2013年07月23日

カメラのレンズは真実を見る瞳、曇りなき瞳を信じる男・・

唐突であるが私は写真に興味がない。
誤解無きように言うが、写真そのものが嫌いな訳ではない。
美しい写真に心は癒されるし、何千、何万文字の文章より
たった1枚の写真が真実を伝えてくれる事も知っている。

正確にいうと私は写真が嫌いなのではなく、写真を撮ると言う事が嫌いなのである。
いや、嫌いというのも正確な表現でない。何事も正確性を欠いてはよろしくない。
そう、私は写真を撮る事において驚くほど興味が無いのである。
付け加えるならば写真のセンスもない。
だいたい、ISO感、F値など、何故カメラはアルファベットと漢字を組み合わせた専門用語が多いのか?
シュナイダー潤之介みたいなものか?外国の技術と日本の技術のハーフなのか?

私もブログに写真を掲載する事はあるが、
文字ばかりの文章では読みにくかろうというささやかな読者への配慮であり、
外国の児童書の作者が、テストが早く終わり暇な小学生よろしく
原稿用紙の隅に書いたかのような挿絵的扱いである。
カメラのレンズは真実を見る瞳、曇りなき瞳を信じる男・・



当然、そんな私であるから周りの友人達の中でも圧巻の低レベルな写真の腕である。
興味が無いのだから仕方がない。悔しいとも思わない。
例えば耳かきの技術や優雅さに秀でた人たちに「君の耳かきには繊細さが足りない」と
言われた所であなたは悔しいと思うだろうか?いや思うまい。

そんな私が最近一眼を買うべきかどうか悩んでいる。
今年から色んな原稿の仕事を引き受けており写真が必要になるシーンも多い。
現在は一眼を持つ友人に撮ってもらったり、コンデジで何とか撮っているが、
会見などでは「ここはいずこの戦場か?」と見紛わんばかりの周囲の重装備達に圧倒されるのである。
私としてはそんな会見でもスマホのカメラで撮影してしまいたいと思うのだが、
ライターとしての信用を著しく自分が引き下げる気がして出来ていない。

やはり郷に入れば郷に従え・・ここは周囲に流されてみてはどうかと思ってしまうのである。
実は以前一度だけ一眼を買おうとした事がある。
偶然見た雑誌に乗っていたカメラのメカニカルな感じが
格好良くインテリアとして欲しくなっただけだが・・。

このように写真撮影に興味がない私が一眼など買ってどうするのか?
写真に興味が無い私が撮影に特化した一眼を保持するなど一眼が余りに気の毒ではないか?
ドラえもんが未来からせっかく来たのに、
のび太が「道具に頼りたくないからポケットは封印」と言うようなものである。
それではドラえもんは単に未来からドラ焼きを食べにきて野比家に居候するニートではないか?
妹のドラミちゃんに「次はきっと良い派遣が見つかるわよ」などと言われる事になるであろう。
兄の威厳もどこへやら、藤子先生もさぞや無念であろう。

だいたい、一眼で撮るものも爺さん、お菓子、ポスター、グッズなどが主で
写真の大きさも教科書に載って落書きの格好のターゲットになる文豪の顔写真程度である。
これでは一眼である意味はあるのだろうか?
家族連れで賑わう行楽シーズンの裏山にチョモランマ登頂用の全身フル装備でいくようなものではないか?
子供に「おかあさん、あの人変だよ」と言われる光景が目に浮かぶ。

やはり、今は買わずにいるのが大人の判断と言うものだろう。
電気屋で一眼の値段を確認した私は帰り道にそう考えた。
足元には私のカメラ撮影への愛情と同じくらい底の浅い中島川が静かに流れていた。

っと、何とは無しに森見登美彦さんの小説的な感じで気持ちを書いてみた。



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Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:32 │Comments(0)日記・コラム・つぶやき

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