2010年12月22日
スパイクを脱ぐ男① 川崎元気
和樹さんはいつもグランドで試合の写真を撮っている。
プロのマスコミではないのでいつも和樹さんは遠慮がちに写真を撮る。その和樹さんから意外な話を聞いた事がある。
集合写真を撮る時・・選手達はいつもオフィシャルカメラマンの山頭さんへ目線を送る。稀に山頭さんがいない時、選手達の目線はそれぞれ別な方向になる。アウェイのマスコミ、顔見知りのカメラマン・・そん中で、必ずどの試合でも目線をサポーターの和樹さんのカメラに送る選手が2名いると言う。1人が有光亮太。
そしてもう1人が川崎元気。
ベテランと呼ばれる年齢の元気だが結構露骨に顔に機嫌を出す。
意に沿わぬ途中交代や敗戦の時は顕著だ。
昔、沖縄で琉球に負けた時、途中交代に露骨に不満を現した元気と競技場の外でバッタリ出くわした。
「お疲れさん」声をかけると少しだけ頭を下げて「あぁ、どうも」。
まだ不満顔だった。
立ち去ろうとした時に元気は振り返り、「今日で何位になりました?」
多分、順位をその時に知りたかった訳じゃない。もしかしたら知っていたかもしれない。
自分が不満顔で対応した事が気になったのかもしれない。
最後の試合、スタンドから聴こえる歌はずっと耳に届いていたそうだ。
この時点で川崎元気はこの試合が自分のラストゲームになると覚悟をしていたと言う。
解雇ではない。退団ではない。
戦う気持ちも衰えてはいない。
だが家族の生活や将来を考えると引退の2文字が浮かんだと言う。
長崎でも順風満帆だった訳ではない。
監督とも衝突したし、自分の出来に我慢出来ない時もあった。
現代に求められるタイプの選手ではない。
プレーエリアも運動量も極限られている。
本来なら佐野フットボールの対極に位置するタイプだ。
それでも来期も必要な力と見込んだ。
その本質は採点では図りきれなかった。現代の基準に納まりきれないからだ。
80分消えて10分で決定的なドラマを作る。
軽いプレイでボールを奪われた5分後に信じられないロングパスを通してみせる。
(もしかするとフットボールって簡単な競技なのかもしれない)
それ位に余りにシンプルで、当然の事のようにボールは通った。
だが、現代の採点基準では滅多に5.5以上はつくタイプではない。
それでも俺は大好きだった。
80年代のフットボールが1番楽しかった時代の影を見せてくれた。
「昇格した事のなかった俺がここで昇格した」
ホームロック戦での劇的な決勝ゴールの話題をすると
「何か残せたかなって思いますよ。」
引退を決め
「もう俺は選手としては長崎に何も残せない。若い奴らがやらないとだし、やってくれますよ。あいつらが背負っていかないと。」
「この3年間、応援してもらって本当に嬉しかった。長崎ってチームに悪い感じは何もないですよ、何もない。」
何ももう残せない・・そんな言葉と裏腹に来期の長崎の為に選手に関する情報をクラブに残す。抱えきれない記憶を、俺に、俺の街に、俺のクラブに刻みつけ、川崎元気はV・VARENを、長崎の街を去り郷里で指導者になる。
個人的にある計画がある。
2年以内にV・ファーレン長崎に所属し、引退した全ての選手達を集めて引退試合を行ってやりたい。
その時に川崎元気はピッチでもう1度魔法を見せてくれるだろうか?