2010年10月13日
街とフットボールの関係のとある側面の話
近い内に「世界の書評からシリーズ」で取り上げる予定だが、現在読んでいるのがサイモン・クーパー著の[ジャパンはなぜ負けるのか]。
原題は「イングランドはなぜ負けるのか」なのだが、南アフリカW杯前の発売だった為に扇状的な邦題をつけられた為に不要なハンデを負ってしまった良書だ。
このタイトルをつけた編集者は良書を殺そうとした事を自覚して欲しい。著者もわざわざ日本向けにわざわざ1章を書き起こし、そこでは日本の将来性を高く評価しているのに・・。
サイモン・クーパーと言う人はフットボールを政治・経済・民族の観点から学術テーマとして扱うジャーナリストで変わった毛色の、それでいて本質に迫る本を多数出版している。この本は経済学者と組んでフットボールにアプローチしていて非常に興味深い話題だらけだ。ベースボールの分野の名著「マネーボール」のフットボール版という感じ。
その中の第7章「都市とトロフィーの微妙な関係」と言う項に興味深い一節を見つけた。
以下、要約引用~
独裁国家・共産主義国家の首都クラブは伝統的に強い。一方で民主国家の首都クラブは振るわない。スペイン、ギリシア、ポルトガル、ルーマニア・・いずれも過去独裁国家だった時代に首都チームが欧州サッカー界を席巻した国だ。
一方で、イングランドで首都クラブは欧州制覇が1度もない。フランスも首都のマルセイユやパリSGより地方チームが強豪だ。イタリアもトリノ・ミラノはローマのクラブより強い。
~以上、要約引用おわり
著者はこれを「首都ではサッカークラブの存在がそれほど大きな物ではない」からではないかと推測している。
首都は自ら宣伝する必要がない。
首都にはクラブより誇るものがいくらでもあると・・。
これを読んで少し日本に当てはめてみた。
かつての日本は戦時中のなごりもありかなり全体主義が強い国だった。この当時、東京のスポーツは何でも強かった。しかし、時代が下り全体主義的な影は薄まった。
欧州ではサッカーが都市を代表している。だから地方は鼓舞する意識が強く、それが強豪とさせているとすれば・・
日本は民主化やらが進んだ結果、首都のクラブが今一つ振るわなくなった。一方で首都に対する対抗意識の強い都市圏が強豪化していると解釈も出来る。
以前、話をさせてもらった時、高木琢也さんは「大都市は娯楽が多すぎてサッカークラブは苦しい」と言っていた。
娯楽はそのまま「楽しみ」であったり「誇り」だったりする。
無理矢理、話を長崎へつなげる。
長崎で娯楽や誇る物はなにか?
歴史であり、観光資産であり、食材であり・・。
いくら元々人気が高いとは言え、これまで熱心でなかった長崎人が土佐人である坂本龍馬や岩崎弥太郎に夢中になっているのは、2人がそのまま長崎の歴史の一部であり、観光資産であるからかもしれない。
V・VAREN長崎はこれらと比較して魅力はあるか?
長崎人は長崎の歴史や観光資源よりJリーグに強い憧れを持っているのか?
これらを理解していれば自ずとやれる事は判るはずだ。
甘い幻想はとりあえず要らない。
少なくとも、V・VAREN長崎は夢を見る側ではない。夢を見せる側・・もっと言うなら夢を見せて対価を得る側だ。
この辺をクラブは取り違えてきた事が問題の根だし、過去6年の時間の内で4~5年分を目先のみに投入して何も手にしてこなかった原因だったりする。
そしてこれを理解しない限り・・言葉や納得程度でなく、心の底から命をかけれらる位に理解出来ない限り・・毎年、長崎新聞は9月頃にクラブの悲しい記事を書かねばならないだろうし、俺はブログに景気の悪い話を書かねばならないだろう。
同じ事を何度も何度も指摘し、提案し続けるのもキツいもんだ。今年だけで何回・・以下略。
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