2007年02月01日
ちょっと長い話
大前提は「好きでやっている」って事。
サポーターやってるのも、フリーペーパーやってるのも、練習見に行くのも、署名集めてるのもetc.etc.・・・・全部、最大の理由は「自分がそうしたいから!」
そういった意味で最近、サポーターという言葉に違和感を感じたりする。
好きな事をしたいからやってるだけ。つまり自分の為にやってるのに
「サポートします!」みたいにアピールするのもなんかねぇ・・。
選手だって、チームの為、故郷の為、サポーターの為の前に
「自分がサッカー好きだからやってる!自分の為!」
ってのが1番最初に来るんじゃないかなぁ。
人のためが第1なんていう聖人なんてそうそういないでしょう
そういった「自分の為」って土台の上にチームの為とか故郷の為とかが来てるんだと思う。
っとみんな好きな事をやってるんだけど、どうしても責任みたいな物が出てくる。
このバランスが中々難しい。
例えば「ホームだから皆試合においでよ」とか「1人でも多くの署名をお願いします」
とか言っておいて、自分はメンドイから試合行かない、
署名もしない・・きついから継続するのもやめる。信用も説得力もゼロになっでしょ。
そういうキツイ時に人は「自分のペースで」とか「無理はしない」とか言うけどね、
少なくともチームとかで動いてたらそれは無責任でしょっと。
自分一人で何でも活動してるんならそれで良いと思う。
でもそうじゃなければ、それは「逃げ」。
選手がね、試合の苦しい時間帯に「無理はしない」とか「自分のペースで」とか言って
勝手に歩き出したりしたらどう思う?
ピッチに立ったら責任があるだろ!っと。以後、そういう選手を誰が迎えられる?
好きな事をやってるんだけど、自分のやってきた事の責任を忘れてはいかんなと。
俺はずっと後になって、「あの時、手を抜いちゃったなぁ」とか「ああすれば良かった」とか
思いたくはないし、キツイのも苦しいのもひっくるめて・・楽しい。
誰が評価してくれなくても(評価されれば嬉しいけどね)、楽しいことやって、
ず~っと後で「あぁ~楽しかった」と思いたいし、
「あぁ、あそこで逃げちゃったけど・・」とか思いたくはないから。
俺は「自分が楽しく成し遂げたと思う事」を誇りに思って自慢に思って・・
一人だけでもそう思ってたいなと。
好きでやってるから一人になってもやり続けるし、
人の土台にされたって、俺はやり遂げたって信じて俺は凄いと思いこむ。
・・まだ、な~んもやりとげてないけどね^^
これからさー!
某電話を解約する人、某GMらしき人だった者に
贈る言葉があるとすればこれだけさ!
超巨大横断幕 Mi vidaについて個人的におもうこと
今の長崎の応援を見てておもうこと
2013 J2第15節 長崎vs.京都 のこと
応援の分裂・場所についてのULTRAの言葉
応援のYOSAKOI化