2010年05月01日

長崎の負の連鎖を断ち切る為に・・前編

これまでのV・V長崎は指針やチームコンセプトを打ち出してこれなかった。
「地域密着」「県民に愛される」そういう抽象的理念はあったし、各人の中に「こんな風な」という思いはあっても、それを理論立てて示す事は出来なかった。頭の中にある理念を具現化する為の道筋を示せなければ、それは単なるアイデアに過ぎない。



例えば、長崎という街にあうチームは?と検討された事もないし、どんな年齢構成でチームを作るのが良くて、その為にはどんなサッカーが適切で、そのサッカーを指導出来る監督は?なんて示した事は1度もない。理念を具体化出来なかった上に、親会社もないクラブは、Jという既に具現化された夢にすがらねばならなかった。ここに根本的問題がある。



2005年は「Jを目指すチームを作る事」に追われて体制を整えるのに精一杯。2006年は「J昇格」に追われ、地域決勝前に不必要な補強を行い失敗。(補強選手やスタッフに非はない。あるとすれば、このような決断を下したフロントだ。)2007年は「J昇格」と「S級」という資格に振り回され失敗。2008年、迷走の末に昇格をしたが、総括不十分で継続し、翌年は監督解任や昇格断念を経験する事となった。



ゼロから始めた為にチームは常に忙しかった。
クラブの通常業務、KYUへの昇格、JFL昇格への昇格、準加盟申請、・・気付けばずっと自転車操業だった。6年目に入り、フロントの人員も増えたし、知名度も上がった。進歩した面もある。だが、長崎に、らしい戦い方はあるか?長崎らしさは見えるか?何が長崎らしさか?長崎の伝統は?こういった部分では・・悪い言い方をすれば、2005年と状況が変わっていない。勿論、一朝一夕に伝統は出来ない。だが、明確な方針や指針無しには伝統は永遠に出来る事はない。
目先の事に集中しすぎてしまった負の連鎖が存在するのだ。



 そこで、去年末から長崎はその辺を改革しようと体制や仕組みをあらためた。そしてクラブ側は再三「日本最西端の地方クラブは他と同じやり方では駄目。常に独自の方法を探らねばならない」と口にした。「1年で変えるのではなく、継続性を大事にしたい」とも口にした。5ヵ年計画も策定した。目の前の業務をこなしながら、先を見据えてという方針だ。



それは計画だけ、口だけでは当然駄目で実行されなければならない。実際、それを受けて体制は大きく入れ替わり、部署も配置変えも行われた。枝折君の入閣は彼の今の手腕以上に、しっかり経験を積ませて将来の中核スタッフの1人にしようという・・将来を見据えたものだ。そして、当然ながら佐野監督の招聘もその方針に則っていなければならない。「いや、佐野監督だけは目先を・・」なんてチグハグな運営はありえないのだから。



 佐野さんのスタイルは基本的に不変だ。草津で指揮を執っていた時と変わらない。微調整や成長はあるだろうが、根本は変わらない。長崎はそれを把握した上で招聘している筈だ。つまり、クラブは佐野さんの目指すサッカーをある程度容認し、土台の一つに加えようとしているという事だ。そうでないのならクラブは未だに迷走しているという事だ。



明日に続く。



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Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 21:40 │Comments(0)V・V長崎

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