2008年12月29日
クラブチームの分類と次に来るチーム
J2岐阜と岡山の来年の予算が5億だそうだ。
地域リーグばかり見てる人はピンとこないかもしれないが、J2でも結構飛びぬけて低い額だ。どの程度かを判りやすく説明するなら、
「3000円しか持たずに丸暴な人が経営する銀座の高級寿司屋に言って「時価」とかかれているネタを腹一杯食べてみた」
ような感じと言えば少しは判るだろうか?
岐阜が来季5億でやっていくというのは10月頃に聞いて「そりゃ、大変な・・」と思ったのだが、今年昇格したばかりの岡山も同じだったのは結構厳しいニュースだ。
熊本もJFLどころかKYUが終った直後から実際はスポンサー収入絡みでヒドイ話があっていたのも知っている。
これは長崎にとって他人事ではない。
岐阜、岡山、熊本は長崎の先人であり、社長自身「見習う」と昇格の時に語った通り、長崎が目指そうとしているチームだ。しかもこれらのチームは大企業が後ろ盾にないという共通項がある。このままただ進めば長崎はこれらのチームより悪い状態になるのは目に見えている。もう地域密着、身の丈経営という発想でクラブチームを経営する時代は終っているのかもしれない。
個人的にJリーグのチームは時代ごとに3つに区分されると思っている。
分類の1つ目が「両方を持っているチーム」
大企業・経営といった運営的、経営的な「母体」とチームである「現場」の両方を持つチームの事で、J開幕時点の通称オリジナル10と呼ばれるチームとその後、加わった幾つかのチームだ。これらは例えば「読売新聞と読売クラブ」という風に俗に言うフロントとチームの両方を持っていた。
これら若干の例外はあっても両方を持つ所が基本としてJの第1世代と呼べるチームだと思う。これらのチームは安定した経営は出来るが、損失補てん等で親会社に依存する事が多く企業とクラブチームの狭間で方向性が今一つ定まらない事だろう。
次の分類が「片方のみ持っていたチームの抱き合わせ」
・経営や運営を担当する企業や母体はあるが、現場であるチームを持たない。
・チームはあるが経営や運営の母体がない。もしくは母体に去られた。
この二つのチームを組み合わせるのが第1世代の次に来た第2世代チーム達だ。
アビスパ福岡、サガン鳥栖なんかがこれだ。これらのチームは、悪い言葉で言えば「元が外様」であるチームの為に地域密着に苦労したし、運営側は現場を知らない事が多い為に現場と噛みあわない事が多い事。
そして、これらの第2世代の次に来たのが
大企業でなく中小企業の連合体や行政が地域活性化のプランの1つとして、もしくは地方発の方向性としてJリーグを目指す第3世代・・つまり今の「地域リーグからJを目指すチームブーム」だと思う。
地方発の運動である以上、他県からチームは呼ばない。地元チームを強化してJリーグへ目指す。これらはそれまでの大企業中心から徐々に中小企業の連合体がチーム運営に乗り出し、それに県が支援するという形で現在のJ2のチームの約半数はこれだと思う。
無論、長崎もこの中に入る。
こういった新しい形のチームのあり方や傾向は誕生から時間が経つほど合理化、先鋭化が進む。この第3世代チームの花形が「大分トリニータ」だとすれば、最も新しく先鋭化の進んでいるのが「ファジアーノ岡山」だろう。
この第3世代が今終焉に向かっているのだと思う。
大分トリニータがこの第3世代のリーダーではあるが、大分は公になっているだけで実は普通の企業なら3度は倒産している。無理やりの税金投入によって延命しているのが実情だ。J2山形がJ1に昇格しながら資金難で県の支援が欠かせないように、Jリーグチームが多数誕生した以上、金も人材も分散化していく。
第3世代のチームは現状のままでは「J2昇格」までが限界で、それ以上の成績を求めるならば大分のように大量の税金投入が免れないという事は現実が示している。
多分、まもなく第4世代のチームが生まれてくるだろう。
個人的憶測で言えば、第4世代のチームは「将来的にJチームを経営する事を念頭に、現状ではJチーム経営の為の事業(審判派遣、サッカー教室、大会運営)等を展開。経営を通じて作ったネットワークや育成した選手でチームを作ってJリーグを目指していく」タイプのチームとなるだろう。
アルゼンチンでは審判協会はビジネスとして成り立っている。経営難と言われる東京ヴェルディでサッカー教室は手堅い収入源と認識されている。(サッカー教室の為に知名度のある選手は必要だけどね)
そこに早めに目をつけて乗り出したチームが第4世代のメリットを享受出来る。
遅れればメリットは少ない。
是非、長崎は常に革新的な経営や運営を考えて欲しい。
日本屈指の貧乏県で、大企業の後ろ建てもなく、百年に1度と言われる金融危機の中で、普通にやっていては長崎は岡山や岐阜の域にいけない。どこよりも効果を上げてやっと対等。突き抜けてやっとリード程度なのだから・・。
2008年12月26日
問われるは「名誉」
名誉と言うのは、姿、振る舞い、あり方、生き方を自他共に認められ、それを自らの尊厳、誇りと見なす事だと言う。
何かを行う、為す時にはこの名誉がなければならない。
決断、行動・・全てを他者に何と言われても外的要因などを理由に「仕方ない」ではなく、胸を張って「俺はこう考えて決断した!」と胸を張れるか否か?
そこに本気で胸を張って、名誉を賭けての決断はあったのか?
1年前にフロントを話し合いを持った。その際に「一貫せず、継続性の見えない強化」に対して苦言を呈した。「その場しのぎの目の前ではなく、1年先、2年先まで考えるべき」と訴えた。
その際の回答は「これからは強化部長が就任したので・・」だった。
俺が「今年の監督選任や、ここまでの選手獲得の大半は強化部長は関わってないですよね?」と言うと「でも、これからは、そういう強化は強化部長が・・」という回答だった。
その回答に名誉は賭けられていたのか・・
今やっている事に名誉はあるのか・・名誉を賭けられるのか?
♪A Question of Honour ~by Sarah Brightman~
遠く行かねばならない。
鐘の音が誘う。
白い雪の向う・・その先へと。
そこから一人で進まねばならない。
*
2人の男が対峙し、2人の男が戦う時、
2人の男がぶつかる時、
問われるのは「名誉」
*×2
勝利しても、敗北しても
問われるのは「名誉」
そして決断を迫られる時、
問われるのは「名誉」
黒、白、昼、夜・・
何が間違ってて、何が正しいのか、
私には判らない。
でも、私は知っている。
2人の男が戦う時、
問われるのは「名誉」
勝利しても、敗北しても
問われるのは「名誉」
そして決断を迫られる時、
問われるのは「名誉」
勝利しても、敗北しても
問われるのは「名誉」
そして決断を迫られる時、
問われるのは「名誉」
黒、白、昼、夜・・
何が間違ってて、何が正しいのか、
私には判らない。
でも、私は知っている。
2人の男が戦う時、
問われるのは「名誉」
遠く行かねばならない。
鐘の音が誘う。
白い雪の向う・・その先へと。
そこから一人で進まねばならない。
2008年12月24日
世界の書評から~立志編~
世界の書評からがもう第何弾か自分でも判らないので、これからは以後適当にサブタイトルを付ける事にする。今回は立志編。別に意味はなく単なる思い付き。
では、まず1冊目。
サッカーダイジェスト増刊の「2008 Jリーグ総集編」
単純に今年のJリーグのデータ系を全部まとめた本。
普通に読むと言うより、データを見る感じの本。記録用に買っておくのも手。
数字やフォーメーションが苦じゃない人はダラダラ眺めるだけでも楽しい。
読む本ではないっと割り切れば中々OK。
随分と昔から買い続けてる報知 高校サッカー。まぁ、この時期の定番ですな。
中身もレイアウトも例年とまったく変わらず。完全なデータガイドブックです。
安心出来ますが、本としてはハッキリ言えば結構詳細なプログラムです。
これに対して新風を吹き込むのが
エルゴラの高校サッカー年鑑。
報知が硬軟(硬データが身長体重、生年月日、前所属といったデータ。軟データが選手のアダ名や好きな選手といったデータ) 両方のデータを掲載するのに対して、エルゴラは最低限の硬データだけを掲載し、残りはチーム状況や解説の文章に当てる手法。
データ集、記録集である報知に比べて解説本に近く判りやすい。
初めて買う人は、エルゴラ版がお薦め。詳しくデータを知りたくなったら報知をどうぞって感じ。値段も写真も多く紙質も良い報知が920円なのに対して、写真少な目、紙質で落ちるも380円と半額以下。気になるなら買っとけって感じでGood!!
そして、昨日買おうと思ったらメトロで売り切れだったので、今日、ケーキ屋ケンちゃんの所でケーキ買うついでに紀伊国屋書店で買った・・
相変わらず、日本サッカーの検証から、クラブ経営、リーグの在り方、女子サッカー、ドーピングまで幅広く扱うも・・今回の号は どの特集も物足りない。手を広げすぎて手が回らなかった感じ。特に「クラブ経営から見るJリーグの今と未来」は完全に寸足らずで勿体無い。あと、以前は「挑戦」とか言って(独特の言い回しで真意を語る)オシムのインタビューを出来るだけ原文のままに掲載したのに、今号では思いっきり、編集して掲載してるようで残念。
何か、最近表紙の写真とキャッチコピーだけがやたらと過激で、内容は読んでみるとそれ程厳しい事書いてないってパターンが多いような・・。
そんな感じの4冊でした。
2008年12月24日
高校サッカー本
夕べは誠の店「鼓」で飲んでいたら、代表からドス黒いテンションの電話を貰う。
相変わらず、健全なんだけど極端な生き方をしているそうで・・
周囲にいると非常に楽しい御仁だ。
んで、今日は今日で家族とクリスマスディナーに出かける。
すっかり贅沢癖のついてる娘2人を見て「将来の旦那は苦労するな・・」っと。
帰りにブラリと本屋に行って「サッカー批評」を買おうと思ったら置いてない。
売り切れか?ついにメトロも扱わなくなったのか?
1番シッカリしたサッカー本なのに・・頼むよ、オイ。
仕方ないので毎年買ってる報知の「高校サッカー」を手に取ったら横にエルゴラの「高校サッカー年鑑」が!!!しかも切り口がこれまでの高校サッカー本と違う。っと横を見るとサッカーダイジェストの2008年のJリーグ全記録集の「Jリーグ総集編」が!!
次回の「世界の書評から」シリーズはこの3冊で決定か・・。
2008年12月22日
段階
ゴール裏とかコアとか言われるサポーターには「3年周期」が良く見られる。
要するに3年で顔ぶれの6割が入れ替わるみたいな話。
特に、女性はその傾向が強い。別に女性差別とかではなく、コアとかウルトラとかをやって生きていくには女性の方が犠牲にしなければいけない物が大きかったりするからだ。(元々、女性不在で作られた文化だったからね。)
んで、実際にそのあたりを嫌と言うほど見てきたんだけど・・その3年が区切りという説は結構当たっているし、内訳も面白い。
大抵、コア、ウルトラ1年目と言うのは楽しいばっかりだ。
でも2年目に入ると、チームの色んな現実や現状が見えてきて、楽しいばかりではいられなくなる。情報も随分と入るようになって、チームに対して色々な働きかけや、ヘルプをやるようになる。最も積極的で最も燃えている活動的な時期だ。
しかし、これが3年目に入ると、更に色んな情報を知り、現実を理解して・・
「あぁ、すれば良いのに!」「こうすれば良いのに!」っとかなり思い込んでしまって、「こうした方が絶対上手く行くのに、そうしないなんて何を考えているんだ!」と腹をたてるようにすらなる。更に他のサポーターに対して「意識が低い」と感じたりしてイライラしたりしてしまう。
この時についに「一線」を超えて気持ちが醒めだしてフェードアウトするようにサポーターをやめていく人もいるし、逆にそういった愛憎を乗り越えて自然体でチームと接する事が出来るようになるか人もいる。
あなたは、今どの段階ですか?
2008年12月19日
企業チームに見る危急存亡の時
バブル景気崩壊後、景気回復を実感する間もなかったのに、何故かまた不況だそうだ。波佐見に進出直前というか既に決まっていたキャノンもドタキャンするし、諫早のソニーで働いてる知り合いも戦々恐々。
リーマンショックが起きた時に、
「こりゃ、物凄い不況が来るぞ」
っと思ったんのだが、想像以上の速さで長崎に波は到達してしまった。
現時点で影響がない人でも、こんだけテレビで「不況」「ヤヴァイ」「デンジャラス」と言われれば、警戒して出費押さえたりするよなぁ・・負のスパイラルやね。
その影響はスポーツにハッキリ出る。
今日もアイスホッケーの西武やらアメフトXリーグのオンワードオークスが廃部。
特にスーパー名門である西武のアイスホッケー廃部はリーグ存続にも関わるほどの一大事で、日本アイスホッケー界の存亡に関わると言っても過言ではない。
日本企業スポーツ界はバブル崩壊と長引く不況でバレーでは日立、新日鉄、ユニチカ、ダイエー、コスモ石油、小田急、野球ではプリンスホテル、北陸銀行、中山製鋼、陸上では大和ハウス、ニコニコドー、九州参交、バスケのジャパンエナジー、東芝、NKK、LリーグでもプリマハムやらOKIやら、こないだはTASAKI・・。男子社会人だとこないだのNECトーキン騒動。ホンダがF1撤退したりもあるね。
よく文章も読まない人からは「Jリーグ原理主義者」と思われやすい俺だけど、企業チーム存続やらあり方にエラク気を揉んでいる訳だ。
日本サッカー界を支えているのは、企業チームと学校教育だからね。
幾らJのユースが台頭してきたと言っても学校の数を見れば話にならない位に差がある。全国に学校は何千高とあって、大抵サッカー部がある訳だから。大体、日本は学校生活を重視する国なんだから、育成に学校が重要なのは当たり前の話。
大学サッカーに目を向ければJリーグがユースから上がった選手を1~2年で解雇するケースが多いのに比べ、大学サッカーは4年の中期スパンで育成出来る。実際、毎年40人前後の選手をJリーグに毎年送っている。
企業チームも同様。
基本的に社員である企業チームの選手はJリーガーのように毎年が勝負ではないケースが多い。数年の長期スパンでの育成も可能な環境と観る事も出来る。企業チームで力を認められてJリーグにいる選手も多いし、Jリーガーの受け皿として育成、フォローの両面で日本サッカーを支えている。
こないだの日本代表の試合のスタメンに一人もユース上がりがいなかったように、現時点では学校抜きに、企業チーム抜きに日本サッカー界は考えられない。
現在の「不況→企業チーム廃部」の流れは物凄い大ピンチなのだ。
これは日本サッカー界全体で早急に考えて手を打たないといけないと思う。
日本サッカー界は永らく企業チームだけでやってきた反動からJリーグ誕生後は「まずJありき」での動きばかりに気を取られて、企業チームへの対応をかなりおざなりにしてきた。
全社は「Jを目指すチーム」へは「地域決勝大会出場権」というニンジンを用意したが、目指さないチームにとっては相変わらず「平日から5日連続で勤務を休まなければならない上に、遠征費どころか参加費まで強制徴収の大会」のままだ。
サッカーダイジェストに「地域リーグで元Jリーガーを抱えるJを目指すチーム」が載る事は最近珍しくないが、「地域リーグで元Jリーガーを抱えるJを目指さない企業チーム」が載る事は稀だ。JFLならまだ注目されるが、ホンダロック、新日鐵大分といった全国屈指の企業チームが載る事は滅多にない。
元々、企業チームというのは、「宣伝」と「社員の士気向上」が最大の目標である。特に企業のブランドイメージ構築と社員への企業への帰属意識を高めるのに、効果があった時代もあった。しかし、娯楽の多様化と雇用形態の変化で効果は薄い時代になった。更に注目度までないのなら・・宣伝の意味もない。
そりゃ・・廃部するわな。
企業チームの衰退はそのまま、サッカー界の衰退だ。
自分所のサッカー部を廃部してJリーグのスポンサーになる企業はどの程度あるだろう?例えば・・三菱電機長崎がサッカー部を不況理由に潰したとして、V・VAREN長崎のスポンサーになる事はあるだろうか?多分、難しいだろうね。
NECトーキンが今からグルージャ盛岡のスポンサーになったら?
宣伝、企業イメージ的に「それは素晴らしい」と思うか?っという話。
逆で「自社のサッカー部すら廃部にする程だから、スポンサーは出来ない」ってなるんじゃ?
日本サッカー界は一刻も早い企業チームへの対応を。
そして、企業チームも「自社の為の福利厚生と宣伝」から「地域社会への還元」としての活動へシフトしていくべきだ。
そして、V・VAREN長崎もそこを考える必要がある。
「JFLに昇格したからスポンサー獲得が楽に・・」なんて考えてる極楽トンボはいないだろうが、岐阜がJから5000万融資を受け、山形がJ1に昇格しながらも来季に向けて県の援助なしにやっていけない事が示しているように
「現在の手法では地方がJリーグチームを運営する限界」が見えてきた。
これまでのJリーグチームとはまったく違う手法で運営もやっていかないくてはならない。
夢を見るのは簡単だけど、夢を実現して、尚且つ存続し大きくしていくのは物凄く大変なのだなぁ。
2008年12月15日
吉本淳
吉本淳
FW 7試合出場1アシスト、警告1。
実力がないのではない。今年の長崎では生かせなかっただけだ。
チームのタイプが違えばレギュラーとして得点を量産したかもしれない。
最初からアウトローな選手だった。
来た当初から不平不満を露骨に表し、学生との練習試合でも大人気ない真似をする。
プレーにもメンタルにもムラがあった。
切れ味鋭く、ゴール前に飛び込んだかと思えば、目の前のボールすら追いかけなかったり、周囲に愛想を振りまくより、一人でいる事を望むストライカー。
多分、最も早く気持ちが切れた選手の1人だったと思う。
ただ、盛り返しも1番多い選手でもあった。
戦術や方針、起用への不満でモチベーションは合流してから瞬く間に下がった。
リーグ戦で長崎が苦しんでいてもそっぽを向いているように見えた。
それでも、苦しむリーグ戦を見続ける内に考えを変えて行く。
はち蔵の雄二さんに
「俺が今のチームで流れを変えられるタイプだと思う。
途中出場で何でも・・もう1度やりますよ。」
と言うと言葉通り、KYU終了後の練習で素晴らしい動きを見せるようになる。
前線でひたむきにボールを追う。勝負を逃げない。無駄になっても走りこむ。
怪我でアリや洋が療養中だった事もあって、その活躍は目立った。
東川さんはもとより、視察にきた小嶺社長でさえ、
「彼は良いなぁ」と言うほどだった。
その良い流れを怪我が断ち切る。
地域決勝大会まで怪我の治療に費やす事となる。
しかし、彼は地域決勝のメンバーに選ばれ、ベンチにも入った。
「怪我が続き、諦めていたけれど・・入れた。信じられない。嬉しい。やりますよ」
高知での地域決勝大会初戦後、彼は試合に出られない悔しさから涙をこぼした。
それ程、賭けていた。
讃岐戦終了後に風呂で遭った。
「石垣頼むよ」と声をかけると
「やりますよ!任せてください。ホント俺、出たいんですよ。」
決勝大会石垣島。
初戦のロック戦に出場した淳は懸命に走った。しかし、点は奪えない。
試合が終り、ピッチを去る時に淳はサポーターに向かって手を合わせた。
動いた口の形は「スンマせん」。
これが淳の最後のゲームだった。
(一人でも多くの選手にピッチを踏ませたい)という方針は町田戦でも、山口戦でも淳をベンチに座らせる事はなかった。
石垣の空港で会った時に
「また頑張ろうや」と声をかけると
「どうせ、俺クビですよ。またチーム探しますよ。」
子供みたいな顔をしてアウトローはスねていた。
彼は既に静岡に帰って行ったと言う。
結果や記録じゃなく、記憶や印象に残る選手だった。
2008年12月14日
違いを考える
ファン、サポーター、コア(ウルトラ等)・・これらは厳密にはまったく別物だ。
それを違いを考えて見た事はあるだろうか?
長崎に限らず、日本ではこの概念は深く知られる事なく電通のパッケージングによって売り出されてしまった。その為にファン=サポーター=コアの概念が出来上がって、それを前提に語る人が多い。
確かに大枠ではそれは間違いではないのだけれど、実際は細かく分かれている。
ファンとウルトラはまったく別物で、ファンから見ればウルトラは規範外で、時に許しがたくうつるし、ウルトラにとってファンは甘いだけにしか見えない。しかし、これらは全然別の価値観、思考に基づいている。その別の価値観を前提に否定されても勘違いでしかない。
元々、サッカー場の観客は幾つかに分類される。それは日本に限らず世界中だ。
例えば、ウルトラという言葉の発端の元祖、イタリアでは
・Spettatori(スペッタトォーリ):観客
・Tifosi(ティフォージ):ファン
・Sostenitori(ソステニトーリ):サポーター
・Ultras(ウルトラ):特に熱狂的な集団
に分類されている。
スペインではサッカーファンはAficionado(アフィシオナード)、Hincha(インチャ)と呼ばれ、Hincha(インチャ)がAficionado(アフィシオナード)より熱狂的なサポーターをイメージさせる言葉となっている。
アルゼンチンでも応援をする者を「Hincha(インチャ)」と呼ぶ。
言葉の元々の意味は「仲間」らしく、インチャ同士、チーム同士での一体感を強く持つ。他チームを応援する事はありえない。
つまり、アルゼンチンのインチャにとって
「普段は、○○と××を応援してます。」なんて言う人は決して仲間ではないし、インチャとは見なされない。
インチャにとって、チームへの応援は一種の宗教といって良い程に熱烈で唯一無二のものだ。周囲からは「遊び」「余技」と思われる応援やサッカーにそれほどの信奉を持っている。それ程強い「我がチームへの想い」は容易く、敵チームへの敵意となる。
宗教の世界を見れば判る。宗派が違うだけで互いを悪魔と罵り合う程に憎みあう事例は幾らでも転がっている。普段、温厚で自宗派の信徒に対して慈愛に溢れた人格者たる司祭が、別宗徒には憎悪を隠さない。勿論、そういった別宗教を寛容しようという動きはあるが、それが生れてきたのは近年で、その受け入れも「相手の存在を受け入れる」という最低限の寛容で、別宗派の教えは認めていない。
世界最大宗派のカトリックですら進化論を認めたのは最近だし、アメリカには未だに進化論が間違いで神が生命を作ったと義務教育で教えている州も多い。
他者から見れば信じられないような思い入れではあるが、それは強い愛情や思い入れを持てばある程度は当然なのだ。
このように世界中では同じファンでも、特に熱狂的な者とそうでない者に大別される。サッカー以外でもそれは世界共通で、アメリカでは熱狂的なファンを「Mania(マニア)」と呼ぶ。
そして日本にもそれに類する言葉が存在した。
例示を
「~狂」「~キ○ガイ」「~馬鹿」
○で伏字にしなければならないのが全てを表している。
(余談だが、日本は世界的に見ても、先進国としては珍しいほどの言論統制国家だそうだ。差別された人達の苦しみを忘れない為に、物語を書きたくても、差別用語禁止の為に書けない程の言論抑制国家って・・)
これらの言葉は基本的に狂うとか馬鹿とか入るのでマスコミ的に非常に使いづらい。
かろうじて、この中で使って良いのは「~馬鹿」くらいで、それもちょっとでも目立つと結構批判が来る。(釣りバカ日誌はその辺、物凄く気を使ってるそうだ)
こういう使いにくい言葉の場合、英語を使うのが常なのだが、「Mania(マニア)」という言葉は変質的なネガティブな言葉としてオタク的なイメージで使用されてきた為に、使う事が出来なかった。
そこでJリーグ開幕の頃に「サポーター」という言葉を作った。
そして野球のファンと一線を画すようなイメージで売り込んだ。
この試みは成功し、サポーターという言葉は広まり、今の日本サッカー文化に影響を与えた。ちなみにサポーターという言葉は日本でしか通用しない。
海外にはサポーターショップとか存在しないファンショップだ。
サポーターズアイテムとか言わないファングッズだ。
しかし、他の国が自然発生して別れて行くまでの時間を大幅に端折ったこの手法は、日本に10年余りで新しい応援文化の方向性を打ちす事に成功したが、観客の分類を「サポーター」という便利な言葉でウヤムヤにしてしまった。
つまり、他国では大きな「サッカーの観客」、「サッカーの好きな人」というくくりでは同じだけれど、実際は男女の性別に匹敵する程に考え方や行動様式に差がある人間達を全部サポーターにしてしまった。
これが日本サッカーの観客の直面している現在最大の問題点だ。
観客、ファン、ウルトラ・・それらは全て違うものだ。
一度、じっくり考えてみて欲しい。
*追伸
実は海外でいうULTRAも日本ではイビツというか妙な変化をしながら発展をして、海外のULTRAとは違う日本ULTRA文化が作られつつあるのが現在の日本サッカー応援なのだが・・それはまた別の機会に。
2008年12月12日
キュナドーナ
今日、11日の練習では本来のポジション以外を務める紅白戦だった。
吉本の哲ちゃんがFWで華麗にスライディングしながらゴールを決め、近藤がサイドを駆け上がり、GK飛鳥が転びながら足でシュートを止めるといった華麗な技の応酬が見られた。
しかし、何と言っても今日のハイライトは、「今季加入のMVPクラス!」、l「俺達の誇り」、「長崎の宝」、「京都出身らしく、言われてみれば公家顔」、「28歳のULTRAに「えっ!給ちゃん、自分より年下!?」と驚かれる男」、等のニックネームに事欠かない給田洋右マネージャーが美技を連発した事だろう。
ペネルティエリアから密集地帯目掛けて、ハーフラインまでキープしてボールを離さない、やけに時間がゆっくり流れる半人抜きドリブルや、平然とセットプレイのキッカーを務めるハートの強さ、1タッチで2人の選手を置き去りにした軽やかなプレイ、クロスに対して相手GKがキャッチした後にジャンプする1人時間差・・。
あぁ、素晴らしかった。
あと陸上競技場での練習の〆はやっぱり、芝の上でスパーリングを行う武男道場だな。
2008年12月11日
ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー④(ラスト)
地域決勝前になってもチーム力は上がらなかった。
地域決勝後に複数の関係者がKYU終了後~地域決勝1ヶ月前の時期を指して
「昇格出来ると思える状態じゃなかった」「崩壊寸前だった」という有様。
そして、大会1ヶ月前の広島遠征の時に、それまで表立って練習場で指示したりしなかったある人物が指示を出し始める。そこでそれまでのサッカーと違うサッカーを始め「これで行く!」とその人物が宣言する。
高知へ向かう直前の練習が終了しクールダウンを始める選手。
守備の要であるある選手は監督ではなく、その人物の元に駆け寄って戦術の確認をし指示を受ける。それが終ると別の選手が、その人物の元へ行く。
恐らく・・この時点で指揮権は二分されていたのだろうと思う。
06年のように全権ではなく分権と言うべきか・・試合中の交代やメンバー等は東川さんに委ねられていたが、「これで行く!」とされたサッカーは東川さんがシーズンを掛けて取り組んでいたサッカーより随分とシンプルになっていた。
大雑把に解説すると上の図が地域決勝の長崎の戦い方だ。
武男、元気はそれぞれ、守備寄り、攻撃寄りを担当した。
基本的にそれまでの細かくつないで相手を抜くより、縦、斜めに早いボールを入れて攻撃陣を走らせる戦い方。ここで元気のパスセンスが大きく物を言った。
武男が下がる分のカバーは竹村が行った。その為に左サイドの突破は試合を重ねる事に少なくなったが、アリがサイドに開いてカバーする。
右サイドはサイドアタックのスペシャリストである大塚がいる事で、攻撃に専念。
右サイドにスペースを作る為に洋は右に流れず、後ろか中央に位置する事が多かった。
アリが左に流れているので洋とポジションは被らない。
俺がアリをMVP級の活躍とした最大の根拠がこのカバーとバランスの取れた動きだった。
試合を重ねる事に特に一番プレッシャーの厳しいポジションの元気は動きがドンドン落ちていったが、それをカバーしていたのもアリだった。アリはボールを持たない時の動きが秀逸だったと思う。
武男を竹、元気をアリがそれぞれカバーして、武男、元気がチームのバランスをカバーする。相互補完の形が地域決勝長崎の姿。
この戦い方はシンプルな分、相手が研究してくれば対抗策は結構簡単でもあった。しかし、幸いな事に高知から石垣島まで例年以上に時間が無かった事で対戦相手も長崎への対策より自分達の準備に追われ問題にならなかった。
町田だけは一応、対策を打ち出していた。
てっきり、06年のように元気と武男さん(06年の時は裕哉)をマークしてくると思ったが、町田はプレスで来た。特に洋と元気に圧力を掛ける。武男さんは位置が深すぎてマークの必要なしと考えたのだろう。中央に構える洋が抑えられ、前線の攻撃の起点がなくなってしまった。この辺は戸塚という監督の修羅場経験だと思う。
そろそろ、この話題を〆る。
東川昌典という人は生粋のコーチだ。
技術指導は丁寧で細かくとても判りやすい。人柄も朴訥として真面目。
特殊で、難しい環境の長崎で東川氏は本当によく頑張ってくれたと思う。
愚痴をこぼすどころか感謝の姿勢を示す氏の人間性、方針を受け入れる謙虚さ、自己犠牲も厭わない姿勢は素晴らしかった。
本当に感謝している。
だが、現時点で氏に上のリーグで指揮を取れる指揮能力は無い。
それは、今年の長崎をつぶさに見て、色々な話を聞いてきた者なら異論はない筈だ。
V・ファーレン長崎は東川昌典という監督を指導者として正統に評価し、資質を生かすポジションに就けるべきだ。
Jリーグ昇格を目指すなら求められるライセンスはS級。継続性を考えればJFLからS級指導者に指揮を執ってもらった方が良い。
東川氏はA級。東川監督の長い育成経験を長崎へ還元する為に新規に創設されるであろうJrユースの監督を期待したい。
勘違いしないで欲しいが、俺は監督をファミリーの一員と思っている。
ファミリーだからこそ馴れ合うべきではない。
長崎にはサッカーをV・ファーレンをキチンと報道するマスコミが少ない。
Jリーグのように専門誌が「昇格の原因を探る」とか「低迷の原因」とか特集を組んではくれない。最も熱心な長崎新聞はどうしても事実の伝えるのが主にならざる得ないし、NIBも中々、時間をとって報道は出来ない。
だから、自分で見て、叫んでいかなくてはならないと思う。
この少ない報道下では
「東川監督来た→苦しんだけどKYU2位以内→JFL昇格」
の事実の羅列しか知られてない事が多い。
でも大事なのはこの矢印の間に何があったのか、何が起こったのか?だと思う。
八戸がゴールした。それは数字や記録だけ見れば今まで出番の無かった控えが出場してゴールしただけ。でも、どれだけ八戸が若い選手から慕われ、ボランティアの仕事もこなし、国体の練習で倒れ込む程走り、今年の地域決勝に限らず色んな地域にスカウティングに行き、06年のホーム開幕戦ではお祭り騒ぎの中で一人で他県にスカウティング
へ行ったか・・奥さんをして「家で仕事の愚痴はこぼすけど、サッカーの愚痴は言わない」という程、長崎の為に率先して働いてきたかをしれば・・それが単なるゴールでなく皆の涙を誘った意味が判る筈だ。
この記録や結果の間にある物を多くの人が知る事が、長崎を自分達のチームと思える一歩だと思う。だから、俺は俺の意見を言うし、語る。それが反感を買おうと構わない。
そして、俺は俺の見てきた「矢印」の一部をここに記載し、その上での俺の結論が、
「ありがとう、東川昌典、
さらば、東川サッカー!」
2008年12月10日
ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー③
東川サッカーでは劇的に失点が減った。
前任の岩本さんはサイドアタックが根幹だ。左右両サイドバックも攻撃参加が求められる。「攻撃は最大の防御」という傾向が強かった。これは岩本さん自身がサイドハーフだった事も多分に影響している。守備の安定より攻撃の強化を考えていた。
東川さんはバランスを大事にした。
隅田が攻撃力の一方で守備に脆さを持つなら、逆サイドに渉の安定感を持って来る。
通常4バックで右サイドバックが上がれば左サイドバックが下がり、左サイドバックが上がれば右サイドバックが下がる「振り子の動き」と言われる約束事がある。
上図のように動いて、常にCBとあわせて守備が3人いる状態を維持する。両方とも上がるのはよほど点を取りに行く時だけ。
だが、上図のように長崎は上から見れば隅田が常にやや上がり目。
そこを突かれても隅田は戻るスピードがあったが、それだけでは不安。そこで常に渉がバランスを取っていた。武男も時に守備に加わる。武男が下がったエリアは竹村がカバーする。守備の枚数とバランス・・これが東川守備の肝だったし、ストッパー型の伝とスイーパー型の久留の相性も良かった。
この堅守構築は東川さんの手腕と言っても良いと思う。
これに対して最も不信を招いたのが選手起用。
スタメン固定化、育成癖が選手の気持ちを削ぐ。
KYU第8節に「負ければ解任もありうる」というムードになって、布陣を4-1-3-2にし、それに伴う起用変更はあったが、固定化の傾向は変わらなかった。
その最たるものが隅田起用の固執。
飛鳥や園田には「守備が不安」と口にしておきながら、同じく守備の安定していなかった時期の隅田は我慢の起用。後に地域決勝で活躍する加藤をFWや隅田の出場停止の代役に使い、久留の出場停止中には加藤をベンチに座らせ隅田をCB起用。
実際、何人かに「隅田起用は京都とそういう契約なのか?」と言われた事がある。
また、隅田に「フィジカルを鍛えておけば、来年京都に帰った時に必ず長崎来て良かったと思うぞ」とアドバイスしたと話を聞いた時には
(来年の京都の話じゃなく、今年の長崎が大変なんだよ)と反発せずにいられなかった。
地域決勝大会で、飛鳥が攻守両面で昇格に貢献したのは皮肉な話だ。誤解のないよう言うが、隅田自身は素晴らしい姿勢と能力を持つ好選手だ。結果的に隅田自身の活躍と姿勢で挽回したが、隅田自身の評価を著しく下げかねない起用だったのが残念だ。
この固定化と固執は選手のやる気を確実に削ぎかけた。にも関わらず「もう負けられない」という思いがますますメンバーを固定化させた。
更に暑さで動けない選手に炎天下で2部練。
かりゆし戦前の時点で学生相手に動けない伝に対して、試合に出ていない飛鳥が好き放題にサイドをチギる。それでもいつもと同じメンバーで挑み完敗。
試合途中で長崎のサブの選手が下を向いて諦めた顔をした。
メンバー固定化、交代固定化で自分がピッチに出られる事がない事を悟って・・。
さすがに炎天下の2部練とフィジカルトレーニングは周囲の意見もあり、すぐ抑え目になった。この時期には練習後に選手達だけが集まって戦術を話し合うようになっていた。
気持ちの切れた選手も武男さんや元気らがフォローして回っていた。アウェイ大分戦は、そのシンプルに話し合った戦術が東川さんの目指す方向と噛みあった試合だった。
KYU最後の頃には東川さんは余りポゼッション、ポゼッションと言わなくなっていた。
アウェイ大分戦のイメージが共有出来てたし、シーズンを過ごす事で東川さんの人間性は選手達も理解し、上手くやっていた。
それにKYU終了後は変に肩肘張らず、やや軽く見られてもコーチ的に選手と接するようにもなっていた。
それでも3つ問題点があった。
一つ目は実戦でイキナリ練習でもやっていない事をさせる事。
選手達に「何のための練習だ!」と不信を呼ぶばかりだった。
二つ目は試合中の余裕の無さである。
「自分で判断しろ!コーチングは無視しろ!」と指示を飛ばして送り出しながら試合中ずっと「そこライン上げろ!何でやらないんだよ!聞こえてんのか?」と怒鳴るという試合があった。特に試合終盤はその傾向がひどかった
3つ目は自身の意図を上手く伝達する術を持たない事。
意図を上手く選手に理解させる事が出来なかった。
(つづく)次回、その④でこのテーマ終り
2008年12月09日
ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー②
東川さんが、ほとんど選手人事に関与無いまま指導に入った事は前回書いた通り。
最初の紅白戦の布陣は2ボランチの4-2-2-2。
サイドバックは右が飛鳥と堀川、左が梶原と竹村。隅田はFW。
1週間後には隅田は右サイドバックになり以後は固定。1週間で右サイドバックの人選を終えたという事だろう。自身の現役時代のポジションでもありサイドバックは最重要ポストだった。
ここからは練習試合に入り連敗。最初の入り方で失敗してしまったと思う。
この時期に目指す方向を明示して、それに沿った練習に入ればよかったのだが、選手数不足や怪我人、練習試合の連続で出来なった。ポゼッションサッカーを目指しつつ、選手を見極めも継続中、怪我人が多い為に応急処置的な布陣も時に敷く・・
試行錯誤しながら結果に囚われる・・これが選手や関係者に悪印象を抱かせた。
「指導者としてはかなり厳しい。」
これはある選手が当時実際に口にした言葉である。
東川さん自身も、この時期は環境が余裕を奪っていた。
午前練習を行った2時間後に午後練習を百花台で始め、午後練習終了3時間後には諫早でアマチュア組の指導を2時間。それから車で自宅へ帰り、合い間にスタッフとしての仕事や、練習メニューの作成を行う。本当に全てを長崎のサッカーに捧げていないと出来ない生活だった。
この余裕の無さが選手に対する対応や戦術の柔軟性を失わせてしまった。
選手にも色々なタイプがいる。それら全てに東川さんは正面から正攻法で対処し、それに合わないタイプの選手は反発し、醒め、時に正面衝突する。コンバートの多さと起用の判りにくさも拍車をかける。更に多くの選手の予想に反し、見極める前に恭平を主将にしたのも痛かった。名前で選ぶのか?元Jで選ぶのか?っと考えた選手もいた。
結局、この時期に必死にフォローしてまわっていた元気や武男がリーグ直前に副主将になり、コンバートされた選手の半数以上が元に戻る事でギリギリの崩壊を免れたが、シーズン前を効率的に活用できなったという思いは拭えない。
この時期にチームで監督のフォロー体制を整えておけば、もっと有効にシーズンオフを使えたと思う。本来のチーム作りの手順を無視するようなスケジュールと状況は、長崎に来たばかりの東川さんにも酷だった。
全てが未知なリーグに、個性も把握出来てない上にバラバラのコンディション、怪我人、合流もマチマチだった選手達を率いる。九州リーグを理解している前監督はこの時点でも未だに無役職。過去の経験値を引き継げたと言えない体制が、東川さんの足を引っ張ったのは間違いない。
開幕戦から第7節までの布陣は4-2-2-2。
リーグが開幕してもポゼッションサッカーは機能しなかった。
時折パスの細かい交換と連動する動きがあり、リーグを戦い続ければ機能するのではないかと期待させる事はあってもポゼッションサッカーは機能しなかった。
ポゼッションサッカーは細かいパス交換と、選手の運動量が求められる。
4-2-2-2はこの白いエリアをどう埋めるかが攻撃の肝だ。
通常はサイドハーフが切れ込むか、ボランチ交互に上がったり、下がったりして埋める。武男、元気はそれぞれ核となれる選手だがそれぞれ、プレイエリア、運動量に若干の難がある。それをカバー出来る戦術眼とセンスはあるが、彼らの分をカバーするハードワークの出来る選手がいる。ところが、当初のスタメンにはそのハードワーカーが欠けている。
ボランチの片方が攻撃参加するのに時間がかかる。
サッカーの攻撃に於いて、時間がかかる=相手の守備が整うだ。
更に大塚がライン際を突破するサイドアタッカーであった事もあり、このエリアを長崎は上手く攻略出来なかった。山形恭平のキープはアクセントになる筈がベースとなる基本の攻撃が殆ど無いのでリズムを悪くするだけだった。
白エリアをチームとして攻略出来ないから個人技に頼る。
ここをどう攻略するか明示出来てない、スタメンとフォーメーション、戦術とのミスマッチ。
更に暑さが増してくると運動量が落ち、ポゼッションサッカーは単に手数をかけるだけの横パスの応酬状態になっていた。下位には機能するが、中位以上が相手になると青色吐息のサッカー。
リーグが進むにつれ選手起用への不信が大きくなり始めていた。
ギリギリで皆がそれを抑えていたのは順位が大きく出遅れる事がなかった為である。
堅守と選手起用。東川サッカーの大きな長所と短所がこの二つだった。
(つづく)
2008年12月08日
ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー①
東川昌典監督の率いた08年のチームは1つのタイトルも獲得できなかったが、JFL昇格という絶対目標を見事に達成した。この目標達成は他の全てのタイトルを合せても叶わない程の成果であり、ノルマだ。
それを達成した東川監督は文字通り「結果を出した監督」と言えると思う。
素晴らしい!長崎で結果を出した監督という肩書きは永久に色褪せず、クラブが続く限り、「昇格を成し遂げた監督」として語り継がれていくと思うし、そうしていきたい。
しかし、内容の検証無しに、ただ結果だけ見て評価をするのは余りに短絡的だ。
それは「AはBより得点が多いからAがBより常に上」と言うようなもので、Bの数字に出ない貢献やAへのアシストを切り捨てる考え方と同じだ。
物事はトータルで考えるべきだと思う。
以下は俺が見てきて、俺が感じた東川サッカーだ。
まず、前提としてスタッフの決定順を示す。
昨シーズン3位に終った数日後にはチーム内の会議が行われ、岩本文昭監督の解任、外部より監督を招聘する方針が打ち出された。当初予定はS級監督。しかし、監督招聘は難航する。
結局、「JFLまではA級で良いのだから、S級に無理にこだわる必要はない。若い選手達の待遇とか考えて欲しい」という意見が武男さん達から出て、方針転換。
その流れで監督候補であった勝矢氏からの紹介で東川さんが候補に上がる。
この時点でチームが彼に求めたのは人間性のみ。
07シーズン前に監督招聘が難航して1月まで決まらず、ある事務方をして「S級ライセンスさえあれば○○でも良い」みたいな焦りとなって、手腕も人間性も確認せずに監督を招聘して失敗した事件の唯一の教訓。
ここまでの間、選手補強はどうなっていたかと言うと・・
岩本現事業部長が行っていた。
当時は監督を解任され何も役職はない。
福岡を解雇された大塚が入団の打診をしてきたのも岩本さんの携帯にだし、地域決勝を終えた川崎元気に声を掛けたのも岩本さんだ。山形恭平はJ2から話が来ていたのを情熱で口説き落とした。
更に残留について悩んでいた選手を説得したり、引きとめていたのも岩本さんだったりする。繰り返すが、この時点で岩本さんは役職無しだ。地域決勝等へも自腹で行っていた。現地で岡山の堤と話をしたり、関係者と話をして色んな情報集めも行っていた。そういったチームの基礎が済むのが年明け。
この頃、岩本さんは退職も含めてチームに全てを捧げる覚悟を決め、チームもJrユースの監督っという椅子を考えていた。しかし、このJrユースチーム構想自体、色々あって頓挫したり、停滞したり、時期を選ぶ為に先行きは不透明だった。
俺がこの時期に再三、ブログで岩本さんにしかるべき役職に就けるよう訴えていたのは、こういう事情があったからだ。チームのベースを作る上で岩本文昭がどれ程動いていたか判るだろうか?同時期、事務方トップであった森さんはチームを去る決意を固めており、この時点で無役職の岩本さんにかかる重圧は大きかった。
これらの動きがようやく落ち着くのが1月の半ば。
中村さんが強化部長となって選手強化の任に就き、東川さんも来崎する。
以後、重さんは予算をオーバーしない範囲で補強を進める。
つまり・・東川さんは選手獲得に対して殆ど関与なく、与えられた選手のみで指導をするという環境だった。後に「コンバート癖」とサポーターに言われる程のコンバートの嵐は、自身が関与出来なかった選手人事の為であり、止む得ない面もあったと思う。
合流当初、選手数は15~6名だった。
しかもコンディションはバラバラで怪我が治ってない者も多い。
東川さんは走りこみをさせながら、怪我人は自己申告をすれば自主練習やリハビリをさせていた。この怪我人への配慮は当初、走り込みをしている者からすれば「怪我さえ申告すればサボれる空気を作る」っと反発もあったし、確かに少し過剰に申告してる選手も見られたが、結果的に怪我人の減少につながった。
人柄的にも人間性の良さは色んな所で太鼓判を押されていたので安心していられた。
それが揺らぐのは2月に入ってからとなる。
(つづく)
2008年12月05日
田上渉
以下は俺の個人的な感想であり、考え。
例え人様から「立場を考えろ」と言われてもサポーターが一人妄想しても構わない筈だ。
田上渉が評価されないならこのチームの基準はおかしいと思う。
V・VAREN長崎創設以来の試合で俺が公式戦とカウントしている試合は116試合だ。
その試合で田上渉は105試合に出場している。歴代最多出場だ。
しかも渉の場合、その殆どがスタメンフル出場だ。
07年に途中交代したら、それが新聞記事になった程だ。
得点は11得点。アシストは17。警告は8回。退場が1回。
2005年にはゲームキャプテンを務め、06年には九州リーグMVPを獲得している。
07年には国体の主将を務めた。今年はアマチュア契約ながらプロ契約を片っ端から押しのけてレギュラーを務め、怪我で欠場の予定だった全社でも急遽、病欠の選手の代役として怪我を押して参加した。
これを戦力外とする理由が判らない。
勿論、渉が最高の選手という訳ではない。
Jで本当にやっていくには肉体を1ランク上げる為の抜本的な改造をやらないといけないし、自分で自分の長所やセールスポイントを声高にアピールする事や自己演出も必要だ。性格的に本来タイプでなかろうが、我の強い選手達と一緒にやる以上は、そういう面は必要だし、もっともっとリーダーシップを前面に出さないといけないとは思う。
プレイ面でも持ち前のゲームセンス以外にハッキリとした武器を身につけていかないといけない。それは渉がこれから直面する壁だし、正念場だ。
だが、そういった面を引き出す為にも、チームは正統な評価を下して欲しいと思う。
今年、プロ契約になった久留がしっかりレベルアップしたようにね。
本人が望むなら、プロ契約として正統に評価して、その額が不満なら渉は出て行けば良い。高いか安いか判断するのは渉だ。例え馬鹿みたいに安くても、チームがプロとして渉はそれだけの価値しかないと判断したのなら、それがチームの渉の評価だ。
だが、0提示とかしておいて、バリバリの主力として起用するような事を繰り返していては選手評価に正当性がない。
試合に1番出た。貢献もした。昇格もした。
それでも上を目指すだけの評価がないのなら・・
2005年からいる選手は随分と少なくなった。今年は更に減るだろう。
たった4年・・たった4年で片手にも足りなくなった。
その頃から見ている人間なら全員同じ事を考えた事があるだろう。
・原田武男とJのピッチに立つ事。
・田上渉と一緒にJに行く事。
契約更改がどうなっているか俺は知らない。
少なくとも渉がどうなってるのか微塵も知らない。
普通に考えればJFLに上がってもすぐに経営が楽になる訳じゃないし、厳しい契約更改になるだろうとは思ってる。でも、何も知らない今だからこそ、正直に書いておきたかった。
渉を俺と一緒に上に行かせてくれよ!
2008年12月02日
僕の石垣ライフ
木曜昼過ぎに福岡へ移動して石垣へ飛ぶ。
石垣空港着。
過去にブログで散々、「ズレてる」と言ってきた宇都宮徹壱氏をホテル近くまで送る事になりやや微妙なスタートの石垣だ。雄二さんとササキさんに連れられて我々のベース基地であるキャンプ場へ向かう。街灯なんて見えはしない。目印は「ちょっと薄暗い方から、もっと真っ黒い方向へカーブ」とか「大きな白い木の所」というネイチャー全開な場所だ。
地元食材を自炊した夕飯を食べて就寝。ササキさんが夜中に部屋のド真ん中の電柱に激突し「うぁいたー!!!!!」と叫ぶ等、アバンギャルドに夜は更けていく。ちなみに石垣はキャンプ場のおじさん曰く「異常気象」という程の2月並の寒さで、セーターを着たおじさんに「寒くない?」と言われる。
会場の「あかんまサッカーパーク」はこんな感じ。
他の色んなブログも書いているが、会場の構造上、観客やらサポーターなんぞ知りませんって感じの運営を行う一方で取材には10万単位の金を要求するわ、グッズを売り出して儲けようとするわ、ヤクザのような運営だったとだけ言っておこう。
ただし、「余ったから売ってしまえ」的発想で限定30着だったスタッフジャンパー。
こいつはナイスグッズだ。2500円。記念ではなく寒いから皆買っていた。
あっと言う間に売り切れた。
あと芝の具合もメチャクチャ悪く。ハーフタイムにはボランテイァが30人くらいドワーっとピッチに雪崩れ込んで、めくれた土や芝を踏み固める状態。隣の練習用グランドの方が全然マシで初日から「明日はあっちでやらせてくれんかな?」っと声が上がっていた。
さて、今回の地域決勝では自分の中で色んなケジメをつけないといけなかった。
この筒の中に入っているのは諫早の練習場の土だ。
土のピッチ、ベンチで着替え、時にはスタッフの車のライトを照明代わりにしていた諫早のサッカー場の土だ。一番、俺らを見てきた土だ。もう一個、持っていった諫早の土は初日の試合前にこっそりピッチにまいてもらった。 代わりに石垣の土を詰めて、福岡に出迎えに来ていた晋にやった。
この帽子は一番、現場を見てきた帽子だ。05年の練習場からずっと。力及ばず昇格ならなかった現事業部長は土壇場で「長崎に自分が残る」事を選択した。残って仕事をする為に。Senji君と共に「せめて1部だけでも体感させてやってください」と託された帽子だ。この帽子が持ち主の元に戻るのは、いつか遠い日に大事な試合の記念碑的試合の時になるのだろう。それまでは大事に節目節目を体感させながら俺が預かる。
石垣2日目の町田戦の帰り道、皆で寄った店に「八重山手帳2009」という手帳を見つけた。中身はこれ一冊で八重山の全てがわかるという物凄い地域密着手帳だ。長崎県民手帳の比ではない。過去の八重山のあらゆる出来事を網羅した歴史書であり、手帳であり、記録であり、統計なのだ。
例えば去年の11月27日の手帳欄には「市出身の出盛允啓医師が健康講演会で老化防止アドバイス」とか11月28日に「県文化協会賞で宮良ハツさん受賞」とかローカル過ぎる話題がすぐに判る。
その余りのローカルさに惹かれ買った。翌日、八戸が点を取った。
「ヤエつながり」なので、そのまま空港でサインを貰った。
圧倒的にレアだ。究極のレアコラボだ。
前に全然試合出てない時とかスタンダードで「八戸を取り上げたい!」と主張して八戸を高く評価する原稿を書いた身としては鼻高々だ。ササキさん等は、「東川という監督は八戸をあの試合で起用するためだけに長崎に来た人なのではないだろうか?」と言っていた。
確かにそうだ。何かがあるとは思っていても、あれを予想は無理だ。
だって、試合後に代表がいくら長崎に居る人に電話で「八戸が点取った」と言っても冗談だとしか思われず、スタッフの俊輔君も「八戸?俺と一緒に鳥取でスカウティングしてた八戸?」っという有様だったのだから。
八戸に神が降りたとしか言いようがない。
深夜に長崎に戻る。
勿論、選手を代表して挨拶したのは神様八戸だ。
まぁ、地域決勝を終えJFLに昇格する訳だし、色々あった石垣だけど・・結局は
天然な人間には何やってもかなわねぇよ!
って事だ。
ちなみに今回の地域決勝に際して、他チームから映像等の提供要請を受けた三菱重工はそれを断り、長崎昇格を後押しした。一丸となっての昇格だ。