小嶺社長退任の報をうけて思う

藤原 裕久(KLM)

2011年01月14日 19:54

小嶺前社長は絶大な知名度とフットボール界での圧倒的な実績を誇るが、社長としての評価は正直、芳しいものではなかった。



だが、小嶺忠敏前社長抜き長崎にJを目指すチームを作る事は出来なかったのは間違いない。小嶺前社長くらいの実績と実行力がなければ不可能だった。



長崎県の経済力や地理など環境はJを目指すにはかなり分が悪い。
「鳥取の人口は長崎より少ない」とか意見はあるだろうが、地理的な問題や地域性を調べれば人口の大小を覆すデータなぞゴロゴロしている。それに鳥取では単年で億単位の税金投入の果てにJ2昇格している。琉球?オーナーのポケットマネーに依っている経営が長崎と比較出来るだろうか?



そんな厳しい(本来はそれが正当な姿なのだが・・)長崎に置いてJを目指すなんて夢を推進するには有志の善意だけでは無理だ。それを推進する大きなエンジンが必要で、それがまさに小嶺前社長だった。



クラブ創設の原動力・・これに勝る功績は誰にも残せない。
これだけで小嶺前社長は万雷の拍手で送り出されるべき大功労者だ。



だが、その絶大な実績と影響力は大き過ぎる故にコントロールが難しかった。本来なら何気ない一言が周囲に大きな影響を与える。普通の会社の社長と同様に何気なく言っただけのアドバイスがそのまま命令ととられる事もある。



小嶺前社長と会った方は判るだろうが、本当にフットボールが好きで好きで溜まらない・・ある意味でフットボールの現場で純粋培養されてきたかのような人だ。そして、長らく高校生を見てきた事から体の芯から教育者、徳育者としての信条が染み着いている。そんな教育者である為に経営という部分に向かない事も多かった。



だから、本人はそんな気がなくとも、何げなく言った一言が指示のように取られ失策を招く事もあり・・。



本来、必要だったのはそんな影響力をしっかり受け止めて対処出来るだけのクラブ体制や方針だったのだが長崎にはそれが欠けていたし、社長に敢然と意見が出来る体制を作る事も無かった。



その為・・特に一時期はこの影響力のコントロールが難しくクラブの中に色々と支障を引き起こし、結果的に小嶺社長は影響力を懸念して出来るだけ黙するようになる。周囲も細かい事は社長に報告せず、独自決済を行うようになったりして・・本来は社長を頂点として作られるべき組織が作られず・・いびつな形となってしまった。



ちなみに選挙に関してはV・V長崎のと言うより、小嶺前社長の個人的な関係もあるのでここでは取り上げない。個人的には出馬するもしないも個人の自由で何も言うことはないが、V・V長崎の社長職は辞して出馬すべきだったとは思う。政治とクラブがどういう形であれ関係を持つことはやめるべきだから・・。



さて、話は戻る。
もし、しっかりとした組織体制のプランを立てて、小嶺前社長の影響力を上手くコントロール出来れば、もの凄いパワーになっていたと思う。



「まず実行してみよう。まずはトライしよう」
この発想があったからこそ、V・V長崎は誕生したと思う。関係者の即断即行ぶりは尊敬に値する。その関係者が動きまくっている間に何もせず、何も知らなかった身で何を言うと言われるの覚悟で発言するなら・・もし行動が始まっておおよその方針が掴めた時点で将来を見据えた構想にステップアップ出来ていれば・・歴史は違っていたんだろう。



個人的には小嶺前社長は社長より強化部とかの現場に強く関係した仕事をやりたかったのではと思う。本当にそういう協力をしたいと思っていると思うし、それが本来は1番、長崎にとって良い道だったんだと思う。



だが、小嶺前社長を部下に出来るような人材はそうそういない。その為に小嶺前社長は社長という本来不向きな経営トップを努めざるえなかった。そして、その小嶺社長を支える体制も、クラブ方針も無い・・ある意味で現在の状況は当然と言えると思う。



無論、トップである小嶺社長には迷走した責任はある。だが、小嶺社長のみの責任でもないし、組織やクラブ自体にも同じくらい・・いやそれ以上に責任がある。
そこはしっかり覚えておきたい。



・・V・VAREN長崎というクラブは小嶺前社長という他県には存在しない強烈なエネルギーを使いこなせなかったとも言える。



クラブは新社長を迎えて、これまでのいびつな組織から本来の社長を中心として組織へ変わるのだろう。小嶺前社長はそのいびつな組織の責任を全て背負って、新社長へ綺麗な形でバトンを渡した。



これからは思う存分に高校や大学をはじめ色んなフットボールの現場に打ち込んで欲しい。



小嶺前社長は本人の希望でチームのアドバイザーに就任した。経営やクラブ方針には一切口を挟まず、選手補強についてや人脈面でのみの協力になると言う。ちなみに誰もが想定外だった佐野裕哉に声をかけ呼んだのは小嶺社長だし、佐野監督も小嶺社長のルートだったりする。そのルートや感覚は未だに圧倒的だ。



ようやく、本来やりたかった仕事に近い立場になったんだと思う。もう権限はないけれど・・先日、逢った小嶺前社長は本当に明かるい吹っ切れた顔をしていた。



「これからはアドバイスとかで協力したいと思いますんで、またよろしくお願いします」
そう言って笑った。



やはり太陽は明るい方が良い。



そして、クラブも未来へ向ってドンドン進んで行きたいものだ。


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