2013年06月07日
旧世代の夜~ストレスと解放のカタルシス~
代表が5回連続でのワールドカップ出場を決め世間が沸き立つ頃、長崎市の松山サッカー場に居た。
V・VAREN長崎U-18と国体成年男子の練習だ。
今回のワールドカップは感心を持たないでいる内に試合が始まり、盛り上がりに参加し損ねてしまった。
盛り上がっている所に行く意欲も湧かず、頑固爺よろしく「別にい~わ~」と松山へ。
「長友よりも長谷だな!」とか「本田より小森田だな!」等とのたまわりながら
(いつから代表戦やV・VARENの試合でブチ切れなくなったろう?)と考えた。
昔のワールドカップ予選は朝から緊張しまくり、開始2時間前くらいには吐く程だった。
負けると情報をシャットアウトして即効フテ寝した。
余りにムカつくので(サポーター辞めればこんな最悪な気分を味わう事も無いのに!)と思っていた。
今は勝っても負けてもそこそこ楽しく、そこそこ悔しい・・そんな感じだ。
代表戦でキレたのは2006年ドイツワールドカップ予選リーグ最終戦のブラジル戦が最後だと思う。
ブラジル側のゴール裏の席で俺はブラジルに力の差を見せられた。ブラジル人に同情されるほどに・・。
そんな惨敗にも笑顔でいる日本人を見て怒りが湧いた。完全に危ない人だ(笑)。
V・VARENの試合後にブチ切れたのは2011年の天皇杯でヴェルディに大敗をした試合。
やはり笑顔でいる周囲にキレた。そして、その後に飛行機で長崎へ直帰して、
大村空港で選手を出迎えようとしたが、大笑いしながら階段を下りて来る選手を見た瞬間に空港を後にした。
悔しさのあらわし方は人それぞれ。俺の八つ当たりかもしれないけど・・完全に危ない人だ(笑)。
以後、俺がキレる回数も爆発的な歓喜も減った。
かつての代表戦は崖っぷちの状況も多く、負けたら日本サッカー界が暗黒期に入り兼ねず、
V・VARENもチームが無くなる可能性が何度もあった。
負けたら終わり、勝てなきゃ終わりのストレスは重い。それだけに勝てば解放のカタルシスがある。
俺みたいなのはストレスがあった事でカタルシスを得ていた旧世代なんだろう。
俺の前にはストレスの挙句にカタルシスも得られないのに応援してた旧旧世代もいる(笑)
当然、ワールドカップ出場やV・VARENの存在が事が当たり前の世代とは色んな意味で違いも出る。
今回のワールドカップは、日本が出場権を手に出来ない方が難しい程に楽なレギュレーションだった。
アジア出場枠が昔のように2だったら日本は5大会連続出場出来たか少々怪しい。
しかし、出場のハードルは下がった分、日本はワールドカップ出場が日常の国になった。
南アフリカが盛り上がったのは「負けたらサッカー界もやばいという空気」があったからだろう。
文化という奴は「日常になる事」だ。サッカー文化とは「サッカーが日常にある事」だ。
ならば、ワールドカップ出場や勝利、V・VARENの存在が「日常」である今、そしてそこに生きる彼らは
俺ら旧世代が知らないレベルのサッカー文化の中に居ると言う事だ。
携帯電話が無いと不便な世の中だが、20年前には持っていなかった頃は不便と感じなかった。
生まれた時から携帯電話があった人は、携帯電話の存在は当然だ。
長崎にサッカークラブが生まれ、日本はワールドカップでの勝利が期待される国なった。
そして、それは日常になった。日常にカタルシスは必要ない。
カタルシスやストレスが無い事がこの国にサッカーが文化として入り込んできた証拠なのだろう。
だとすると、世代別に歓喜や怒りの感覚が違ったりするんだろうな。凄い時代に彼らは生きるんだな・・。
そんな事を考えながら国体成年男子やV・VAREN U-18を見つつ「ザッケローニよりたっけおーにだな」
と呟いてモスシェイクを飲み、密かに(次は盛り上がりに乗り遅れないぞ)と思った旧世代の夜。
V・VAREN長崎U-18と国体成年男子の練習だ。
今回のワールドカップは感心を持たないでいる内に試合が始まり、盛り上がりに参加し損ねてしまった。
盛り上がっている所に行く意欲も湧かず、頑固爺よろしく「別にい~わ~」と松山へ。
「長友よりも長谷だな!」とか「本田より小森田だな!」等とのたまわりながら
(いつから代表戦やV・VARENの試合でブチ切れなくなったろう?)と考えた。
昔のワールドカップ予選は朝から緊張しまくり、開始2時間前くらいには吐く程だった。
負けると情報をシャットアウトして即効フテ寝した。
余りにムカつくので(サポーター辞めればこんな最悪な気分を味わう事も無いのに!)と思っていた。
今は勝っても負けてもそこそこ楽しく、そこそこ悔しい・・そんな感じだ。
代表戦でキレたのは2006年ドイツワールドカップ予選リーグ最終戦のブラジル戦が最後だと思う。
ブラジル側のゴール裏の席で俺はブラジルに力の差を見せられた。ブラジル人に同情されるほどに・・。
そんな惨敗にも笑顔でいる日本人を見て怒りが湧いた。完全に危ない人だ(笑)。
V・VARENの試合後にブチ切れたのは2011年の天皇杯でヴェルディに大敗をした試合。
やはり笑顔でいる周囲にキレた。そして、その後に飛行機で長崎へ直帰して、
大村空港で選手を出迎えようとしたが、大笑いしながら階段を下りて来る選手を見た瞬間に空港を後にした。
悔しさのあらわし方は人それぞれ。俺の八つ当たりかもしれないけど・・完全に危ない人だ(笑)。
以後、俺がキレる回数も爆発的な歓喜も減った。
かつての代表戦は崖っぷちの状況も多く、負けたら日本サッカー界が暗黒期に入り兼ねず、
V・VARENもチームが無くなる可能性が何度もあった。
負けたら終わり、勝てなきゃ終わりのストレスは重い。それだけに勝てば解放のカタルシスがある。
俺みたいなのはストレスがあった事でカタルシスを得ていた旧世代なんだろう。
俺の前にはストレスの挙句にカタルシスも得られないのに応援してた旧旧世代もいる(笑)
当然、ワールドカップ出場やV・VARENの存在が事が当たり前の世代とは色んな意味で違いも出る。
今回のワールドカップは、日本が出場権を手に出来ない方が難しい程に楽なレギュレーションだった。
アジア出場枠が昔のように2だったら日本は5大会連続出場出来たか少々怪しい。
しかし、出場のハードルは下がった分、日本はワールドカップ出場が日常の国になった。
南アフリカが盛り上がったのは「負けたらサッカー界もやばいという空気」があったからだろう。
文化という奴は「日常になる事」だ。サッカー文化とは「サッカーが日常にある事」だ。
ならば、ワールドカップ出場や勝利、V・VARENの存在が「日常」である今、そしてそこに生きる彼らは
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フェニックスも一歩間違えば焼き鳥!女子マネの話題だぞ の巻
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もの凄く久々にブログを書いてみた
久々に書いてみよう
熊本での食~分かち合う苦労の味は~
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