2008年09月08日
考える
大東亜戦争の頃、旧日本軍上層部を支配していた考えは
「神国である日本が戦争に負ける事はない」っという考えだった。
その考えは、あらゆる事の前提にされた。
作戦立案、実行の時に悪いケースを想定したり、問題点や不安点を挙げると「神国日本が負ける訳はない」っという理論で押し切られた。日本の作戦は常に「(神国だから)作戦は上手く行く」っという事が前提になった。結果的に作戦は常に大雑把になり、大敗を重ねていくようになる。
連合軍・・特にアメリカは圧倒的物量と優位さを誇りながらも常に「悪いケース」を想定して戦争を進めた。悪いケースとは目の前の戦いに負ける事だ。この差が日本が壊滅的な被害を受ける敗戦の原因となった。
最近の色んなサポーターの言動や考えを聞くと、それがダブる。
「俺たちがやる事やれば必ず結果はついてくる」
「相手がどこであろうと関係ない」
「ハートの強い奴が勝つ」
確かにそうだ。でもそれだけでもないし、「これこそ正しい」と言われれば違うと応える。
「やる事をやるのも、ハートを強く持つ」のも少しでも有利に戦う為の前提条件であって、結果を出す為の方法だ。「相手がどこであるか?」は戦う上で最も重要だ。大いに関係がある。
去年の九州リーグ1位は北九州、2位はロックだった。
最終節までロックが1位で2位が北九州。最終戦でロックは長崎に敗れ順位が入れ替わった。広島での地域決勝予選ラウンドでKYU2位のロックはファジアーノと同じ組になり、岡山に敗れた。1位だった北九州はロックより楽なグループに入り決勝ラウンドに進んだ。もし、北九州の順位が2位のままなら、ファジアーノか北九州・・今、JFLにいる2チームの内のどちらかが今年も地域リーグだった。
俺はガチガチの現場主義者で常に相手がどこでも勝つつもりだ。
どことやっても勝てると信じて、勝つ気でやっている。
でも、それと「考える事」は別だ。
最近の色んなサポーターの言動、行動は「ハート」や「気持ち」だけを重視して、それ以外を考える事をやめようとしているように見える。「考えない事」は楽な事だ。嫌な現実を直視しないで済むし、目の前のものだけ見ていれば良いんだから。
俺はずっと考えたい。
人から「悲観論者」と言われようが「それはサポーターのやる事じゃない」と言われようが、俺は長崎が勝つ為の力に礎に微力で小さくてもなりたい。
俺たちは大半をアマチュアで構成され、予算も少なく、選手達自身で戦術や練習メニューを決めている「沖縄かりゆし」に直接対決でも勝てず、最終順位でも屈した。地域リーグレベルでは確実に1・2を争う選手の質、層を誇りながらだ。
今季ここまでのやり方では通用しないという事だろう。
その為に何が出来るか考えて実践していきたい。
超巨大横断幕 Mi vidaについて個人的におもうこと
今の長崎の応援を見てておもうこと
2013 J2第15節 長崎vs.京都 のこと
応援の分裂・場所についてのULTRAの言葉
応援のYOSAKOI化