2011年07月25日
2011JFL 後期4節 印刷vs長崎のこと
例によって試合内容は期間限定をどうぞ。
こっちはアウェイの日記みたいなもんだから。
印刷戦ははち蔵号に乗って8名で出る。雄二さん、聖子さん、坂井君、山頭さん、wakiさん、チカちゃん、シン君、俺。車は快調に京都へ入り会場着。
何も食べていないので、印刷の試合の為に出店しているお店に焼きソバを買いに行くと焼きソバの屋台の人から「今日は何の試合があるんですか?」「試合は何時からですか?」と逆質問される。あぁ・・スタジアムグルメって難しい。
ウチは関西出身者が多い。7名もいる。確か、V・VAREN長崎設立理念の一つに、「地元出身選手の受け皿」と言うものがあった気がする・・長崎出身者は現在近藤1人だが、まぁ、他県出身だろうが、長崎を好きになってくれれば、長崎の為に必死にやってくれるのなら、武男、加藤、竹村、久留といったOB達のようにみんな長崎人だ。そんな関西出身者の多い長崎なので彼らを応援する人も多い。無論、選手の家族も大量に来ているだろうから、ウッカリな事も言えない。^^;
さて、試合は派手に動いたようでじっくり苦戦した。
印刷の戦い方は決して高度ではなが、その戦い方を中々振り切れず苦戦するのもフットボールの難しさだ。当日は30度を越える気温、風無しの環境も響いたけどね。
上下の写真は同じ位置から撮った前半と後半。
これを見ると互いに相手の布陣を崩しきれてない事と、両チーム共に中々に整備されていることがわかり易いと思う。これ位、実は接戦だったのだ。
この日の布陣は有光や山内の力を引き出そうという形。アリは実質は自由に動いてよいフリーマンでトップから、ボランチやサイドまで下がりプレイ。これでマークはかなり軽くなる。左サイドの山内はサイドハーフとウイング両方を兼務。布陣をあえて文字化するなら「4-2-2-1+1」という感じで。有光が状況にあわせてFWになり、サイドハーフになり、ボランチになりトップ下になるという感じ。
選手に消耗が出てきた中で頼もしいのが山内だ。強化部が「シーズン10点以上は固い!」と評価した通り、復帰後、存在感を増している。。ゴール前での粘りやキープ力は圧巻で先が楽しみだ。また、水永も得点を重ねて好調。これで負傷中の中山が復活すればリーグ最強クラスの攻撃陣になる。彼らが更に高いレベルで競ってくれる事を期待したい。
試合後は奈良出身のシン君の母 チエちゃんに遭い、シン君は実家へ帰省。シン君に代わり京都先乗組のキリちゃんと入替。昨年に続き・・今年も焼肉を食べに行く。
今回行ったのはアジェ。近所には良い雰囲気のおばあちゃんのやっている飴屋があり、聖子さん達はお土産に買っていた。その後、運転交代しながら長崎へ向かい、山頭さんと「写真家とはなんぞや!」とか「写真とはなんぞや!」と言った男臭いトークをしたり、車に乗ったら自分が運転する時間以外常に即寝で「あんたさんは、自分家で寝るよりグッスリ寝てないか?君はミフゥ(福島家次女 3歳)か?」等と会話。実はアウェイで一番楽しいのはこの移動中の会話だったりする。
3:00頃に長崎着。洗車して解散。
来年も京都で勝って焼肉食べいきたいもんだ。
2011年07月21日
水曜に練習を見に行ってファンサービスを見るの話
水曜日は昼から練習を見に行く。
今回も練習場所は県総のソフトボール場。
こういう写真の撮り方だと「おぉ!いい芝の環境だ!」と思ってしまうが・・
ズームを引いてみると真の姿が現れる。
・・・。ツラえなぁ・・。
とは言え、練習内容自体は雰囲気が良い。
でも、やはり手狭なソフトボール場では実践形式の練習は望む事が出来ないので辛い。
この日は夏休みに入ったお陰でギャラリーが多く、V・VARENスクールに子供を通わせているお母さん達や、バイトが休みなので佐世保から駆けつけたファンなども見学。
練習後は佐野さんが見学していた子供に「サッカーやろー」と声をかけて子供達が参加。佐世保から来たファンへは水永翔馬がしっかりファンサービス。
その後、V-ist作成の選手カードを選手に贈呈し練習場を後にした。
そんな水曜日。
2011年07月19日
2011JFL後期3節 長崎vs松本のこと
試合内容は例によって期間限定をどうぞ。
今回はハード日程で、水曜に支援会、木曜にクラブミーティング、金曜はV-istの選手カードラッピング作業、土曜は家庭で事件。日曜は朝から栄養ドリンクを飲んで出る状態。
佐世保に着いてみると物凄い人手だ!
「大人気だ!!」と思ったら、隣で甲子園県大会「清峰vs日大」!坂井君も「長崎の応援文化はここに!」とのたまう始末。しかも野球の応援の車が駐車場に入りきれず大混雑でV・VARENの試合の為に雇われた警備員が交通整理という中々にカオス展開。
さて、この日はULTRAがマスゲームをやるので支援会として協力し、メインスタンドで呼びかけ。メインの人達は積極的に乗ってくれた。メインが協力してくれたのに、コレオ終わった途端にバックスタンド行くのも何だと思い、生まれて始めてV・V長崎の試合を椅子に座ってメイン観戦するというレア経験。簡単な呼びかけや拍手の先導などやってみた。
ただし・・メインは鬼暑い。
メイン前列は13:00を過ぎると段々太陽の加減で屋根の影がなくなる。吸血鬼が座ったら即消滅の直射日光モロ浴びし、コンクリの強烈な照り返し。挙句に風の強い佐世保のスタジアムでありながら風も通らない。ハーフタイムにバックスタンド行ったら風があって下が土な分、メインより5度は低く過ごしやすかった。子供連れにとってこの状態は虐待に近い。何度以上になったら打ち水とか対策が必要だ。死人でかねん。
あと前半開始直前に飲み物売場に行くと既に炭酸しか飲み物なくお茶もスポーツドリンクも売り切れ・・ちょっと待て!この試合の動員目標は3000で、5000も狙いたいと言ってた筈!前半開始前に売り切れるって商品仕入れは動員目標を無視してたのか???そんな謎を感じさせる。
さて、試合は鬼暑く、消耗が半端ない・・ある意味でフットボールをやるべきではない暑さの中の試合としては、充分なものだったと思う。試合中、特に後半、選手の持久力は残っていなかった。瞬発力で勝負するしかなかった。疲労の極みで瞬発力を出すのは精神力だと思う。この日、選手はそれを精一杯見せたがあと半歩届かなかった。
その精神力を後押しするのは周囲なんだと思う。この日、みんなで応援してあと一歩までやれた。でも観客数が3000に少し足りなかったように、あと少しずつが必要なのかもしれない。次はその半歩を後押ししたいものだ。
試合後は連日の疲労で熱中症になりかけていたので・・座り込んでしばらく休む。かつて長崎にいた顔馴染みの声に耳を傾け、由紀彦に「佐藤食堂にトルコライスを出して」と話す。
あと、俺が1ヶ月以上前から「点を取ったら俺めがけて走って来てくれ!」と呼びかけている神崎に会ったので、
「俺はお前が来るまで、言い続けるぞ(笑)」と言い
「俺が走ってきてくれと言ってからお前のシュート数が減っている気がする」
と続けると、「シュート数はアリさんに負けないようにしてるんすけど」と笑いながら、
「点取ったら行きます」と返してくれた。
俺は待ってるぞ、神崎!待ち続けるぞ!
そんな事一つで楽しめて、頑張れる。ファンなんてそんなものだ。
2011年07月15日
クラブミーティング「応援について話そう」に行ってみた
昨日はクラブによる応援について話す会と言うのが開かれたので顔を出してみる。
雰囲気的には「一度顔を突き合わせて話してみよう」という感じのものだった。ホームタウン推進部から溝口部長と渡辺さん、ピッチからの意見として竹村も参加。
んで、結論から言うと会議は多分、クラブが当初想定したものと違う流れとなった。まぁ、そうなった原因のは俺にもあるんだろうけど。具体的な話し合いをしたかったんだろうが・・根本であるクラブの姿勢の部分に対する苦言が相次いだ。
ウチのスタッフはとてもひたむきだし、本気で、本当によく頑張っている。だが、フロント-選手ーファンの3つがそれぞれ微妙な距離を置いている。これまではそれを知りつつ、何もしてこなかった。今年・・ようやくホームタウン推進部がその事に目を向けて、この日の会議と言う形になったんだと思う。
本来なら、クラブ自身に確固とした意見・主張・指針があれば、会議やるより、そのビジョンをガンガン推進していけば良い。だが、それが弱いという現実がある。どれだけ水夫が優秀でも、舵の効かない船では航海は出来ない。
クラブが出来て7年でその指針が未だに出来ていないという事、指針を作るために色んな人の意見を汲み上げてこなかったという過去、全てがクラブチームとして本末転倒な話で哀しさ、空しさを感じさせる。
この会議自体、カッコの良い話し合いではない。意見の中には、プロクラブにこんな事まで言わなきゃならんのか?というモノもあった。少し前の俺なら、会議への対応は変わっていたろう。でも、去年まで応援で第一線にいた身として、自分だけは悪くないなんて事はない。俺も失敗した事もあれば、迷惑をかけた事もある。ならば、今のクラブの様はそのまま俺自身の鏡の面もある。どれだけ曇っていても、ヒビが入っていても。だから、俺は顔を出すし、ホームタウン推進部が現状に危機感を感じて動いた以上、力になれる事はなっていこうと思う。苦言を言う以上は力になれる事はやる。
きっと、もう少し若い頃の俺なら、そんな自分を
「随分大人な事言うなぁ・・。大人しくなったね」と笑うだろうが、今の俺は逆に「うるせぇ、愛を欲しがるだけの餓鬼め^^」と言い返すだろう。
何にしても文書や電話なんかより、顔を突き合わせて話すってのは大事だ。
結局は人と人なんだから。
ホームタウン推進部の熱意は強く感じた。今後に期待する。
だから、やれる協力は全力でやっていく。
って事やね。しょーがないさ、好きなんだから。
帰り道、空を見てみる。月はどっちへ出ている・・
2011年07月14日
練習とかチラシ配りとか支援会とか
朝から普通に仕事。更に俺の仕事的には珍しい外回りを行う。
昼から県総へソフトボール・・V・VARENの練習を見に行く。
JRで諫早駅まで行き、徒歩で県総へ向かっていると森垣さんからTel。たまたま諫早にいると言うので車で拾ってもらい、そのまま県総へ。日陰のベンチを探して見学。
練習雰囲気は良好。
ナベさん家も見学へやってくる。更に腰を手術したN君も現れる。N君には医療費控除や保険手続きなど、「病気の事なら何でも俺に聞いてください!慣れっこやから」と患者のスペシャリストである事をPRし励ます。
「崔のフィジカルやばい」とか「由紀彦やっぱ上手ぇ」とかアレコレと会話しながら見学。
あと、堺コーチの存在はチームにとってとても大きなと感じる。トレーニングのサポートをしながら、GKの指導もやっているし、フィジカルの上げ方も上手い。
草津での経験を生かしてしっかり長崎に根を張っている。それが頼もしい。
Here We Go♪ さか~い、ようじ♪
と草津時代のチャントでも口ずさみたくなった。
さて、16:00に練習が終了すると森垣さんに長崎市へ送ってもらって17:30から長崎駅でのチラシ配りに参加。
18:15までやって、支援会の準備があるので早めに切り上げて支援会会場へ移動。会場設営に入る。19:00より支援会。非常に盛り上がる良い支援会だったと自画自賛。
3週後れくらいの誕生日プレゼントを福島家よりいただく。非常に素晴らしいものなのだが、梱包されたそれを持っている俺の姿は不審者以外の何者でもなく、どうやって家に持って帰ろうか頭を悩ます。
その後、金曜に予定している某作業の打ち合わせやらやってはち蔵へ移動。
昼食抜きで仕事をしていたので豆腐パチャンゲロをそのまま丼に盛ってもらったパチャ丼を作ってもらい食す。本間さんや森垣さんから色んな話を聞いて帰宅。
さすがにこれだけ色々あった日なので、疲れていたが福島家からもらったプレゼントを部屋に設置する作業に突入し、夜が白々と明ける頃に眠りについた。
さすがにちょっと疲れた。
2011年07月11日
V-ist(ヴィースト)はじめました
冬の「おでん始めました」、夏の「ところてん始めました」ではないが、俺もプロジェクトチームV-istを始めた。
プロジェクトチームV-ist(ヴィースト)と言うのは2010年に発足した任意団体のチーム。
去年はV・VAREN長崎オフィシャルマッチデイプログラムとかスタジアムフリーペーパーVistaを発行した。色んな人が集ってやっている。
基本としては映画で言う「なんちゃら製作委員会」みたいなもので、何かやる時にやる意思のあるメンバーやスキルをもったメンバーが集って活動。メンバーは自由意志で企画に参加、企画に応じてメンバーは変る。みたいな感じを想定している。
基本、働きの割りに見返りはほとんどなく、実際去年のフリーペーパーやマッチデイで報酬等は一切受け取っていない。フリーペーパーの広告にいたってはV-istが営業をして「クラブにお金を出していない企業、出したくとも事情により出せない企業」から広告を募って全額が印刷代となった。
今年は自分が支援会を運営している事もあり、様子見していたのだが・・ずっと気になっていたのが去年まで無料配布されていた名刺サイズで八つ折の選手写真付の一覧チラシと東洋軒さんから発行されていたVスナカードが無い事。
選手カードは諸々の事情で今年は見合わせる予定との事だった。選手一覧チラシはクラブも当初は作成予定だったのが、5月くらいには作成予定が無くなった。その後、クラブ内でも必要性は感じていたが作成にまでこぎつけていなかった。個人的に、選手一覧チラシは必要だと思っていたし、選手カードも無くなるのも嫌だったので・・「やらない?」と声をかけて再結集。
支援会で作成出来ないかも検討したが、契約や作成費用となる広告営業など、金銭授受が多い事から善意の協力団体である支援会の性格にはそぐわないと考えた。
クラブに連絡を取り、協議を重ねながら協力を得て、プランだけ提示してクラブが製作する事も提案したが、結局V-ist・クラブ間で覚書を交わして作成決定。
選手一覧チラシと選手カードを1つの企画にパッケージングして広告を募りカード販売益で作成費用を捻出し作成。また、現在のクラブスポンサーなどは極力避け、クラブが今後営業を賭ける可能性が高い企業もあえて避けた。
ちなみにカードが完売すれば制作費をペイ出来て利益も出るが・・その場合は利益はそのまんまスタジアムフリーペーパー製作資金に回る予定だ。
将来的にこういう活動が大きなビジネスになれば素敵な長崎だと思うが、今はこういう利益度外視の真似をしてでも、フットボールグッズや企画の下地を築いていく時期だと思う。
ちなみに選手カードは通し番号はVスナのカードからの続きとなっている。カメラマンや山頭さんで、デザインはPLUSSとVスナ時代と同じ。基本デザインも変らない。東洋軒さんが企画趣旨を理解して協力してくれたお陰だ。
今後、V-istはWeb版のフリーペーパーVistaも発行していくし、色々やっていく予定だ。
こんなV-ist、どうぞ、よろしく。
2011年07月08日
国体の練習見て思う長崎のこと
こないだ国体の練習を観に行った。
前の週は確か高総体とかで中止だったみたいで2週間ぶりの練習見学だ。
先月末に福岡でトレーニングマッチを行うなど国体九州ブロック大会へ向けて強化は追い込みに入る。九州の国体は激戦区の一つだ。何しろ全国レベルの社会人チームで、何がどうしてどうなったのか判らないが・・JFLで好調なホンダロックが宮崎県代表として出てくる。つまり、組み分け次第では、何がどう間違ってかは判らないが・・JFLトップレベルのチームを破らないと国体本大会へはいけない。
監督である総司さんもかなり気合が入っていて、良い緊張状態で練習が続けられている。
ここでもやはり中心となってるのは元V・VARENの武男や竹村、重工の安部と言った俗にベテランと呼ばれる選手だ。
彼らは求められる役割や動きを理解するのがやはり早い。早いから周囲に指示を出せる。周囲に指示を出すから対話が出来る。見ていて彼らの存在の大きさに感心した。
ちなみに練習には元V・VARENの堀川先生など多数のOBがいる。
彼らをまとめて見れるのも楽しみだったりする。
ちなみに、先日の練習ではミニゲームの人数不足を補う為に重工の監督で国体コーチの根橋さんがゲーム参加。何気に足下の上手さを存分に見せつけ、足先でチョンとパスを出してみたり(コンディション整えて、時間制限すれば充分にやれるよ・・)と思わせた。^^
練習後は選手が全員でトンボがけする姿も昔のV・VAREN長崎を思い出させる。
目の前を通った竹に「体、キレとるね!」と言うと「夏場は得意ですから」と笑った。
良い顔だなと思った。
竹は元々は長崎と何のゆかりもない。でも長崎でプレイして長崎を好きになった。
長崎と相思相愛になって長崎に根をおろす事を決めた。
だから、プロを辞めても長崎でフットボールをやっている。笑いながらやっている。
野本・崔が新しく長崎へ来た。
彼も竹のように笑って長崎でフットボールをやっていって欲しいなと思う。
長崎のフットボールは色々問題もあるが元気だ!
それが楽しい。 ちなみに、V・VAREN長崎の練習も時間があう限り出来るだけ行っている。
しかし、誤って撮った写真のデータを消してしまい書きそびれた・・。
2011年07月06日
新加入
もともと、補強方針はかなり前からDF・・それもCBという事で決まっていた。
ビッグクラブではないので予算やらタイミングやら状況やら色んな物がうまく噛み合わないと長崎の場合は補強がしにくい。今回は彼らと色んなタイミングがあって獲得となった。
2人とも即戦力であり、ある程度速攻性が求められる。
ただ、崔の場合は、Kリーガーでの実績はあるが年齢的にもまだ伸びシロがあり、将来性も勘案されているだろうが・・。
佐野さんもすぐにでも彼らの起用を考えているだろうし、彼らが現時点でどれくらい出来るかはかりたいだろう・・木曜のテストマッチの意図はその辺かもしれない。
さて、CBの中心である藤井はともかく井筒、橋本にとって彼らの加入はキツイものがあるだろう。特にここまでコンバートされながら多くの試合に出ていた井筒は悔しさもあるかもしれない。だが、ここまであと一歩、磐石差を感じさせてない以上、ここで彼らと競り合ってレベルアップして欲しいものだ。橋本にいたっては更に出場への道は険しい。市船時代の凄みを取り戻して欲しい。
さて、今年の補強は原則として美味しい話でも舞い込まない限り無い。
つまり、あとのPOSについては変革がない事を意味する。
つまり、他のPOSは自分らで伸びていかない限りレベルアップはない。
さて、個人的にはCBは崔-藤井が現時点では有力かと思う。
共にフィジカルに優れ対人に強さがある事、足下に上手さがある点でも共通する。それは佐野さんが考えるCBの基本だ。一方の野本だが、早さに難点があり、同じく早さでやや問題がある藤井とかぶる。現時点のDFの軸である藤井と同じ弱点があるとちょっと苦しい。
また、ストッパー型でなくスイーパー型なのも分が悪い。
現時点では藤井のバックアップという事になりそうな気がする。
まぁ、こんな予想なんて働き次第で無関係になるんだけどね。
2011年07月04日
2011JFL後期1節 長崎vs金沢のこと
試合内容は期間限定をどうぞ。
週末は佐世保でJFLの後期第1節、金沢戦だった。地味に金沢にはなぜか勝ててない。だけど何故かちっとも金沢が強いという印象も無い。何とも不思議な感じだ。
この日は、色々と用事があったので長崎市を8:30に出立。10:00前に競技場入り。
用件を済ませてからプレマッチである2011 Jリーグ サザンクロスリーグDの「V・VAREN長崎U-13vs大分トリニータ宇佐U-13」を観戦。その練習風景。
おっ!
2005・6年バージョンのユニフォームじゃん。
素晴らしい!!この白アウェイとか見るだけでテンション上がる!!!
V・VARENのアカデミー(Jからのお達しで下部組織はアカデミーと呼ばないとならんのです)の子は本当に将来が楽しみな子が多い。育成を預かる前田監督は実に大変だろうが、V・VAREN長崎の希望の灯りを大きくしていって欲しいものだ。
ちなみに試合はV・VARENU-13の圧勝。得点をとりまくった富永君が目立ったが、個人的には6番の大久保君のセンスの良さがとても印象に残った。両チーム通じてゲーム中に”タメ”を作れる存在だったと思う。
さて、メインイベントの試合だ。詳しい内容は期間限定に書いたので端折る。
ただ、V・VAREN長崎の良さを、強さを出せずに試合は終わった。あのワクワクするようなパスワークも、胸躍らせるスピードも出せず90分が過ぎた。最後まで皆が必死に勝ちにいったのも痛いほど判ったが、勝てなかった。
そして、試合以外の環境について触れないわけにはいかない。
この日は湿度こそ高いが風があり暑さは感じなかった。雨でピッチもぬかるんでいる訳ではなかった。だが。ピッチ中央にいくつも穴があき、ハーフタイムに運営が足でピッチを踏み固めるというピッチ状態だった。
県総、柿泊が国体へ向けた改修で使用できない為に今年は佐世保、島原の競技場への負担が大きい。島原は平成町、遊学、百花台などJFLは開催出来ないが芝のピッチが複数あるが、佐世保は原則ここだけだ。当然、佐世保の施設はスポーツ行政の犠牲となりピッチ状態は劣悪極まるものとなる。
こういうピッチで試合をする事はJではありえない。だが、長崎ではある!ある以上はこういうピッチである事も踏まえて戦っていかねばならない。理不尽であっても、それが長崎の現実だ。・・そしてそれを変えていく為に、みんなで一緒に考え、行動して行きたい。
試合後、メインに行くと選手サイン会が行われていた。
敗戦後にサイン会に出席する選手はつらいかもしれない。本来は試合に出場しない選手達で試合前に行うべきだとも思う。だが、あの敗戦を目の当たりにしながら、サインをもらっている人たちが嬉しそうに笑っていた。
それに救われる思いだった。
試合で提供できなかった喜びをカバーする・・それも大事な運営だ。是非、継続してほしいし、毎回必ずやっていくようになって欲しい。
また2週間後、俺達のホームゲームが待っている。
2011年07月02日
練習場のこと・・
練習場のくだりは非常に重要で大事な言葉だと思う。
V・VAREN長崎は何もない所から始まった。
2005年の練習場は土で、夜でボールはボロボロで練習着は各自の私物だった。2006年になり練習着が揃ったが他はそのまま。芝は野球場デコボコの芝の部分でやるだけ・・それでもたまにしか無かった。2007年もそれは同様。2008年になって昼練習になった。百花台での練習が増えた。だが、百花台の芝は夏芝で、しかもすぐにボロボロになる。たまに諫早の陸上競技場が使えたが2週に1回程度だった。去年くらいから大村のラグビー場が使えるようになったが・・県総も柿泊も使えないから今年は例年以上に練習場を転々としている。ソフトボール場、野球場は芝は芝だが、スパイクで普段踏まれるグランドだからデコボコさはとてつもなくヒドイ。
1週間は7日。試合は1日。オフが1日。練習は5日。
フットボール選手はそのキャリアの7分の5を練習場で過ごす。彼らにとって、練習場は料理人の厨房であり、芸術家のアトリエであり、陶芸家の窯だ。競技場の問題はJリーグ昇格の為の問題だ。言わばJリーグ昇格のためだけの問題だ。だが、練習場の問題はフットボールのレベルだとか全てに関わる。実は競技場以上に深刻な問題だ。競技場は2013年には出来上がる。だが、練習場は別に増えない。新しい県総でプレイできる選手は一部だ。練習場は誰でもプレイできる。
練習で出来ない事は試合で出来ないと言う。
練習でこそチームが見えるとも言う。
例えば・・こないだ試合出場メンバーを見て「あれ?●●が先発?」と言ったら、少し前に練習に行っていた人が「●●は練習で凄く調子良かったんですよ」と教えてくれた。逆に「えっ、××がメンバー落ち!こないだの試合良かったのに」と言うと「××はこないだ練習見てたけど調子悪かったみたいですね、空周りしてました」と教えてくれた。
先日、練習を見に行った。
攻守の切り替え、リズムの緩急など・・暑さを考慮して負荷をかけすぎないように練習をしていた。(おー、△△の調子が良いな)とか(ありゃ、■■のムードが暗い)とか色々感じる事がある。
V・VARENが夜に練習をやっていた頃、毎晩のように練習を見に行った。家から車で往復1時間半かけて毎晩。練習場には常時10~15人くらい見学者がいた。
昼練になって滅多に練習に行けなくなった。たまに行く人の話では島原でも諫早でも滅多に人がおらず・・島原在住の友人曰く、「遊学も百花台もそこに行くバスもない所。車と時間のある人じゃないと行けない」
自分の町のチームの練習を見るのに苦労しなきゃみれない。
こんな環境では俺の街はまだまだJリーグ入りは遠い。
資本金?経営状態?観客動員?成績?
練習場も立派な・・いや根の深い問題だ。
是非、何か出来ないか考えて行きたい。