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Posted by のらんば長崎運営事務局  at 

2013年01月31日

2013年の陣容について・・②

さて、今回の補強だが、まずはスタッフ人事。

ヘッドコーチの中村さんは高木さんが2006~2007年の横浜FC、2009年のヴェルディで
組んでいた謂わば盟友だ。新しいチーム作りをするにあたって
信頼出来るスタッフを傍らに置くと言うのは色んな意味で納得の人事だろう。

國保さんをフィジコに招聘しているのも、
ロアッソやヴェルディでの怪我人・・特にロアッソの昨年の反省が理由だと思われる。

三好GKコーチは鳥取からの加入だが、
ヘッドコーチの中村さんが鳥取に居たつながりだろうと思われる。
横浜FC時代の菅野やロアッソ時代の南など優れたGKを見ていた高木さんにとって
GKの強化は大事だったんだろうな。

石崎主務は長崎人である。
無論、主務としての経験も高い。
残念な事に昨年の主務に関して良い評価は聞かない状況だったので、
主務とは何かをしっかり教えて大きく引き上げて欲しい。

さて、補強はGK岩丸、DF高杉、山口、呉、MF井上、下田、幸野、FW小笠原、佐藤洸の9人。
バランスのとれた補強だと思う。

各POS別に見て行く。
GK岩丸は原田、金山と高いレベルでの競争を促すと共にJでの経験値と言う点での補強。
実力は間違いないし、高木さんも力を把握しているので獲得したと思われる。

愛媛から来た高杉はDFならどこでもプレイ出来る選手であり、手薄なPOSで起用すると考えられる。
フィジカルが強いのでCBも任せられる。
SBで使う場合はクロスの質に改善を要するけどね。

湘南から来た山口もDFならどこでも出来る。
本来はCBであり、CBとしても充分に計算出来る。
でも、その器用さを生かして湘南ではLSB起用が多かったので、
CBの安定度次第では左SBで使う気ではないだろうか?

アビスパから来た呉は右SB。
杉山などと被る位置。
フィジカルも強くドリブル突破がガンガン出来る選手なんだけど・・守備が今一つ。
・・と言うか攻撃がSBの役割と捉えているタイプ。
持ち前の突破力生かしてPOSを一個上げて右SH起用とかあるかもなと思っている。

大分から来た井上はボランチ。
ムラも少ないし、安定感もある。だたし・・コレっという武器がない。
判断力高いのに、その辺で伸び悩んでいる感じがしていたので化ける事を期待したいなと思う。

そして守備のスペシャリスト下田。
ボランチからCBまで中央の守備は任せられる存在。
基本、ボランチ起用されて守備から攻撃に入る時の起点を任せられるんじゃないかと思う。

そして幸野。ジュニア時代から飛びぬけた存在として注目を集めてきた年代別代表。
技術は申し分無し。センスも高い。持っている才能で言えば天才の部類に入る。
問題はムラッ気。昨年は町田に途中加入して1人で攻撃のリズムを変えていた。
化けたら・・と言うよりここで1ランク伸びたら代表も現実的な存在だな。

そして愛媛から来た小笠原。
大学時代は得点センスバリバリあったイメージがあるのだが、
愛媛でとなると守備に献身的だったイメージが強い。
運動量が高いので、これに得点センスとのバランスが取れれば面白い存在だと思われる。

そして・・佐藤洸一。一応、今季補強の目玉だな。
よくぞ完全移籍で獲得したものだ。
技術も高さもあるので中盤との息さえ合えば確実にチーム内得点王が狙える。
何よりJ2当面のライバル岐阜からエースを奪った(相手の戦力を下げた)と言う意味でも
存在だけで勝点3に匹敵する。

守備と攻撃にそれぞれ計算出来る戦力をしっかり補強し、
更に幸野みたいな化けたらトンでもない選手を抱える補強。
目先の勝利と伸びシロを考えた良い補強だと思う。
  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 18:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月30日

2013年の陣容について・・①

先日、クラブから背番号発表と同時に
慌ててつけたような文面で契約更改について未発表だった選手の事が発表された。
これでようやく、2013チームの陣容に大手を振って触れる事が出来る。

今日はその辺を少し書く事にしよう。

今季の補強人事に関しては高木監督の意向が強く働いている。強化権限を持つGMも既に決っている。
1月30日現在未発表なので書かないが・・このGMの人選にも高木さんの影響がある。
つまり、今年のチームは高木色の補強なのだ。
なので補強の中身を理解するには、まず指導者高木琢也について書かねばだろう。

高木さんの監督キャリアは誰もが知る通り、2006年の横浜FCだ。
この年の横浜FCは昇格を目標としたのだが、
色々あって開幕戦終了後に監督を解任し、高木さんが急遽監督となる事となった。
エースだった城が主将を降りると言い出したり、
ファンが応援をボイコットしたりする大変な中で、
高木さんは見事J2を優勝しJ1昇格を達成。一躍名を高める。

この2006年シーズンの布陣は4-2-2-2がベースでチーム全体の高い守備意識が最大の武器だった。
770分連続無失点のJ記録を打ちたて、ハマナチオと呼ばれたりしている。
一方攻撃は城とアレモンという個の高い2人頼みな面があり、この2人が全得点の半分を叩き出した。

しかし、このハマナチオは2007年にJ1で砕かれる。
城とアレモンがチームを去り、補強の失敗に加えて怪我人も続出。
守備が粉砕され、高木さんも解任されてしまった。ちなみにこの時の布陣も4-2-2-2。

2008年はヴェルディのコーチを務め監督業はお休み。

2009年に監督退任を受け再び急遽監督となってヴェルディを率いた。
布陣は4-2-2-2でFW大黒の活躍はあったものの、
守備の要であった土屋を怪我で失うと失速し・・最後は天皇杯でJFLのロックに破れ解任となった。

2010年にロアッソの監督になると
4-2-2-2の布陣で失点を大幅に減らし、ロアッソをJ2で7位まで押し上げている。

2011年は押しながら点を奪えない試合が多かった前年を反省し攻撃の構築に入ろうとするのだが・・
攻撃力不足を補えず11位でシーズン終了。
しかし布陣が4-1-3-2となり中盤から前を厚くして攻めようとしているのが伺えた。

そして2012年3-4-2-1の布陣でポゼッションサッカーを志向するのだが、
予算不足からフィジコを解雇していたロアッソでは怪我人が続出。
更に最終ラインの顔ぶれが中々固定されなかった事もあって、攻守共に力を出し切れずに終わった。

その他、高木さんの特徴としては
スカウティングなどチェックが細かい。
勝負を重視する。
守備ブロックを作って守り、奪ったら前にボールを運び最後に決めきれる選手が決めるスタイルが多い。
・・などがある。

んでは、次回はそんな高木さんの特徴を踏まえて補強を見ていこう。
  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 20:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月26日

昇格本WiNのあとがき・・みたいなもの




V-istの作った昇格本WiNはキチンとコンセプトを絞って作っている。

元々、昇格本は必ず作ると決めていたけど、長崎新聞が昇格記念誌を作るのも判っていた。
競う気など当然ないのだが、自分も昇格本を作る以上差別化は考える。

長崎新聞の昇格本は発売までの早さは間違いなく1番早い。
写真も豪華なのはこれまでの色んな号外特別号で判っている。
記事だって新聞掲載のストックがあるし、副島さんやら森さんやら信頼出来るスタッフもいる。

普通であれば、長崎新聞の昇格本があれば別に作る必要はないレベルだ。

とは言え、昇格本について一つやっておきたい事もあった。
V・ファーレン絡みのこういう記念本の第1号は、2007年の頃に仲間と作った
「ナガサキスタンダード 号外 IWAMOTO NAGASAKI EDITION」(2005~2007)だ。

A5サイズのオールカラー25ページの小冊子だ。
自分達で制作費をカンパし作った物で非売品なので持っている人間は非常に少ない。

この本はコアファンのコアによるコアファン向けなので記録より記憶を重視した。
思い入れや気持ちだけで作った。究極の学校新聞というスタンスで製作した。
お陰で内容は恐ろしく濃く、読み終わる頃には「思い入れ酔い」する程の一冊だ。

この本は色んな所に影響を地味に与え、
JFL昇格の際には山頭さんが自らの写真とこの本を下敷きにして「Vi;」を作った。



「Vi;」には俺もライターとして参加し、データ系やらも全て俺が提供した。

こうして長崎はリーグカテゴリに関わらず本が作成されるという珍しい環境を持つに至った。

・・がっ、気になる面もあった。
元々のグランドデザインが究極の学級新聞であるIWAMOTO NAGASAKI EDITIONだった為に、
どの本にもサポーターがやたらと強く出る。長崎ではそれがエラク強いのだ。

それは世間一般のスタンダードではない。

長崎が特殊である事を知ってもらう事、
そして、選手やチーム・・特に昇格に当たって多くの人が忘れてしまいそうなOB達を取り上げて、
OBも現役も、チームもクラブも全部ひっくるめてV・ファーレンである事を、今一度前に出したい!
・・そう思って昇格本を作る事にした。

そして、せっかく長崎新聞が昇格誌を出すなら役割分担をしたいと思った。
とは言え、地元最大の新聞社とV-istみたいな痩せ枯れ集団が交渉なぞ
おこがましいので勝手にこっちが対応した。

1:昇格本の発売は1月の新体制発表の頃前後にする。
売上で食い合う事もないし、V-istは少し時間をかけて作れる。

2:写真中心としない。
長崎新聞が多彩な写真で来ると判っていたので、山頭さん提供の写真意外は極力減らし読み物とする。

特に2は重要で俺の中のイメージは「観る長崎新聞昇格本、読むV-ist昇格本」だった。

完成した昇格本の原稿を見た元GKコーチの吉本哲ちゃんが
水田月満の記事を観て「長崎にこういう選手もいたんだ」と呟いた。
そう・・俺はそれを知って欲しかった。

この一言が目の前で聞けた時、本を作って本当に良かったと思った。

完売したWiNだが、若干のキャンセル分があるので
どうしても欲しい方はどぞ、問い合わせを。
info@v-ist.net
現在、何とかデジタル書籍化出来ないか悪銭苦闘中。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 18:02Comments(0)V・V長崎

2013年01月24日

Jリーグ開幕戦の日程が出た訳だ。

さて、先日Jの開幕戦のカードが発表された。

長崎のJ2開幕戦はアウェイで岡山だ。岡山と言えば、
・2005~2006年所属だったGK堤が行った所。
・ゴールドマンサックス証券出身の社長
・こないだ長崎での地域決勝にファジアーノネクストが来てたが、ネクストステージに進めず終わった。
・最初はファジャーノだと思っていたら実はファジアーノだった。

など、大して知りたくも無い小さい情報が頭に残っているのだが、
忘れようとしても思い出せない・・そんな嫌な記憶がある。
2006年地域決勝だ。
多くの長崎人が”ジェフェルソン”と言うと妙にムカっとくると言えば判るだろう。
先日、昇格本の為にインタビューしたOBの加藤寿一は長崎で最も印象に残る試合として・・
この2006年の試合を挙げている。自らのマークがズレて失点したのだと言う。

加藤の仇は取らねばならない。
本来ならここで
「俺達はチャレンジャー。岡山さんが広島さんの影にちょっと隠れている存在だろうと、
 先輩をリスペクトして挑みたい。
 本当は第2節のガンバ大阪さんとの試合に頭が行ってるけど、 
 とりあえずお互い全力で戦いましょう。」
などと、美しい事を言えば良いのだろうが、例え、岡山人に「逆恨み」と言われても勝ちたい。
例え買収や八百長してでも勝ちたい。

自分でもこんなに長く(2006年から・・7年目か・・)待つ破目になろうとは思ってなかったし、
別に岡山も待ってなかったろうが・・待たせたな、岡山。と言う感じだ。

そして、その次がガンバ大阪さんだ。
2012年は、本来雲の上なんだけど、想像の斜め下の監督人事で
”監督って大事だね”と全国の指導者に身を持って指導者の重要性を示してくれた。
2013年は同じ過ちはしないだろう。きっとJ2優勝は義務。昇格は絶対条件と思っているに違いない。

本来なら圧倒的に上だとか何だろうが見方を変えれば恐れるに足りない。
長崎もガンバ大阪もJ2は初めてなのだ。同じ初心者だ。
うぶなのだ。大抵、初めて同士は上手くいかない。
しかも監督人事で迷走したと聞くと長崎人としてはとても親近感が湧く。
「お互い、苦労しましたね」などと飲み屋のサラリーマンよろしく語り合いたくなってしまう。

長崎もガンバ大阪が来ると言うので大変に盛り上がっている。
「遠藤が来るの?」
「ガンバが来るなら見に行こう」
「ガンバの試合は何日だっけ?」
何かホームタウンとして何か違う気もするが・・それがJリーグだと思い込もう。

さて、その長崎の開幕戦以外に目を移し・・
多数のJ1チームが気にしたのが2012年で完全にメジャー化した
「ジュビロ磐田の前田のシーズン初ゴールを喰らった所は降格する」伝説の持ち主・・
ジュビロと自分のチームはいつ当たるかだろう。

ジュビロの開幕戦はアウェイ名古屋だそうだ。更に第2節は大宮だと言う。
この第2節「ジュビロvs大宮」は非常に楽しみだ。

大宮は毎年、夏の終わり頃から急に強くなり降格圏を脱する。
一見不可能と思える程の状態からでも無敵の連勝を飾るという不思議な習性があり、
「おっ、大宮が勝ちだした。もう秋なんだな」と季節の風物詩となっているのだ。

その為に
「最初は手を抜いてたのか?」
「大宮の選手は夏休みの宿題を8月31日に全部片付けるタイプ」
「降格圏から脱する時の大宮ならACLに勝てる」
「大宮が卍解した!」
などと評される。

この大宮との試合で前田が今季初ゴールを挙げたらどうなるだろう?
伝説と伝説の戦いだ。

Jリーグって楽しいね。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 17:41Comments(0)V・V長崎

2013年01月22日

2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり⑤~

さて、いよいよ総括シリーズ最終回だ。

 JFL優勝を達成から僅か1日後、監督へ契約満了と来年の契約を更新しない旨が告げられる。だが、
①解任理由をしっかり言語化する作業がなく役員レベルでも解釈や説明が曖昧であった事
②強化部が事実上、佐野監督だった為に責任の所在がない状態だった事
③コミュニケーションに失敗し誤解を招く説明を選手、監督に繰り返した事
などがあり、大きな問題を生み、更に反発を目の当たりにしてパニックとなった。

ちなみに佐野さんを解任する方針の大きな柱は以下の通り・・

①佐野さんのスタイルをチームは強者のスタイルと定義していた。
 佐野スタイルはリーグ中で高い戦力を有しているから実現可能なスタイルであり、J2に入ってしまえば
 長崎が高い戦力を有する事は難しくスタイル転換の必要性を感じていた。
②現チームが転換点に来ていた。
 現在のチームは佐野さんが2年かけて作ったチームであり、同じスタイルでは伸びシロの部分が少ない。
 同じチームで戦えるのは3年と言われ、降格があるJ2で戦うには不安があった。
③J2での1年目は何が何でも降格出来ない。
 J2になったばかりの長崎にとって最も怖いのは1年での降格だ。
 恐らく降格したら町田以上に深刻な事態になる。その中で守備より攻撃を実践する佐野スタイルは不安。
 J2でチームが安定するまでは守備を重視した方が安全である。
④チームの立ち位置の大転換
 これまでKYUでもJFLでも長崎は予算的、戦力的に強者であった。しかしJ2では弱者となる。
 弱者には弱者なりの戦い方がある。

他にもチーム強化に熱心な余りに監督がホーム密着事業等への対応が乏しかった反発もあった事は記しておく。
ただし、この件は監督だけの問題ではなく、チーム側にも大いに問題があり、
特にチームとフロント間の連携において問題を増長させる事が大きかったと思う。
更に佐野さん自身、予定されていた取材をドタキャンしたり、
大人の対応が求められる場面で露骨な態度を見せ、善意の協力者を遠ざける事もあった。
フロントも優勝、昇格を考える余りに現場・・特に佐野さんを腫れ物を扱うように遇して問題を増長した点がある。
適切な注意やフォローは行われず、また佐野さんの耳に入る事もなかった為に
佐野さんは本当に孤独だったと思う。
その為に愛すべき好漢”佐野達”の良さは長崎では近しい選手やスタッフ以外知る事もない。
佐野さんにも長崎にも・・互いにとって本当に不幸な事だったと思う。

さて、そろそろこの話題を〆る。

かつての長崎は行き詰っていた。身内だけでの運営に限界が来ていた。
だから佐野達という新しい血を必要とした。その延長線上に社長交代もある。
こうして新しい血を入れた長崎はどうにかJ2に辿り着いた。
だが、今までに無かった血だから戸惑いも反発も上手く行かない事もあった。
それでも佐野達という新しい血は絶対に当時の長崎に必要だった。それは間違いない。
佐野達はJ2昇格という長崎の歴史的偉業をやってのけた大功労者で永遠に讃えて行くべき監督だろう。

そして、長崎はJFL仕様からJ2仕様へ向けて更なる変化を欲し佐野監督は契約満了となった。
その方針は間違っていない。だが、稚拙で幼稚な対応をして方針の正しさを自ら貶めた。
これはもう完全にクラブの失態だ。猛反省して欲しい。

チームがJ2仕様になるように、今後はフロントもJ仕様にならねばならない。
これまでは平均観客3,000人クリアの為に言葉は悪いが人を集めるだけで良かった。
だが、これからは集った人にどれだけのお金を使ってもらうかが大事になる。
極端な話で言えば1万人が来て1人100円しか使わないより、
3,000人でも1人500円使ってくれる方がチームにとって良くなるのだ。
これまでは数が大事だった、しかし・・これからは中身が問われる。

フロントの変革はチーム以上に重要なのだ。

長崎の「Jを目指す時代」は終わった。「Jリーグのチーム」としての時代が始まった。
強者だった長崎の時代は終わった。J2最下位からの長崎が始まる。
誰にでも判りやすい「Jを目指す」と夢は終わった。新しい夢を追わねばならない。
誰もが感情移入出来る夢を作らねばならない。

だが、まだ変わりきっていない長崎は全ての途上にある。
「フットボールは子供大人に、大人を紳士にする(D・クラマー)」
少年と言う始まりの時代は終わる。
だが、長崎はまだ少年時代の終わりを始めたばかりに過ぎない。


(おわり)
  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月21日

2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり④~

 終盤の長崎はとにかく苦しんだ。
絶対優勝のプレッシャーは大きく、選手達はいつものプレイがどこか出来ない。
監督も選手の前でこそ弱音は見せなかったがかなり追い込まれていた。

 さて、余談ではあるがJFLで2位だった場合・・J2下位と入れ替え戦が予定されており、
長崎も2位だった場合に備えて準備を進めていた。J
FL-J2入替戦はJ基準のスタジアムで開催しなければならない。
だが、その時点で長崎に基準を満たすスタジアムはない。
長崎は何とか柿泊での開催を模索していたが開催は微妙な情勢で・・代替地は鹿児島の鴨池。
この辺りも優勝しかないというプレッシャーの遠因ともなったと言えるだろう。

 さて、そんな終盤戦に向けての補強となったのが山田だ。
山田はMLSからの入団で、足元が上手く特にキープにかけてはかなりのレベルだ。
この山田と復活したアリを使った終盤の交代が終盤戦での長崎必勝パターンとなる。

 後半70分過ぎに山田を前線の左サイドに投入。
散々ボールを持たせてドリブルで揺さぶる。
残り10分あたりで、山田をトップ下の位置に移動させ、山田が居た場所にアリを投入。
相手は山田のキープ力を目の当たりにした直後なので、山田のマークを外せない。
その為に通常は1枚がマークについてもう1枚がフォローに入る場面で・・1枚のマークのみとなる。
1対1ならアリはJFLでは大抵の相手を抜く事が出来る。






このパターンはスカウティングが乏しいJFLでは面白いように決まった。
時間帯と交代の順番が終盤に毎回固定されていたのはこのパターンを死守する為だ。
こうして終盤の得点パターンを持った事はチームにとって非情に心強く大きな力となった。

 優勝が目前になると苦しい試合が続いくが長野の失速はある程度予想通りだった。
自慢したくもないが2度も昇格断念した経験から言わせて貰うと、
Jを目指すチームが昇格がない中で戦うのは本当にキツイ。
特に10月以降はメンタルがどうしても影響を受ける。
長崎が昇格のプレッシャーに苦しむように、
長野は昇格がない中、疲労がギリギリ状態で戦うメンタルに苦しんでいたのだ。

 結局、前向きな苦しみだった長崎は最後に優勝を達成した。
その原因は戦力の高さもあるがチームの一体感がだった事は間違いない。
佐野達という監督は、現場を常に最優先させ、時にフロントの方針にも敢然と反抗した。
それはチームの運営やホームタウンイベント面ではマイナスもあったが、現場の選手達に
「達さんは、選手の事を第一に考えてくれる」という印象を与えた。
更に、選手の中でも中心的な由紀彦、有光、河端、中山らも関係が良好で選手がまとまる大きな力となった。

こうしてJFL優勝=J2昇格を長崎は達成する。

・・っと言う所で次回最終回。

つづく  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月20日

2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり③~

一方でフロントは紆余曲折を繰り返してた。
4月、柿泊開幕戦、詰め掛けた8000人の観衆に運営は大混乱に陥いる。
この試合運営については以前から問題視され、再三指摘されてきたのだが
クラブは対応を常に後回しにしていたという背景もある。
こうして運営改善が長崎の2012年の大きなテーマとなっていった。

更に問題となったのがU-18の緊急立ち上げ。
U-18については以前も少し書いたが、長崎は過去の準加盟の際の規約に従って設立準備を進めていた。
だが、クラブライセンス制度が導入され突然6月までに設立する必要に迫られる。
予算の問題もそうだが、何より時間的にマトモなチーム作りは不可能だった。
結果的に諌商の協力で、諌商の1年生主体にU-18を立ち上げる事になるのだが、
この際の説明や周知が不十分で「子供をJ入りの為に利用している」と言われる事となってしまった。

他にもスタジアム署名やサクセスパートナー制度など次々と問題が起きていたが・・
基本全て同じ事が原因となっていた。
クラブが信じられないほど、「事前の約束を履行しない事が多かった」のである。

検討しますと返答して検討結果の連絡は来ない。連絡しますと返答して連絡は来ない。
例えば、スタジアム署名などは5月の話し合いの際に
・クラブ内にスタジアム署名について徹底的に内部周知を図る事
・クラブが全力で活動を行う事
の2つを絶対の前提条件に俺は協力をする事にしたのだが、クラブは9月時点で署名活動自体を失念していた。必ず前提条件を履行すると約束した後も約束を反故にして、10月に
「クラブが約束を守らないし、抗議しても改善されないので俺は協力を辞めます。」
と強く抗議してから、慌てて対応する有様だった。

ただ、昇格の多忙さが最大の理由で悪意が無かった事は理解している。J昇格の準備作業は本当に多忙だ。
昇格も見えない8月時点でJに来年のスポンサー契約を提出しなければならない。
その為にはスポンサーや協会、関係先と何度も交渉を行い、その合間にJ、JFL、JFAの会議・・
小嶺前社長の体制から大変革して2年。2年でクラブライセンスを取得や専用スタジアム署名、
JFL優勝が義務・・2重3重の重いノルマを同時にこなしていくには、時間が足りなかったのだと思う。
だが、これ以上時間をかけられる余裕はない。
フロントにとって2012は綱渡りのシーズンで何かが失敗した時点で本当に倒産もあったのだ。
その為に本当に多忙だった事は記しておく。

だが、多忙さに加えて、長年の放漫な運営野のツケでクラブスタッフに
「約束を履行しないでも何とかなる」的な発想がはびこっており、
平然と事前の申し合わせや約束事項を失念、無視する事が多かった事は忘れてはならないし、
今後はもう許されない・・絶対に変えていかなければならない事だと思う。

そんな状態ではあるが、クラブ役員達は経営安定化へ各所に頭を下げ続け、粘り強く交渉を続けていた。
スタジアム問題の解決、来季スポンサーの確保、そして4月の試合で大混乱だった運営改善も継続、
夏頃から準備を始めた持株会は11月には第2次増資で資本金を2億超えさせる。
そして、ついにクラブライセンスの条件付交付。

多くの批判や怒りにさらされながらも、結果的に目標を達成。
内情は紆余曲折ではあったが見事に成果を挙げた。これは素直にクラブスタッフの努力を讃えたいと思う。

こうしてJ昇格の資格を得て・・チームはいよいよJFL優勝へ向って行く

つづく

  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月19日

2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり②~

さて、昨日の続き。
2011年から一歩進めたスタイルを模索した長崎だが、結論から言うとこれは半分しか成功しなかった。

JFLは後ろに引いてロングボールのチームが多い。
CBが前に上がればそれだけ裏を狙われる事も多く、長崎のCB陣はスピードにやや難がある。
その為にCBは90分通してラインを高く保つのが難しく、
パスを散らすにも後ろに下がり過ぎて上手く機能しない・・となった。

だが、前線で中山に代表される献身的な守備があった事でチーム全体での守備の意識は確実に上昇した。
だが、同時にそれは選手に徹底的な走りを要求するもので、
所属選手が少ないチームにとって疲労は大きな悩みの種となっていく。

こういう状況の為に長崎は目指す形の片鱗は見せながら序盤戦の内容でもどかしさが出た。
徹底的に前線が走る事で守備は上昇したが、疲労などが地味に攻撃に影響を与え、
チャンスを作るが後一歩決定的を決めきれない。
また、サイドバックの強化を見据えた古部、前田のコンバートはまだまだ荒削り。
更にエース有光が例年にない苦戦のスタートダッシュとなり、
水永も怪我を抱えてのプレイとなるなど、思い通りに戦えなかった。

それでも「J昇格への手応え」はチームを大きく後押しした。
佐野さんのチーム内をまとめてファミリー的雰囲気を作る手腕も上手く作用し、
5月のアウェイ讃岐戦に勝った辺りから怪我人が徐々に戻り、チームのムードが上昇していった。

濃霧中止で1試合試合消化が少ない事、17チームでのリーグ戦で変則日程であった為に判り難かったが、
実は前期終了時点から実際には首位を走り続けていた。
長崎はリーグ終盤戦で苦戦するが、事実上は首位を堅持していたからこそ、
苦戦しても中位に落ちずにいた訳で、実際はこの戦力を活かした圧勝優勝だったのである。

とは言え、昇格のプレッシャーは強烈なもので、確実に長崎を追い詰めて行く。
そんな中で徐々に目指すスタイルとは違う、
「前線での水永のポストに頼る」シーンが増えていくのであるが、
そんな中でも交代時には常に攻撃の選手を投入するあたりに佐野さんの攻撃志向が伺えた。
大胆な攻めの采配とベースの戦術という佐野さん本来の強気と
水永頼みや交代の固定化、交代時期の遅さなど垣間見える弱気が交錯する事が多かったと言えるだろう。

ちなみに懸念された選手層の薄さであるが、
前期不調だった有光が夏頃から復活した事、例年、腰の故障に悩む神崎が通年を通して活躍した事、
前期からずっと試合出場を見合わせていた山本翔平の起用などがあり、
結果的に前期活躍した選手の穴を負傷などから復帰した選手が埋めて行くという
「チーム全員」で戦う事になり、何とか破綻する事はなかった。
特に有光は復調後は引き分け試合を勝利にし、
負け試合を引き分けに持ち込む活躍を見せてエース健在を印象付けた。

J2昇格が現実味を帯びる事でチームの一体感は強まり、
苦しい時期に由紀彦が自らの経験を話したりして
チームを一つにまとまりやすい環境を作っていった。

つづく  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月18日

2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり①~

さて、昨日の予告通り、2012V・VAREN長崎のシーズン総括の第1段。

例によってまずは昨年のシーズン後の事から書く。
2011年の長崎は5位でシーズンを終えた。順位こそ前年と同じだが上位争いをした上での5位であり
「2011年に優勝争いし2012年に優勝」という方針に沿う結果にチームは手応えを感じていた。
この「2年かけて監督が全権を握ってチームを作る」という状況は昇格断念やフロントが運営や経営に追われ
チーム強化を事実上、佐野さんへ全権委任した事で実現したプロとして稀有な事例だとは記しておく。

2012シーズンのチーム強化方針は「センターライン。特にGKとCB」。
しかし補強は難航する。2012年はJからJFLへ移ってくる選手が例年の半分規模だったのだ。
長崎の補強リストで「A」ランクとされていた選手36名の中にはJ1に行く者もあった。
こうして長崎の補強は昨年同様にJFLにいる実力者を集めるという路線となる。
佐野監督の強化手腕はJFLレベルでは傑出しており、多くが成功し優勝の大きな原動力となった。

 一方、問題視されたスタジアム問題であるが、3月時点でフロントは高確率でクリア出来ると判断していた。
しかし、微妙な問題も含む為にメディアに「大丈夫」と言い切る事は出来ない。
その為に「大丈夫なんじゃないかと思ってる」とコメントを発したのだが、
メディアからは「楽観的過ぎる」と言われたりした。

2月、現場は佐野さんがチーム作りを進めていた。
ベースは既に出来ており、3年目に目指したのは足りない部分の補強となる。
2011年までの長崎はセットプレイの失点が多かった。
佐野さんはこれを「GKの守備範囲の狭さ」と判断し、JFL屈指のGKである原田を獲得。
セットプレイの守備方針を吉本GKコーチに一任する。
古部は当初から右SBとして獲得し、更にマイケル、河端らも獲得しリーグ屈指の戦力を有する事となった。
2012年に目指したスタイルだが・・2011スタイルの正当な進化系を当初は目指していた。

2011スタイルから説明すると・・こう。




 攻撃時はボランチから前が総攻撃。
これに両SBも加わり、ボランチ2枚の内1枚も上がって最大で7名がゴールに迫る。
この時の守備はCBとGKにボランチの1枚が加わる。
この残ったボランチは中盤の底で守備以外にパスでサイドをワイドに使う。

これに対して2012に当初目指した形は



CBを攻撃時に2011のボランチの位置まで押し上げて、CBがパスの散らし役となる。
CBが上がってくる事で昨年までパスの散らし役となっていたボランチが2人共攻撃に参加する。
これによって2011年より1枚多くゴール前に迫る人数を増やすというスタイルだ。
CBが前に上がる為の守備の不安は攻撃陣がプレスを前から徹底的に行う事でカバーする。
相手がボールを持ったら急いで後ろに戻って守るのではなく、
一番近い選手が速攻で相手にプレッシャーをかけてボールを奪いに行くというものだ。
POSにこだわらない全員攻撃・全員守備の形を実践しようとしていたのだ。

そして、実際はどうなったかと言うと・・と言う所で明日へ続く。

(つづく)  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎

2013年01月17日

V・VAREN長崎シーズン総括シリーズ予告

2013のV・VAREN長崎が始動した訳だが、明日から例年書き続けている

シーズン総括シリーズをやろうと思う。

2008の総括「ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー」

・ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー その①
・ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー その②
・ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー その③
・ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー その④


2009年の総括「俺達が昇格出来なかった理由」
・俺達が昇格出来なかった理由 その①
・俺達が昇格出来なかった理由 その②
・俺達が昇格出来なかった理由 その③
・俺達が昇格出来なかった理由 その④

2010年の総括「長崎の非常、V・ファーレンの無常」
・長崎の非常、V・ファーレンの無常 その①
・長崎の非常、V・ファーレンの無常 その②
・長崎の非常、V・ファーレンの無常 その③
・長崎の非常、V・ファーレンの無常 その④
・長崎の非常、V・ファーレンの無常 その⑤

2011年の総括「長崎の失敗、そして・・再生」
・長崎の失敗、そして・・再生 その①
・長崎の失敗、そして・・再生 その②
・長崎の失敗、そして・・再生 その③
・長崎の失敗、そして・・再生 その④
・長崎の失敗、そして・・再生 その⑤

我ながら毎年こんな暗いタイトルでよく書いているもんだ。

クラブや関係者に反発されたりしながら書き続ける同シリーズ。

2012V・VAREN長崎総括シリーズ「終わりの始まり、始まりの終わり」

明日くらいから書こう。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 21:08Comments(0)V・V長崎

2013年01月13日

V・V長崎昇格 J2昇格記念本 情報②

ようやくV・VAREN長崎J2昇格記念本「WiN(ウィン)」が入稿し印刷に入った。

さて、実はこの本・・契約書こそクラブと夏には交わしていたのだが、
昇格決定から2012年11月一杯までの間に色々あって、1度は製作を辞め様とした物だ。
その為に正式に製作に入ったのが11月末からな上に、年末年始のオフもあり、
実質20日程度という馬鹿スケジュールで完成させた。
しかし、20日でよくぞここまでという内容には仕上がったと自負している。

今日は簡単に中身を紹介しようと思う。

まず、本は大きく4つのパートに分かれている。
「昇格決定」
「2012シーズン」
「佐野達の3年」
「佐野達が来る前」
だ。

昇格決定のパート
オフィシャルカメラマン山頭さんの写真がガンと良い仕事している。
見開きドーン!!!!未公開写真もあり!!
出来るだけ余計な文書をつけず山頭さんの写真で昇格のあの日を理解して欲しい。
その後は現役選手のインタビューだ。
由紀彦、有光、中山、神崎、松橋、近藤、水永、吉本哲GKコーチ。
そして・・実は独占で佐野さんのインタビューも取っている。無論、退団後だ。
さらに、全選手、スタッフから今シーズンを表す一言も貰って掲載している。
更に現フロントとして原田、加藤、竹村の3OBの座談会も掲載。

2012シーズン
2012年の全公式戦をフォーメーション入りで紹介。読めば一年の戦いが全て判る。
更に、最多出場時間の選手は?最多シュートは?など2012年V・VARENの全データを掲載!

佐野達の3年
佐野就任から2010年、2011年そして佐野達という監督は長崎にとって何だったのか?
多分・・佐野さんにここまでフォーカスをあてた本は初。読めば長崎の佐野さんがよく判る。

OBインタビュー
V・ファーレンの各時代を彩った選手にインタビューを敢行。今だから話せる事も!!
佐野裕哉の「忘れ物」はどうなったのか?
田上渉が振り返る2006年の地域決勝は?
久留が郷里でなく長崎で指導者になった理由。
阿部博一が”長崎”と聞いて今も思う事は?
重工から移籍する時、水田月満が考えた事は?
大塚が長崎へ来た理由は?
福嶋洋はなぜ引退を決めた?
税所義博にとってV・ファーレンとは何だったか?

更に2005年から2012年のV・VARENの全個人記録も掲載!
通算最多得点者は?最多アシストは?連続出場記録は?全部掲載!

これだけ掲載してたった1,000円という某宗教団体も真っ青の人件費ゼロ本!
写真の映えや紙質にこだわった為に1冊1445円の原価本を1,000円販売の強行
こんなバカな事をやるのも昇格した今回だけ。

V・VAREN長崎 J2昇格記念本 「WiN」(ウィン)。
定価:1,000円。
書店販売は県内のTSUTAYAスペースMのみ。
通信販売はVistaで受付!
販売は超小部数。売り切れ確実!  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 01:53Comments(0)V・V長崎

2013年01月09日

人間関係は大変だ

ハッキリさせねばならないと思っている事がある。
それはネットや、スタジアムでチラっと見た程度しか
俺や俺の周囲の仲間の事を知らない人たちにちゃんと人間関係を整理し教える事だ。

俺の周りの人物相関はかなりグチャグチャに誤解されているらしい。
特に直で俺を知らない人は大変な間違いをする。

まず、俺は「のほほん」ではない!これだけは何があっても強く否定しておく。
JFL昇格時に発売されたJFL昇格本【vi;】を持っている人は表紙を見て欲しい。




左が「のほほん」こと「デュカ」で、右が俺。



デュカは佐世保在住でtwitterでよく呟いている人だ。
基本、いつも一人で動いていて、どっかのTeamや団体に属してはいない。
お金持ちの1ファンだ。別に特別何かを仕切ったりしてはいない。
色んな意味でいつも楽しそうだ。

ちなみにオフィシャルカメラマン山頭さんは以前、某アウェイで
「あの、いつも試合に来てますけど、「のほほん」って名前でTwitterで呟いてる方ですか?」
と言われ大層、困惑したそうだ。山頭さんはこの人だ。



それから、俺はSenjii君ではない。
俺とSenjii君はヒゲのある無しで見分けをつければつけやすいと思う。
ヒゲありverがSenjii君。ヒゲ無しが俺だ。
俺とSenjii君は雰囲気がパッと見て似ているらしいし、
オマケに前のULTRAの太鼓は俺、今はSenjii君なので余計に紛らわしい。
Senjii君のお母さんが素で見分けつかない事がある位だ。

Senjii君は穏やかな物腰なので“良い人”と呼ばれているに対して、
素直じゃないだけで偽悪者ぶってる(実は小雨の中で子猫を拾ったりする)俺
そのまんま“良くない人”と思われている。
その為、Senjii君が何かをやらかしても俺がやった事になり、
俺が良い事をすると「あれは福島さんの旦那さんに違いない」と思われる。

何かもう、「俺がアイツで、アイツが俺で」みたいな・・
映画「転校生」状態で俺だけが差別を受けている。
とんだ青春ラプソディだ。

こんな状態でもう俺の周囲は人間関係が無茶苦茶に理解されている。
ある人は俺と修平君を兄弟と思っていたらしいし、
別の人は、俺と美由紀(みゆたん)さん、
雄二さん亜由美がそれぞれ夫婦と思っていたらしい。
どんなビバリーヒルズ青春白書だよ!

  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:09Comments(0)日記・コラム・つぶやき

2013年01月06日

V・V長崎昇格 J2昇格記念本 情報①

何回か告知してるんだけどいよいよ今月発売予定なのであらためて・・

「2012V・VAREN長崎公式イヤーブック」
「2012V・VAREN長崎公式マッチデイプログラム」
を作ってきたTeamV-istが現在「V・VAREN長崎 J2昇格記念本」を製作中。

A4サイズ、カラー60P。定価:1,000円。
1月21日発売予定。

昇格の瞬間はオフィシャルカメラマンの山頭範之の写真!
2012シーズンの全試合記録、2005~2012年V・VARENデータ完全網羅。
特に合計20ページに及び現役、OBインタビューは自信あり。
今回はそのインタビュー対象とインタビュータイトルを公開。

佐藤由紀彦:過酷な環境で得たものは、最高の仲間と再確認したサッカーへの想い。
有光亮太:信じたその先へと・・ 何度も苦しみ戦い続けたエース。
松橋章太:長崎が育んだスピードスターの凱旋。
近藤健一:夢中で練習し続けた長崎の守護神。
神崎大輔:己と戦い続け、キーマンへと成長した長崎のダイナモ。
中山悟志:優勝しかない!走り続けた1年。サポーターが選んだ今季MVP。
水永翔馬:より高く!より強く!
吉本哲朗:GKという生き方。

田上渉:V・ファーレンと田上渉の辿った道。
税所義博:苦しいポジションをカバーし続けた鹿児島生まれの長崎人。
水田月満:現役最後と決めたV・ファーレでのサッカーは原点回帰。
佐野裕哉:忘れ物を取りに行きたい。
久留貴昭:サッカーとは人生
福嶋洋:長崎を愛し、長崎から愛されたFWの新たなる道の始まり。
阿部博一:何処までもストイックに。
大塚和征:このチームでもう1度Jへ。

更に原田武男、竹村栄哉、加藤寿一も準備中。

そして・・シークレットが1名。

圧倒的小部数でのみ製作。
現在、長崎県内野TSUTAYAスペースエムで予約受付中。
予約者には2012V・VAREN長崎選手カードの非売品レアカードプレゼント。

定価1,500円で売らないと赤字なのに1,000円で売ってしまう目先戦略!
増刷はしません。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 00:57Comments(4)V・V長崎

2013年01月01日

総附の事と1年坊達との思い出

去年は高校年代とV・VARENの試合やイベントが重なる事が多く、
例年に比べると半分程度しか試合を見れなかったので、
余り書かなかったのだが・・今日は総附の話題でも。

2012年度の総附は県内での高校年代では公式戦無敗。
新人戦、高総体、選手権予選、県リーグ優勝と文字通り無敵状態となった。
一応、布陣は4-1-3-2もしくは4-2-1-3だったりするのだが、守備時は実際には5バック、攻撃時は3バック。
マンマークや前線への長いパス、サイドゴリゴリの攻撃は、
小嶺先生が島商、国見でやってきたスタイルを正当に継承している。

さて、たまに報道などで、
「小嶺先生はかつて自身が声をかけて入学させた生徒が
 国見を卒業するのを待って指導に本腰を入れて云々」
というのを目にするが・・
それは余りにも短絡的で小嶺先生という人を知らない、言うまま記事にしただけの物だと思う。

小嶺忠敏という勝負師はそんな生易しい御仁ではない。

小嶺先生と言う人の勝負に賭ける本気度や執念は生半可なものではなく、
教育者小嶺忠敏とは別人と考えて良いくらいだ。

だいたい、卒業するのを待って云々と言うのは、
その間に総附にいた子に余りに失礼だし、
同じく日大や島商の選手権などでの栄冠を貶める物だ。

かつてと違い、近年の長崎のユース年代は大変な状態となっている。
かつて国体少年の部で優勝した長崎少年男子はここ数年、九州国体を突破出来ていない。
中学時代から有名な選手の大半は県外のJユースなどに進学する。
実際、V・VARENU-15の主力も県外へ流出する事が確定的だ。
県内の有力選手を長崎県内につなぎとめる事が出来ない状態なのだ。

そんな中で高校として実績がない総附が県最強になる為には、
小嶺先生だけでなく定方さんら多くの関係者がどれ程の苦労があった事か・・。
その偉業を小嶺先生は凄いだけで片付けて欲しくない。

ちと話が逸れた。

個人的には今回、選手権初戦が静岡と聞いて(厳しいな)っと思った。
王国静岡の底力はやはり高い。多分、個勝負なら常葉橘が総附より上だろう。

そんな話を小嶺先生の島商時代の教え子で、小嶺先生をもっとも良く知る人の一人であり、
自身も少年サッカーチームの指導をしている大山さんにしたら
「1回戦はイケると思うよ。」と言われた。

「総附のやっている(小嶺先生の)スタイルはそういう静岡勢を倒してきた実績があるから。
 そういう相手をどう崩すかを知ってる。
 だから、僕は相手が静岡と聞いた時点で、これはイケるかなと思った。」

そしてその通りだった。
定方監督らも上手く選手をノセたのだろう・・選手がよく集中していた。
PKでの勝利だし、ボールを保持していたのは常葉橘だけど、総附は崩れなかった。

PK戦の勝利で立役者となった総附のGK田中祐昌君だが、
彼は島原一中時代に全中で準優勝した時のメンバーで県内屈指の逸材だったりする。

2010年。俺がまだULTRAでバスドラ叩いて応援していた時に、
総附の1年生が俺らの後に並んで何度か応援した事がある。

その時に、彼らをリラックスさせがてらに話しかけた際に、
彼らが「こい、上手で有名やった奴ばい。」と言うので、
その子の名前を聞いたら実際に有名だった前川聖也君で「知っとるぞ!」と答えた。
その後、「じゃぁ、こいは?」と言われた子が・・このGK・・田中祐昌君だったりする。

ピッチの外から一緒に応援してから3年、
彼らは選手権のピッチで今度は輝いた。とても素敵な事だと思う。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 15:00Comments(2)高校・ユース