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Posted by のらんば長崎運営事務局  at 

2009年12月20日

俺達が09年昇格出来なかった理由③

実はシーズン前からチームは体制改革を模索していた。
外部諮問委員会的組織立ち上げ準備に入り、GM的役割を担う人物として県サッカー界の大御所、菊次氏がフロント入りする。



実際、Jを前提とした運営にクラブは戸惑っていた。連絡・準備不足で誤解が生まれサポーターに不満が溜まり、観客数も集計方法が曖昧で実数と合わない。トラブルも増えた。そんな中、監督解任が契機となり、諮問機関としてW会が始動観客数も実数を強く意識、サポーターとの連絡を活発化。東川解任が危機感を生んだんだと思う。



東川さんの後任にはライセンスの関係から大久保さん就任。しかしチームは年齢・立場・人望を考慮し、コーチ就任の岩本さんに指揮を託した。前体制の反省から岩本さんが指揮を執りやすいように植木総司・山本一郎氏がコーチに復帰。だが、大久保さんにとってはやり辛かったようで、JFL前期終了にあわせて大久保氏退任。チームはかなり留意したが、本人は監督就任2~3試合後には気持ちが離れていたようだった。



岩本さんは、コンバートされた選手を元のPOSに戻しサイド攻撃セットプレイを指示。セットプレイの指導は岩本さんが最も得意とするモノの一つだ。相手の癖・守り方、個性を把握し対策を指示。これがハマった。今期の決定率(得点÷シュート数)はセットプレイのターゲットマン加藤が38%で飛びぬけている。2位は有光の19%。いかにこの策が当たったか判るだろう。



堅守はそのままにセットプレイで得点し勝点を稼ぐ。その間にサイド攻撃を熟成させていく・・それが岩本さんのプランだった。実際にプラン通りになった上に、チームにフィットしてきた由紀彦が台頭。岩本さんも厚い信頼を寄せていく。



しかし・・想定外があった。これまでの1.5倍近い数の公式戦は予想を上回る怪我人を出した事である。それは層の薄い左SB、ボランチ、左サイドハーフでハッキリ出た。それでも長崎は必死に踏ん張っていた。それを支えていたのは「J昇格」という目標だった。



岩本体制時の戦い方を総括するなら
時間がない中で採用した原始的とも言えるシンプルな戦術ながら、選手の力が高い事もあって予想以上に効果を発揮。ただ当初からチームプランが東川氏に依存し過ぎた為に、層の薄さが常に付きまとった。
と言えるだろう。



だが・・昇格は断念となった。



Jから指摘された問題点はスタジアム以外、クラブ内で解決可能だった。実際、クラブは対応策を考えていた。だがスタジアム面においてクラブに見通しの甘さがあったのは確かだ。クラブは2月に陳情をした際に手応えを感じていた。だが、それは行政との間に温度差があった。そこが誤算だった。目標が消え、選手の動きは目に見えて悪くなる。



フロントはその後、署名活動を行うなど来期へ向けて積極的活動を開始したが、選手の気持ちは簡単に切り替わらない。各人思う所はあったがJへの意識がまとまりを生んでいた。それが消えた代償は大きかった。更に現場復帰直前まで岩本さんがフロントにいた為に岩本さんの声が更に届かなくなった選手もいた。



前期に苦戦している頃、低迷理由を選手のメンタルと指摘され、「死に物狂いで4位入れ」と言われる事もあった選手からすれば、ここにきての昇格断念はチームへの信頼を大きく揺らがせかねない事だったのだろう。



それでも再び気持ちを見せる選手もいたが・・チームは最後までまとまりを取り戻せずJFL11位に終った。



結局、長崎はチーム作りの段階で失敗し、その後はその場にあわせた対処療法で凌いでいただけなのかもしれない・・。



(つづく)

  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 20:12Comments(0)V・V長崎