2010年01月31日
2010新人戦 国見vs波佐見
今日は朝から高校の新人戦決勝「国見vs波佐見」を見に行く。
国見は例年通り、新人戦の応援は物凄く少ない。
国見、波佐見共にキックオフは4-2-2-2のオーソドックスな布陣で試合開始。
立ち上がりから経験値と個人技で上回る国見が結構攻め込む。プレスも中々頑張ってる。しかし、国見は攻撃で中央を狙うのが早すぎて今一つ。
逆に押されながらも波佐見はサイド攻撃を丁寧に展開。サイドで優位に立つ波佐見もジワジワと反撃していく。
この時間帯に波佐見が先制していれば展開は変わったかも??
しかし、先制は国見。一種交通事故と言っても良い様な素晴らしいミドルが決まり先制。これで固さが取れたのか、国見はサイド攻撃が機能し出す。先制点を挙げた右サイドの井上君がよく起点になっていた。
更に波佐見のGK、増田君のミスキックから国見に2点目を謙譲。正直、これで勝負あったと思ったが、波佐見が右サイドを突破し同点。狙った形の得点で波佐見に勢い生まれた所で前半終了。
後半、国見は攻撃時は3バックに近い4バックを採用し前線は3トップに。
この布陣変更が当たる。国見のサイドが高い位置を取る事で波佐見の両サイドをジリジリ押し下げさせる。波佐見の両サイドが無理に上がっても前線で孤立気味。サイド攻撃という翼をもがれた波佐見はペースを握れない。
しかも3バックは往年のフラット3を彷彿とさせる並びをしながらマンマークで波佐見のカウンターを封じる。
国見がペースを握る中、深い位置からのロングボールに抜け出した東矢が1対1を難なく決めて3-1。しかし、この後、国見の運動量が低下。波佐見がセットプレイから1点差に迫った事もあり徐々に波佐見の追い上げムードへ。
しかし、ロスタイムの決定機も決まらず3-2で試合終了。
国見は経験値という点で1歩抜きん出ていたと思う。
波佐見は鎮西、日大といった強豪を破ったのは勢いではなく地力だと感じた。
前日の準決勝も少し見たが、総じて上位校の間に現時点で大きな差はない。上手い子はいるが抜きん出ている子もいない。
個人的に今年の層的には日大が1番、次が国見だと思っている。来年の話をするなら恐らく海星が抜きん出ているけどね。日大は準決勝で右SBの使い方が特殊な変わったシステムを使っていたし、どの学校もまだまだ試行錯誤だろう。
まだまだ先があるだけに今年の高校サッカーも楽しみだ。
とりあげずは国見、波佐見両校には九州大会での活躍を祈りたい。
2010年01月30日
日本ではスポーツで金は稼ぎにくい?その③
3日連続となったこのネタの続き。
さて、英国のエリート層から発生したアマチュアイズムと、庶民から発生したプロ。その概念が文化対立が少なかった東アジア・・特に日本ではスポーツの概念が発生しにくかったのは前回書いた通り。
その続きをどうぞ。
歪なスポーツ概念の日本。
しかし敗戦によってスポーツの概念が日本に次々と入ってくる。この中で会社の知名度向上と社員の福利厚生を目的とした企業スポーツが生まれていく。企業スポーツは会社の意向が全てを左右する。一般の協力・地域密着も必須でない。ビジネスでないのなら金銭を生み出す仕組みは必要ない。
しかし、時代は進み様々な価値観が流入し日本でも徐々に日本スポーツのありかたが歪だぞっと皆が気付き始めた。更に以前と違って社員の士気高揚という意味もなくなった企業スポーツは単なる不採算部門となった。当然だ、ビジネスでないから金を生む仕組みを作ってこなかったのだから。
こういった中で「スポーツで金を稼ぐ」を目指して作られたのが「J」だ。Jはそれまでの不人気スポーツで資金難だった経験を逆手にとってマネジメントを導入した。それがJの100年構想であり、地域密着だ。
それは理想論的で、マネジメントに失敗した事も多かったが、何とかかんとか・・「金を稼げる可能性はあるかもしれない」位までの仕組みを作り出した。つまり、日本のサッカーで「Jだけが金を稼げる可能性がある」かもしれないのだ。それは「J以外は金を稼げる可能性が無い」事を同時に意味する。
例えば・・JFLを見て欲しい。
入会金や年会費も取りながら、試合日程は「金が稼げそう」より「全国的にやりやすそう」だ。Jでは早めに翌年の経営戦略を立てやすいよう12月には来期日程を公表する。早い方が準備や計画を立てるのに有利だからだ。
JFLでは12月に日程の予定は出ているのに、2月まで公表は出来ない。
(今年は各チームがせめて1月中に出すべきと交渉して第2節まで発表された)
だからイベントの準備も募集もできやしない。チームによって運営レベルはバラバラ。地元以外のマスコミは取り上げず、ネット中継のハードルも高い。JFLの悪口ではない。J3を作れとかも思っていない。J以外に金を稼ぐシステムの無い事を証明しているだけだ。
Jを目指すチームはビジネスが必要なのに、金を極端に稼ぎにくいシステムのリーグで戦っている。ここに矛盾があるのだ。
企業チームにとっても金を生み出さないリーグに在籍するには会社の手厚い保護が必要となる。会社に損してもらうしかない。
金を生まないシステムの中で発展してきた企業スポーツが「社内士気向上」や「福利厚生」といった目的を無くし、単なる不採算部門でしかない今、存続は会社の善意に頼るしかない。善意である以上・・いつ「やめました」となっても不思議はないのだ。
日本のスポーツは学校スポーツと企業スポーツが担ってきた。この2つはまだ日本にとって重要な要素を占める。今、本当に必要なのは企業スポーツが会社の善意に依らないで存続出来る・・自助努力が金銭を生み出す可能性のあるリーグの存在だ。
市・県・地域・JFL・・選手や所有会社の負担を少しでも軽くして、長く、安定してフットボールの出来る環境へ。J創設に次ぐ、新しい日本サッカーの改革が求められいる。
少なくとも犬飼とかいう浦和万歳主義の爺さんが散々否定されたのに・・蒸し返しているシーズン移行に予算やら時間やらを使う暇があるなら、お前は他にやる事が山積みだよと。
ワールドカップを単独招致するのも大事だけれど、まずは足元の日本サッカー界の更なる構造転換が必要だろうと。
そんな事を西の果てに住んでいるもの好きは毎晩考えるのだ。
2010年01月29日
日本ではスポーツで金は稼ぎにくい?その②
英国のエリート層でアマスポーツの概念が発生し、それが民間に広まる中でギャンブルと結びつき、プロという概念が生まれた事、その発生理由からプロがビジネスとは切り離せない事は前回書いた通り。その続き。
さて、海外ではアマ・プロのスポーツという概念が発生したが、日本ではスポーツという概念は無かった。行われるのは”競技”であり”芸能”であったからだ。
競技は呼んで字の如く「技を競う」事が目的である。魅せて金銭を得るのは芸事(げいごと)と呼ばれる舞や演奏である。
例えば相撲は元々は武術が神事化したものだ。後に相撲には芝居小屋的要素を取り入れ興行を打っていくが、実際は奉納的性格が強くプロスポーツまでは至らなかった。柔術や弓術や剣道も護身術であり、披露する事を目的としない。
東アジアは宗教的に雑多であった事や、比較的欧州より文化対立が少なく、精神文化が重視されてきた為に特に、自分をPRする、魅せる事へのタブーが多い。剣の達人は戦うより戦わない事を最上とし、身につけた技を見せる事を軽々しく行わない。特に島国の日本はこの傾向が非常に強く残った。
この為に日本ではプロスポーツっといった概念が表に出てきにくかった。
江戸後期にスポーツの概念は日本にもたらされたらしいが浸透していない。更に明治に入り、「富国強兵、殖産興業」の国策が取り入れられるとスポーツの遊戯的面が受け入れられず、心身強化の為の国民体育としてスポーツが認識されるようになってしまった。
つまり、日本ではスポーツが教育・鍛錬の部分のみを目的に取り入れられ遊戯的面を排除してしまったのである。
ここでスポーツに対して決定的な間違った入り方をした事が日本スポーツの不幸だ。
元来、SPORTという言葉自体がラテン語のportareの否定形で「働かない」という語感から、古フランス語のdesport「遊ぶ、楽しむ」を経てSPORTになった。
だから、海外ではスポーツをPLAYする。
だが、日本ではそれを真っ向から否定してしまった。
後に「楽しむ」の概念が広まり、五輪で多くの選手が「五輪を楽しむ」と発言して惨敗した時に叩かれまくったが、発言した選手も、叩いた方も「楽しむ」の意味が互いに根本から違っていたようだった。それもこの歴史が背景にあるんだろう。
さて、こうして教育・鍛錬として広まった日本のスポーツが精神論や勝敗に過敏になるのは当然だった。鍛錬した以上は成長せねばならん。教育である以上は向上せねばならん。教育であり鍛錬なのだから金が動くのはもっての他。
こうして大英帝国で生まれたアマチュアイズムに近い日本的スポーツの概念が作られていく。
教育や鍛錬が主なのだからスポーツ界の偉い人に教育関連出身が多いという名残が今も残っている。
この概念も時間が経つにつれて微妙な変化をみせていく。
それはスポーツ自体が持つ楽しさやワクワク感などの力なのだが、社会として日本ではスポーツがビジネスへ大手を振って存在する事は厳しい時代で、それへの隠れ蓑として次第に企業スポーツという東アジアの特殊なシステムの芽となっていくのだ。
続く。
2010年01月28日
日本ではスポーツで金は稼ぎにくい?その①
「三菱水島」のJFL脱退やら「かりゆし」や「ヴァンクール」の解散が決定するなど世間ではフットボールを高いレベルでやっていくのは中々に難しい時代だ。
元来、日本ではスポーツがビジネスとして成立しにくい社会だ。
その辺をプロの誕生やアマチュアイズムの誕生から3回程度に分けて書いていこうと思う。っという訳で1回目。
まず、プロフットボーラーっと言うものの誕生について考えてみる。
当然ながら最初はプロフットボールなんていない。全員がアマチュアだ。
時は大英帝国全盛の時代にさかのぼる。
当時、世界中に植民地を抱えていた大英帝国は人材育成の必要に迫られていた。
植民地統治というのは大変難しい。何しろ、宗主国(大英帝国)の国益にプラスとなるには植民地自体を発展させないといけない。インフラ、経済の整備を行って植民地自体の国力が上がらないと大英帝国の国益も上がらない。その為の政策を第一として効率的な運営を行わねばならない。余りやりすぎれば大英帝国へ反乱が起きるし、植民地の統治者が力を持ちすぎれば大英帝国の言う事を聞かない事もある。
その為に、植民地統治に関わる優秀な人材を育てる必要性に迫られる。
そこで士官学校でチームワークやら集団の中の1人、そして頑健な肉体作りを学ばせる為にフットボールが取り入れられた。フットボールが取り入れられたのはルールが単純で流行っていたし、道具も少ないチームスポーツだからだろう。
そうやって、士官学校でフットボールを行ったエリート層には次第に「スポーツマンシップ」とか「フェアプレイ」とか「勝敗が第1ではない」といった現代で言う「アマチュアイズム」が誕生する。
元来、アマチュアイズムはエリートの思想だった訳である。
しかし、フットボールが次第に庶民の間に広がるにつれて別の傾向が生まれ出した。ギャンブルである。人気のフットボール・・その勝敗がギャンブルの対象となるのに時間はかからなかった。
そして、ギャンブルに大事なのは”勝つ事”と”格差”だ。
勝てば掛けた方や、勝った当事者は金を得る。
格差があるから大穴や一発逆転が生まれギャンブルは成立する。
こうしてギャンブルの中でフットボールの上手い者を集めて強いチームを構成する事が行われるようになり、それがプロへとつながっていく。
これがプロの誕生である。
つまり、本来はアマチュアこそがエリートであり、プロは非エリートの産物なんである。今では逆の印象を受けるけれどね・・。
これが欧米の根幹にあるプロとアマの概念である。
つまり、金が動くからが発生したのがプロであり、プロと金・・つまりビジネスは切り離せないし、だからこそ欧米での契約は非常に細かい事まで交される。
徹底したビジネス・・ある意味で最も原始的なビジネスなのだから当然だ。
これに対して東アジア・・特に日本は非常に歪なスポーツ発展を遂げてしまった。東アジアでプロスポーツが強固に成り立たない最大原因がこの歪な歴史にある。
続きは次回。
2010年01月25日
日曜の断幕補修
日曜は応援に使う横断幕の補修作業。
シーズンを通して陽にさらされ、雨に濡れ、南は沖縄の北谷かた、北は秋田の仁賀保まで駆け回った横断幕はペンキがはげ、破れも出る。年に1~2回、補修作業をせねばならない。
俺の場合は運良く「チームの始動」を見にいけたが、大半の者にとって週末は新しいV・VAREN長崎を見に行くチャンスだろうに大勢参加していた。
朝イチで到着したので、皆が揃うまでの間、琴海の海で「男ドあほうフィッシング」!!!
どう見ても「メバルがいます」って具合の藻を狙ってるのにアタリほとんど無し。
途中、1回「ん?」ってのがあってワームを見たら千切られている。
フグにしちゃ変な感じだったが・・以後何もなく釣り終了~。
ちなみにこの日はササキさんの誕生日が早いのでプレゼントをあげた。
1人暮らしのササキさんの暮らしに役立つ物として家の中を捜索した。
朝の慌しい時間にもすぐに味噌汁が飲めるよう「伊万里牛の牛みそ汁」を1袋。
夜の慌しい時間にもすぐに食事が出来るよう「永谷園のさけ茶づけ」を1袋。
トレードマークのメガネをいつも美しく保つ「眼鏡市場のメガネクリーナー」1本。
お金が無くても魚を釣って食べられるようマグロとかを沖で狙う用ルアー。
もうササキさんに3枚くらいプレゼントした気がする上に、何でお前が持ってるの?とよく言われる「サン宮崎」ステッカー。
それらを自作したエコバックに入れて渡した。エコバックには「ちきゅう大好き」、「エコ命」とササキさんの口癖を書いておいた。
それだけでは何なので
俺が10年くらいまでタバコを吸ってた時に使っていた「98フランスワールドカップ限定ジッポ、イタリア代表仕様」をあげた。フランスワールドカップの時にトゥールースの町で当時の日本円で2万くらいだして買った奴だ。R・バッジォが好きだったのでイタリアにした。
売り子がブラジル人のオネェさんで、「ブラジル」「カンピオーネ」と散々、ブラジルを勧めるので「ノーノー、ロマーリオノー、Fコンセイソンリタイアダメージ」とか適当に言って買ったものだ。もうタバコ吸ってない俺には要らないものだからあげた。
ササキさんは「伊万里牛の牛みそ汁」の方が嬉しそうだった。
作業開始。
幕を塗ったり、休んだり、ダラダラ喋ったりしながら気楽に作業を続ける。
昼からはバーベQ開始。
今年の新曲を適当に作ったり、食べたり、釣りの話をしたりしながら宴は夜まで続いた。
帰りにULTRA釣り事業 育成普及部 福嶋ファミリーと「釣具のかめや」に行くとしまっている。!!せちがらい世の中はかめや24時間営業をやめさせる。
これから夜中の3:00頃にフイに釣りにいきたいくなったらどうすれば良いのか?
負けてたまるか?
冬でも海で遊ぶのだ!!
そう言えば先日のV・ファーレン長崎支援会で大山さんが「シーカヤックいらない?」っと言ってくれた。ありがた~く貰いうけよう。
2010年01月21日
新体制のフロントに望む事
戦力的な評価等は「期間限定」に書くとして今日は全体的な方針や体制について。
まず結論を言うならば「途上の体制」っと言えると思う。
佐野監督就任は昇格断念後から検討した方針に基づいているし、起用意図は理解出来る。昨年、東川監督をフォローする体制の乏しさが問題となったが、堺コーチ就任は最高のフォロー体制と言える。
堺さんがGK指導ライセンスも持っているのも大きい。年末に新スタッフにクラブから必ずコーチを1人は入閣させる様提言したが、枝折コーチ入閣はそれを実践した決定だ。
トレーナー陣も拡充し、昨年と比べて格段の進歩であり、途上ではあるが方向性も正しく実に良い仕事だ。この部分においてはフロントの仕事ぶりを高く評価したい。
ただし、昨年からほとんど改革されていないのがフロントの強化体制だ。
確認した訳ではないが現在、強化部は統括部の管轄化にある筈だ。
長崎にとって強化部は鬼門だ。
05年、06年は明確な担当を置かず運営。
07年に岩本さんが就任するもシーズン直前に監督再任となり、監督が強化部を兼任するという、某Jクラブの運営が「ありえない」と言う程の権限の一極集中状態となった。
08年の強化部選任で中村氏を招き昇格。しかし1年で中村氏は退団。
昨年、当初は東川さんがかなり強化部的役割を果たした。岩本さんがフォロー。途中で岩本さんの強化部就任を検討するが現場復帰により話は立ち消えになった。その後は統括部長の菊次さんが暫定的に強化部の仕事も行ったようである。
おわかりだろうか?
このクラブは昇格した年以外に強化部がまともに存在した事がないのである。
現在、明確に今年の強化部の発表は聞いていない。
今年しっかりクラブには強化部を確立してもらいたい。だが、その際に安易な決断はさけてもらいたいと思う。
現在のクラブでは立場、能力、人格的に強化部の候補にあがるのは役職を抜きに名前を挙げるなら社長、菊次さん、岩本さん、東川さんあたりになるだろう。
社長と菊次さんは役職としての立場上さすがに強化部専任は出来ない。
岩本さんはクラブ役員であり、顔でもある。今年は営業面などを担当してもらわねばならない。それは岩本さんの責務だし、岩本さんにしか出来ない仕事だ。
クラブの顔が肩書きをコロコロ変えたり、兼任では支援者は不安と不信しか持たなくなる。
東川さんは育成普及部の部長だ。育成クラブを目指す中で最重要ポストの一つだ。今年からJrユースが指導するクラブにとり兼任などはもっての他だ。
就任半年で強化部転任とかでは育成クラブの方針に反する。責任者がコロコロ変わったり、兼任で行われれば育成を若い選手の未来を預ける側は不安と不信しか持たない。
それに昨期解任された監督が半年も立たない内にトップ強化の最大責任者に就くのは昨期の解任決断の意味がなくなる。
本来、解任された監督にフロントの役職が用意されるのはクラブ経営的に正しい姿ではないが、長崎の人的事情や東川さんの育成歴を高く評価してこのPOSに就いてもらった筈。それを踏まえるとつまり、今期岩本さんと東川さんが強化部に就くことは妥当ではない。
しかし、今の長崎ではなかなか外部から人材を集めるのは難しいと思う。
そこで暫定的に両者の内どちらかが、もしくは菊次さんが強化部的仕事をするのは止む得ないと思う。しかし、それをシーズン通すべきではない。
昨シーズン練習に小嶺社長が暫定的に参加した事がある。それは一時的なカンフル剤として、空気を変えるという効果が期待されてのものだ。昨日もマネージャー不在の中で東川さんが道具片づけなどを率先してやっていたが同様であるべきだ。
現在、足りないのであれば強化部に妥当な人材をクラブは採用すべきだ。
もし、すでにフロントの人数が多いというのならフロント増員計画が無計画に進められたいう事で、あらためなければいけないし、金がないと言うならば事業計画、強化計画に問題があった訳であらためねばならない。
安易な内部人事の入替でなく、しっかりした強化部創設、充実を行ってほしい。
GKに適当な人材がいないからとFWからコンバートさせて、GKの補強もせずにシーズンを戦い抜くチームは無い。それをフロントにも置き換えて考えるべきだ。適当な人材がいないから、手近に人材がいるからと安易な起用を繰り返しては永遠に基盤にはならないのだから。
2010年01月20日
2010年始動
今日は昼から時間がちょうどあったのでV・V長崎の始動を見に行く。
親切なやっちん足のない俺の為に車で迎えてくれる。
やはり、包容力のある人間は違う。
始動日は ”雨” 。
逢う関係者、逢う関係者ごとに
「去年みたいに試合の時にふらん事ば祈りましょう」っと会話。
マスコミもよく来ていた。
「本来なら最初からガッっとやってほしいが始動日だしマスコミもいるし軽めかな」
っと思ったら結構最初からやっている。
竹もボールを蹴れるようになっていた。それがとても嬉しかった。
佐野さんの大きな声がよく聞こえた。
一度、底を見たせいか選手も総じて吹っ切れているようで良い感じで練習をしている。
佐野さんもJ経験が長いので顔見知りの選手やスタッフもいるのでややリラックスしている風だった。この辺は東川さんが苦労を1人で背負い込まされた苦い経験をちゃんと生かして改善されているんだろう。
あと、選手の肌が白いと皆で話した。近藤すら少し白く見えた。
「幸野屋が美白に見える。」
「いや、陽介の白さには適わない。」
「何か顔色悪くて具合悪くすら見える」
と噂しあった。
一発練習を見ただけなので何とも言えないが・・やはりポゼッションサッカーを目指すのだろうか?まだまだ層的にも薄さはある・・それでも2010年の長崎が走り始めた。
途中で、元事務局の山里さんと一緒に重工入りを発表した涼がスーツで見学にきた。
俺の家から歩いて20分くらいの所に住むので、「今度、釣り行こう」と約束。
やっちんは思案橋のゴレイロ補強候補としてチェックをしていた。
やっと、俺たちのシーズンも始まる。
しかし、諫早が担当地区の酒類販売企業の営業やら、仕入れ途中の居酒屋さんやらが平日昼間の練習を見学している様子を見て
「こんなに働かないんだから長崎の県内総生産は低いのかもな??」っと考えた。
2010年01月16日
2010年01月14日
県外から来た選手達向け楽しい長崎弁 初級辺
昨年、友達になったシン君は関西出身の人だ。
色んな事を話している内に知ったのだが、長崎弁が解らず苦労する事も多いと言う。
一緒に試合を応援していても、長崎弁による檄や声援の意味が判らない事もあるという。
「もっ、もしや、九州外出身のV・VARENの選手も長崎弁が判らず、声援の意味が判らないのではないか??」
これはイカン。全ての円滑な関係はコミュニケーションからだ。そこで今回は優しい長崎弁講座を中学校の英語の教科書風に書いておく。これを読んで少しでも意味が理解出来るようになれば嬉しい。
Lesson1:「練習場での会話」
Taro;
「こんにちは、おいが今度監督ばす、ハラタロウです。」
(意味:こんにちは、私が今度監督を務める ハラタロウです。)
Ellen;
「こんにちは。エレンです。そいで監督、おいたちはなんばすればよかっですか?」
(意味:こんにちは。エレンです。それで監督、私達は何をすればよろしいのですか?)
Taro;
「今日はだいぶすーすーすっけども、こうげきん練習ばすっけん。あんコーンとそんコーンんあろうが?まずはあんあいだばドリブルで抜く。抜くっ時はトップスピードば意識。そん後は、あそこんコーナーからクロス。クロスんきたら受けたもんは打って打ってうっつらかせ。おいはあっちでビデオば、とっとっけん。」
(意味:今日はかなり肌寒いのですけれども、攻撃の練習をしますよ。あそこのコーンとそこのコーンが判りますか?まずはあの間をドリブルで抜く。抜いてる時はトップスピードを意識。その後は、あのコーナーからクロス。クロスが来たら受けた人は積極的にシュートを打ちまくってください。私はあちらでビデオを録画していますから。)
Ellen;
「そいばってん、監督!相手DFのおらんば、あんまい意味んなかっちゃなかでしょうか?」
(意味:おっしゃる事はもっともで理解出来ましたが、監督!相手DFがいなければ、あんまり意味はないのではありませんか?)
Taro;
「そがん事はなかっちゃなかか?わいが自分で意識すればよかやろうもんが。」
(意味:そんな事はないのではありませんか?あなたが自分で意識すれば解決すると思います。)
Ellen;
「そいばってんさ、いくら意識したっちゃ、ほんとにおっとにはかなわんたい。」
(意味:おっしゃる事はもっともで理解できましたが、どれほど意識しても、本当に相手がいる程の効果はないと思います。)
Taro;
「わいはそいばってんのおおかとたい。よかけん、やってみろさ。」
(意味:あなたはすぐに出来ない理由をあげ過ぎではありませんか?まずはトライしてみればいいじゃありませんか。)
Ellen;
「すっこたすっばってんさ・・」
(意味:言われた通りにまずはやってみますが・・)
Taro;
「そいけん、すればよかやっか。ほかんもんがわいに「こけこい」て言いよっやろが。」
(意味:だからトライしてみましょう。他のメンバーがあなたに「こっちへおいでよ」と言っていますよ)
Lesson1の重要語句
「うってうってうっつらかせ」
意味:もっと積極的にシュートを打って打って打ちまくってみたまえ。
「すーすーす」
意味:肌寒さを感じます。
「あい」
意味:英語のThatに相当する。あれ。
「あんもん」
意味:あいの応用系。あの人の意味。他にも「あんどんが(あの人達は)」、「あんがん(あんな風に)」、など様々な応用がある。
「そい・こい」
意味:英語のITに相当する。それ、これ。
「そんもん」
意味:そいの応用系。その人の意味。他にも「そいば(それを)」、「そいから(それから)」などの応用系が多い。
「そいばってん」
意味:おっしゃる事はその通りだけれども。
「とっとる」
意味:取っている。確保している。録画している。撮影している。
応用系は難度が高い。
とっとっと?(ここは確保していらっしゃるのですか?)
とっとっと。(ここは確保しています。)
語尾の微妙なイントネーションで意味を使い分けます。
「よかけんさ」
意味:構いませんから、遠慮はいりませんから、拒否の意味で結構ですからの意味。
さぁ、頑張って勉強しよう!
2010年01月12日
またな・・田上渉
田上渉は長崎の心臓だった。
字数の都合でカットされたが今年発売された[vi:]の俺の原稿の冒頭は
「田上渉は走っていた。」だった。
そして最後の部分は渉が試合後半に猛然と走り出したシーンを入れている。
俺にとって散々だった昨シーズンは田上渉で始まって、田上渉に支えられ、田上渉で駆け抜けた。それは多分、俺だけでなく殆どのファンの総意だったろうし、だからこそ誰もが文句無く09年のMVPとしたのだろう。
5年の在籍期間、渉にとって12月は余り良い時期ではなかった。
特に06、07年の12月は失望や怒りが多かった。
それでも長崎でJに行く夢が渉と長崎をつなぎ止めていた。
代わりに傷ついたり、悔しさを押し殺しながら・・。
そういう渉を知っていた者・・いや、そういう事情を知らない者にも、渉はいつも愛された。いつだって渉の働きはみんなのハートを揺り動かした。
そんな5年を過ごす内にファンは
「田上渉は必ず長崎に居てくれる、残ってくれる」と思うようになっていた。
シーズン後、色んな話が入ってきて「退団がありえるかもな」っと思った。
年末の渉の様子を見て、話を聞いて「退団」だと確信した。
頭で理解して納得はしても・・それでもどこか現実感がなかったし、
「もしかしてもう一度長崎で!」となってくれるんじゃないかと思ったりした。
何より、渉のいないV・VAREN長崎を想像する事が出来なかった。
それは今でも変わらない。
多分、長崎のファンみんなは、
「渉は何が何でも残って欲しい・・いや、居ないなんて考えられない選手」
と思っていただろう。
でも、いつも12月に悩み、苦しみ、傷つき、シーズンが始まると誰よりも走る渉を見てきたから「残って欲しい」とかは絶対に言いたくなかった。言えなかった。
中学から長崎に来て、長崎でJリーグに行きたいと決意して全力で戦ってきた渉に、これ以上「傷ついてくれ」「苦しんでくれ」「犠牲になってくれ」なんて言えはしない。
今、渉は選手として最盛期を迎えようとしている。サッカー選手が最盛期でいられる時間は短い。その時間を長崎の為に、俺たちの夢の為に犠牲には出来はしない。
もう渉は長崎の為に充分に戦った。
今からは自分の為だけに戦って良い頃合だ。
長崎で叶えられなかったのは残念だが、きっと渉は別の場所で夢を叶えるだろう。
それだけの力のある男だ。自然な事だ。
渉を見てきた人間からすれば、渉が夢を実現してくれれば本当に嬉しい。
涙が出る程うれしい。
ありがとう、田上渉。
ありがとう、田上渉。
ありがとう、田上渉。
ありがとう、田上渉。
長崎はいつも君の心の中に。
君は永遠に俺たちの心の中に。
追伸
最後は黒足かよ。
じゃぁ、・・次に会うときはフットボールの高みだ。
2010年01月11日
2010セレクション
朝からV・VAREN長崎のセレクションへ行く!
到着と同時に試練が!!!
県総陸上競技場入り口閉鎖!!!!
改装準備に入った県総は陸上を閉鎖している。
セレクション見学者をセレクションする気か??
偶然一緒になったササキさんと
「この入り口自体がセレクションの一環ではないか?入り口の前にハシゴ・棒・石・台・バナナなどを置いて『中に入りなさい』という知能テストを兼ねているのではないか??」
っと推理するが、そんな事は1mもなかった。
セレクションは赤、緑、黄色、黒、灰色の5チームに分けてのゲーム形式。
参加者はJ、JFL、外国籍選手以外にもV・VAREN長崎のファンなら誰もが知っている意外な選手が参加。佐野さんはメイン上段からずっとチェックしていた。
セレクション見学者も結構多く人気チームな気が少しだけした。
他にも一端、帰郷していたV・VAREN選手の顔がスタンドにチラチラ。
まだ何も上手く行っている訳ではないが、故郷で自分と向き合って考え抜いたようで、ここで書いた意味で「のに」ではなく「から」になったような選手がいた気がして嬉しかった。
午後には1時選考合格者が発表。30名程度にしぼられる。
正直、2~3人意外な選手の落選もあったが総じて力のある選手は残っていた。
午後から最後のゲーム形式の2次選考開始。
最後には菊次さんから労いの挨拶。
2次合格者は数日中に発表という事だった。
これまでV・VAREN長崎のセレクションは全部見ている。
多分・・総合的なレベルで言えば一番高かったかもしれない。
だが、去年のように武器、個性を感じさせるタイプが少ないと感じた。
良く言えば安定、悪く言えば飛び抜けた物が少ない・・そんな選手が多かった。
その中でも数人「良いな」っと思える選手がいたのは心強かった。
改修工事に入る為に数年は諫早でV・VARENセレクションはないだろう。
つまり・・今の県総最後のセレクション。
この中から長崎を背負う選手が生まれる事を祈りたい。
2010年01月08日
【vi:】の打ち上げ
夕べはV・VAREN NAGASAKI GRAPHIC MAGAZINE [vi:]vol.02の打ち上げだった。
焼き鳥を頬張りながら、V・VAREN長崎の事、シーシェパードの事、選手の事、シーシェパードの事、廃墟でキャンプしたいといった事、シーシェパードの事、坂本龍馬の事、シーシェパードの事、長崎県政の事、シーシェパードの事などを語り合った。
山頭さんは「寒い」と言いながら足元はサンダルだった。
うえきさんは去年の11月の時点では度重なるアウェイ遠征による疲弊から「まずは暮らし」を合言葉に「植木財政再建タスクフォース」を発動したはずなのに、タクシー送迎だった。
北の某国みたいな予算の使い方をする人だなと思った。
色々話したが、今になって思い返すと・・結論は
「鯨は美味い」とか「廃墟でパニックに陥る人は面白い」とかだった気がする。
2010年01月07日
大河×国体
昇格だとかJリーグだとか話題性とかの意味ではなく、
V・ファーレン長崎というクラブチーム、長崎のサッカー・・そんな物について言えば
10年・・いや50年に一度のチャンスの年だと思っている。
今、正直色んなものが苦しい。ピンチだ。
だが、ラッキーな事に周囲の状況は物凄い勢いでチャンスへ向かっている。
2014年には国体がある。
国体は問題点も多いし、必ずしも良い点ばかりではない。
だが、どんな地方都市も50年に一度、問答無用でスポーツに力を注ぐイベントで、
予算・規模・話題性・・あらゆるものがスポーツに流れ込んでくる。
例えば・・数年前に柿泊まりの競技場に少年サッカー用ゴールを2個置いて欲しいと要望が出された。たった2個だ。だが、市の回答は「予算の問題があるので状況を見て検討していきたい」と事実上のNOだった。それが国体になると億の金が捻出される。2006年に長崎に勝ってJFLに昇格したTDKは国体に備えて億単位の金が強化に費やされていた。
国体自体は2014年だが・・国体少年の部の時に主力の世代は今の小6の子だ。
つまりこれから4年みっちり強化される。国体はある意味でもう始まっているのだ。
今年は大河で龍馬伝が放映される。主演は長崎出身で、もう一人の主役は三菱の創始者。そして舞台の3割は長崎。大河の経済効果だとか今更言うまでもないだろう。
国体も大河もある意味で公共事業だ。
自分達の力以外に頼るのは嫌いだが、周りにある全てを自分達の力に代えるのは必要だと思う。
他にも様々なものが待っている。
大河×国体・・これだけでもかなりの力になる。
これを貪欲に吸収して長崎は大きくなっていかないといけない。
2010年01月05日
2009年版 V・ファーレン長崎度チェック
毎年やっている、V・ファーレン長崎度チェックだが、今年はスケジュールの関係でやってないのでブログでやる。
「はい」の数を数えてね。
・静岡までなら車日帰りで仕事に間に合うと覚えた。
・高速からの関門海峡は見飽きた。
・中国地方の高速のクネクネ加減にはもうウンザリだ。
・コンバートする位に手薄なら最初からそのPOSを補強して欲しい。
・山城加入で大塚が大きく見えた。
・梶原と南の微妙な似方に「大きい梶原が南」「小さい南が梶原」と覚えた。
・V・ファーレンのホームゲームを「雨乞いの儀式」として売り出すのもありだ。
・今年の流行は”釣り”だ!
・アウェイでの由紀彦人気に感心する。
・今年は色んな所からTシャツが沢山売りに出されたので家はTシャツだらけだ。
・かきどまり改修の署名をした。
・北九州のファンは環境問題に熱心で屋外でスプレーを使うと激しく怒る事を知っている。
・鳥取のチケットの値段はJFLとしては高い。
・水島が降格し、北九州が昇格してアウェイに西日本が減ったのはつらい。
・Vファーレン事務局の矢竹君が「ビール」と言えば「発泡酒」を差す。
・渉の車は年を追う毎にゴテゴテ感が増している。
・アウェイでMCが「ブイファーレン」と言っても突っ込む気すらもう起きない。
・でも「ヴァンフォーレ」と言われた時はムカついた。
・八戸はどんな無理難題なネタをふっても笑って引き受けてくれるので大好きだ。
・V・ファーレン長崎が大好きだ。
最後の問題の答えが「いいえ」の人:
消えろ!
「はい」が5個:
まだ甘い!たぬき山までランニングして頑張ろう。
「はい」が10個:
まだまだ甘い!さぬき茶屋で天ムスセットを食べて遊学に泊って合宿せよ。貯金は親和銀行諫早支店に貯金すれば税所が処理してくれるぞ!
「はい」が15個:
素晴らしい。だが、アウェイ遠征の為にせっかく満期を迎えた簡保を遠征費に投入し続けた一家も存在する。常識を超えろ!疑え!地球は回っていないと思う位の思い込みで頑張ろう!
全部「はい」:
正気にては大業ならず。
もう充分に君は苦しんだ。今から楽しめよ、解放の鐘だ。