2011年12月27日

長崎の失敗、そして・・再生 その①

年末恒例の超個人的KLM責任編集のV・VAREN総括だ。

第1弾「2008 ありがとう東川昌典。さらば東川サッカー」 その① その② その③ その④
第2弾「2009 俺達が09年昇格出来なかった理由 」 その① その② その③ その④
第3弾「2010 長崎の非常、V・VARENの無常」 その① その② その③ その④ その⑤

に続く第4弾。

まず昨年のシーズン後から書いていく。

昨年、クラブは5位の好成績を納めたが、2度目のJ加盟断念がファンの心に影を落としていた。そこに加えて、選手の大量解雇が発表される。ファンも選手がいつか必ず引退する事は理解しているし、監督が戦力分析して判断したのならば尊重する。だが、功労者への敬意もファンへの配慮も無い対応は皆を失望させるに充分だった。

選手に封筒1枚渡して部屋の外で中を見るように言い、封筒の中は「あなたと契約します」か「契約しません」に○があるだけ。ファンは選手と別れを言う機会さえない。

監督の決定が悪いのではない。だが、クラブは説明や配慮を怠り、ファンの反感を煽ってしまい、監督や一部選手も、ファンの反応に「全選手残せば良いのか!」と反発してしまう。結果的にフロントは選手もファンも監督も守れず、周囲の信頼を失う事となった。

一方、クラブは社長交代に動いていた。(小嶺社長退陣についてはココを参照)この時点でクラブは小嶺前社長の体制では存続が難しくなっていた。1月に宮田社長就任が発表されるのだが、前職退社から社長就任まで僅か10日。いかに緊急事態であったか判るだろう。

過去のズサンな運営が招いた危機的状況の中、緊急に社長を託せる人材は少ない。そこでクラブ創設に関わり、クラブ発足後はボランティアで参加し、クラブ事情に精通している宮田社長の登板となった。

この時のクラブの組織体制はズサンで財務も深刻。社内制度を見直し普通の会社とする事、早急に財務改善をする事、この2つが新社長の優先案件となった。だが、後に社長が「財務改善と社内整備に追われ、他の部分に手が回らなかった」と吐露する様に、この時点でクラブ最大の問題点は手つかずである。

クラブ最大の問題点はフロント環境にあった。小嶺前社長が絶対的に存在したが故に、社内の情報共有体制・意識は貧弱。前社長の存在が大きい故に、社内には閉鎖性と馴れ合いが生まれる事もあり、在職中の社長選挙出馬や、高校の指導から公私の区別意識も薄くなる。その環境は確実にスタッフに染みていく。

地域密着、ホーム密着・・そんな言葉と裏腹の対応を平然と行うクラブ。こうしてクラブは変わりきらぬままシーズンへ進む。

それでも社長交代への期待が皆を後押しした。メディアは積極的にクラブを取り上げ3月の開幕へムードを盛り上げる。武男、竹村、加藤らOBがフロント入りした事もファンの慰めとなった。ピッチ内も好調。問題は多いが、開幕戦を勝利して勢いを得れば・・誰もがそう考えた。

だが3月11日、未曾有の大震災は長崎をも揺さぶった。
(つづく)


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Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 02:29 │Comments(0)V・V長崎

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