2011年02月28日
原田武男
少し上体が前かがみで走る癖。
踏み込んで蹴る時は蹴り脚と逆の手の平がピンと上がる。
相手をブロックしながらボールを受ける時はやや脚を開いて首は素早く1回振るのが癖。
キャプテンマークを巻いている時は、ズレが気になるのか何度も腕章を引っ張りあげる。
俺の街が誇るスーパースター。
KING・原田武男!
気持ちの良い『愉快な仲間達』に見送られて最高の区切りをつける。
世界中に自慢をしたい。
世界中に色んな引退セレモニーはあったろう。だが、原田武男ほど”彼が信頼し、彼を信頼する”最高の友によって送られる選手はそういない。
2011年02月21日
がまだす最終日
日曜はV・VAREN長崎の開幕戦への準備をやっている友人達が「善行を施す日」として心身修養を行っていると聞いたので手伝いへ行く。
他にもこういう「善行を施す」方々が居ればドンドン手伝いたいものだ。
ちなみに正義の味方ソゲキングのお面はミフゥーには大不評で単に「なまはげ」が何かした見えなかったらしく大泣きさせてしまう。
昼からがまだすへ。
長崎とすれば中山に一旦ボールを当てて、山城が動き回って絡んでいくっと言うのを目指したんだろうけど・・中山の位置取りもボール出すタイミングも、味方が上がってくるタイミングもまだまだ全然出来ていなくて・・前線の足元への放り込みという珍しい攻めになっていた。
中盤のボランチ2枚も役割分担が不明確で面白いように鳥栖の中盤の餌食となった。
あと橋本は完全に戸惑っている感じ。インターハイとかで昔見た頃の自信というか安定感が随分大人しくなっていた。
選手個々の能力は高いが、まだまだこっからのチームだなと感じた。
山城は動きがとてもキレていた。アリみたいにバランス考えて動いていたけれど、その為に後に下がりすぎて攻撃が1枚足りない部分も見えた。ボランチなら安定はするんだろうが・・。
佐野さんもまぁ、こっからと思ってるんじゃないかなと。
その後は、皆で「待望の嬉しいニュースなのに鬱状態になりかけている位にテンション低く・・フェードアウトしようという気満々の晋」の話題などをしたり、夢の新薬の話をしながら長崎氏へ戻り・・歌を歌ったりして過ごす。
ずっと多忙だっただけに久々に気楽で楽しい日だった。
2011年02月16日
幻の2008年JFL昇格Tシャツ
【VVN記念展 初心回帰】の話題をあと一つ・・。
実は個人的には今回のイベントに際しては「これまでのグッズの保管状況を確認する」と言うのも目的の一つに考えていた。クラブ内でもトロフィー等の重要な物はともかく、ちょっとしたグッズの管理は担当者が歴代変わっていて、引継ぎがしっかり行われいない為に、「よく判らない」という実態だった。今回初めてリスト化作業が大々的に行われたんだと思う。
さて、そんな歴代のグッズの中で、クラブ史に残るメモリアル的な物がある。
これは判る人は判るだろうが・・2008年シーズンのJFL昇格を賭けた石垣島での地域決勝大会決勝ラウンド終了直後に、武男が身につけた物だ。
石垣島で買ったというTシャツに阿部ちゃんが歴代所属全選手の名前を書き入れて完成した正真正銘のオンリーワンの代えの効かないメモリアルグッズだ。
今回の記念展の目玉の一つとして当然これを探した。
しかし・・クラブ、武男は所持していなかった。どうも現地でのバタバタの中で誰かの手に渡ったままらしい。
これほどのメモリアルグッズが行方不明と言うのは悲しい。
クラブも武男も探してくれたが見つからず、こちらでも当時、石垣島へ行っていたウルトラや知り合いの人に声をかけたが誰も所持していなかった。
もし、たまたまこれが手元にあるという人が見ているなら・・よければ所在だけでも連絡してくれないだろうか?
これは本当に長崎のファンみんなにとってとても想い入れの深い物で、昇格後は多くのファンが「あのTシャツを量産すれば絶対買う」と言った程の一品で、クラブ史にも残る本当に、本当に大切な物だ。
出来ればクラブなり武男なりの手元にあって欲しい物だが、せめて所在だけでも確認させてほしいなぁと思う。
2011年02月14日
VVN記念展とランタン出店と怒涛の1ヶ月
11月にシーズンが終ってからの3ヶ月と言うのは正直怒涛のような忙しさだった。
12月は支援会としての活動に加えて大量退団に伴う色んな事があり、息つく暇もないという感じ。1月に入って少しは余裕が出来ると踏んでいたのだが、輪をかけて忙しくなった。
中でも、ここ1ヶ月本当に一杯一杯だったのが先日長崎県美術館で開催された『V・ファーレン長崎記念展 初心回帰』の準備だ。
1月に支援会から提案して以来・手配・運営・準備を開始。本来なら2月前には一般の人向けに運営ボランティア募集や展示品募集をお願いする準備を整えていたのだが・・色んな諸事情があって実際に行動が開始出来たのが開催1週間前。色んな人が毎晩のように夜を徹しての作業のお陰でなんとか開催する事が出来た。支援会としてやれる事はやった自負はあるし、沢山の善意の協力者も力を貸してくれた。その為に支援会の各担当責任者にはかなりの消耗と負担がかかった事は記しておきたい。
クラブには今後、これら”支えている人達”の存在に目を向ける、思いやる運営を忘れないで欲しい。何度も消耗や負担を善意で無理をやってもらえる訳ではないのだから・・。
イベント自体は2日合計で1000名近い入場者が来てくれた。
会場の関係上、グッズの販売などは出来なかったが会場で2日で年間パスの予約申し込みもあり、ケーブルテレビの中継や告知、新聞取材もあり、告知期間を考えると最高クラスの結果だと思う。取材に来たマスコミの人とも話したが、県選手権のトロフィーや全社優勝トロフィーなどを一般の人がこんなに間近で見るような機会は県初だそうだ。
企画・提案・運営などでここまでクラブ外が主体性を持って運営したイベントは他では聞かないとも言ってもらった。武男や竹村といったOB参加も本当に華を添えてくれた。
来場、本当にありがとうございました。
さて、このイベントと並行して行われていたのが・・はち蔵のランタン出店だ。
いつも本当に世話になっているので、去年からこの出店を勝手連的に手伝っている。
出店の間、空いているはち蔵の店の中で記念展の準備作業も毎晩やって、空いた時間に手伝いに行く。記念展の最中も皆で記念展と出店の両輪をしっかり行う。
たなかさんや、栃木らもヘルプに来たりする。個人的には記念展が終って肩の荷が下りた昨日の日曜日は特に楽しみながら手伝えた。山頭さんと竹田さんの仲良しコンビも来たり、記念展ではやっちんや洋介さんや坂井君も来たり・・気付けば片っ端から友人と遭っていた・・そんな怒涛の期間を終える。
義務も仕事も最低限は既に果たした自負がある。だから、今後は少し疲労や消耗を回復する自分の為の、友人の為の時間を作ろうと思う。そっちが楽しみだったりする。
2011年02月09日
スパイクを脱ぐ男⑤ 竹村栄哉
竹の現役生活は中々に波瀾万丈だ。
高校卒業後に旧JFLのフジタ(現湘南ベルマーレ)入り。(現在のJFLは新JFL)Jが開幕するとチームはベルマーレに変わり竹もJリーガーになった。平塚-水戸・・そして99年にJ1昇格を悲願とするJ2大分へ。そして99年の大分は悲劇として名高い。最終節、勝てばJ1昇格のホームゲーム。1-1から相手が退場者を出した。だが大分は1点を奪えず引き分け昇格失敗。この試合でFWを務めていたのが竹だ。
その後、大分は3年連続でJ1昇格に失敗し、竹は2002年大宮へチームを移す。そしてその年、大分はJ1昇格を達成。昇格決定試合の相手は大宮。逆側のピッチにいる竹はそれをどんな気持ちで眺めていたのだろう。2004年には鳥栖へ移籍しMVP級の活躍を見せ、06年に解雇・・そしてトライアウトへ。
フジタから数えて7チーム目が長崎だ。長崎がまさに混迷に入っていくその時に竹はやってきた。
ベテランでありながら偉ぶらず、手を抜かない竹が信用を得るのに時間はかからなかった。若い選手の愚痴を聞きアドバイスを送る。そして選手としての凄さは08年に集約される。当時のコンバートが行われる中で、竹は新境地を開拓してみせた。それまでの繊細なボールタッチとスピードが武器のアタッカーから、ハードワークが信条のタフなボランチへ。この年、JFL昇格の主力としてシーズンを駆け抜けた。
翌年、竹はチーム事情から左SBへコンバートされ、そこでも充分に適応を見せた。だが2009年8月9日・・後ろから当たられた竹は倒れて立ち上がらなかった。
「怪我したのが判ったんで・・その瞬間に引退ってのがよぎりました」
左膝十字靱帯にメスが入る。
阿部ちゃんが当時、ブログで書いているが靱帯は1度切れると昔のような強度は戻らない。強度不足をカバーするには筋力が必要となる。だが、怪我の前からトレーニングは積んでいるサッカー選手だ。それに筋肉をつけ過ぎればスピードは落ちる。スピードを落とさず、今までより筋力をつけるのは並大抵の事ではない。
当時、竹の負傷についてブログに書いた事がある。そのすぐ後に練習場で会った竹はこう言った。
「ブログ読みましたよ。あそこに書いてある通りですよ。俺はもう長崎の竹村栄哉ですよ。どこにも行かない。」
怪我からの復帰には1年近くを擁した。帰ってきた時、多くのファンや選手がブログやコメントで竹の復帰を喜び讃えている。それがそのまま竹の存在価値の大きさなのだろう。
去年の12月2日に竹は解雇通告を受けた。その晩に逢ったが竹は一言も怪我を言い訳に使わなかった。思えば7チームを渡り歩き、J1、J2、旧JFL、新JFL、地域リーグ・・5つのカテゴリで戦っている。プロ、フットボール・・色んな経験をしている。泣き言なんて言わず笑える強さが竹にはある。
「どういう形であれ長崎に残りたい!俺は色んなチームでやってきて、最後にここに来て、チームとサポーターの距離や関係・・皆の熱さとか見て、こんなチームが日本に一個くらいあっても良いじゃないかって思うんですよ。だから、俺は長崎から出ていくなんて考えてないし、絶対に残りますよ。」
20年に及ぶ現役サッカー生活。終わりを突きつけられても真っ先に口にしたのは選手としての未練ではなく、長崎残留宣言。
竹に対して酷かもしれないが、それを聞いた時に本当に嬉しかった。
竹は今、フロントにいる。
1月に偶然会った時、「まだ名刺もできてないんですよ」そう言って竹は笑った。
竹は長崎の為にまだ走っている・・スパイクを革靴に履き変えて。
追伸
2月11・12日に長崎県美術館でV・ファーレン長崎の7周年を振り返る記念展”初心回帰”をやる。両日共に10:00~11:00、竹村栄哉来場。
2011年02月08日
写真の凄み
山頭さんはカメラマンとして自分のセンスと技術だけで生計を立てている。
組織化し、効率性を追求し、マニュアル化してもなお会社が立ち行かなくなる社会の中で我が身とカメラだけで人生を生きている。それは何気に物凄い事だったりする。
そんな山頭さんはV・VAREN長崎のオフィシャルカメラマンとしてずっと写真を撮影している。クラブに提供される写真は公式に掲載される為に一定のくくりと言うか基準がある。試合やチームに関係のない写真はドカドカ出せないし、選手が映っていない練習場の風景なんかも出せない。でも、練習場の何気ない風景とかも実はクラブの大事な歴史だったり雰囲気だったりする。
今回の「V・ファーレン長崎7周年記念展 初心回帰」にあたって、山頭さんはそんな公式では中々取り上げられない写真を60枚以上提供してくれた。
それを見た人間全員が感嘆の声を挙げた。
「やっぱ、山頭さんってスゲェんだ!!」
オフィシャルカメラマンとしての責任やくくりという制限をかなりとっぱらった写真達を是非、記念展で見て欲しい。そこには昨年末にかきどまりで退団選手を中心に開催されたラストゲームの写真もある。プロの写真家がリミッターを一部解除して撮った写真の凄さを見てもらいたい。急遽、その写真を前面に出すコーナーも作った。
ここでしか見られない写真・歴史・風景を見て欲しい。
V・ファーレン長崎7周年記念展 初心回帰
2月11日:10:00~20:00、2月12日:10:00~18:00
長崎県美術館2Fホール
入場無料
2011年02月04日
V・ファーレン長崎7周年記念展 初心回帰
2011年3月13日はJFL開幕戦。
V・VAREN長崎は長崎市かきどまり陸上競技場でジェフリザーブズと対戦する。
この3月13日と言う日はV・ファーレン長崎というチームのスタートの日だったりする。
2005年の3月13日にチーム名とチームカラーが決まった。
新体制になってリ・スタートを切ろうとする年の開幕戦・・それもホームがその記念日に当たるなんて多分、滅多にある事ではない。
そこで・・【V・ファーレン長崎7周年記念展 初心回帰】が開催される。
このイベントにはV・ファーレン長崎支援会もボランティアとして全面協力、長崎県美術館も協力する。
日時:・2月11日(祝・金)10:00~20:00 ・2月12日(土)10:00~18:00
会場:長崎県美術館2Fホール
2005年から2010年までの歴史をグッズや写真で振り返り、2011年チームの紹介コーナーも設置。ヴィヴィ君写真撮影会もあります。
ヴィヴィ君写真撮影会
2月11日(祝・金) 10:00 14:00 を予定。
展示物は2005年から2011年までのポスターや歴代ユニフォーム、公式グッズやサポート企業の歴代グッズ、後援会歴代グッズなど「えっ?こんなのあったの?」なアイテム。
更に2011年チームコーナーでは新チームの情報が!
他にも現役、過去問わず選手達から提供してもらったグッズやスパイクを展示し、会場ではオフィシャルカメラマン山頭氏をはじめとする写真が常時スライド上映。
歴代フリーペーパーやオフィシャルマガジン、更にはVスナ全カードもなども。
サプライズゲストも来ます。
2月11と12日は長崎県美術館へGOだ!