2008年12月15日
吉本淳
吉本淳
FW 7試合出場1アシスト、警告1。
実力がないのではない。今年の長崎では生かせなかっただけだ。
チームのタイプが違えばレギュラーとして得点を量産したかもしれない。
最初からアウトローな選手だった。
来た当初から不平不満を露骨に表し、学生との練習試合でも大人気ない真似をする。
プレーにもメンタルにもムラがあった。
切れ味鋭く、ゴール前に飛び込んだかと思えば、目の前のボールすら追いかけなかったり、周囲に愛想を振りまくより、一人でいる事を望むストライカー。
多分、最も早く気持ちが切れた選手の1人だったと思う。
ただ、盛り返しも1番多い選手でもあった。
戦術や方針、起用への不満でモチベーションは合流してから瞬く間に下がった。
リーグ戦で長崎が苦しんでいてもそっぽを向いているように見えた。
それでも、苦しむリーグ戦を見続ける内に考えを変えて行く。
はち蔵の雄二さんに
「俺が今のチームで流れを変えられるタイプだと思う。
途中出場で何でも・・もう1度やりますよ。」
と言うと言葉通り、KYU終了後の練習で素晴らしい動きを見せるようになる。
前線でひたむきにボールを追う。勝負を逃げない。無駄になっても走りこむ。
怪我でアリや洋が療養中だった事もあって、その活躍は目立った。
東川さんはもとより、視察にきた小嶺社長でさえ、
「彼は良いなぁ」と言うほどだった。
その良い流れを怪我が断ち切る。
地域決勝大会まで怪我の治療に費やす事となる。
しかし、彼は地域決勝のメンバーに選ばれ、ベンチにも入った。
「怪我が続き、諦めていたけれど・・入れた。信じられない。嬉しい。やりますよ」
高知での地域決勝大会初戦後、彼は試合に出られない悔しさから涙をこぼした。
それ程、賭けていた。
讃岐戦終了後に風呂で遭った。
「石垣頼むよ」と声をかけると
「やりますよ!任せてください。ホント俺、出たいんですよ。」
決勝大会石垣島。
初戦のロック戦に出場した淳は懸命に走った。しかし、点は奪えない。
試合が終り、ピッチを去る時に淳はサポーターに向かって手を合わせた。
動いた口の形は「スンマせん」。
これが淳の最後のゲームだった。
(一人でも多くの選手にピッチを踏ませたい)という方針は町田戦でも、山口戦でも淳をベンチに座らせる事はなかった。
石垣の空港で会った時に
「また頑張ろうや」と声をかけると
「どうせ、俺クビですよ。またチーム探しますよ。」
子供みたいな顔をしてアウトローはスねていた。
彼は既に静岡に帰って行ったと言う。
結果や記録じゃなく、記憶や印象に残る選手だった。
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