2013年01月20日
2012VVN総括 ~終わりの始まり、始まりの終わり③~
一方でフロントは紆余曲折を繰り返してた。
4月、柿泊開幕戦、詰め掛けた8000人の観衆に運営は大混乱に陥いる。
この試合運営については以前から問題視され、再三指摘されてきたのだが
クラブは対応を常に後回しにしていたという背景もある。
こうして運営改善が長崎の2012年の大きなテーマとなっていった。
更に問題となったのがU-18の緊急立ち上げ。
U-18については以前も少し書いたが、長崎は過去の準加盟の際の規約に従って設立準備を進めていた。
だが、クラブライセンス制度が導入され突然6月までに設立する必要に迫られる。
予算の問題もそうだが、何より時間的にマトモなチーム作りは不可能だった。
結果的に諌商の協力で、諌商の1年生主体にU-18を立ち上げる事になるのだが、
この際の説明や周知が不十分で「子供をJ入りの為に利用している」と言われる事となってしまった。
他にもスタジアム署名やサクセスパートナー制度など次々と問題が起きていたが・・
基本全て同じ事が原因となっていた。
クラブが信じられないほど、「事前の約束を履行しない事が多かった」のである。
検討しますと返答して検討結果の連絡は来ない。連絡しますと返答して連絡は来ない。
例えば、スタジアム署名などは5月の話し合いの際に
・クラブ内にスタジアム署名について徹底的に内部周知を図る事
・クラブが全力で活動を行う事
の2つを絶対の前提条件に俺は協力をする事にしたのだが、クラブは9月時点で署名活動自体を失念していた。必ず前提条件を履行すると約束した後も約束を反故にして、10月に
「クラブが約束を守らないし、抗議しても改善されないので俺は協力を辞めます。」
と強く抗議してから、慌てて対応する有様だった。
ただ、昇格の多忙さが最大の理由で悪意が無かった事は理解している。J昇格の準備作業は本当に多忙だ。
昇格も見えない8月時点でJに来年のスポンサー契約を提出しなければならない。
その為にはスポンサーや協会、関係先と何度も交渉を行い、その合間にJ、JFL、JFAの会議・・
小嶺前社長の体制から大変革して2年。2年でクラブライセンスを取得や専用スタジアム署名、
JFL優勝が義務・・2重3重の重いノルマを同時にこなしていくには、時間が足りなかったのだと思う。
だが、これ以上時間をかけられる余裕はない。
フロントにとって2012は綱渡りのシーズンで何かが失敗した時点で本当に倒産もあったのだ。
その為に本当に多忙だった事は記しておく。
だが、多忙さに加えて、長年の放漫な運営野のツケでクラブスタッフに
「約束を履行しないでも何とかなる」的な発想がはびこっており、
平然と事前の申し合わせや約束事項を失念、無視する事が多かった事は忘れてはならないし、
今後はもう許されない・・絶対に変えていかなければならない事だと思う。
そんな状態ではあるが、クラブ役員達は経営安定化へ各所に頭を下げ続け、粘り強く交渉を続けていた。
スタジアム問題の解決、来季スポンサーの確保、そして4月の試合で大混乱だった運営改善も継続、
夏頃から準備を始めた持株会は11月には第2次増資で資本金を2億超えさせる。
そして、ついにクラブライセンスの条件付交付。
多くの批判や怒りにさらされながらも、結果的に目標を達成。
内情は紆余曲折ではあったが見事に成果を挙げた。これは素直にクラブスタッフの努力を讃えたいと思う。
こうしてJ昇格の資格を得て・・チームはいよいよJFL優勝へ向って行く
つづく
4月、柿泊開幕戦、詰め掛けた8000人の観衆に運営は大混乱に陥いる。
この試合運営については以前から問題視され、再三指摘されてきたのだが
クラブは対応を常に後回しにしていたという背景もある。
こうして運営改善が長崎の2012年の大きなテーマとなっていった。
更に問題となったのがU-18の緊急立ち上げ。
U-18については以前も少し書いたが、長崎は過去の準加盟の際の規約に従って設立準備を進めていた。
だが、クラブライセンス制度が導入され突然6月までに設立する必要に迫られる。
予算の問題もそうだが、何より時間的にマトモなチーム作りは不可能だった。
結果的に諌商の協力で、諌商の1年生主体にU-18を立ち上げる事になるのだが、
この際の説明や周知が不十分で「子供をJ入りの為に利用している」と言われる事となってしまった。
他にもスタジアム署名やサクセスパートナー制度など次々と問題が起きていたが・・
基本全て同じ事が原因となっていた。
クラブが信じられないほど、「事前の約束を履行しない事が多かった」のである。
検討しますと返答して検討結果の連絡は来ない。連絡しますと返答して連絡は来ない。
例えば、スタジアム署名などは5月の話し合いの際に
・クラブ内にスタジアム署名について徹底的に内部周知を図る事
・クラブが全力で活動を行う事
の2つを絶対の前提条件に俺は協力をする事にしたのだが、クラブは9月時点で署名活動自体を失念していた。必ず前提条件を履行すると約束した後も約束を反故にして、10月に
「クラブが約束を守らないし、抗議しても改善されないので俺は協力を辞めます。」
と強く抗議してから、慌てて対応する有様だった。
ただ、昇格の多忙さが最大の理由で悪意が無かった事は理解している。J昇格の準備作業は本当に多忙だ。
昇格も見えない8月時点でJに来年のスポンサー契約を提出しなければならない。
その為にはスポンサーや協会、関係先と何度も交渉を行い、その合間にJ、JFL、JFAの会議・・
小嶺前社長の体制から大変革して2年。2年でクラブライセンスを取得や専用スタジアム署名、
JFL優勝が義務・・2重3重の重いノルマを同時にこなしていくには、時間が足りなかったのだと思う。
だが、これ以上時間をかけられる余裕はない。
フロントにとって2012は綱渡りのシーズンで何かが失敗した時点で本当に倒産もあったのだ。
その為に本当に多忙だった事は記しておく。
だが、多忙さに加えて、長年の放漫な運営野のツケでクラブスタッフに
「約束を履行しないでも何とかなる」的な発想がはびこっており、
平然と事前の申し合わせや約束事項を失念、無視する事が多かった事は忘れてはならないし、
今後はもう許されない・・絶対に変えていかなければならない事だと思う。
そんな状態ではあるが、クラブ役員達は経営安定化へ各所に頭を下げ続け、粘り強く交渉を続けていた。
スタジアム問題の解決、来季スポンサーの確保、そして4月の試合で大混乱だった運営改善も継続、
夏頃から準備を始めた持株会は11月には第2次増資で資本金を2億超えさせる。
そして、ついにクラブライセンスの条件付交付。
多くの批判や怒りにさらされながらも、結果的に目標を達成。
内情は紆余曲折ではあったが見事に成果を挙げた。これは素直にクラブスタッフの努力を讃えたいと思う。
こうしてJ昇格の資格を得て・・チームはいよいよJFL優勝へ向って行く
つづく