2011年01月22日
スパイクを脱ぐ男④ 伝庄優
伝庄優にとってV・ファーレン長崎というチーム、長崎という街は郷里以外で知る唯一の物だった。
北海道で生まれ、北海道で育ち、コンサドーレ札幌Jrユースの一期生として入団。ユースまでを順調に昇格し札幌の未来と言える存在だった。実際、ユースだった頃はトップチームの監督だった柱谷監督に何度もトップチームの練習に呼ばれていたと言う。現役時代に闘将と呼ばれ一時代を築いたCBだった監督の目に伝はどう映っていたのだろう?
その後、柱谷監督が解雇されると伝も呼ばれる事が減り・・伝もトップチーム昇格ならず大学への進学を決める。
道都大での伝の存在はズバ抜けていた。
頑健で強さのあるDF・・大学リーグ屈指の存在感を放つ。
(Jリーガーになりたい)
幾つかのクラブのテスト受けて長崎へやって来る。
伝が来た当時の長崎は迷走していた。セレクション実施時期も他のクラブに比べて大きく遅れた。もし、この時に他のセレクションと開催がかぶっていれば伝は長崎にやってきただろうか・・。
「伝庄に当たってみろよ。壁だよ、壁。半端ないから」
07年のシーズン後の練習中、現在J2でプレイする佐野裕哉は競り合いで簡単に自分を弾き返した伝をそう評した。
伝のポジション争いの相手はもっぱら加藤だった。
加藤は外見と裏腹に細やかで器用な選手で、伝は無骨な程の直線勝負の選手。
必然的に伝はプレイの成否、勝敗が目に見える形で見えやすい。
07年にNW北九州(現ギラヴァンツ)の藤吉に決められたゴール、08年の沖縄かりゆし戦で斎藤に振り切られるシーン・・覚えている人も多いと思う。
プレイの仕方一つで自分の責任範囲を狭く見せる事もやろうと思えば出来たかもしれない。無難なプレイで他の選手に任せる逃げのプレイも出来たかもしれない。
でも、伝はそれを絶対にやらなかった。
素直な性格そのままに正面から向かって勝負を挑み続けた。
そんなプレイは安定感が求められるCBのPOS争いでは不利なのに・・思い切ってチャレンジした結果、綺麗に逆を突かれ、時に振り切られ、完全にねじ伏せられた事もあった。
でも、そんなプレイが見ていて妙に心地よかった。
多分、藤吉に決められた試合も斎藤にやられた試合も・・誰も伝のせいで負けたなんて思っていない。誰も伝の心が折られたなんて思っていない。
佐野裕哉が壁と評した頑健さを武器にただただ駆け続けた。
そんな素直さと正直さが伝の強さだったと思うから。
長崎を解雇された伝はいくつかのクラブでテストを受け、最終的に郷里に戻って引退を決めたと言う。素直だからこそ、子供の頃からの夢を諦める事は本当に辛かったと思う。
3年間、伝は伝庄優のプレイスタイルと素直さを貫き通してフィールドから去った。
北からやってきた青年は、初めて郷里を離れた西の街で、チームで何を感じ何を知ったのだろう。新しい世界でも彼はきっと正面からまっ正直に挑み戦って行くだろう。
それが伝庄優だから。
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伝 ありがとう。お疲れさま。