2014年03月25日

超巨大横断幕 Mi vidaについて個人的におもうこと

 多分、最初に超巨大横断幕の話が出たのは・・
僕がまだULTRAに居た2008年とか2009年だったと思う。
「デカイから重くなってパラシュート生地じゃなきゃ持たない」
「業者に頼めば数百万単位で金がかかる」
とか、はち蔵で話した記憶がある。でも、当時は、(いつか作りたい)くらいの気持ちだった。

 この超巨大横断幕の話が本格的に動き出したのは、僕がULTRAを辞めて1年ほど過ぎた頃。
「ヒロ、オラショよりでかい幕ばいよいよ作るけん」と雄さんが言ったのを覚えている。
2012年には具体的な大きさやデザインの話も聞いた。
正直・・当時は本当に完成するかは何とも言えなかった。難しいとすら思った。
もしかすると、当の雄さん達ですら100%出来上がるとは思ってなかったんじゃないかと思う。

 今の賑わいからは想像もつかないだろうが、
2012年の途中までULTRAとか応援は本当に良い目にあう事がなく、辛い環境だった。
人の懸命さを理解出来ない人間達に
「お前らがいるからJにいけない、盛り上がらない。人が来ない」と陰口も叩かれた。
僕がULTRAを卒団するのはその状況を何とかしようと言う思いだったが、
それはULTRAから見れば仲間が一人欠ける事も意味した。
だから、特に2011年、2012年の途中までは本当に大変だった。
実際に、ホームゲームの前夜に余りに状況が非情で過酷で救いが無くて泣いていた人を知っている。
それも・・一人や二人ではなく・・。

 そんな中での超巨大横断幕製作開始。
そんな状況だったから何か前向きな事をやらなきゃ耐え切れなかったのかもしれない。
「数年がかりで作るさ」「無理に完成させんちゃ良かさ」・・
この言葉は単なる冗談でなく、本当にそうなっても構わないという言葉だったんだろう。

 2012年から製作に入ったMi vidaは、
休みのたびに集まってチクチクと塗ったり、幕を広げたりしながら細々と作られた。
実は、俺のこだわりに付き合ってULTRAが解散を検討した2012年末は
全制作費を雄さん、聖子さん、Senji君、美由紀さんらが負担した上でお蔵入りしようとした事もある。
ちなみに2006年製作でMi vidaの前までULTRAで一番大きい幕のオラショは材料費のみで20~30万。
その数倍のMi vidaの制作費は推して知るべし。

 2013年の3月にテスト披露した時は協力者の人数も少なく、
とても開幕戦で広げられる状態でない事が判明した。
2014年のMi vida作業は風を幕の中から逃がす”風穴”作りが主だった。
ULTRAの幕の作業場所である琴海の体育館は今年、中々ゆっくり使用出来ず作業は急ピッチで行われた。
でも、去年から少しずつ集まって協力する人も増えた。
Senji君がよく「結構、いっぱい手伝いにきてくれるんで、だいぶ楽なんですよ」と言っていた。
聖子さんは「色んな人の来てくれるとさね、それがうれしか」と笑っていた。

 2005年にULTRAが作られて、2006年、2007年は本当に楽しいばかりだった。
冒険の日々って奴で、一緒に何かをやる人も沢山いた。
 今のULTRAを仕切っている雄さんやSenji君みたいなのが
10人以上いるような状態と思えば賑わいが判ると思う。
ULTRAの中心メンバーだけで20人くらいはいた。
(かわりに周囲にいる協力者が少なかったけど(笑))

 それから時間が経って一人減り、二人減り・・自分の新しい道を見つけて進む者いたし、
何も言わずに自然消滅のように離れた者もいた。後ろ足で砂をかける様な人もいた。
僕がULTRAに居た頃から今もいるメンバーはもう5人ほどか?

 ユーダイが初めて応援に来た頃にSenji君が「若いのが来たんですよ」と言い
僕が「若手は長続きせんからなー」と返すと、「いや、この子はしっかりしてるんですよ」と
物凄く嬉しそうに言っていたのは2011年だ。
今年のMi vida製作作業の横で必死にトランペットを練習していたタケルも1年前は居なかった。

 ジェフ戦でMi vidaが広がったのを見た時に色んな物がフラッシュバックした。
仲間が抜けて行く度に哀しそうにしていた顔や、
ホームゲームの前日に「試合に行きたくない」と泣いていた人の顔、
俺が我を通そうとした時に、「ULTRAも解散して一緒に付き合いますよ」
と言ってくれた時の彼の顔、
今でも僕やAYUMIに「いつでもゴール裏に帰ってきて良かとぞ」と言って笑う顔、

 我が人生の意味を持つMi vida。
その名の通り、Mi vidaは雄さんが代表を引きついでからのULTRAの歴史・・人生そのものだと思う。

 本来のMi Vidaには文字付きでデザインが入る。
でもインク代だけで数十万はかかるという事で、まだ何も書かれていない。
「一年ごとに一文字を入れていきましょうか?」
「でも、それで1年目に”長”とか入れて放っておいたら意味の判らんぞ」
その会話は数年前の「数年がかりで完成させれば良か」と言ったのと余り変わらない。
彼らの・・我が人生は多分もうちょっと続くのだろう。
そして、デザインが付いた時のMi vidaが披露された時・・今度、僕は何を思い出すんだろう?



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Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 18:00 │Comments(0)応援とか

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