後はヤスとキッチンママの話したり、甘辛の唐揚げをお勧めされたりしつつ・・皆が飯森のV・ファーレンのスクール交流会の見学に向かう中、残ってナベさん達と密談。色々話していたので40分くらいはいたと思う。その間・・ずっと哲ちゃんはグランドの一角で居残りで練習をしていた。
哲ちゃんはずっとボール蹴って、キャッチしていた。
哲ちゃんにとってV・VAREN長崎の選手としてボールを蹴る最後の日。
その後・・飯森に向かうとちょうどスクール交流会は終わっていた。
選手の半分くらいは練習ではなくこっちに参加している。
岡村や政勝にお疲れ様、しばらくゆっくり休んでなと声をかけて、俺の神崎とちょっと話す。来年こそ、完全無欠のエースとならねばならない男だ。
「しっかり休んで、来年の頭に腰やらんごとなー」と言うと
「毎年やっちゃうんすよ、気をつけます」と笑っていた。
中島とは握手して、「東北リーグも気にしとくけんな」と声をかけた。
良い顔をしていた。前向きな良い顔だ。
その間中、ミフゥと美桜ちゃんは俺のポケットにどんぐりを詰め込んでいた。俺はトトロか??
その後、福島家、亜由美、キリちゃん、桃木さん夫妻、KAORIさんと食事に行きアレコレと話して解散。色んな人と会い、色んな話をした。
シーズンオフに入る。それは冬が来たって事だ。
日曜でシーズンオフでもあり、久々に練習を見に行く事が出来た。

すっかり参加選手の数は減っている。少し奥まったベンチに座りジッと見学。寒さで石のベンチは冷たい。座っている所だけ暖まるから余計に動けなくなり・・彫像のように固まって練習を見る。
ゆったり、ゆっくりな練習だ。シーズン中はピリピリして周囲に何か言われると反発して意地を張ってるかのようだった佐野さんも随分と落ち着いているに見える。本に書かれていた元ヴェルディ監督、小見氏の「監督の仕事は勝負の連続で現場に集中しきっている。周囲の人間が自分を後押ししているのか、足を引っ張っているわからないもの」という言葉が浮かぶ。

練習の最後に選手がファンの前で並び、佐野さんが 哲ちゃんにうながして挨拶をさせる。そういう心使い一つでファンは嬉しいものだ。
哲ちゃんの挨拶が終わった時に、うながされて哲ちゃんのバースデーソングを歌った。
桃木さん達は「哲ちゃん、ありがとう」のゲーフラを持ってきていた。
皆で写真を取り、哲ちゃんと握手し、お疲れ様、ありがとうと声をかけた。
その後はヤスとキッチンママの話したり、甘辛の唐揚げをお勧めされたりしつつ・・皆が飯森のV・ファーレンのスクール交流会の見学に向かう中、残ってナベさん達と密談。色々話していたので40分くらいはいたと思う。その間・・ずっと哲ちゃんはグランドの一角で居残りで練習をしていた。
哲ちゃんはずっとボール蹴って、キャッチしていた。
哲ちゃんにとってV・VAREN長崎の選手としてボールを蹴る最後の日。
その後・・飯森に向かうとちょうどスクール交流会は終わっていた。
選手の半分くらいは練習ではなくこっちに参加している。
岡村や政勝にお疲れ様、しばらくゆっくり休んでなと声をかけて、俺の神崎とちょっと話す。来年こそ、完全無欠のエースとならねばならない男だ。
「しっかり休んで、来年の頭に腰やらんごとなー」と言うと
「毎年やっちゃうんすよ、気をつけます」と笑っていた。
中島とは握手して、「東北リーグも気にしとくけんな」と声をかけた。
良い顔をしていた。前向きな良い顔だ。
その間中、ミフゥと美桜ちゃんは俺のポケットにどんぐりを詰め込んでいた。俺はトトロか??
その後、福島家、亜由美、キリちゃん、桃木さん夫妻、KAORIさんと食事に行きアレコレと話して解散。色んな人と会い、色んな話をした。
シーズンオフに入る。それは冬が来たって事だ。
2011年12月17日
世界の書評から ~長崎で皿うどんと言えば細麺がスタンダード~
俺が読んだフットボール関連本を適当に紹介するシリーズ。
サブタイトルは激しく意味がないので気にしないで欲しい。
サッカー批評Vol53
今号より季刊から隔月刊となったサッカー批評。今回の特集は「Jリーグの戦術力を問う」と現在の日本の戦術を丹念に追う。POS別に選手へのインタビューや色んな監督の話を交えて中身が濃い。この編はサッカーダイジェストなどには真似が出来ないサッカー批評ならではの芸当だろう。
ただし、前号がジャーナリズム全開でJFAや日本フットボールの負や影に切り込んでいただけに、ミカミカンタ氏の休載宣言とあわせて、そういった部分をおもんばかってお上に抗議されない戦術論にいった印象が残る・・。それでも、この紙媒体苦戦時代に発行間隔を増すと言うのは大した本だ。

異端者たちのセンターサークル
チーム崩壊の最中にすら全日本ユースを制覇してのける圧倒的な凄さのヴェルディ。このクラブのJrユース、ユース出身で現在Jリーガーになっている選手は数多い一方、ワールドカップのピッチに立った事のある者はゼロ。メンバー入りしたのは2014年の南アフリカW杯の森本ただ一人。Jリーガーに占める割合と考えると信じられないデータだ。この辺の何故?を追ったのが本書。
ヴェルディの育成における個性の徹底尊重と圧倒的な本気。それを支えた反骨意識は底の深さを感じさせる。これは一朝一夕に出来る伝統ではない。その伝統すら迷走するフロントの前では脆くはかない。
そして、稲本、宮本などワールドカップのピッチに何人もの選手を送り出したガンバ大阪ユースの礎を作った上野山さんの言葉が重く響く。
「参考にしたのはピッチの中ぜんぶです。でも、ピッチ外は見習わなかった。」
「小見さん(ヴェルディ出身の指導者)たちは日本の為を考えたのかな?読売クラブ、ヴェルディだけを見ていたんと違うかな?」
最近、V・VARENの下部の子供達の評判をよく聞く。
ピッチ内で高い評価を集める一方で、ピッチ外での評判や礼儀は残念ながら芳しくない。
再び、上野山氏の言葉を引用しよう。
「ここで止まるなと思った。確かに巧い。でもそこに慢心している。反省がない。謙虚さがない。」
1999年の頃のヴェルディユースを指揮した菅澤氏の経験も紹介しよう。
「小学生の大会は長年サッカーに携わってきた地元の人々で運営されており、彼らは過去の指導者や選手の態度の悪さに業を煮やし根っからのアンチとなっていた。」
V・VARENのアカデミーはどこへ向かうだろうと考えたくなる良書。

フットボールサミットVol.04「カズはなぜ愛されるのか?」
同書の第2号「中田英寿という生き方」と同じように本人以外の周囲の証言からKINGカズを追う。つか、どうもあとがき読むとカズ本人の取材が出来なかったからみたいだけど・・。でも、色んな人が語る事でそれがかえってカズという人間を様々な角度から見れる。
多分・・誰でもKINGカズになろうと思えばなれる・・でも、絶対に誰もKINGカズになれない。
それが嫌と言うほど判る本。カズの実父の納屋さんをここまでダイレクトに取り上げた本は珍しく貴重だと思う。
ブラジル時代の話題やインタビューが多いので、個人的にはこないだの夏に帰国していたブラジルで記者やってるうえきさんから聞いた話や地名が・・多く読んでて楽しい。
「あぁ、この店がうえきさんの言ってた奴かぁ・・」とかな感じで。
読むやすいので一気に読める。不思議と南米の香りがするのは納屋さんのオーラか??

サブタイトルは激しく意味がないので気にしないで欲しい。
サッカー批評Vol53
今号より季刊から隔月刊となったサッカー批評。今回の特集は「Jリーグの戦術力を問う」と現在の日本の戦術を丹念に追う。POS別に選手へのインタビューや色んな監督の話を交えて中身が濃い。この編はサッカーダイジェストなどには真似が出来ないサッカー批評ならではの芸当だろう。
ただし、前号がジャーナリズム全開でJFAや日本フットボールの負や影に切り込んでいただけに、ミカミカンタ氏の休載宣言とあわせて、そういった部分をおもんばかってお上に抗議されない戦術論にいった印象が残る・・。それでも、この紙媒体苦戦時代に発行間隔を増すと言うのは大した本だ。

異端者たちのセンターサークル
チーム崩壊の最中にすら全日本ユースを制覇してのける圧倒的な凄さのヴェルディ。このクラブのJrユース、ユース出身で現在Jリーガーになっている選手は数多い一方、ワールドカップのピッチに立った事のある者はゼロ。メンバー入りしたのは2014年の南アフリカW杯の森本ただ一人。Jリーガーに占める割合と考えると信じられないデータだ。この辺の何故?を追ったのが本書。
ヴェルディの育成における個性の徹底尊重と圧倒的な本気。それを支えた反骨意識は底の深さを感じさせる。これは一朝一夕に出来る伝統ではない。その伝統すら迷走するフロントの前では脆くはかない。
そして、稲本、宮本などワールドカップのピッチに何人もの選手を送り出したガンバ大阪ユースの礎を作った上野山さんの言葉が重く響く。
「参考にしたのはピッチの中ぜんぶです。でも、ピッチ外は見習わなかった。」
「小見さん(ヴェルディ出身の指導者)たちは日本の為を考えたのかな?読売クラブ、ヴェルディだけを見ていたんと違うかな?」
最近、V・VARENの下部の子供達の評判をよく聞く。
ピッチ内で高い評価を集める一方で、ピッチ外での評判や礼儀は残念ながら芳しくない。
再び、上野山氏の言葉を引用しよう。
「ここで止まるなと思った。確かに巧い。でもそこに慢心している。反省がない。謙虚さがない。」
1999年の頃のヴェルディユースを指揮した菅澤氏の経験も紹介しよう。
「小学生の大会は長年サッカーに携わってきた地元の人々で運営されており、彼らは過去の指導者や選手の態度の悪さに業を煮やし根っからのアンチとなっていた。」
V・VARENのアカデミーはどこへ向かうだろうと考えたくなる良書。

フットボールサミットVol.04「カズはなぜ愛されるのか?」
同書の第2号「中田英寿という生き方」と同じように本人以外の周囲の証言からKINGカズを追う。つか、どうもあとがき読むとカズ本人の取材が出来なかったからみたいだけど・・。でも、色んな人が語る事でそれがかえってカズという人間を様々な角度から見れる。
多分・・誰でもKINGカズになろうと思えばなれる・・でも、絶対に誰もKINGカズになれない。
それが嫌と言うほど判る本。カズの実父の納屋さんをここまでダイレクトに取り上げた本は珍しく貴重だと思う。
ブラジル時代の話題やインタビューが多いので、個人的にはこないだの夏に帰国していたブラジルで記者やってるうえきさんから聞いた話や地名が・・多く読んでて楽しい。
「あぁ、この店がうえきさんの言ってた奴かぁ・・」とかな感じで。
読むやすいので一気に読める。不思議と南米の香りがするのは納屋さんのオーラか??

2011年12月16日
やっと俺のシーズンが終わった
昨日、支援会での【第16回支援会 兼 2011クラブシーズン報告会】と支援会の慰労会が終わり、今年予定していたV・VAREN絡みのイベント系がようやく終わった。
まだ毎年恒例のブログで「勝手に今年のクラブを総括する」書き物は残っているが、それは俺の予定なので・・。ちなみに今年の総括ブログはまだタイトルも考えていない。おいおい考えるとしよう。
あと、MVPも出したいなと。
んで・・今年だが例年に増して濃厚な1年だった。
昨年でULTRAを退団して支援会に専念し始めたのだが、何でも動き出しが1番大変で周囲に迷惑をかける。
そういう意味で今年1年の俺は周囲に迷惑をかけ通しの1年だったなぁと。
特に11月は試合数もイベントも多く、自分の事に手一杯で周囲を省みる余裕もなく、今にして思うと本当に申し訳ない事だらけで周囲の皆に謝りたい気持ちで一杯だ。今後気をつけていきたい。
今年色んな事を一緒にやったメンバーは本当に熱心で沢山助けられた。来年は自分も助ける事が出来るようにならねばならない。
来年の今頃・・俺はどんな事を書いているのだろう?
それともブログをやめたりしているだろうか?
とりあえず契約が更新されたら選手でも監督でもドンドン発表して行って欲しい。
去年はついにダラダラ先延ばしした結果、クラブはついに公式で佐野監督の留任すら発表しなかった。
多分、そんな事するJを目指すクラブは他には存在しない。
今年はそんなクラブでなくなっていると信じたいものだ。
週末は久々に練習を見に行こう。選手の数は減っていても、どんなに寒くても。
まだ毎年恒例のブログで「勝手に今年のクラブを総括する」書き物は残っているが、それは俺の予定なので・・。ちなみに今年の総括ブログはまだタイトルも考えていない。おいおい考えるとしよう。
あと、MVPも出したいなと。
んで・・今年だが例年に増して濃厚な1年だった。
昨年でULTRAを退団して支援会に専念し始めたのだが、何でも動き出しが1番大変で周囲に迷惑をかける。
そういう意味で今年1年の俺は周囲に迷惑をかけ通しの1年だったなぁと。
特に11月は試合数もイベントも多く、自分の事に手一杯で周囲を省みる余裕もなく、今にして思うと本当に申し訳ない事だらけで周囲の皆に謝りたい気持ちで一杯だ。今後気をつけていきたい。
今年色んな事を一緒にやったメンバーは本当に熱心で沢山助けられた。来年は自分も助ける事が出来るようにならねばならない。
来年の今頃・・俺はどんな事を書いているのだろう?
それともブログをやめたりしているだろうか?
とりあえず契約が更新されたら選手でも監督でもドンドン発表して行って欲しい。
去年はついにダラダラ先延ばしした結果、クラブはついに公式で佐野監督の留任すら発表しなかった。
多分、そんな事するJを目指すクラブは他には存在しない。
今年はそんなクラブでなくなっていると信じたいものだ。
週末は久々に練習を見に行こう。選手の数は減っていても、どんなに寒くても。
2011年12月12日
2011JFL最終戦 長崎vsジェフRのこと
試合内容は期間限定をどうぞ。
色々あった今季最終戦。何も終わりはしないけれど区切りがつく日。
朝から島原市営でゲーフラ祭りの準備!ギリギリまでAYUMIが頑張ってくれた。AYUMIは決して器用な子でもカリスマがある訳でも理知的な訳でもない。本来なら俺がもっとAYUMIを支えねばならなかったのだが、俺自身、11月から諸企画に追われて磨耗している状態で殆どAYUMIの努力に任せてしまった。
(あの時、ああすれば良かった。こうすれば良かった)
そんな言い訳を一切残さない本気なら熱は周囲に広がる。ゲーフラ祭りはファンのネット告知が中心だった。リリースしても島原新聞とFM島原以外は取り上げてくれない。それでも沢山の人がゲーフラを持参してくれた。準備中も、テンパったり、泣きそうな顔をしながら頑張ったAYUMIに俺達は引っ張られ・・ゲーフラが気持ちを届けた。
<画像転載元:BeFahren>

試合は、今のままが出た。アリが絡む事で攻撃は機能するが、アリが得点に専念すれば今一つ機能しない攻撃陣。DFラインが下がると、相手に中盤を制圧されてしまう戦い方。主力DFを解雇しながら守備は去年より安定感を欠く。一方で攻撃が機能した時は鋭く・強烈無比で、恐ろしく前がかりな姿勢は相手に畏怖を与えた。順位は去年と同じ5位だが総合力では去年より上がったとも思う。だが、この殻を破らねば来期の昇格は無い。




この試合で解散するジェフリザは選手とファン皆が集って写真を撮っていた。ついに長崎は彼らにホームで勝てなかった。それはもう永遠に消えない記録になってしまった。

試合後、ファン感が行われたがゲーフラ祭りの撤収作業でほとんど見れなかった。企画も運営もグダグダだったらしいが、何もしないよりは数万倍良い。ファンも選手も「やって良かった」と思った筈だ。それに退団選手が発表になっていた事でファンがケジメをつける事が出来た。


最後にハマさんが退団選手にメッセージを集めるミニ幕を準備していたのでメッセージを集めて皆で渡した。その後は・・長崎市へ移動してULTRAと支援会とで合流し焼肉を食べに。ゲストも顔を出してくれた。

沢山の仲間が去ったから、今年は残った人間がまとまらないとどうしようもなくなっていた。でも、俺と一緒に走る事で疲れ、傷つく。今の長崎のファンは互いの支えあいで気持ちを保っている。誰かが倒れれば、もう片方も持たなくなる。だから、ゲスト達が来てくれた事、話を聞けた事で・・また来年やろうという気持ちになった。
ただ、来年やるのであればクラブの真を問わねばならない。12月14日(水)でもし、クラブが変わらないと判断したら・・もう俺はクラブを愛せない。俺の愛もクラブに必要がないだろう。だが、クラブが本当に変わるのであれば、俺は倒れるまで走り続けよう。
12月14日(水)19:00~21:00
第16回V・ファーレン長崎支援会(クラブシーズン報告会)
長崎市市民会館第4会議室クラブから宮田社長が参加して連絡・報告・協議・意見交換開催。
入場無料・途中参加、退場可。
本気でクラブと向き合ってみませんか?
・・そうしないと彼も怒っちゃうね。

色々あった今季最終戦。何も終わりはしないけれど区切りがつく日。
朝から島原市営でゲーフラ祭りの準備!ギリギリまでAYUMIが頑張ってくれた。AYUMIは決して器用な子でもカリスマがある訳でも理知的な訳でもない。本来なら俺がもっとAYUMIを支えねばならなかったのだが、俺自身、11月から諸企画に追われて磨耗している状態で殆どAYUMIの努力に任せてしまった。
(あの時、ああすれば良かった。こうすれば良かった)
そんな言い訳を一切残さない本気なら熱は周囲に広がる。ゲーフラ祭りはファンのネット告知が中心だった。リリースしても島原新聞とFM島原以外は取り上げてくれない。それでも沢山の人がゲーフラを持参してくれた。準備中も、テンパったり、泣きそうな顔をしながら頑張ったAYUMIに俺達は引っ張られ・・ゲーフラが気持ちを届けた。
<画像転載元:BeFahren>

試合は、今のままが出た。アリが絡む事で攻撃は機能するが、アリが得点に専念すれば今一つ機能しない攻撃陣。DFラインが下がると、相手に中盤を制圧されてしまう戦い方。主力DFを解雇しながら守備は去年より安定感を欠く。一方で攻撃が機能した時は鋭く・強烈無比で、恐ろしく前がかりな姿勢は相手に畏怖を与えた。順位は去年と同じ5位だが総合力では去年より上がったとも思う。だが、この殻を破らねば来期の昇格は無い。




この試合で解散するジェフリザは選手とファン皆が集って写真を撮っていた。ついに長崎は彼らにホームで勝てなかった。それはもう永遠に消えない記録になってしまった。

試合後、ファン感が行われたがゲーフラ祭りの撤収作業でほとんど見れなかった。企画も運営もグダグダだったらしいが、何もしないよりは数万倍良い。ファンも選手も「やって良かった」と思った筈だ。それに退団選手が発表になっていた事でファンがケジメをつける事が出来た。


最後にハマさんが退団選手にメッセージを集めるミニ幕を準備していたのでメッセージを集めて皆で渡した。その後は・・長崎市へ移動してULTRAと支援会とで合流し焼肉を食べに。ゲストも顔を出してくれた。

沢山の仲間が去ったから、今年は残った人間がまとまらないとどうしようもなくなっていた。でも、俺と一緒に走る事で疲れ、傷つく。今の長崎のファンは互いの支えあいで気持ちを保っている。誰かが倒れれば、もう片方も持たなくなる。だから、ゲスト達が来てくれた事、話を聞けた事で・・また来年やろうという気持ちになった。
ただ、来年やるのであればクラブの真を問わねばならない。12月14日(水)でもし、クラブが変わらないと判断したら・・もう俺はクラブを愛せない。俺の愛もクラブに必要がないだろう。だが、クラブが本当に変わるのであれば、俺は倒れるまで走り続けよう。
12月14日(水)19:00~21:00
第16回V・ファーレン長崎支援会(クラブシーズン報告会)
長崎市市民会館第4会議室クラブから宮田社長が参加して連絡・報告・協議・意見交換開催。
入場無料・途中参加、退場可。
本気でクラブと向き合ってみませんか?
・・そうしないと彼も怒っちゃうね。

2011年12月09日
俺が今年”走って来い”と叫んだ訳
ウチのファンの間で・・
「V・ファーレン長崎の選手は得点後ファンへ向けてアピールをしない」
というのはもう何年もの間の定番だ。彼らがメインやバックにアピールする時は100%・・そこに友人か家族がいる時だけ。ピッチ上の選手、ベンチとしか喜ばない。去年、町田が長崎と試合して3点取った時、町田の選手は脇目も振らずサポーターに向けてアピールした。今年、長崎が佐川印刷から6点を取った時、長崎の選手は一度もサポーターにアピールしなかった。
プロの仕事とはファンを歓喜・感動させる事だ。その対価として生きていく為の報酬を得る。
見て面白いサッカーも勝利もその為のものだ。選手が上手くなるように努力するのも、上手くなってより面白いサッカーや勝利を上げる為のものだ。もし、ファンの歓喜や感動に応えずに、練習が自分の仕事などという選手がいれば、それはその選手の自己満足のスキルアップに過ぎない。そういう意味で真摯に自分とフットボールだけに向き合って生きていくのはタニマチでもつけないと無理であって、プロですらフットボール一筋という訳ではいけない。
だが、長崎で選手がファンの所にアピールしにくる光景はとても稀だ。
これは俺自身前々から凄く問題視していたし、何とかしなければとも思っていた。だが俺は当時ULTRAだったので、点取ったらファン目掛けて走って来いと言えば、応援の対価にサービスを求めていると誤解されるので何も言わず耐えていた。前にクラブ主催で「応援について話そう」という会の時もそれが大きな問題になり、ファンだけでなくスポンサーにも問題視されていた。
(ただ、これは応援している自分の側にも問題があるのかもしれない?)
そう思って・・去年でULTRAを卒団した事もあったのでやり方を代える事にした。
露骨に声に出して叫ぶ事にした。
「●●ー!得点したら、俺の所に走ってこーい!」
周囲から大してやり方変わってねーじゃんと言われたが・・声に出す点が違う。
ある意味で「好きですー」と叫んでいるようなものだ。
6月から声をかけたが・・声をかけた時に手を上げて返事くれる選手ははいたが・・
唯一、翔馬が得点した時に来てくれただけで・・実際に俺が声をかけた選手で来た事はない。
ぶっちゃけて言うと・・実際は俺の所に来なくても構わないと思ってる。つか・・こんなスタンドでデカイ顔して「来い」なんて叫んでいる奴の所に本気で行こうなんて選手はそういないと思う(笑)
ただ、俺が言い続けていれば、彼らの頭の中にゴール後にファンの所に走るという事が少しは残る。そうすれば、俺の所に来なくても選手は走るかもしれない。嫌がらせで、あえて俺の所に来ないでメインに行くかもしれない。それを繰りえす内に得点後に普通にファンにアピールするように選手がなるかもしれない。
俺の目的は得点の喜びをファンへ届ける選手たちであって欲しい事であって、俺を満足させて欲しい訳ではない。
日曜の試合・・俺はゲーフラ祭りの準備と運営をやっている。
多分・・ロクに暇はない。「走ってこーい」は言えるか判らない。
だから、今言う!
「走っていけ!お前らを応援してくれた者の所へ!」
「胸張って走っていけ!」
彼らがゴール後に家族や友人やベンチ以上にどこに喜びを届けるか・・期待したい。
「V・ファーレン長崎の選手は得点後ファンへ向けてアピールをしない」
というのはもう何年もの間の定番だ。彼らがメインやバックにアピールする時は100%・・そこに友人か家族がいる時だけ。ピッチ上の選手、ベンチとしか喜ばない。去年、町田が長崎と試合して3点取った時、町田の選手は脇目も振らずサポーターに向けてアピールした。今年、長崎が佐川印刷から6点を取った時、長崎の選手は一度もサポーターにアピールしなかった。
プロの仕事とはファンを歓喜・感動させる事だ。その対価として生きていく為の報酬を得る。
見て面白いサッカーも勝利もその為のものだ。選手が上手くなるように努力するのも、上手くなってより面白いサッカーや勝利を上げる為のものだ。もし、ファンの歓喜や感動に応えずに、練習が自分の仕事などという選手がいれば、それはその選手の自己満足のスキルアップに過ぎない。そういう意味で真摯に自分とフットボールだけに向き合って生きていくのはタニマチでもつけないと無理であって、プロですらフットボール一筋という訳ではいけない。
だが、長崎で選手がファンの所にアピールしにくる光景はとても稀だ。
これは俺自身前々から凄く問題視していたし、何とかしなければとも思っていた。だが俺は当時ULTRAだったので、点取ったらファン目掛けて走って来いと言えば、応援の対価にサービスを求めていると誤解されるので何も言わず耐えていた。前にクラブ主催で「応援について話そう」という会の時もそれが大きな問題になり、ファンだけでなくスポンサーにも問題視されていた。
(ただ、これは応援している自分の側にも問題があるのかもしれない?)
そう思って・・去年でULTRAを卒団した事もあったのでやり方を代える事にした。
露骨に声に出して叫ぶ事にした。
「●●ー!得点したら、俺の所に走ってこーい!」
周囲から大してやり方変わってねーじゃんと言われたが・・声に出す点が違う。
ある意味で「好きですー」と叫んでいるようなものだ。
6月から声をかけたが・・声をかけた時に手を上げて返事くれる選手ははいたが・・
唯一、翔馬が得点した時に来てくれただけで・・実際に俺が声をかけた選手で来た事はない。
ぶっちゃけて言うと・・実際は俺の所に来なくても構わないと思ってる。つか・・こんなスタンドでデカイ顔して「来い」なんて叫んでいる奴の所に本気で行こうなんて選手はそういないと思う(笑)
ただ、俺が言い続けていれば、彼らの頭の中にゴール後にファンの所に走るという事が少しは残る。そうすれば、俺の所に来なくても選手は走るかもしれない。嫌がらせで、あえて俺の所に来ないでメインに行くかもしれない。それを繰りえす内に得点後に普通にファンにアピールするように選手がなるかもしれない。
俺の目的は得点の喜びをファンへ届ける選手たちであって欲しい事であって、俺を満足させて欲しい訳ではない。
日曜の試合・・俺はゲーフラ祭りの準備と運営をやっている。
多分・・ロクに暇はない。「走ってこーい」は言えるか判らない。
だから、今言う!
「走っていけ!お前らを応援してくれた者の所へ!」
「胸張って走っていけ!」
彼らがゴール後に家族や友人やベンチ以上にどこに喜びを届けるか・・期待したい。
2011年12月07日
2011 12/11ゲーフラ祭の裏・表・・
ゲーフラとはゲートフラッグの略で、門(ゲート)形の段幕の一種。
特徴は幕両端に棒をつけ両手で掲げるスタイルで、Jではメジャーな応援だ。その手軽さからメッセージやネタなど多様な応援も可能。下は06年頃の柏。多分、現在の日本のゲーフラの流れを決定付けたのが彼らだ。

が、長崎では今一つポピュラーになれていない。それを長崎に広めようと準備した企画がこの企画だ。
「ゲーフラを事前に準備したら? ゲーフラに貼るシールを作ると子供が喜ぶんじゃ? 無地も用意すれば? スタジアムにゲーフラ作成場所があれば・・ 雨に備えて紙と布の2種類を用意」全てを実行に移した。
実はこの企画、1月の支援会で協議し、2月に当時のホームタウン推進部部長から「5月の連休の頃に」と開催内定を受けた物。発案者のAYUMIもとても喜んでいた。が、3月に当の部長はロクに引継も行わず転勤し、企画は放置され無かった事になった、AYUMIもショックだったようで、6月に「もう1回提案したいです。」と言われた時に、(絶対、開催する)と決めた。
7月の支援会で再提案、8月・9月に協議。クラブに何度も企画の説明を送り10月に提案書提出。11月に最終案を提出。途中色々あったが開催が決定した。既に準備作業に入っていたメンバーだが、開催決定まではかなりナーバスになっていた。それは予算、作業の負担が大きかった為だ。
支援会は月1回の会議場費用も参加者の募金で賄っている。予算が浮いたらホームゲーム告知チラシを印刷して配布する。そんな状況だから、休日に100円ショップ等を回って材料を集めた。今回の企画で支援会予算は”0”だ。財政再建団体となった(笑)。
作業の方も平日夜に合計5回行った。日付が変わるまで作業するのは当然で3:00解散と言う事も。




それでもみんな嫌な顔せずに参加してくれた。「選手が喜んでくれるとすごく嬉しい」「どうおもうかな?」・・皆の前向きさが救いだった。
ここで俺が書くべきではないのかもだが10月にAYUMIの親父が入院した。一時は絶望的で、AYUMIもかなり憔悴していた。そこで桃木さんに連絡してAYUMIのヘルプをお願いする。桃木さんがしっかりフォローしてくれたお陰で企画は途中で瓦解せずに済んだ。
11月に入って嬉しい効果が出てきた。8月に美咲ちゃんにゲーフラでの応援や作り方を教え、美咲ちゃんがガンガンに掲げるようになった。彼女は”何か”を持っている子なのでゲーフラが目立つ。支援会メンバーもゲーフラを作って試合に来るようになった。それまでの個人が掲げ、そのまま終わっていたゲーフラが全体に波及し始めていると感じた。
こうして、皆で作ったゲーフラは300本。色塗りだけで100本以上。布と紙の2種類!これだけの物を揃えてファン主催でやるゲーフラ祭りは多分日本初!
12月11日(日)
構想7ヶ月、準備2ヶ月の支援会主催企画!
2011長崎ゲーフラ祭り
~この気持ち届けたい!~
(企画リーダー:下舞亜由美、桃木敦子(支援会))
参加、ぜひお願いします!
自作ゲーフラ持込も大歓迎!スタジアムのどこでも掲示可能。
タイミングも支援会で指示するのでバッチリ!
企画に魂込めました!
特徴は幕両端に棒をつけ両手で掲げるスタイルで、Jではメジャーな応援だ。その手軽さからメッセージやネタなど多様な応援も可能。下は06年頃の柏。多分、現在の日本のゲーフラの流れを決定付けたのが彼らだ。

が、長崎では今一つポピュラーになれていない。それを長崎に広めようと準備した企画がこの企画だ。
「ゲーフラを事前に準備したら? ゲーフラに貼るシールを作ると子供が喜ぶんじゃ? 無地も用意すれば? スタジアムにゲーフラ作成場所があれば・・ 雨に備えて紙と布の2種類を用意」全てを実行に移した。
実はこの企画、1月の支援会で協議し、2月に当時のホームタウン推進部部長から「5月の連休の頃に」と開催内定を受けた物。発案者のAYUMIもとても喜んでいた。が、3月に当の部長はロクに引継も行わず転勤し、企画は放置され無かった事になった、AYUMIもショックだったようで、6月に「もう1回提案したいです。」と言われた時に、(絶対、開催する)と決めた。
7月の支援会で再提案、8月・9月に協議。クラブに何度も企画の説明を送り10月に提案書提出。11月に最終案を提出。途中色々あったが開催が決定した。既に準備作業に入っていたメンバーだが、開催決定まではかなりナーバスになっていた。それは予算、作業の負担が大きかった為だ。
支援会は月1回の会議場費用も参加者の募金で賄っている。予算が浮いたらホームゲーム告知チラシを印刷して配布する。そんな状況だから、休日に100円ショップ等を回って材料を集めた。今回の企画で支援会予算は”0”だ。財政再建団体となった(笑)。
作業の方も平日夜に合計5回行った。日付が変わるまで作業するのは当然で3:00解散と言う事も。




それでもみんな嫌な顔せずに参加してくれた。「選手が喜んでくれるとすごく嬉しい」「どうおもうかな?」・・皆の前向きさが救いだった。
ここで俺が書くべきではないのかもだが10月にAYUMIの親父が入院した。一時は絶望的で、AYUMIもかなり憔悴していた。そこで桃木さんに連絡してAYUMIのヘルプをお願いする。桃木さんがしっかりフォローしてくれたお陰で企画は途中で瓦解せずに済んだ。
11月に入って嬉しい効果が出てきた。8月に美咲ちゃんにゲーフラでの応援や作り方を教え、美咲ちゃんがガンガンに掲げるようになった。彼女は”何か”を持っている子なのでゲーフラが目立つ。支援会メンバーもゲーフラを作って試合に来るようになった。それまでの個人が掲げ、そのまま終わっていたゲーフラが全体に波及し始めていると感じた。
こうして、皆で作ったゲーフラは300本。色塗りだけで100本以上。布と紙の2種類!これだけの物を揃えてファン主催でやるゲーフラ祭りは多分日本初!
12月11日(日)
構想7ヶ月、準備2ヶ月の支援会主催企画!
2011長崎ゲーフラ祭り
~この気持ち届けたい!~
(企画リーダー:下舞亜由美、桃木敦子(支援会))
参加、ぜひお願いします!
自作ゲーフラ持込も大歓迎!スタジアムのどこでも掲示可能。
タイミングも支援会で指示するのでバッチリ!
企画に魂込めました!
2011年12月06日
長崎に来て・・
フットボールクラブにとって毎年選手が入れ替わるのは当然だ。
毎年、冬の始めに選手は去り、年が明けると新しい選手がやってくる。それは永遠に続く。
毎年、選手の退団が発表されると考える。
「この選手は長崎に来て良かったと思えるだろうか?」
「この選手の人生に長崎はプラスを与えられたろうか?」
過去の去っていった選手の中には長崎時代を
「思い出したくもない」
と言う者もいる。そんな言葉を聞くとやっぱり辛い。
特に辛いのが・・その選手に対して「いや!長崎はよくやった!」と思えない事が過去余りに多いことだ。
去年・・大量退団した選手達の前で話をする機会があった。
その時に俺はアレコレ言えなかった。言えたのは
「お疲れさま・・ありがとう・・・・・ごめんなさい。」
自分の力の足りなさが本当に辛かった。
今年幸いなのは、最終戦前に発表があった事。
1週間の間、心を整理する時間がある。
最終戦でちゃんと礼や別れを言える。
それはとても救われる事だ。ケジメをつける事が出来る。
言いたいことは12月14日に直接、クラブと話をする予定なのでここでは書かない。
クラブの真を問いたい。
今はただ最終戦で彼らに最高の気持ちを届けたい。
彼らが選手時代を振り返った時に少しでも
「長崎へ来て良かった」と思えるように・・。
毎年、冬の始めに選手は去り、年が明けると新しい選手がやってくる。それは永遠に続く。
毎年、選手の退団が発表されると考える。
「この選手は長崎に来て良かったと思えるだろうか?」
「この選手の人生に長崎はプラスを与えられたろうか?」
過去の去っていった選手の中には長崎時代を
「思い出したくもない」
と言う者もいる。そんな言葉を聞くとやっぱり辛い。
特に辛いのが・・その選手に対して「いや!長崎はよくやった!」と思えない事が過去余りに多いことだ。
去年・・大量退団した選手達の前で話をする機会があった。
その時に俺はアレコレ言えなかった。言えたのは
「お疲れさま・・ありがとう・・・・・ごめんなさい。」
自分の力の足りなさが本当に辛かった。
今年幸いなのは、最終戦前に発表があった事。
1週間の間、心を整理する時間がある。
最終戦でちゃんと礼や別れを言える。
それはとても救われる事だ。ケジメをつける事が出来る。
言いたいことは12月14日に直接、クラブと話をする予定なのでここでは書かない。
クラブの真を問いたい。
今はただ最終戦で彼らに最高の気持ちを届けたい。
彼らが選手時代を振り返った時に少しでも
「長崎へ来て良かった」と思えるように・・。
2011年12月05日
2011JFL前期2節 UVA vs 長崎のこと
今回は試合内容をKLMに書かない。理由は後述。
さて、ゲーフラ祭の準備で連日2:00過ぎまで作業などあった中での今期ラストアウェイで朝から空港へ。現在の長崎-羽田間は最初の便でも東京着10:30。栃木や群馬の試合が13時開始ではキツイ。今回も、試合直前着予定だったのだが事故渋滞に巻き込まれ到着が前半残り10分。90分を見ずに選手の採点はやれないのでKLMでの期間限定は書かない。
前半30分に到着し、目に飛び込んだスコアは0-1。聞けば、
①オフサイドを取ってFKを得る。
②ボール長崎が蹴ろうとする。
③UVAの選手がそのボールをかっさらいゴール。
④猛抗議の長崎ベンチと選手だが抗議却下。
という無茶なコンボだったそうだ。
とは言え、この時点で長崎の守備の混乱はハンパなく、攻守の切替が遅く、選手の動きも少なく、パスもつながらない。個で上回る分、攻めているがペースはUVA。

UVAは守備ブロック2枚作ってのカウンターが徹底されていた。攻守の切り替えも早く、長崎がボールを持つとDFはゴール中央を固め、その前の位置では岩間や山城といったパスの起点となる選手へプレスをかけてボールを奪う。奪うと大きくボールを蹴ってカウンター。強風を生かしてハイボール連発で長崎DFは目測を誤る。下の画像を見れば綺麗に2列の守備ブロックの存在が判ると思う。

それでも、すぐ同点に追いついていれば展開は変わったろうが2失点目が完全に流れを決めた。長崎のDFがUVAのカウンターを止める・・長崎の選手はセルフジャッジで動きを止めたがプレーは切れておらず、そのままシュートされ0ー2。これで長崎の選手は完全に主審不信となった。不信からナーバスになり荒れるプレイ・・それに主審が笛を吹く。相互不振の悪循環。
3失点目は長崎の左サイドを突破したカウンターを藤井が倒して取られたPK。判定は微妙だが綺麗に突破された時点勝負あり。4失点目もカウンターで右サイド裏を取られ、横に大きく振られて決められた。下がPKやっちゃった直後と4点目決められる直前。


0ー4。
見事なまでの完敗劇。この試合はU長崎が格下のようだった。
どうか主審に敗戦理由をもっていかないでほしい。確かに主審の判定が流れを作ったのは事実だが、主審がUVAに4得点を与える事も長崎の4得点を消せる訳でもない。ただし、クラブは今回の判定について毅然たる抗議を強くリーグにして欲しい。
さて、この試合で悲しかったのはチームに一体感が無かった事だ。ベンチ、ピッチに一体感は薄かった。ずっとチームを見ていればスタンドからでも、それは判るものだ。
俺や仲間達は万全状態でホーム最終節に臨む。その為に2ヶ月以上前からクラブと協議し、時に喧嘩し、皆で平日の夜に日付が変わるまで作業して最終戦のゲーフラ祭を準備していた。




俺たちは万全でおまえ等を迎える!
応えてくれ!
それだけを望む!
さて、ゲーフラ祭の準備で連日2:00過ぎまで作業などあった中での今期ラストアウェイで朝から空港へ。現在の長崎-羽田間は最初の便でも東京着10:30。栃木や群馬の試合が13時開始ではキツイ。今回も、試合直前着予定だったのだが事故渋滞に巻き込まれ到着が前半残り10分。90分を見ずに選手の採点はやれないのでKLMでの期間限定は書かない。
前半30分に到着し、目に飛び込んだスコアは0-1。聞けば、
①オフサイドを取ってFKを得る。
②ボール長崎が蹴ろうとする。
③UVAの選手がそのボールをかっさらいゴール。
④猛抗議の長崎ベンチと選手だが抗議却下。
という無茶なコンボだったそうだ。
とは言え、この時点で長崎の守備の混乱はハンパなく、攻守の切替が遅く、選手の動きも少なく、パスもつながらない。個で上回る分、攻めているがペースはUVA。

UVAは守備ブロック2枚作ってのカウンターが徹底されていた。攻守の切り替えも早く、長崎がボールを持つとDFはゴール中央を固め、その前の位置では岩間や山城といったパスの起点となる選手へプレスをかけてボールを奪う。奪うと大きくボールを蹴ってカウンター。強風を生かしてハイボール連発で長崎DFは目測を誤る。下の画像を見れば綺麗に2列の守備ブロックの存在が判ると思う。

それでも、すぐ同点に追いついていれば展開は変わったろうが2失点目が完全に流れを決めた。長崎のDFがUVAのカウンターを止める・・長崎の選手はセルフジャッジで動きを止めたがプレーは切れておらず、そのままシュートされ0ー2。これで長崎の選手は完全に主審不信となった。不信からナーバスになり荒れるプレイ・・それに主審が笛を吹く。相互不振の悪循環。
3失点目は長崎の左サイドを突破したカウンターを藤井が倒して取られたPK。判定は微妙だが綺麗に突破された時点勝負あり。4失点目もカウンターで右サイド裏を取られ、横に大きく振られて決められた。下がPKやっちゃった直後と4点目決められる直前。


0ー4。
見事なまでの完敗劇。この試合はU長崎が格下のようだった。
どうか主審に敗戦理由をもっていかないでほしい。確かに主審の判定が流れを作ったのは事実だが、主審がUVAに4得点を与える事も長崎の4得点を消せる訳でもない。ただし、クラブは今回の判定について毅然たる抗議を強くリーグにして欲しい。
さて、この試合で悲しかったのはチームに一体感が無かった事だ。ベンチ、ピッチに一体感は薄かった。ずっとチームを見ていればスタンドからでも、それは判るものだ。
俺や仲間達は万全状態でホーム最終節に臨む。その為に2ヶ月以上前からクラブと協議し、時に喧嘩し、皆で平日の夜に日付が変わるまで作業して最終戦のゲーフラ祭を準備していた。




俺たちは万全でおまえ等を迎える!
応えてくれ!
それだけを望む!
2011年12月03日
退団発表にまつわるエトセトラ・・
JFAの規約では、クラブは11/30迄に選手に対して来期契約するかどうかを通知する義務を負う。つまりV・V長崎でも選手に対して通知は行われている。Jでは公式戦がまだ残っているのに「退団選手発表」がよく行われる。これは選手の為であると同時にチームイメージを守る為だ。
選手退団と言うのは選手や関係者は無論、サポーターにも衝撃的な物であったりする。それは去年のV・VARENの大量解雇による混乱をみれば明らかだ。この退団というネガティブニュースは企業の不祥事などと同じで「早く」「正確に」公表するのが最も無難で問題のないやり方だ。
Jチームも伊達にリーグ戦中に退団発表する訳ではない。経験からそれが一番良い方法と辿り着いた結果だ。ガンバは優勝争い中に10年務めた西野監督と来期契約しない事を発表した。長崎も来期契約しない選手を決定し、選手に伝えたのならば一刻も早く発表をすべきだろう。俺達は来年は優勝してJ2に行く筈で「リーグ戦最中だから」「他のJFLチームでは」と言うのなら、プロクラブである事を辞めた方が良い。
退団時の混乱原因は大抵、情報の先漏れだ。かん口令も無意味だ。選手の態度や何気ない一言だけではない。選手にも家族や親友も悩みを相談する人もいる。選手とクラブだけの機密事項なぞ世界中探しても存在しない。
来期契約を更新しない判断を下したのならばプロクラブとして堂々と公表する事を望む。
ファンにとって応援した選手が去るのはキツイ事だ。だが、もっとキツイのはその選手が突然いなくなる事だ。シーズン中は散々「応援お願いします」と言っておいて、フイっといなくなる。そんな時のサポーターの気持ちを考えているだろうか?最後と判っていれば、選手にサインして欲しい者もいたろう。感謝の気持ちを伝えたい者もいたろう。プレゼントを渡したい者もいたろう。
「あと1週間でリーグが終わるから」・・それは苦痛を先延ばしにし、サポーターの気持ちを無視した行為だ。クラブ経営はシビアなビジネスである。多大な貢献をした選手を戦力分析した上で解雇する事があるのもプロクラブの宿命だ。だが、フロントがビジネスライクに割り切ろうとする余り冷酷な印象を周囲に残してしまうケースは多い。
解雇判断が戦力分析をした上で正しい判断だと思うのなら隠す必要など何もない!
選手が「今は動揺が大きいから発表を控えてくれ」「親しい人に話すまで待ってくれ」と言うケースもあるだろう。だが、退団者の発表を先延ばしするのは、クラブイメージを一日ずつ削り取っていく事だと理解して欲しいものだ。
選手退団と言うのは選手や関係者は無論、サポーターにも衝撃的な物であったりする。それは去年のV・VARENの大量解雇による混乱をみれば明らかだ。この退団というネガティブニュースは企業の不祥事などと同じで「早く」「正確に」公表するのが最も無難で問題のないやり方だ。
Jチームも伊達にリーグ戦中に退団発表する訳ではない。経験からそれが一番良い方法と辿り着いた結果だ。ガンバは優勝争い中に10年務めた西野監督と来期契約しない事を発表した。長崎も来期契約しない選手を決定し、選手に伝えたのならば一刻も早く発表をすべきだろう。俺達は来年は優勝してJ2に行く筈で「リーグ戦最中だから」「他のJFLチームでは」と言うのなら、プロクラブである事を辞めた方が良い。
退団時の混乱原因は大抵、情報の先漏れだ。かん口令も無意味だ。選手の態度や何気ない一言だけではない。選手にも家族や親友も悩みを相談する人もいる。選手とクラブだけの機密事項なぞ世界中探しても存在しない。
来期契約を更新しない判断を下したのならばプロクラブとして堂々と公表する事を望む。
ファンにとって応援した選手が去るのはキツイ事だ。だが、もっとキツイのはその選手が突然いなくなる事だ。シーズン中は散々「応援お願いします」と言っておいて、フイっといなくなる。そんな時のサポーターの気持ちを考えているだろうか?最後と判っていれば、選手にサインして欲しい者もいたろう。感謝の気持ちを伝えたい者もいたろう。プレゼントを渡したい者もいたろう。
「あと1週間でリーグが終わるから」・・それは苦痛を先延ばしにし、サポーターの気持ちを無視した行為だ。クラブ経営はシビアなビジネスである。多大な貢献をした選手を戦力分析した上で解雇する事があるのもプロクラブの宿命だ。だが、フロントがビジネスライクに割り切ろうとする余り冷酷な印象を周囲に残してしまうケースは多い。
解雇判断が戦力分析をした上で正しい判断だと思うのなら隠す必要など何もない!
選手が「今は動揺が大きいから発表を控えてくれ」「親しい人に話すまで待ってくれ」と言うケースもあるだろう。だが、退団者の発表を先延ばしするのは、クラブイメージを一日ずつ削り取っていく事だと理解して欲しいものだ。
2011年12月01日
2011ゲーフラ祭り 告知第一弾!
12/11ゲーフラ祭り!!!
<画像をクリックしたら拡大>

2011年12月11日
JFL最終節「V・V長崎vsジェフR」(島原市営陸上競技場)
でゲーフラガンと上げて最後に最高の応援をしよう!
構想7ヶ月、準備2ヶ月の支援会主催企画!!
2月に文書化して正式に提案し、
クラブが一端は「5月の連休時に開催したい」と返事して喜んだのも束の間・・
当時のホームタウン推進部部長が引き継ぎも何もせずに社外移動になった為に
「無かった事」にされ・・再度提案して何とか実施へこぎつけた大苦労企画!!
「2011長崎ゲーフラ祭り~この気持ち届けたい~」
自作ゲーフラでの参加も大歓迎!!
企画の手伝いをやりたい方も大歓迎!!
10:00くらいにメインスタンド入り口付近に集合願います!!
さぁ、こい!みんな。
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2011年12月11日
JFL最終節「V・V長崎vsジェフR」(島原市営陸上競技場)
でゲーフラガンと上げて最後に最高の応援をしよう!
構想7ヶ月、準備2ヶ月の支援会主催企画!!
2月に文書化して正式に提案し、
クラブが一端は「5月の連休時に開催したい」と返事して喜んだのも束の間・・
当時のホームタウン推進部部長が引き継ぎも何もせずに社外移動になった為に
「無かった事」にされ・・再度提案して何とか実施へこぎつけた大苦労企画!!
「2011長崎ゲーフラ祭り~この気持ち届けたい~」
自作ゲーフラでの参加も大歓迎!!
企画の手伝いをやりたい方も大歓迎!!
10:00くらいにメインスタンド入り口付近に集合願います!!
さぁ、こい!みんな。