2011年09月30日
美しいV・VAREN長崎史~第2版~ その③
10/2 OB戦 記念で4日連続でV・VAREN長崎の歴史を振り返る。
2009年のスタジアムフリーペーパーに連載した「美しいV・VAREN長崎史」の再編版!
各県決勝大会準決勝、有明SCは一気に熊本を押し込む。41分に主将宮崎真吾がゴール!57分にはセットプレイからDF町田、更に63分に再び宮崎!
11時42分、試合終了の笛。「有明SC、九州リーグ決定!」
変化・期待・戸惑い・不安・喜び・希望・現実・・全てを背負った戦いがようやく目標へ辿り着いた。歓喜。ただ・・歓喜。
だが、現実は「次の戦い」の厳しさを見せ付ける。順位決定に過ぎない決勝のFC琉球戦、メンバーを入れ替えた有明は守備が粉砕され0-8。歓喜の中で少しだけ悔しさを味わった。「琉球クラスを倒せなければ九州リーグ制覇は出来ない」
第28回九州各県決勝トーナメント準決勝
○有明SC 3-0 熊本教員蹴友団●
GK:三宅 DF:町田 木原 前田直 石本
MF:原田 渉 宮崎(森本) 八戸(島村) FW:林 内田(前田修)
(得点:宮崎×2 町田)
第28回九州各県決勝トーナメント決勝
●有明SC 0-8 FC琉球○
GK:帆足 DF:町田 木原 前田直 石本
MF:石本 隅田(島田) 渉 宮崎 八戸(島村) FW:林(橋本) 森本
プレッシャーを跳ね除けて「有明SC」はついに九州リーグ昇格を達成した。昇格を前提に動いていた関係者に安堵感が広がる。県議による懇話会設立や「監督に高木琢也氏を」という小嶺の発言が機運を更に盛り上げる。一方でクラブには問題が山積していた。体制・選手・予算・・全てが手探りの中で一つ一つ解決していかなくてはならない。
選手補強についてはまだ他の問題よりスムースと言えた。「小嶺」「長崎」という話題性は大きな武器だったのだ。逆にも最も難航したのが予算獲得。当時、辰田と共にチーム作りに奔走する菊田忠典の傍には、長崎で戦う意思を固めた原田の姿。目標予算は6000万。当時の地域リーグでは桁外れの金額。ある商店街の関係者を前に菊田は切り出した。
「今は何も無いんです。だから、夢を語るしかない。」
その日、菊田は親和銀行へ足を運んだ。ほとんど飛び込みである。金額を訊かれ、とっさに「2000万です!」計算ではなく一瞬の読み。「3000万って言えば良かった」と後に菊田は笑うが、これが親和銀行とV・ファーレンの関係のスタートだった。
2月27日には68名が参加してのセレクションが開催され、中村浩晃、大村健太郎、山口智博、山形秀宙、田上紘平、平井隆一郎、井石三郎の7名が合格。少しずつ・・覚えている顔が増え長崎が形作られていく。
2005年2月高木琢也氏のテクニカルアドバイザー入りが発表された。高木氏は小嶺前社長が国見高で指揮をとった最初の学年の選手である。小嶺は強く監督にと希望したが、高木琢也氏を迎えるには厳しいのが現実でもあった。それでも、郷土への愛着から高木氏はスタッフとして名を連ねたのである。
そして迎えた3月13日、新体制・新チーム名およびスポンサーが発表された。「チーム名はV(ヴィ)・ファーレン長崎」387件の応募から選ばれたクラブ名はポルトガル語のVITORIA(勝利)と、オランダ語のVREDE(平和)、VAREN(航海する)を合わせた造語である。
(つづく)
次回、最終回