2007年07月24日
九州国体前の練習
っと言う訳で
7月21、22日に渡って行われた国体九州ブロックを制したもう「一つの岩本長崎」。
13年ぶりってのも凄いな。
その国体代表チームはV・ファーレン長崎の選手に重工の選手5名を加えてた訳だけど、練習はV・ファーレン長崎と同じ諫早のサッカー場。
ウチの練習は総司さんが見て、国体は岩本さんが見るという形式。
18日はウチのプロ+久留、堀川のチームと国体チームで試合だったんだけど・・
ウチの渉と重工の安部のボランチコンビとか俺的にツボ押し過ぎ!
あと、備品の都合でウチのユニフォーム着てる詰坂とかレアやね。
何気に贅沢な試合だった。
ちなみに国体の試合の方は石川曰く
「近藤が日本代表の川口に見えました」という位のスーパーセーブ連発だったらしい。
良い意味での気分転換にもなったんじゃなかろうか。
2007年07月22日
ウエキ☆ダンス
気付けば1週間もブログを書いてなかった訳だけど・・
書く事がなかったのではなく、書く暇が無かった。
別の書き物をたった今までやってたから。
昨日は
「ウエキ☆ダンス」in弁天白浜でした。
仕事終わって向かったのが19時過ぎ。
機材はトラブルが続出し技術者主任のモロさんはエライ苦労していた。
光灯機は熱い。潮風って怖いね。
恵美ちゃんのフットワークの良さに救われた。
結局30名は超えたと思う。水田月満も顔を出してくれた。
栃木のアウトドアの達人振りと気配り、
雄二さんの追加食材などはとても有難く感謝と感激だった。
トラブルも多かったけど、
楽しもうという意識を持ってると最終的には絶対楽しい!
っと言う事を確認出来た。
やっぱ好きでやってるのって一番強いわ。
最後の写真は夜の海で見えた謎の光。15分程で消えた。
不思議だなぁ。^^
2007年07月16日
鹿屋遠征記
起床は2:00だった。
とりあえずシャワーを浴びる。
ススムが3:00に迎えに来た。そのまま尚太郎を迎えに出発。
3:30に気配を消すのが上手い尚太郎を拾い諫早へ移動して坂井君を回収。
勉強熱心な若手が科学雑誌を読み漁る。
日が昇ったのがこの営業を放棄しているSA。
この後続く連続のトンネルが睡魔との闘いの始まり。
睡魔に打ち勝った一行に「220号線崖崩れの為に通行止め」との連絡が入る。
やむなく10号線から504号線に入る山越えルートを選ぶ。
忍者の里のような山道を通り抜けた我々は無事鹿屋に到着でござるよ。
メイン以外は見事なフラット!
競技場には既にジョーとそのお父さんが!!
ジョーは小3だが、すでに色んな物を身につけているし、礼儀もしっかりしている。
意識が信じられない程高い末頼もしい逸材だ。
そして、そんなジョーをある程度自由にさせながらも、しっかりフォローするお父さんも素晴らしいと思う。まさに徳育だ!お父さんは佐世保からジョーを乗せて一人で車を運転してきたと言う。もう仲間だ。
ダンマクを貼る場所に困った我々はペグの代用として100円ショップで割り箸を買いペグ代わりにして地面に打ち付ける。
すると突然尚太郎がハードル目掛け走り出した。
前回、トンビ戦に福岡へ自転車で乗り込んだ彼の魂は試合前の興奮を抑え切れなかったのだろう。
駆け抜ける彼は、この後は貴重な水をガブ飲みしていた。
試合後、オフィシャルのツアーと別れた我々は温泉で汗を流す。
温泉の前で歓喜する東南アジア系の若者。
(注:プライバシー保護の為に目線を入れています)
帰り道、通行止めが解除されていたという220号線を通ってみた。
この後、我々は鹿児島まで来て「浜かつ」で食事をとった。
ご飯のお代わりを10人前頼んだ。5人前は尚太郎が一人で喰った。
キャベツも尚太郎は2人前喰った。無論、肉も喰った。
会計の時にV・ファーレン後援会について尋ねると何も知らなかった。
まだまだ周知が必要だ。
ゆっくり温泉に入り、食事を取った我々一行は3時間半で国分から長崎へ戻り解散した。
九州リーグのサポーターをやっていると沖縄を日帰りしたり、鹿屋を日帰りしたり距離感が変になっていく。
2007年07月02日
若手の正しい行動原理
尚太郎は良くなった。
最初はヒドイもんだった^^
挨拶は出来ない、礼も言えない、自己主張はしない、笑わないetc・・。
散々下準備が済んだ後で直前になって「○○してください」と言い出したり・・。
それが次第に変わってきて
挨拶したり、礼を言ったり、冗談言うようになったり、率先して動くようになったり・・
そして今回の福岡行き。代表が車に乗せていくと言うのに
「激安プランがあります」と言うので何かと思ったら、
「長崎から福岡まで自転車!」
前日の20時くらいに家を出て12時間。俺達が福岡に着いた時に奴は自転車と居た!
しかも地図上の直線距離を取った為に三瀬峠超えをしたと言う。
帰りは誰かの車に乗せてもらおうと思ったらしいが、誰も乗せられなかった場合に備えて自転車で戻る準備もしていたらしい。その場合、帰宅してそのまま学校行く為の着替えを持って来ていた。
男だ!漢だ!
帰りは車に乗せて飯を奢った。
一番高い組み合わせを頼みやがった^^
高速から三瀬峠を見ながら、あらためてこの若手のハートに感動した。
感動の余り前日2時間しか寝てない晋が遠征往復の車を是非運転させてくれと懇願したほどだった。坂井君も「俺がいつでも運転は代わる!」と指をポキポキならす程テンションを上げてくれた。
何故、途中経過とか連絡しなかったのかを尚太郎に訪ねると
「最後まで一人でやってみたかったから。」
確かに連絡すれば誰かがフォローに出向いたかもしれない・・・
「尚太郎!車って早いやろ?」と言うと
「ハイ!車って良いですね」と満面の笑みで応えた。
若手の行動のハードルを尚太郎がグンと上げた。次の若手は大変だ^^
2007年07月01日
何かの話
九州リーグ第14節「七隈トンビーズ」戦。
今日の試合は色んな要素がウチの苦手な方向に出た試合だったと思う。
暑さ、湿度、石川・渉の離脱、人工芝といった事に加えて
中盤のバランスが崩れた時にある程度「リスク」として覚悟していた今のシステム上の守備の弱点が顕在化し、七隈の戦い方がそれに嵌る形となってしまった。
流れ的には負けても不思議じゃない程のゲームだった。
それでも勝点3を手に入れた最大の要因は「気持ちの強さ」と思う。
単に第3者視点で見れば
「まだ勝負時に投入出来る選手が残っていた長崎」と
「もう残っていなかった七隈」の差ろう。
でも、そういった差すら今日の試合、今の時期の試合は簡単に覆す物がある。
最後まで切れない心を持っていた事で最後に差が明暗を分けた。
今日のような試合はまだ当分続くだろう。
良くも悪くも今年の長崎はそうなる。
だが、それを乗り切った時が本当の長崎の姿となるだろう。
武男さん、裕哉は本当に頼りになった。
依然として長崎には2人の王がいる。
そして、王の座を狙えるだけの選手達がいる。
そして長崎の選手には「切れない決定的な何か」がある。
そしてそれは今日の様な試合を勝つ事でさらに強固になる筈だ。