2014年08月04日
2014 J2第25節 長崎vs.岐阜のこと・・そして伝えたいこと
前半から長崎は高いDFラインと前からの激しいプレスでボールを奪いって攻撃し岐阜を押し込んだ。
だが、FC岐阜GKの川口君は一旦調子を掴むと恐ろしいほどの集中力を発揮するタイプで、
この日がまさにそれにあたりタイミング良く飛び出してはゴールを守り続ける。
これにPKで先制点を与えたことで岐阜に落ち着きを与えてしまい、
ATには前がかりになった裏を取られ・・2失点目を喫し試合終了。
試合後、ゴール裏へチームが挨拶に行った時、高木監督がゴール裏に何かを話していた。
話した内容を間接的に聞きはしたが、直接聞いた訳ではないのでここに掲載は控える。
ただ、その後、ゴール裏はこの日一番と言って良いほどの高木琢也コールを送った。
試合後の会見で、監督に一連のゴール裏のやりとりを踏まえてどんな気持ちでコールを聞いていたか質問した。
監督の答えを要約すると、
「サポーターを喜ばせる事が出来なくて申し訳ない。その中でも声援を送ってくれるのは本当に有難い。
でも、自分らはプロなのだから、サポーターのそういう気持ちに甘えては申し訳ない。」(要約 了)
プロには色んな物が求められる。結果、内容、魅せる・・その中にはファンを元気にするというものもある。
そのプロである自分たちがファンを励ませずに励まされるのは申し訳ないし、
プロなのだからサポーターを元気付けるような結果をださないと・・という気持ちがあるのだろう。
取材の中で、チームがどれほど勝つために色んなものを賭けて集中して激しくせめぎ合っているか見ている。
そしてプロであるからこそ、誰よりも厳しくストイックに結果にこだわっている事も、
結果を厳しく問われる事を覚悟している事も・・そんな強いプロであろうとしている事も知っている。
一方でゴール裏にはゴール裏なりの理念や考えがある。彼らは応援屋ではないので、
ある意味でアマチュア(ここで言うアマチュアとは金銭授受が無いという意味で意識などのことではない)だ。
具体的な対価を受け取らないアマチュアだからこそ、対価は自分の中の抽象的なものとなる。
それは「やり甲斐」や「勝利の満足感」や「周囲の仲間との連帯」などで・・。
その為にプロとは考え方で若干の差が生まれる事もあり、
クラブが求める応援と、サポーターがやりたい応援には若干の違いが生まれる事も多い。
その違いを認識して互いが自分の信じるものを高いレベルで成そうとするのが互恵であり互助だと思う。
ゴール裏で応援を主導するウルトラナガサキは原則的に自チームにブーイングをしない。
応援としてのブーイングは高度な方法で、やり方一つ間違えれば色んなものを壊す事もある。
ブーイングが応援として成立するには強固な両者の信頼関係や高いプロ意識などが条件としてあり、
「金を払っているから言って良い」的なものでは成り立たない。
ウルトラは今年で10年目だが、ブーイングについては過去に何度も団体内で議論した。
当時のチーム事情などもあり、その時に出した結論は
「自分のチームにブーイングするエネルギーがあるなら、もっと応援のクオリティを上げる事に使おう」だった。
その代わりに試合後、個人が自分の気持ちをチームにぶつけるのは自由とした。
団体としてではなく。個人として面と向かって言えということだ。
勿論、この結論は当時のチーム事情やウルトラの歴史の中で出来上がったものなので、
スタンドにいる長崎のサポーター全員に強いるようなものでもないし、
ブーイングをやりたいなら必要と思った人がやればいい。
いつか、ウルトラも団体としてブーイングが当たり前に出来るような時代も来るかもしれない。
ゴール裏に居た頃に何度も言ってきたことだが、サッカーの応援なんて90分死ぬ気で声出しても、
ピッチ上では選手に半歩足を出させるかどうか・・それが1試合に1回あるかないか程度の影響しかない。
「俺が勝たせる」・・当時はいつもそううそぶいていたが、それは心意気の話で、
ベンチからのコーチングの声なんかの方が遥かに影響力を持っている。
でも、もしかしたらその数試合に1回選手の出す半歩が得点につながる・・失点を止めるかもしれない。
全力尽くしてそれだけの影響力と低確率だから、手を抜けば何の効果も無くなるし、
物凄くちっぽけな希望だからこそ、それに全力でしがみついた。全力じゃないとすぐ無くなる程度のものだから・・
それがゴール裏に居た頃に持った自分のプライドであり、誇りだった。
それは今も強くウルトラ内に残っていると思う。
だから、ゴール裏は万雷の高木琢也コールだったのだと思う。
チームもスタンドも悔しくない訳はない。みんな本当に悔しくて仕方ないだろう。
この日はクラブが毎月1回必ずやっている定例会見の日で、原田武男U-18監督/トップチームコーチ
が率いたJリーグU-14選抜のゴシアカップの報告とアカデミーのついての会見があった。
原田監督はチーム創設の時に加入して以来、クラブの絶対的な柱であり続ける人だ。
2010年にプロを引退するが、フリューゲルス解散や長崎での昇格断念など通常では無い経験をしてきた。
「片足でも良いからもう一度だけJリーグに立ちたかった」
「今、Jリーグでプレイしている選手たちを・・羨ましいと思う気持ちがある」
引退後に話を聞くとそう答えている。
原田監督が率いたU-18は昨年、選手が10名もおらず、出場する大会では大敗の連続。
だが、今年は、全国へあと一歩まで迫り、昨年大敗した相手も破ってみせた。
U-18県地域リーグBでも無敗で首位を走っている。
原田監督は「自分のサッカー人生でも初めてと言うほどの大敗もしたけれど、
その経験が自分たちにも選手たちにもあるから・・今があるのだと思います」と語った。
会見で寺峰ユースダイレクターは「東京五輪の代表に一人は選手を送り出したい」と夢を語った。
3度JFL昇格に失敗した4年目のKYUリーグだった2008年、天皇杯予選の県選手権で三菱重工に敗れた時に、
「このチーム・・今年昇格しなきゃ潰れるかもしれないんだよ。潰さんように精一杯やるからさ、
腹立たしいやろうけど・・俺がそんな事言っちゃいけのやろうけど、あなた達の力が必要なんだよ。」
と言った岩本専務はその夢を・・会見場の後で静かに聞いていた。
長崎は今日も雨が降っている。先週もずっと天気が良くない。今週も雨ばかりだと言う。
止まない雨は無いなんて書く気はない。でも、虹だとか肥沃な土だとか雨が作る物もある。
土から芽を出す花がとても美しく咲く事がある事や虹がかかるかもしれない事を僕らは知っている。
勿論、誤った道を通っているなら幾らでも声をあげる。抗議もする。批判もする。
だが、勝てない中でも展開してきたサッカーやチームの姿勢に対する評価が試合後の大声援を作ったし、
ゴール裏の10年の歴史が試合後に大声援をあげる道を選ばせたと思う。
苦しい時代が今ある希望を作った。
ライターになろうが、観客になろうが、僕は今もそのちっぽけな希望を信じている。
人からバカにされようが、罵られようが、全力で自分が信じた希望にしがみつく。
それはクラブが出来た時からのプライドであり、誇りなのだ。
喜怒哀楽・・全てがクラブと共にある。悔しくて幸せで、悲しくて楽しくて、
寝ても覚めてもフットボールは僕らを夢中にさせる。
2014年03月25日
超巨大横断幕 Mi vidaについて個人的におもうこと
僕がまだULTRAに居た2008年とか2009年だったと思う。
「デカイから重くなってパラシュート生地じゃなきゃ持たない」
「業者に頼めば数百万単位で金がかかる」
とか、はち蔵で話した記憶がある。でも、当時は、(いつか作りたい)くらいの気持ちだった。
この超巨大横断幕の話が本格的に動き出したのは、僕がULTRAを辞めて1年ほど過ぎた頃。
「ヒロ、オラショよりでかい幕ばいよいよ作るけん」と雄さんが言ったのを覚えている。
2012年には具体的な大きさやデザインの話も聞いた。
正直・・当時は本当に完成するかは何とも言えなかった。難しいとすら思った。
もしかすると、当の雄さん達ですら100%出来上がるとは思ってなかったんじゃないかと思う。
今の賑わいからは想像もつかないだろうが、
2012年の途中までULTRAとか応援は本当に良い目にあう事がなく、辛い環境だった。
人の懸命さを理解出来ない人間達に
「お前らがいるからJにいけない、盛り上がらない。人が来ない」と陰口も叩かれた。
僕がULTRAを卒団するのはその状況を何とかしようと言う思いだったが、
それはULTRAから見れば仲間が一人欠ける事も意味した。
だから、特に2011年、2012年の途中までは本当に大変だった。
実際に、ホームゲームの前夜に余りに状況が非情で過酷で救いが無くて泣いていた人を知っている。
それも・・一人や二人ではなく・・。
そんな中での超巨大横断幕製作開始。
そんな状況だったから何か前向きな事をやらなきゃ耐え切れなかったのかもしれない。
「数年がかりで作るさ」「無理に完成させんちゃ良かさ」・・
この言葉は単なる冗談でなく、本当にそうなっても構わないという言葉だったんだろう。
2012年から製作に入ったMi vidaは、
休みのたびに集まってチクチクと塗ったり、幕を広げたりしながら細々と作られた。
実は、俺のこだわりに付き合ってULTRAが解散を検討した2012年末は
全制作費を雄さん、聖子さん、Senji君、美由紀さんらが負担した上でお蔵入りしようとした事もある。
ちなみに2006年製作でMi vidaの前までULTRAで一番大きい幕のオラショは材料費のみで20~30万。
その数倍のMi vidaの制作費は推して知るべし。
2013年の3月にテスト披露した時は協力者の人数も少なく、
とても開幕戦で広げられる状態でない事が判明した。
2014年のMi vida作業は風を幕の中から逃がす”風穴”作りが主だった。
ULTRAの幕の作業場所である琴海の体育館は今年、中々ゆっくり使用出来ず作業は急ピッチで行われた。
でも、去年から少しずつ集まって協力する人も増えた。
Senji君がよく「結構、いっぱい手伝いにきてくれるんで、だいぶ楽なんですよ」と言っていた。
聖子さんは「色んな人の来てくれるとさね、それがうれしか」と笑っていた。
2005年にULTRAが作られて、2006年、2007年は本当に楽しいばかりだった。
冒険の日々って奴で、一緒に何かをやる人も沢山いた。
今のULTRAを仕切っている雄さんやSenji君みたいなのが
10人以上いるような状態と思えば賑わいが判ると思う。
ULTRAの中心メンバーだけで20人くらいはいた。
(かわりに周囲にいる協力者が少なかったけど(笑))
それから時間が経って一人減り、二人減り・・自分の新しい道を見つけて進む者いたし、
何も言わずに自然消滅のように離れた者もいた。後ろ足で砂をかける様な人もいた。
僕がULTRAに居た頃から今もいるメンバーはもう5人ほどか?
ユーダイが初めて応援に来た頃にSenji君が「若いのが来たんですよ」と言い
僕が「若手は長続きせんからなー」と返すと、「いや、この子はしっかりしてるんですよ」と
物凄く嬉しそうに言っていたのは2011年だ。
今年のMi vida製作作業の横で必死にトランペットを練習していたタケルも1年前は居なかった。
ジェフ戦でMi vidaが広がったのを見た時に色んな物がフラッシュバックした。
仲間が抜けて行く度に哀しそうにしていた顔や、
ホームゲームの前日に「試合に行きたくない」と泣いていた人の顔、
俺が我を通そうとした時に、「ULTRAも解散して一緒に付き合いますよ」
と言ってくれた時の彼の顔、
今でも僕やAYUMIに「いつでもゴール裏に帰ってきて良かとぞ」と言って笑う顔、
我が人生の意味を持つMi vida。
その名の通り、Mi vidaは雄さんが代表を引きついでからのULTRAの歴史・・人生そのものだと思う。
本来のMi Vidaには文字付きでデザインが入る。
でもインク代だけで数十万はかかるという事で、まだ何も書かれていない。
「一年ごとに一文字を入れていきましょうか?」
「でも、それで1年目に”長”とか入れて放っておいたら意味の判らんぞ」
その会話は数年前の「数年がかりで完成させれば良か」と言ったのと余り変わらない。
彼らの・・我が人生は多分もうちょっと続くのだろう。
そして、デザインが付いた時のMi vidaが披露された時・・今度、僕は何を思い出すんだろう?
2013年09月26日
今の長崎の応援を見てておもうこと
Jリーグに上がって一番増えたのがファンの数だろう。
今年になって「2005年から応援しています」とか仰るこれまで全然見た事が無い人が
次々と現れて「ヴァンフォーレと勘違いしているのかな?」と思う事もあり、
中には「有明SCの頃からサポーターだ」と言い張る存在に矛盾がある人まで出てきている程だ。
だが、大半の人は本当に新しく出来たJリーグクラブ「V・ファーレン」を
愛してくれているので非常に嬉しく微笑ましい。

上の写真は2010年のシーズン中の写真で、まだ俺がウルトラでバスドラを叩いていた頃の物。
今と比べて数は少ないが、これでも当時は人が多く集まった方で、普段やアウェイの試合ではこんな感じも多かった。

ちなみに先日行われたホームの神戸戦ではこんなだ!すげぇ!!

雄さんが何故かちょっと切なそうな顔している(笑)何故か苦みばしった顔で格好良くてムカつくぞ(笑)

そして赤丸中のコータに至っては豹柄だ。

「大阪のおばちゃんやろ!」と声をかけたが本人は「違うっすよ」と否定する。
大阪のおばちゃんで無ければ「ネコネコの実 モデル”豹”」のバッタモンを食った人だ。
そして若手のトップである大島造船の英雄”晋”も2年ぶりくらいにULTRAに帰ってきて頑張っている。
まぁ、30過ぎて所帯持ちが若手もないと思うのだが・・、

それでも帰ってきた晋の格好良さを写真に残そうと思ったのだが・・

*プライバシーを考慮して目線をいれています。

O友晋さんは頭の薄さが若手じゃなかった。
*プライバシーを考慮して氏名の一部をイニシャルにしています。
そんな彼らに率いられ、毎試合こんな感じでドワってなってると楽しいなと思う。
ただ、今のスタジアムは90分一緒に応援する人間は多いが、
その為の準備や撤収作業をやる人間はとても少ない。
実際に余りに手が足りずにOBとなった俺が手伝うことも少なくない。
彼らは決してそれに文句を言わない。
ULTRAはそういうのをガタガタ言わないと言うのがある。
でもね、誰かが準備したものに乗っかるだけ、終わったら去るだけって・・
遊園地のお客と同じだと俺は思う。
時間がない人や考えがある人もいるだろうし、やれと言う気はない。
でも、気付いていないだけで一緒にやる気がある人がいたら、一緒にやってみてはどうだろう?
きっとそれまでとはもう一つ違った何かが感じられるかもね?
2013年05月20日
2013 J2第15節 長崎vs.京都 のこと
観客は4,000人弱で予想以上の数字だった。
この日の長崎市は、試合前にはあがったが早朝から猛烈な雨で、長崎市内のほぼ全部の中学校が運動会。
雨と中学校運動会という強烈なワンツーパンチ。
更に会場である柿泊は、メイン以外は芝生席で、屋根は「選手」「メディア」「VIP」席で全て占められ、
S席ですら屋根無しのベンチ(鳥のフン有)という状況。
オマケに何度か霧が立ち込め、昨年のJFL公式戦濃霧中止の記憶が過ぎるという有様。
もはや、ワンツーパンチどころか、漫画「はじめの一歩」のデンプシーロールを喰らうようなもので、
「まっくのうち!まっくのうち!」と声援が聞こえても不思議ではない。
そんな状態で4000弱入るあたりに今の勢いを感じる。
晴れていて、運動会が無ければ・・。
5月頭に支援会で来場者アンケートを行い、現在集計中なのだが、
V・ファーレンのファンの居住地層はJFL時代と大差なく、
長崎市の割合が郡を抜いているので、その辺も影響していると思われる。
(集計結果はまもなく公表予定)。
この試合では、フリーペーパー「ナガサカ!」の第2号を発行した。
今回は「おかえり!田上渉」号なのでOB記事の割合が多め。
今のファンには少し物足りなかっただろうけど、V・ファーレンの歴史を理解してほしい。
今の選手も必ずOBになるのだから。ナガサカは配布1時間弱で700部全配布終了。
サンクスでした。次回は6/29アビスパ戦で出します。
さて、試合。
確かに京都は余り特徴を出せなかった。
失点したFKのシーン以外に決定的なシーンを与えずに長崎の方が決定な流れは作っていた。
警戒すべき京都の山瀬、安藤も目立たせず、良い形で三平、横谷にボールを渡さなかった。
だが、最後まで京都のDFを切り崩せなかった。
特に京都のCBバヤリッツアは翔馬1対1では徹底して押さえ込んだ。
それでも色んなパターンで対抗した翔馬はさすがだったけどね。
個人的にはバヤリッツアが翔馬のマークに着くのを利用して、
翔馬がサイドに流れ、京都のCBの中央にスペースを作り、そこに小笠原が走りこむ・・
でも京都は田森や工藤がスペースを埋めてやらせない・・的な仕掛けあいが非常に楽しかった。
また、京都がゴール前のボックス内に密集して守る姿に
「やっぱり、今の長崎は強いんだな」と思った。
とは言え、今年の京都は「良いゲームの時は勝てない。悪いながらも負けない」的な試合が多いので、
全体的に京都が1枚上なのだなっと。
あとはやっぱりアリだ。ただ、アリについてはやっぱり得点してこそいっぱい書きたい。
アリ=得点なのだから。
試合後、記者室で原稿を書いて外へ出ると皆が待ってくれていて「リンガー食べいきましょう」。
リンガーとサーティーワンに寄る。
俺は先週、髪を切ったのだが、センジ君も髪を切っていた。
俺とセンジ君は雰囲気が似ているので、普段からしょっちゅう間違われる。
センジ君のお母さんどころか、センジ君の嫁、美由紀さんまでが間違ったりする。
先日、元三菱重工の林田鷹志と飲んだ際も「最初は区別がつかなかった」と言っていた。
それが髪を同時に切るなんて・・最早、鏡ではないか?
ミラーゲームだ。ギャップを作らないといけない!
しかもセンジ君は今度ヒゲを剃るという。ますますミラーゲームだ。
鏡の中のマリオネットだ。
是非、ギャップをつける為に眉毛も剃り落として欲しい。
2013年04月23日
応援の分裂・場所についてのULTRAの言葉
小さい事に反応したり、声高に業績を誇ったりするのは余り好ましくない。ずっと、そう思っている。
でもそう思わない人もいるようで、「好きに書いて」「あんな事まで書いて良いの?」と言われる。
では何故、俺は今も大手を振って支援会の運営委員長をやり色んな企画を実践しているんだろうか?
「癒着だ」「圧力だ」ともっともらしく言う人もいるが、誠に惜しい事に俺にそんな権力は無い。
つか、権力があったらブログに書かずに速攻で対処させている。
つまり、俺が書くのは書ける範囲のギリギリ迄で、それ以外は書いていないと言う事だったりする。
ぶっちゃけて言うと、俺がブログに書く事は俺の知っている事、思っている事の1割にも満たない。
一々全てを公表する必要はないし、書くには波紋が大きいと思っていたからだ。
でも、そうやって8年間やってきた結果、無言部分を都合の良く解釈し、放置し、省みず、誤認し・・。
現在の応援問題について説明するには数時間が必要なほどに理由は積み重なってしまった。だから、
この問題に関して問われても、短い時間で上手く説明出来る事はもう俺達には出来ない。
でも、今回の件があって、俺達は話す事にした。
俺はもうULTARを卒団した身だが、現在の分裂応援含めての問題は
大きく2つの原因があり、そのどちらも俺がULTRAに居た頃からの問題だ。
それを放置し解決出来なかった、そして、それを助長してしまったのは俺にも責任がある。
今日からSenji君がULTRAのブログで数回に分けて事情説明を書ける範囲ギリギリで行う。
都合の悪い事を端折ったりしない。夕べの夜中まで皆で話していたが、
こんなのを一々書いて説明するのは格好悪いような気するらするのだが・・
その結果もっとみっともない事になっている現状がある以上、不恰好でも書いていく。
誠心誠意書く文章だ。
週末までしっかり読んで欲しい。
ULTRA NAGASAKI WEST END公式ブログ
俺達は口を開いた。言う事、書く事の責任は追う。
Senji君はこの件の為にこの数ヶ月本当に振り回された。
雄さんは腹をくくった。
俺達は昨年「プロの責任」と横断幕を出してフロントのやり方を問うた。
あれから6ヶ月弱・・。もし成績が低迷していれば高木さんは責任を問われたろう。
あの時、俺達が問うたプロの責任に今のV・VAREN長崎はどう応えるだろう?
2013年04月17日
応援のYOSAKOI化
ご神体や五穀豊穣を願った類のものではない為に踊りは自由にアレンジされていった。
そのよさこい祭りに影響を受けて始まった
YOSAKOIソーラン祭りにいたっては更にバリエーションを増やし殆ど創作ダンスの世界に突入する。
最近はYOSAKOIのダンスのレベルも上がったが、YOSAKOIはプロのダンサー曰く
「それまでのダンスの主役は技術の高いダンサーだった。
でもYOSAKOIは素人が主役(になったような気分)になれるイベント。
だから多くの人に受け入れられ広まった。」
良い悪いではなく、「ダンサーによる舞台」を「皆が参加出来る場」にしたのがYOSAKOIなんだと思う。
かつて・・ゴール裏なんかの応援は”知っている人間”が中心だったりした。
ネットもない時代ではチャント(応援歌)の歌詞やメロディはスタジアムで覚えるしかなかった。
トヨタカップの時に海外のサポーターの歌うチャントを録音したり、メモしたりして覚えた時代もある。
タムやスネア(太鼓)のリズムも、コールを使うシーンの選択も、
教えてもらうと言うより見て盗むと言う職人的な世界だった。
現場に足しげく通い、色んな経験を積んだ者がコアなサポーターになっていった。
iphoneでも何でもそうだが、新しい物は最初はマニアや通の間で広まる。
そこで色んな活用や試行錯誤の末、
コア向けの「レベルは高いけれど判りにくい機能」や「癖の強い機能」は排除され、
機能性や個性より判りやすさに変化して一般に普及していく。
同じようにJリーグが出来て20周年・・最初はコアが先導し、
コアによって形作られた応援は今では一般向けに判り易さ、参加し易さを重視した物となっている。
「皆でここは手を上げて振りましょう。」
「この歌の時は皆で手を回しましょう。この歌詞の時は手を広げて選手を呼ぶ感じで・・」
スタジアムのゴール裏で聞こえてくる声。
マフラーを回したり手を頭の上で叩く、飛び跳ねるといった応援は昔からある。
でも今のJリーグほど、動きをあわせた応援を取り入れている応援はそう無いと思う。
ここ数年は海外のリーグを観にいってないので今の海外は知らないけれどね。
最近、色んな会合や会議にお呼ばれしてV・VARENやサポーターの事、
応援の基本を話す機会が多いのだが、異句同音に言われるのが
「そういう事を知らないから、どんどん教えて欲しい」と言う事だ。
ずっとそういう物は習うより馴れろで覚えると思っていたので意外に感じるが、
一般化する上での「判りやすさ」とは「習う」と同義語であり、
よく考えると不思議でも何でもない。
応援は今後一般化が進み、YOSAKOIのような
誰もが参加し、誰もが主役のようになれるスタイルへとますます進んでいくだろう。
それはサッカーの応援という新しい物が徐々に大衆化されている事を意味する訳で、
俺の個人の思い入れや応援へのポリシーなどはともかく・・決して悪いことではない。
昔の応援は云々・・と言うのは
「最近の若い者は・・」と同じくらいに意味がない言葉でだろう。
多分、縄文人も未来人も「最近の若い者は・・」と言ってるだろうし・・。
別にこの記事は意図も何もなく、村上アシシ氏のサポーター本やら読んでから
ツラツラ思っていた事と書いただけなので、特段のオチもまとめもない。
なので、皆も鮮やかに読み飛ばしてほしい。
最近の若い者はすぐに裏読みして陰謀論を作るので予防線は張っておかないとね。
まったく昔はこんなじゃなかったのに・・
2012年01月05日
La Nagasaki マフラー増産
昨年Team V-istで作成したオリジナルマフラー「La Nagasaki」

60本という超少数限定で完全受注生産で作ったのだけど・・発売日にめでたく完売。
その後も問い合わせが多かった為に急遽30本増産。
30本と言っても実売は25本程度。
受注本数と使用カラー、デザイン、材質全部を考えると破格の値段設定。
両面でデザインが違うって普通ない訳で・・。
実際、普通に採算を合わせようと思えば5,000円が妥当なのだけど、
V-istは営業目的ではないので、俺らの利益を削りまくって販売中。

デザインをやる時に徹底的にこだわったのが・・「長崎」である事。
V・VAREN長崎というクラブの実体は
「長崎という俺達の暮らす街」と「世界の共通語であるフットボール」のコラボ。
フットボール抜きにV・VAREN長崎は存在しないし、長崎抜きではV・VAREN長崎である正当性は無い。
それを念頭に美由紀さんやらamoamoさんやらAYUMIやら美咲ちゃんやら松崎君やら・・
V-istメンバーで、あーでもない、こーでもないと議論しナベさんがデザインして完成。
スタジアムで、普段使いで、どがんすか?
注文は注文本数、名前、住所 連絡先、受け取り方法(郵送・手渡しいずれか)を明記の上
info@v-ist.net
まで。
料金の場合は手渡しの場合は3800円。郵送の場合は4300円。
手渡しの場合、手渡し場所は原則、競技場や練習場となりやす。
さぁ、ながさきれ!
2011年12月20日
俺がULTRAだった頃
優遇されている、癒着しているなんてデマを広める輩もいたがそんな真似は一度もしなかった。
だからこそ、クラブに対してこれだけ文句言って、実際に衝突した事があっても、今の立ち位置にいる事が出来ている。
ウルトラだった頃、何度も得点シーンを見てきた。でも選手が得点して俺らの方にアピールしたのは7年間で10回ちょい位。それも半分以上が2005年や2006年に集中している。
J昇格断念の時に事情を全て知っているだけにハラワタが煮えくりかえっていた。
それでも、これ位で応援辞めたりしない、一緒に立ち上がろうぜと言う意味を込めてシーツにスプレーで「大丈夫!」と書いた。色んな感情を押し殺して応援しようという気持ちだった。それを見たある関係者が「大丈夫じゃないんだよ!甘いよ」とはき捨てたと後で聞いた。
決定機を外した選手の名前を呼んで応援し続けたが試合に負けた。
その選手が凄い形相だった。皆で「あいつは得点出来なかった悔しさを感じてるんだろう。」と話した。その選手が俺らに向かって「かかって来い!かかって来い!」とキレていたのを他の選手がなだめていたと後で聞いた。俺らはなぜ彼がキレるのか判らなかった。
あとで他の人から聞いた。
ウルトラから離れた所で見ていた人が決定機を外した選手をかなり厳しく野次ったと。その選手はそれをウルトラが言ったと勘違いしたらしいと。それでも最終節まで俺らは彼のコールで手を抜かなかった。
ウルトラは青とオレンジのパラソルを持っている。その数は100本。
ウルトラは誰かに援助してもらっている訳じゃないので全部自分らで金は手出しして買った。たしか・・7~8万だったと思う。応援道具としてのパラソルだ。日本ではマリノスがやっている。チームカラーのビーチパラソルをクルクル回すのはアルゼンチンではメジャーなやり方。
これなら声出すより、飛び跳ねるより参加しやすいと思った。
それでも強制はしたくないから「日よけ代わりに使ってもらっても構いません。でも時々で良いから応援で一緒に回してください」と言ってから周囲に渡した。でも半分以上の人は回さない。それどころかまだ配っていないパラソルを無断で持って行き、返すときも黙って置いていく。投げて返す人もいた。ヒドイ時にはメインの人に「パラソルを持ってきてくれ」と言われた。壊れて返されたのもあった。
昔、諫早でマリノスと試合をした後・・色んな人に
「マリノスは沢山応援する人がいた。あんなならんば!人数が少なか。あいじゃ駄目」と言うような事を言われた。その人は一度もバックスタンドはおろか声を出して応援した事もない人だった。
「じゃぁ一緒にやりましょうよ。バックスタンドに来てくださいよ」と言うと
「それは僕の役割じゃないから」と言われた。
俺がウルトラやってた頃はこんな話ばっかりだ。
俺がウルトラだった頃は、それでも別にこんな事を話す気もしなかった。自分の事だから・・黙って飲み込んでいた。俺は去年でULTRAを辞め、今は支援会やらV-istやらやっている。
それでも、相変わらず「えっ??」って事を言われる。
今年、開幕戦でマスゲームをやりたいと提案した。
今はいない関係者に「何度かやってるし、飽きました」と言われた。マスゲームよりチームのタオルマフラーを買って掲げる応援をしろと言われた。過去に何度かそれは呼びかけたが長崎では根付いていない奴だ。それはチームが率先して取り組まないと駄目じゃないですか?と言ったら、そういうのはサポーターの仕事だ。さも協力が当然という顔で言われた。
今年、佐世保でマスゲームをやるのでスタンドの子供に呼びかけたら青とオレンジのジャージを着た子供達に「一人ですれば」「やりたくありませーん」と言われた。ブチ切れようかとも思ったがゲームを壊したくなかったのでグっと飲み込み・・隣に座ってそんな子供に注意もしないコーチに「協力お願いしますね」とだけ言った。
きっとULTRAもまだそんな話だらけの中にいるんだろう。
2011年10月08日
何の為の祭りなのか??
さて天皇杯だ。非常に楽しみなばかりだ。何故そう思うのか?
それは今の長崎にとって祭りだからだ、TVの30分アニメが劇場版になる「ドラえもん のび太の○×」みたいな。劇場版はドラマチックだ。困難を前に暴君ジャイアンは頼れる力持ち、嫌味なスネオは知恵者に、グータラのび太は勇敢な少年となる。
だがこれは劇場版だけが許される展開だ。普段は(稀に例外はあるが)ジャイアンは凶暴で、スネオはズルく、のび太はグズだ。ドラえもんはこの設定で成り立っている。暴君・嫌味・ドジ無しにドラマは起きない。
V・VARENの日常とは何か?ホームに存在する事だ。人口140万の県民所得全国44番目の過疎化の進む街に存在する事だ。
V・VARENの現平均観客動員は約1500。この1500が入場料を払い、買い物をしクラブへ流れていく。アウェイで数万人がV・VARENの応援に来ても観客動員・売上げにはならない。
ここで岡田武史前代表監督の言葉を紹介する。
「ファンはお金を払って感動を買う。サポーターはチームと共に闘う中で感動を得る」
共に闘うとは何か?
俺は時々こう言われる。「それはサポーターがやる事じゃない。」、「試合の応援が本分でクラブの決定に口出しするな。」、「声出して飛ぶ奴だけがサポーターじゃない!」。
ではサポーターがやる事とは何か?
サポーターが他競技のファンと最も違うのは「試合観戦者ではなく試合当事者」である事だ。サポーターはクラブと自分を同一視する。「俺らの誇り」「俺達長崎」。チームの当事者であるサポーターの闘いは自然とクラブの目標と重なる。試合・運営・地域に浸透していく事。
当然だ。V・VARENは”長崎に根ざしてフットボールを展開する”為に作られた。それを支持したからサポーターになった。”試合の応援さえしていればOKという考えは、選手が試合だけやればOKと言うのと同じだ。
長崎と言う街に対して何が出来るか?
フットボールで何が、フットボールに対して何が出来るか?
これがV・VARENの目指す事であり、これを継続する為にビジネス化や良いフットボールや地域密着をしようとしているのだ。
クラブ作りは箱庭作りに似ている。クラブの枠組みを作り、その中に付加価値を飾り付けて運営していく。大きくなる時は、それまでの枠組みを壊して外部から新しい風を取り入れる。これを繰り返して発展していく。
どんなクラブにも土台の枠組みは存在する。だが上を目指す時に枠組みを壊して広げざるえない。Jを目指すクラブがフロント中核に中央やJから人を招く事が多いのはその為だ。だが長崎は小嶺先生という巨人が存在した為に外から招かないでJFLまで来れてしまった。その為に長崎は常に箱庭の問題を内包していく事となる。
クラブもその問題を打開すべく色々な手を打ったが最終的に痛みと引き換えに新しい風を取り込む事を選択した。
俺は昨年、アウェイのスタンドへ長崎の応援を呼びかけた、俺を知る人間が見れば意外に思うほどに。最初のアウェイでは関東在住のULTRA2名以外は誰も一緒にやらなかった。それでも俺は呼びかけ、「関東には応援文化がある。」「アウェイの方が楽しい」と公言し続け、最後には15名を超える人間が一緒にやるようになった。新しい風を取り込めたと思っている。
現在、クラブは新しい風と共に2度目の箱庭作りを行っている。アウェイの応援も次の段階へ向かう次期に入る時だ。
こないだのアウェイは”長崎”を応援する人以上に選手を応援する人が多かった。選手を応援する人を長崎を応援する「長崎と共に闘う者」に変えて行く事が肝だ。
せっかく生まれたエネルギーはちゃんと対象(長崎)へ向かわねば消えていく。アウェイで長崎のファンになったら次は・・たまにでも長崎へ試合を見に来るようになってほしい。
現在、長崎でくんちがあっている。
TVで見て、他県のイベントに参加した蛇踊りを見て、くんちを体感したと思われると踊町の人間として不本意だ。くんち期間中に実際に長崎に来て体感して欲しいと思う。
選手の出身地は様々だが、クラブにいる彼らは全員、俺の長崎だ。クラブとは選手・フロント・ファン全てが含まれる。出身・居住地はではなく”長崎と共に闘う”かが問題なのだ。一人でも多く”長崎と闘う者”にする事が俺が目指す物だ。
願わくば”新しい風”を”次”へ切り替えて欲しい。少なくとも人を先導しようと言うなら、そこを強く意識して欲しい。
明日の天皇杯は劇場版だ。
きっと頼りになるジャイアンや知恵者のスネオがそこかしこで見られるだろう。それで良い。
だが、あくまでも劇場版だ。そこで終われば自己満足だ。
俺達の日常は2週間に1度、長崎の地で行われる。長崎に興味を持った人に1人でも多く長崎の地で長崎を体感して欲しい。
2011年03月10日
敢えて言おう!
に続く演説シリーズ第3弾!
我が忠勇なる長崎県民よ。
昨年所属選手の半数が年末の大量解雇によってクラブを去った。
この洒落にならん状態こそ我ら長崎がJを目指す苦しさの証である。
決定的打撃を受けたファンの心に如何ほどの傷が残っていようと、それでも週末は開幕である。
敢えて言おう、
準加盟チームだけは絶対邪魔する!
それら軟弱の集団が、このV・VAREN長崎を抜くことはできないと私は断言する。
J2は、我ら選ばれたJ2専門種族化しつつある九州人で占拠されてこそ、初めて地方(主に九州)チームが生き延びることができる。
これ以上、東日本のチームが昇格すれば九州そのものの危機である。
Jに行けそうと浮かれている者どもに思い知らせてやらねばならん。
今こそ長崎は九州の未来に向かって立たねばならん時であると。
ジーク・長崎!!
2010年12月02日
15名退団の報に寄せて
彼は俺に言った。
「フロントもサポーターも俺ら選手も皆が変わらなきゃいけないようになったんだと思う。いつまでも同じでは上には行けない。これから、みんなが変わって行かなきゃならんと思うんですよ。上に行きたいのなら、変わっていくべき時なんだと思う。」
個人的にはこれに関して心情的に何もないと言えば嘘になる。
だが、彼の言う事が正論でありその通りだ。
さすがに15人というのは中々にアレではあるが、05年は20名くらい退団したし、エースが抜けるのも何度も経験した。原田武男に対して特別な思い入れはあるし、強く思う事はあるが、それは俺の個人的な事でチームの判断が”悪”なんて思わない。
これからも退団騒ぎはあったし、これから先もずっとある。
その辺に関しては馴れている。だが、痛みを耐えていても痛いものは痛かったりする訳ではあるが、それもひっくるめてフットボールクラブを応援するという事だ。
(このままじゃ駄目だ)
そう誰もが思った。変わる事が求められている。
変わると言うのはこういう事だ。
楽しい変革、楽な改革なんてありはしない。
その覚悟もないまま「変わらなきゃ」なんて言っても、それは改革ゴッコだ。
クラブは変わろうと一歩を踏み出した。
それが正しい変化がどうかは未来が決める。今じゃない。
そして、その変化は当然、フロント自身にも行われるはずだ。
クラブが責任を持って、来期以降のチームを作り出す判断をした。
あとは結果で考えてやれば良い。
怒るのも褒めるのもその時にすれば良い事だ。
ただ、去っていく選手には
本当にお疲れ様!
と言いたい。
彼らが退団する事に言いようのないショックを受ける・・それ位に好きな選手・・そんな彼らと遭えた事、そんな彼らが長崎のチームに居た事に本当に幸せを感じる。
俺を幸せにしてくれて、ありがとう。
特に原田武男と竹村栄哉の2人には言いようがない程の気持ちがある。
俺をとびきり幸せにしてくれて、ありがとう!
彼らの今後について希望する事は多々あるが・・まずは彼ら自身がどうしたいのかを尊重したい。
正直、これだけ選手が退団したり、原田武男のいないV・VAREN長崎が想像出来なくて、先を中々、考える事は出来ないが・・今、俺の目の前には最終節で回収した観戦者アンケートが数百枚ある。来期の運営の効率化や合理化をすすめ、地域密着を言葉じゃなくて実践する為のアンケート・・。
だから、俺はそれを集計する。ただ、ただ、集計しまくる。
それが今、俺に出来る事だから。
俺がクラブの側にいれば・・
今まで去って行った71人の選手、そして今日の15人の選手・・彼らを語り継いでいける。
だから・・俺は彼ら86人の気持ちと一緒にJリーグを目指す
2010年11月29日
2010JFL最終節 長崎vsジェフRのこと
例によって試合内容については期間限定をどうぞ。
さて、最終節だ。
今回の最終節ではV・ファーレン長崎支援会として観戦者アンケートとボランティアアンケートを行うので1ヶ月以上前から準備を進めていた。アンケート作成、1000部準備、回答してくれた方へのプレゼント準備、回収ボックス、クラブとの打ち合わせ、回答率を上げるための添付用筆記具の準備・・。
アンケート作成やらにおいては10月30日のアウェイ流経大で行ったアウェイアンケートがとても役に立った。
協力してくれた方、ありがとうございました。
集計結果・・意見は提言として支援会を通じてクラブにしっかりと届けました。
最終節アンケートのプレゼントは東洋軒さんが「そういう事なら」とV・スナカードを快く提供してくれた。
本当にありがとうございました。
1000部印刷、筆記具添付、回収ボックスの作成は周囲の人の無償協力。試合前夜のはち蔵で最終作業まで皆が手伝ってくれる。
皆の善意が・・
(あぁ、俺は生きてるのではない、生かされているのだ)と悟りを開いたかのような気分になる。今ならガンジーやマザーテレサとも話が合いそうだ。
翌朝、8:00にかきどまりへ。
もの凄く寒い。ミーティングでボランティアの主だった方へアンケートの説明を行う。
その後、待機と準備をしてサザンクロスリーグを観戦・・
の予定だったが結局、アンケートの準備の為に一切観戦出来ず、スタジアムを走り回る。
ViStaのVol.5号も到着し配布準備。更にスタジアムを走り回る。
途中やっと飯を食べながらスタジアムの様子を見る。アンケートもViStaも順調だ。
アンケートの作業をしていると色んな方が「ブログ見てます」、「いつもアウェイで太鼓叩いてる方ですよね」、「サイト頑張って」、「ガタガタ言うだけ奴はどこの世界におると、そがんとに負けんごと」と様々な声をかけてもらう。実にありがたい。
あぁ、俺は生かされているのだ。
今なら心を込めてジョン・レノンの名曲イマジンを歌えそうだ。
まぁ・・試合はね・・うん。
ラスト応援と決めてやった身として厳しいことを言わせてもらえば・・
戦略とメンタルで劣ってしまえばどれだけ個の力が上回っていても勝てはしない。「J昇格断念の余波」が大きいのは判る。だが、J2に上がれば数年はJ1に行くために力を蓄えないとならない。J2で10位代をウロウロするだろう。その時に「J1に行けないからメンタルが落ちた」、「J1という目標がないから勝ちきれない」という理由は通用しない。
町田は同じ条件でありながら長崎より上の順位にいる。長崎に3-0で勝った。
昇格断念が影響している事は充分理解している。だが、クラブは言った筈だ
「昇格は出来ませんが、応援よろしくお願いします」
昨日、昇格が無くなっても観客は試合に来た。
応援をした。手なんて抜いていない。気持ちを集中もさせた。言った当事者達だけが「昇格断念の余波が・・」と言うことは通じない。
敗戦の度にチームは言う
「今悔やんでも結果は変わらないんで、気持ちを切り替えて・・」
敗戦で切り替えられるのならば、試合の間だけでも来期の事や昇格断念を切り替える事も必要なんじゃないのか?
そんな感じだ。
最後に選手が挨拶に来た時だけ、タムを晋に任せた。
選手が頭を下げるのにあわせて一緒に礼をした。
さて、試合中にJFLに昇格してから使い続けてきたマレットが折れた。
ネジ部分からポッキリと。すぐに予備に持ちかえて最後まで叩いた。
折れたマレットをどうしても捨てる気にならなかった。
俺と一緒に応援を終えるのも悪くない。俺以外の奴に使われるのが嫌だったんだと勝手に解釈する。
メインに回ってアンケートを回収するとプレゼントのV・スナカードは在庫切れ、更に続々と集まっていた。本当にありがたい。ありがとうございました。
片づけを済ませ、手伝ってくれたボランティアに礼を言ってバクスタへ戻る。
最後なんで俺とうえきさん中央で山頭さんが写真撮ってくれると言う。
んで・・シャッター切る瞬間に・・
大量の生卵と小麦粉で祝福された。
髪も服も顔も卵と小麦粉だらけになった。
みんなのメッセージやら握手やら拍手やら・・。
ありがとうございました。
書いてて何だが・・感謝してもし足りない、もの凄い感謝の気持ちを表現して伝えたい時に何と表現すれば良いのか判らない。やっぱり、「ありがとう」しかない。
それが実にもどかしい。
最後のミーティングやって選手やら関係者と少し話し、ファン人気が絶大な福嶋洋や佐藤陽介と写真を撮って話しながらフト・・気づいたら沖縄で買ったお守りが割れていた。
このお守りは琉球瓦で出来ていて割れると願いが叶うと言う。
前の時はKYU時代にJFL昇格を願い・・割れて昇格した。
今回は別に深く考えてなかったので適当な願いをしていた。
ちょっとこっ恥ずかしい願いだ。叶ったのか叶わなかったのか判らない。
その後、帰宅して皆と飯を食べに行く。
食べに行く時に靴を見たら靴底に穴が空いていた。
この靴はJFL昇格の年に応援の時にはくように頑丈そうなのを買った奴だ。
JFLにあわせて買ったマレットが折れ、靴も逝った。
タイミングが良すぎと言えば良すぎる^^。
最後の試合は勝てなかったが・・それも過去6年の歴史を考えるとらしいと言えばらしい。
・・俺にしては上出来だ。
ちなみに・・俺が琉球瓦のお守りに願掛けしていた願いは、
「みんなが幸せになりますように」だったりする。
実に柄でもない事を思ったものだ。らしくない。気色悪いぜ^^
さぁ、またオフが始まる。
来期開幕へ向けて俺は新しい形の応援・支援をやって行こう。
2010年11月23日
2010 JFL後期16節 ロックvs長崎のこと
試合内容はいつも通り、期間限定をどうぞ。
さて、アウェイのロック戦だ。
仙台だ、秋田だ、群馬だと行き続けている身からすれば、「原チャリで行けるんじゃないか?」と思ったりする宮崎だ。近い!!九州は1つだ。
買って半年程度で早くも2度のオイル交換をし、超遠征特化型機動車と化したはち蔵号マークⅡで宮崎へ向かう。坂本さんご一家、エミチカコンビ、キリちゃん、wakiさん、亜由美。
そして買う携帯キャリア全てが廃れ「携帯殺し」の異名を持つ坂井君。
ちなみに坂井君がソフトバンクとの2年縛りの契約でiphoneを使いこなし始めた途端にiphoneがDocomoからでるかもなんて噂が業界内に発生し「さすが携帯殺し」と絶賛された。そんな9人で向かう宮崎。美しすぎる市議ならぬ、近過ぎるアウェイだ。
快調に、そして楽に宮崎へ着。
ホンダロックは来年の1月に中田英寿氏率いる元日本代表と対戦する「TAKE ACTION」が決まっている。この試合では負けじと
「TAKE"男”ACTIN ~今、原田が出来る事~」
「TAKE"村" ACTION」
といったスプレー段幕を出そうかと考えていたのだが、会場の運営によると「メイン以外は解放しません」との事だったので、せっかく書いても人に見えなきゃ面白くないし、応援場所が狭く段幕貼る位置もあまりないので取りやめる。
試合開始まではビッグバドミントン野球をする。いつも家族の自慢話と奥さんに対する愛情以外を一切口にしない諸原さんも到着。俺のチームは坂井さん、キリちゃん、亜由美、愛妻家・・諸原さんのチーム。白熱したゲームは3-2で我々が勝利した。2点取られても3点取る野球だ。みんな結構ばてる。
諸原さんも「疲れましたね。でも俺は嫁が大好きです」と発言していた。
野球をやっているといろんな人が来てくれて土産などをもらう。開門になったので入場。
応援開始。
まぁ、試合は自分達で試合を難しくして、自分達でそれを乗り越えたという感じ。ある意味で自作自演だ^^。内容が良かったとかはないが、逞しさというか、しぶとさというか・・生命力を感じさせ力強かった。
試合後に九州は1つなのでホンダロックコールを振ってみる。向こうが返してきた。
なのに、何故かリーダーのうえきさんとロック側の対角線上にデュカが立って、さも自分がリーダーで、応援も頑張ったみたいなフリをして「ありがとう!」などと声援に応えていた。
てめぇ、またか味噌五郎!!!
5月のアウェイSAGAWA戦の時もやりやがったろう!
何こういう時だけメンバーみたいな真似をする!
・・・こいつはフリーライドし過ぎだろ^^;相変わらず変な所で神経太いぜ。
その後のはち蔵号部隊は宮崎市内へ向かい食事開始。
地鶏・ホルモン・魚ロッケ、刺身、チキン南蛮、若鶏の一夜干し・・などを満腹に食す。
その後、高速に乗って長崎へ。
帰りは運転しながら坂井君と久々に語らう。
俺「ムール貝とホッキ貝、あだ名になるとしたらどっちが良いですか?」
坂井「ムール貝ですね。太陽にほえろの七曲署の刑事にいそうじゃないですか。」
俺「七曲署の刑事で一番自分がつけられたくない刑事名は?」
坂井「殿下って何かバカにされてそうでイヤですね」
俺「マミーも嫌じゃないですか?年上の上司がマミーって呼んでくるんですよ」
坂井「つらいものがありますね」
俺「ジーパンって良く考えると商品名でしょ、単なる」
坂井「スニーカーも同系統ですよね」
俺「ロッキーってロッキー山脈に憧れてるからロッキーでしょ?チョモランマとかじゃなくて良かったですね。琴尾岳とかだったら相撲取りみたいですよ。」
坂井「マイコンって時代を感じさせますね」
俺「続いていたらPHSとかポケベルとかでましたかね?ブーム中に殉職しないとツライですね」
坂井「今ならiphoneとかでしょうか?」
俺「やっぱり、殉職する時は電波が入らないとかが原因でしょうか?」
坂井「殉職する機会多そうですね。特に街中は危ない。」
俺「同僚はDocomoにしろよとか怒るでしょうね」
坂井「でも契約が2年縛りだから解約出来ない」
12時頃に長崎着。洗車して解散。
エミちゃんの車で家まで送ってもらう。
車中では「プードルって楽しい生き物だね」という会話で盛り上がった。
さて、次回でいよいよJFLも最終節。
派手に行こうかね。。
2010年11月22日
卒団の話
この記事がアップされている頃、俺は宮崎から戻っている訳だが・・そろそろ書いておかないと駄目だと思うので・・。
さて、個人的な事ではありますが、
今期を最後にULTRAを卒団する事を報告します。
別に分離独立だとか、応援やめるとかではない。単純に俺自身の時間的な問題。
元々、俺はフットボール関係者でもなんでもない。
中学も高校も部活はフットボール以外。単なるフットボールがムチャクチャ好きなだけのフットボール界とは無縁な人。ただ、メチャクチャに好きなので文字通り寝食を忘れてフットボールを見て、遊んで、本を読んで、色んな人達と交流をしてきた。それでも05年にV・ファーレンが出来て、KLMを始めた時に県内のフットボール関係者で俺を知ってる人間は”0”だったはず。
それから月日が流れ、その間も俺はV・ファーレンを応援する過程で色んな人と知りあい、色んな事に参加し、協力をしてきた。06年のシーズンオフにはクラブに正式な形での意見・要望書を提出して話し合いもしたし、その後も色んな話し合いの中で当時のフロントと、かなり激しいやり取りもした。(ちなみに・・やりあったフロントとは、その後一緒に飯を食べ今も信頼関係を築いている。)
その内にクラブから簡単な頼まれ事をする事ようにもなったし、協力を求められる事も増えた。それらの頼まれ事はULTRAとしての俺にではなく、1ファン、1協力者としてのものが大半だ。
・県フットボール関係者を中心とした外部有識者機関であるV・ファーレン長崎支援会”W会”会員
・かきどまり改修を推進する会理事
・マッチデイプログラム及びスタジアムマガジンViSta 編集チーム「V・ist」スタッフ
今期だけで、個人の俺としてクラブと関わっている、関わっていた肩書きだけでもこれだけある。
ここで誤解を招かないように言うが・・クラブとの関係には常に最大限の注意を払ってきた。クラブからビタ一文もらった事がない。スタジアムマガジンViStaはクラブスポンサー以外で、尚且つクラブに直接お金を出していない(出せない)所にお願いして集めた広告で出しているし、マッチデイに関しても原稿料等は一切貰っていない。クラブが「交通費だけでも」と言った時も断った。
俺が労働力を無償提供している事で迷惑を被る人もいるだろうが、今のクラブの状態では謝礼出す金があるならマッチデイを毎号出し続ける事が大事だと思うし、本業ではないからこそのボランティア協力だから勘弁してほしい。
繰りかえすがビタ1文もらってないし、グッズの提供なども受けていない。
「彼らは入場チケットを貰ってる」とか、いかにも真実っぽく話す人もいるらしいが、チケットをやると言っても断るくらいだ。V・ファーレン長崎後援会もちゃんと毎年入ってるし、駐車場付き年パス買ってるし、着ないだけで限定Tシャツも買ってるし、クラブのユニフォームが当たるクジはかすりもしない。会社に頼んで法人会員にも入ってるし、家族は家族会員に入れている。
つまり・・何ひとつ優遇は受けないよう注意して付き合ってきた。
クラブから協力の必要上やむなく情報を開示される事があってもULTRAの仲間にすら黙っている。それが筋だからだ。
マッチデイは当然として、本来独立しているViStaですらULTRAの機関紙的に思われないようにと、ViStaを始める時にうえきさんに「手はださんでくれ。ULTRAの影響なくフラットではじめたい」と申し入れて線を引いた。この時にうえきさんが「何でもやってみれば良い。」と何も聞かずに承諾してくれた事には今も深く感謝している。
「色んな肩書きがついてる事が既に優遇」と言う人もいるかもしれないが・・
W会は当初、公式サイトにも掲載され一般募集があっている。俺はそれに申し込んだだけ。後は会で実際に資料作って提案して懸命にやってきただけの話。
かきどまり改修推進委員会は06年に「長崎県にサッカー専用スタジアムを望む会」で行った活動が評価されての物。この「望む会」はクラブと関係のない団体だった。
マッチデイについても06年から長崎スタンダードを3年、去年はプロビンチアをやってきた事が背景にあるからだ。
優遇もへったくれもない。
だが、それを理解しない人もいる。
色んな会議に出席すれば「クラブに取り入って自分だけ(ULTRAが)情報を得ている。」
フロントと立ち話しをすれば「ULTRAがフロントと癒着している。」
アウェイに行き続けてれば「ULTRAはフロントからチケットとか貰ってるんでしょう。」
そう裏で言われる事も珍しくない。
だから、自分がW会である事も、かきどまり改修を推進する会理事だった事も、マッチデイやViStaの原稿を書いて発行している事も最低限しか明かさなかった。
実際にはクラブのULTRAに対する対応は、余りにそういった批判に配慮して、俺らは一般の観客より不利な待遇を受ける事もあった。俺らはそれでも我慢していた。それについて余りにも抗議すれば「あいつらは自分らが優遇されたいだけだろう」と誤解されると思っていたからだ。
フロントとスタジアムで会っても目で挨拶するだけで言葉を交わさない。常識的には異様な光景だが、誤解・・と言うよりうがった見かたをする人、そのうがった見方を広める人がいるから。
明かせば楽だった。
何かを説明する時も、理事や話し合いの当事者だと明かせば「何で、1サポーターがそんな事が言えるんだ!」と突っかかってくる相手はいなくなる。それでも、誤解を招かない方がどこにも迷惑もかけないと思った。
そういう状態で今までやってきたが・・いよいよ限界状態に入った。
9月からW会の組織改正に伴って運営委員長になった。W会の会長からは集客面やらについてほぼ一任された。自分より実績的にも格的にも適した方は大勢いるが、能力はともかくフットワークが軽い若輩者に「やらせてみよう」と言う事なのだと思う。
とは言え、その期待を裏切りたくないので9月の就任以来、色んな作業や準備に入った。
正直かなり忙しく、ほぼ仕事と食事などの時間以外は常に資料集めや企画を作成している。ULTRAとしても今年はアウェイの応援に行ける仲間が少ないので・・少々無理をするのも増えた。
毎週かならずやるのが、KLMのサイト更新、アウェイにタムやダンマク抱えて一人での遠征、毎週2000字以上のマッチデイの原稿。メルマガ2本、W会の資料・企画作り・・これに月に1回の割合でViStaの原稿(3000字~5000字)、2ヶ月に1回のW会の会議。
これら全てが無償のボランティア作業・・と言うか自分が好きでやってる事^^
ちなみに俺の本業は会社員だし、10月はお袋が入院し毎日病院通いだった。
大変は大変だがツライとは思っていない。こういう苦しいのすら楽しい。
だが、特にW会の関連ではクラブと共同で検討する事案も増えると・・上記のような作業を効率的にやる上では、色々支障が出てきた。
クラブと癒着してるという人間達は論外としても・・ULTRAとしての自分と、ULTRAじゃない自分を見分けるのは外からは難しい。だからこそ、今まで明かさなかったのだが、W会としての活動の段階が上がる以上そうは言ってられなくなる。
自分がいくらフラットで、どれ程細心の注意を払っても、中立を胸に誓っても外からはそれは判らない。
なのでULTRAを卒団する事とした。仲違いでも何でもない。みんなとは本当に仲間だと思うし、一緒に遊びもするだろう。マリノスや浦和はじめ・・俺みたいに中立の活動とサポーター団体を両立している人は結構いる。それを周囲も理解している。
出来れば、俺も両立したかったと言うのが本音だ。
ULTRAを辞めたい訳ではないし、来年もタムをガンガンに叩きたかったし、色んな仕掛けも考えていた。・・だが長崎では無理だ。過去に心無い言葉が飛び交った事がそれを証明している。
この街に2足の草鞋を履かせる成熟度はない。
だから卒団する。
別に応援もアウェイ観戦もやめない。今まで自分が「一緒に応援しよう」と呼びかけておいて、やめたからやらないなんて事もない。応援はやめない。
だって、俺はV・ファーレン長崎が大好きだから。
でも、もうタムは叩かないだろうしリードもしない。当然、アウェイでの前説もやらない。
「コアなサポーターの周辺にいる人」・・そんな感じだ。
この事は去年くらいから考えていた。完全に決定したのが10月。
以後、いつも「選手によっては、俺がコールする最後の試合かもしんない」と思ってやってきた。その選手が見た俺が手抜きの俺じゃ悔しいから^^
なので、前説に付き合ってくれたり、タムにあわせてくれたりした皆さん、ありがとうございました。海より深く感謝しております。
思い起こせば元々、1人でやっていた俺を06年の秋にうえきさんが「ULTRAに入りなさい。入ってください。この大事な時期やっけん」と誘い、はち蔵で上等な酒を2人で交わしてULTRAに入ってから・・色んな事がありましたが、実に楽しゅうございました。
今期、残り試合。全身全霊で応援させていただきます!
我が応援に一片の悔い無し!!
2010年11月16日
2010年JFL後期15節 印刷vs長崎のこと
試合内容については例によって期間限定をどうぞ。
さて、長居行きだ。これまでのアウェイの車遠征と変わらず土曜の夜にはち蔵に集う。もうしばらくしたら書けるが、ある活動の集計作業をみんなに手伝ってもらいながら過ごす。
2:00頃に出発。今回のメンバーは10名。
運転を交代しながら、明け方近くまで騒ぎながら長居へ。
大阪では時間があったので鶴橋商店街のはち蔵御用達の店「かれん商店」へ。コリアンタウンだ。
あちこちからキムチだチャンジャだ肉だの匂い。生活感や生命力があってこういう街は大好きだ。至る所に屋台もあり買い食いしなが長居へ向かう。
長居と言うと・・2002年ワールドカップの日本vsチュニジア戦を見て以来だ。
売店だらけだったコンコースなどの記憶がフラッシュバックする。
バックスタンドのこの辺で俺は試合を見たなぁ・・などと感慨にひたる。
応援場所は少し上段とした。
屋根がある方が反響してタムの音も声も大きくなるから。後ろに段幕を張って開始。試合は・・8分で82分がチャラになった。
メンタルの力ってのはそういう事だ。それ位にメンタルと言うのは強烈なパワーを持っている。だが、だからこそメンタルのみに勝因は求めたくない。阿部ちゃんのスピードとアリの狙う攻撃パターンが噛み合った点や、阿部ちゃん投入前もサイドまでは崩せていた事実を忘れてはならない。
メンタルの力は確かに大きい。だが、大きいから人は何かあるとすぐにメンタルばかりを重視する。「気持ちだ」「気持ちがあれば戦術は・・」それはあまりに短絡的な思考でアマチュアだ。メンタルが発揮される土台のシステムや戦術がなければ決してメンタルの強さは発揮されないし、長続きしない。そこを考えながら、阿部ちゃんの働きを評価したい。
阿部ちゃんの3点目が決まったシーンはスタンドはエライ騒ぎで泣いてる者も1人や2人じゃなかった。フットボールをずっと見ているとたまに記憶に刻まれるシーンというものに出くわす。
有名なのは94年のドーハの悲劇のシーンであり、98年の助ホールバルだろう。それ以外にも広島アジアカップ決勝の高木琢也の決勝ゴールやマラドーナの神の手、5人抜きドリブル・・。
V・ファーレン長崎でもたまにそんなシーンに出くわす。
テレビ映像もないから一度しか見てないのに脳裏に刻まれるシーン・・。
プレイの中身から下手すると指の形まで刻まれるシーン・・。
05年の森本晃一郎のKYU開幕ゴールとその直後のパフォーマンス。
同じく05年のホーム琉球戦での田上渉のゴール。
06年、KYU開幕戦での原田武男のスーパーゴール。
06年北九州開催の新日鐵大分戦での佐野裕哉の決勝ゴール。
08年の川崎元気のホームでのロック戦での決勝ゴール。
地域決勝での八戸の神の一撃。
この日の阿部ちゃんのゴールはその仲間入りするゴールだった。
ずっと語り継いでいきたい。
試合後、お土産をもらったりしながら後片づけ。更に気分の良い我々は焼き肉へ行くこととする。関西出身のULTRAである伸君おすすめの焼き肉空だ。
店構えから我々のハートをワシ掴む”空”
修羅の如く食す!
半端なく美味い。幾らでも入る。
焼き肉で腹を満たしまくった我々は一路長崎へ。
軽めの渋滞はあったもののスムースに帰郷。
車の中では試合は引き分けじゃなく勝ちだったという結論に達した。
J2に上がった考えてみる。
J2に上がっても長崎は当分J2だろう。予算規模や地理上仕方ない。
その時にJ1に上がれないからとメンタルが切れるだろうか?
J2では9位とか昇格にも降格にも関係のない順位の期間だってずっと続くかもしれない。その中で「昇格がなくなって楽しくない」なんて言うのが正しい意見だろうか?
状況にアレコレ難癖をつける前に、目の前の試合をメンタル切らさず挑むべきだし、各自が楽しみを見つけるべくだろう。それが出来て初めて状況改善を訴えるべきで、自分が楽しめない、メンタルが切れた理由を状況のせいにしてはならないなっと思う。
この日のラスト8分みたいな試合にあえるなら・・それはとても幸福な状況に自分らはいるんだと思ったりした。
4時頃に長崎着して解散。
来週は宮崎だ。
遠征続きで感覚がおかしくなったせいか原チャリで行けそうな気がする。
2010年11月08日
2010 JFL後期14節 長崎vsHondaのこと
さて、例によって試合内容は期間限定をどうぞ。
さて、今季ラストの佐世保開催だ。
前回の佐世保ではYOSAKOIまっただ中という日程な上に土曜開催で更に手ひどいホームの洗礼とも言うべき対応を食らい、相手選手ならずともガラスの1枚も叩き割って尾崎豊の卒業でも歌いたくなるという経験をした訳だが、今季のラスト佐世保は良い感じで終えたいものだ・・
朝から倉庫によってバスドラやダンマクやら車に積んで佐世保へ向かう。
今回の応援場所はクラブが指定したバックスタンド。
さて、比べてみよう。
メインはこんな。
バックスタンドのもぎり前はこんな。
これで同じ値段。
バックスタンドからメインへ行くにはこんな何もない道をグル~ンっと回る。
(モデルは久留米在住のサポーター たなかさん)
ちょっとしたウォーキングだ。
メインの売店はこんな。
(シーズンパス保持者の先行入場時の時間の為人が少ない。)
メインのトイレもこんな。
バックスタンドは簡易トイレ。
ちなみに簡易トイレは並ばなければならない事が多いので・・せめてトイレの時だけハーフタイムにでもメイン側を使わせてもらえないか?ととある女性が聞いたらNGだったそうな。
売店?チケットもぎりの横に机置いてオフィシャルグッズ置いてるだけで食い物はない。
メインの方でパフォーマーが何かやっていたらしいがバックスタンドの人は遠いので絵でも描いて過ごすしかない。
これで値段一緒。
これでバックスタンドに人が今より来る訳はない。
ちなみにバックスタンドへ続くメインに近い通路は選手バスなどが停まったり出入りする為に解放しない。
車の出入りはそこまで頻繁にあってるとは思えない。(基本、選手は試合開始2時間前程度に会場入りするし、会場を出るのは試合後2時間くらいしてから)何とかならないかなと思う。だって、以前はここ解放して試合やってたんだからねぇ。
まだまだ運営は改善の余地がある。がんばっていきたいものだ。
さて、試合は競り負けた。競ったが・・まだ勝てなかった。最後はHondaが目指した通りの展開で、目指した通りの崩し方をした。それが全てだ。チームの総合力として、今日の長崎より強かった。そういう事だ。
あと主審についてだが、判定が長崎にだけ一方的に不利だったとは思わないし、1つ1つのプレイへの判断もルールを大きく逸脱してもいなかった。だが、ルール以外の部分を一切考慮していなかったと思う。
この試合の両チームの位置づけを理解していれば、それが態度や言葉使いに現れ、もう少し違った展開になったんじゃないかと思う。100%遅延の意志がないと断言出来る選手のプレイに遅延でカードを出したプレイが、このゲームを理解していない事を証明していた。
審判の問題には誤審に次いで理解不足が近年挙げられる。試合前に、両チームの情報やゲームの位置づけを理解する事の必要性が審判界からも広がっている。にも関わらず・・それが無かった事がこの試合の大きな問題だ。
選手と主審でゲームに対して意識を共有できてない事が不信を呼び、不信が主審を意固地にさせたと思う。両チームにとって本当に大事な今季の「大一番」だっただけに主審がこういう形で目立つゲームとなった事は本当に残念だ。
さて、試合後はゆっくり目に片づけをして、琴海の坂本邸でうえきさんのバースデー祝いのバーベQをやった。
うえきさんと出会った頃うえきさんは20代だった。
それから互いに同じ物を見てきた。
6年たって、自分では色んな意味で「遠くへきたなぁ」と思っている。立ち止まったり、後退する事だけはしないようにとやってきた。常に次の一歩を目指してきたつもりだ。そえはうえきさんも同じで、うえきさんもずっと歩いている。うえきさんも常に次の一歩を目指してる。
「10年後、20年後も笑って一緒に酒を飲めるようでありたい」
とはうえきさんが7月頃に言った言葉だが、
すっかり酒の弱くなった2人だが、笑って酒を飲み続ける間柄でいたいものだ。
帰ってきて期間限定を更新しようと思ったが、眠気が強くズボン脱ぎかけのまま倒れ込んで寝た。
次は長居だ。
2010年11月06日
おーえんのばしょ
こんなん書くのもどうかと思うのだが、報告・連絡がキチッとなされておらず、説明もない為に憶測や推測を事実のように語る人が多いので事実関係をハッキリと記す。
佐世保での応援場所の話。
さて、話は1年前のJFL昇格後最初の佐世保開催の試合に遡る。TDK戦だ。
それまでKYUリーグだった事もあって、応援に対して殆どルールがなく、毎回現地での応援の打ち合わせをやるのが通常だったのが、JFL昇格を機に応援場所やルールが一応整備される事となった。
そこで昨年、佐世保の試合の1ヶ月程前にクラブと話をし、
「応援はバックスタンドかゴール裏かどっちかでやりたい。佐世保の試合は壁も塀もなく横断幕が貼りにくい。出来れば席張りとかしたい」と要望。
これに対してクラブの解答は
「席張りは観客が増えると難しいので原則NG。あとはOK」。
それを受けて佐世保の試合当日にバックスタンドに移動。ダンマク貼って応援開始。ところがキックオフ5分前になってフロントの1人がやってきて
「ゴール裏へ行ってくれ。そこは鳴り物とかNGだ」。
既にダンマクはバクスタに張ってるし、今にも選手が入場してくる時になっての要求なので
俺ら:「前に話した事と違う」と。
クラブ:「バックスタンドは鳴り物もNGだから。」
俺ら:「じゃあ、太鼓叩かないで拍手と声で応援するから」
クラブ:「それも駄目!応援活動は全てゴール裏のみ。ゴール裏に行ってくれ。バックスタンドでの応援は禁止です」
もう試合も始まるので泣く泣くダンマクをバックスタンドに貼ったままゴール裏へ移動し応援。その際に「バクスタの皆で掲げようと思っていた一番デカイダンマクがあるが、バクスタNGならゴール裏に持っていく。代わりにせめてゴール裏は沢山空いてるから地面に貼らせてくれ」とお願いし、「ゴール裏なら席張りOKです」と許可をもらった。
この後、クラブと話した結果、連絡の行き違いで応援場所の変更と指定が、当日、上手く回ってきてなかった事が判明。
その際に対応したフロントに試合後、「こういう事が2度ないようルールをハッキリ決めてキチッと出してくれ。そして、それが決まったら俺に連絡下さい。」と言い、
その人は「はい、わかりました」と。
以後、これに関する連絡は一度も来なかった。
なので毎回、佐世保開催の頃になると「何か(応援に関する)規制とかあります?」クラブに連絡していた。返事は毎回「いや、前回と同じです」でした。
これで俺らは「応援はゴール裏だけ」と言うのが佐世保のルールだと認識。
確認してもらえれば判るだろうけど、以後の俺らは全佐世保の試合で1年前のTDK戦以降はゴール裏で応援。
最も観にくい場所で、皆が不満に感じていたが、そこしか許可されてない筈だったので。
そして、前回の佐世保の試合。
バクスタで応援した人達は金曜にクラブに連絡して「応援OK」と許可を貰っている。同じく金曜に俺もクラブに連絡して「応援はいつものようにゴール裏だけですね」と確認をとり、「はい、そうです。いつもと同じです」と言われいる。
この際に俺は「いや、応援場所じゃない所で応援したらメチャクチャ俺ら言われるから・・」と釘もさしている。
1年前の試合で鳴り物をしないと言っても応援はゴール裏のみと強制したルールは何だったのか?その後の俺らの再三の確認は何だったのか?
これまでもこういう一件は判る人だけ判ってもらえれば良いと出来るだけ黙してきたが、
最近、露骨に憶測に基づく誹謗中傷が多いようなので事実関係を記す。
明日の佐世保はバックスタンド以外は鳴り物一切禁止らしいのでバックスタンドへ行こう。
さぁ、応援は何も疑問持たずに後はピッチだ!
2010年11月01日
2010JFL第30節 流経大vs長崎のこと
さて、例によって試合内容は期間限定をどうぞ
今期ラストの関東アウェイだ。
実は先週から公私共に色々ありかなり疲労していて、今回の試合もかなりモチベーションがキツい部分はあった。それでも、やっぱり関東アウェイラストだし、選手やら監督やらもキツくともやってると思うと負けてられねぇなと・・。
関東アウェイの日曜は基本6:00起き。空港へ向かう。
空港の売店で「長崎物語」をみつける。
ながさき~♪ ながさき~♪ ながさ~きものがたり~♪と歌えば長崎人なら大抵知ってるお菓子だ。たまに食べるとその美味さに微妙にハマるお菓子だ。食べたくて買う。
和樹さんと合流し、飛行機で羽田へ。
羽田着。
レンタカーを借りる。飛行機が10分遅れ、更にいつも使っているレンタカーの受付窓口が移転しており、探すのに手間取る。挙げ句に送迎バスは中々こないわ、受付は混雑しているわで予定より1時間遅れ。ちなみに以前借りたのとまったく同じ車だった。ホイールが傷ついてるのが目印だ。一体どこの悪党が傷なんてつけたのか知らないがヒドい話ではある。
車を飛ばして龍ヶ崎へ。キックオフ30分前に着。
天気はギリギリ小雨。少し風もある。時間がないので眼鏡をコンタクトに代える暇もなく小雨で眼鏡が濡れ見えにくい。時間が無かったので後ろの席の人たちに確認と賛同を得てULTRASの横段幕を選手入場にあわせて掲げる。
ちなみに今回は画像が異様に少ない。到着がギリギリだった事もあって速攻で応援に入った為に写真撮る時間がなかった。
試合は・・スコア的には完勝だし、内容でも両チームに大きな差があった。でも、長崎が復調したかと言われれば、復調していないと言うしかない。不安定さも甘い部分もあったと思うし、流経大が悪かったのも多分に影響している。それでも、やはり今の状況で勝てると言うことは素直にチームの健闘を評価したい。
何より、今回の試合は関東在住のファンにとっては根気最終戦となる人も多く、その試合で快勝できた事、良い顔を見せられた事は本当に大きい。それが何よりだ。
試合後、呼びかけに応えて沢山の人が拍手を送ってくれた。選手が笑顔で応えた。
昨日誕生日だった阿部ちゃんに、みんなで「おめでとう」と声をかけハッピバースデーを歌った。
関東でのアウェイゲームはひとまず笑顔で終える事が出来た。その後、和樹さんと空港へ戻り売店で食べ物を買ってると・・黒い影が多数・・。
久々の飛行機アウェイで忘れていた!!
選手だ・・選手も飛行機移動だ!!同じ便だ
不覚!!
心頭を滅却すれば火もまた涼し。
そうだ、精神を何かに集中すれば落ち着くはず!!!
メルマガとか期間限定の原稿書きだ。
ATフィールド発動!
フィールド全開!!
長崎に到着すると・・歓迎を受けた。
この記事を読んだULTRAの仲間が全力で出迎えにきていた。
総勢10人。何故か「熱烈歓迎」とまで書いてある出迎えボードがあった。
でも、俺が関東に行ってる間にみんなで俺抜きで釣りに行くという、ボディーブローのように俺のハートにズシリと響く真似をしていた。ゴンズイ以外釣れなければ良いのに。
帰りに乗ったはち蔵号Ⅱのシートは飛行機の数十倍楽。
気づいたら俺らは5位。来週の試合に勝てば4位。
来週で関東の笑い顔の続きをやりたいもんだ。
2010年10月26日
ラストの関東開催だから
週末はアウェイの流通経済大戦だ。
今期、関東ラストの公式戦だ。
今年、色々あって中々、遠出出来ない仲間が多かった。
だから、今年は少し無理をした。
関東でのアウェイ開幕にULTRAがいないなんて・・ULTRAとか名乗っておいて随分わびしい話だし、俺は幸運にも行ける環境にあったから。
関東での開幕戦だった第2節の千葉の試合で一緒に歌って応援したのは俺入れて関東在住の4~5人だけだった。栃木でやった時は10人くらいに増えた。試合後に「次の関東の試合の時は一緒にやります!」と言ってくれた人もいた。群馬の試合の時には、相手のサポーターより数が多くなった。
次の横河武蔵野との試合には行けなかったが、うえきさん達が行った。とても良い感じで応援出来たようで、色んな人が「凄く良い雰囲気だった。あなたに見て欲しかった。」と言ってくれた。三ツ沢でマリノスとやった時は本当に楽しかったし、江戸川で町田とやった時は何十人もが一緒に応援して、泣いてる人までいた。
4~5人で始まって何とかここまでこれた。
でも反省がある。
アウェイでの横断幕とタムの移動、そして現地での移動手段が大変なのを沢山の人が助けてくれた。群馬の時なんかは見知らぬ人が「駅まで送るよ」と声さえかけてくれた。
実際、アウェイで移動の手間が省けると本当に助かる。
だが、ストイックとかではなく・・最近それに甘えすぎているのかもなと思う。
最初は積極的な人たちも馴れてくれば面倒になるものだ。甘えて、そんな人達の気持ちを潰したくはないなと思う。
だから初心に帰ろうと思う。
今回もULTRAで行くのは俺と和樹さんだけ。アウェイの常連コンビだ。
今年だけじゃないけれど・・今年も2人して無茶を沢山した。^^
今期の関東での最初の試合も2人で行った。だからリセットするにはちょうど良い。
久々に1人で重いダンマク背負って、タム抱えて飛行機乗って、レンタカー借りて龍ヶ崎へ行こう。帰りも汗だくでダンマク背負って、タム持って、タムの叩き過ぎで力の入らない腕をプルプルさせながら空港へ向かおう。
空港からのバスに乗って半分眠りながら家に戻ろう。
アウェイってのは元々過酷なものさ。
関東ラストのアウェイを存分に味わってこよう。
2010年10月17日
穏やかな心
前回の日記で書いた通り、Mioびわことの試合に行く福島ファミリーを快く、小春日和のような暖かさで、さわやかに善人思想で見送った訳だ。
その善人思想には一切嘘はなく、後悔もなく、今も「本当に良かった」と思っている。
そんな、俺の善人思想に
「あぁ、こいつも人間らしい所あるんだな」
「良い話だ」
「思ったより情緒的なんだな」
「案外、良い人なのかもな」
「ユニセフみたいに良い人ですね」
「野菊のような人だ」
などと思ってくれた方も、いたりいなかったりすると思う。
そう、決して人にジェラシーを向けない”良い人”なのだ、俺は!!
そんなケチな人間ではない。
ジェラシーとかもう・・程度が低くて・・。
だが!!
それでもやはり、「勝った」とか「Mio戦初勝利」とか「アリが凄かった」とか聞くと・・フツフツと内なる心の中のマグマが寄せては返す波のごとく揺れ動くのだ。
あぁ~
悔しいったらありゃしない!!
あ゛~~~
もう、勝って嬉しいけど~あ゛~!!!
うっきょ~!!!
妬ましくて仕方ないだわさ!!!
アリ!!
随分活躍したらしいじゃないのさ!
森田!!
空中戦無双だったらしいじゃないのさ!
山城、山本!!
ムチャクチャ走り回ってたってぇ~!!
ムキィ~~~!!!!!
こっちは穏やかな心に純粋な妬みで
スーパーサイヤ人になりそうだよ!!!