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Posted by のらんば長崎運営事務局  at 

2009年12月19日

俺達が09年昇格出来なかった理由②

JFL開幕戦、東川さんは去年から採用していた4-1-3-2で挑んだ。
東川さんは4-2-2-2を志向していたようだが、序盤は実績のある4-1-3-2で戦いたかったのだろう。しかし、一つ問題があった。



長崎の選手層は4-1-3-2を戦うには厚かったが、4-2-2-2を採用するにはバランスが悪いものだった。そして、東川さんはこれをコンバートで乗り切ろうとした。この時にフロントは「SBが手薄ならコンバートより補強が計算出来る!」っと指摘すべきだった。

結果的にコンバートは失敗に終わる。
東川さんが1番安定している胸をはった隅田の左SB、右SB飛鳥は開幕戦54分で交代となり、昨年と同じ形に戻り、第4節までそれは変わらなかった。

Kaimaku



更に、コンバートしていた伝は周囲の危惧が的中し、第2節鳥取戦で失点の原因となる。全体的な戦い方でも状況は苦しかった。
サイド攻撃を機能させるにはSBの攻撃参加は欠かせない。



Sb



上の図がSBが絡むサイド攻撃の基本だ。白字はボールとボールの動き。
左図:サイドハーフがボールを持ち 、タメを作ってSBが攻撃参加するパターン。
右図:SBがサイドハーフの位置へ上がり、サイドハーフがそのまま上がるパターン。



下図は09東川体制時の基本布陣だ。



Photo



隅田は右SB時代に比べ攻撃参加が減り、山城や神崎は隅田のフォローがない為にドリブルで切れ込むしかない。有光の長崎での得意パターンの一つはサイドに開き、左サイドの選手の攻撃をフォロー、もう1人のFWへアシストするというものだが・・これでは出来ない。結果、円内にFWが固まり、それが福嶋の動きまで制限してしまう。

運動量の少ない元気をボランチに置くことで渉の負担は増し、元気もゴールから距離があり攻撃に絡む数が減ってしまう。



戦術的に行き詰っていた。コンバートの失敗、開幕スタートダッシュの失敗が重なり長崎は迷走を始めた。数日前の練習で良い動きをしていたという理由で大塚をボランチで使い失敗したり、起用への不満はチーム内外で高まってもいた。

だが、「采配に口を出さないで欲しい」という東川さんの意向に遠慮し過ぎていた上に、大久保コーチはそういった役割はまったく出来ずにいた。結果、東川さんは更に消耗し、大変な状態となっていく。

東川さんは今期、サイドの選手が中央へ切れ込んで攻めるサッカーを狙っていたんだと思う。その上でアリ-福嶋の連携で得点し、近藤らを中心に守って序盤を凌ぎ、連携を高めて、層の厚さを活かして中期に勝負をかける。そんな展開を狙っていたんだろう。



東川さんの「育てながら勝つ」という方針は正しい。コンバートの理由もある程度理解出来る。だが、コンバートの成功を確信しすぎていた感がある。九州リーグでは「試しながら・育てながら戦う」余裕があった。それでも勝てる程、戦力差があった。しかし、JFLでは試し、育てながら戦うのは弱点を抱えて戦うだけで勝てない。



一つ東川体制の不運を最後に挙げれば、「たら・れば」のシーンで常に悪い方の目が出た事だ。開幕戦の武男のPK、隅田の2枚の警告、ホーム初勝利翌週のSAGAWA戦が延期にならなければ、勢いを持続出来たかも・・。それが多すぎた。



10節を目処に進退を決めるとしていたフロントは・・東川さん解任前には様々な所へ後任の打診を行ったが・・残念ながらこの状況・環境で引き受けてくれる者はいなかった。それでも結果・内容から周囲に意見を求め、結果「限界」「変化が必要」と判断した。

こうして東川さん解任が決定した。



結局、育成・コンバート・メンバー固定・セットプレイの弱さっという昨年からの欠点のほとんどが解消されていなかった長崎は去年から殆ど伸びていなかった印象だけを残した。



そして、それはフォローする組織も、サポーターの目も伸びていなかったからという事を意味する。東川さんは目新しい事はやっていない。去年成功した手法を実践しただけだ。それを支持し続投させたのは・・クラブであり、サポーターなのだから。

(つづく)

  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:41Comments(2)