2011年01月08日
長崎の非常、V・ファーレンの無常④
それまでもあっていたのだがV・V長崎は2010年2月に組織を改変した。
社長、専務、強化、育成、広報、地域振興、運営、事業、総務、後援会事務局・・ただ部下が殆どいないので、職務以外にも駆り出されたりする。地域振興部には部長の下に2名配属。この辺が「地域密着事業のニュースばかり」と評された理由。
次いで採算度外視で集客を図る「ポイントゲーム」を設定。ポイントゲーム以外では無料券配布は最低限。ポイントゲームは「開幕戦 vsロック(柿泊)」、「第8節 vsガイナーレ(県総)」、「第16節 vs流経大(県総)」、「後期4節 vs SAGAWA(佐世保)」、「後期9節 vs秋田(柿泊)」、「最終節 vsジェフR」(柿泊)」の6試合。
試み自体はとても良く、集客効果はあったのだが・・情報収集にこのクラブは難がある。
この計画を聞いたのが3月に指摘した事がある。「6月のポイントゲームと同日にW杯日本戦ですよ。」クラブはW杯日本戦の日程やを把握していなかった。時間もかぶる。そこで「パブリックビューイング(PV)」を提案した。PVは「家庭用受信機」程度での無料の集団観戦ならPVとは見なされない。・・ただ、諸事情からPVは無くなり試合時間を1時間前倒しして行う事となった。
5月・・クラブ内にアクシデントが起こった。
結果営業に支障が出た。強化部長もクラブを去った。解決した事なので内容は書かないが、どこにでもある事柄の放置、誤解人事、煽る者達・・今まで対応しなかった結果起きた事だ。そして、この一件はクラブのムードを重くさせた。
6月頃からクラブはJ加盟申請の準備をしていたが・・改修が間に合わない事が次第に判明する。「市の協力」に対する解釈に違いがが原因だ。クラブは市と協議を重ねたが結局市側の協力は最低限となる。資金も厳しかった。遠征帯同選手をギリギリに絞り、スタッフが関東まで車で移動する。資本金増強プランも準備されていたが、このままでは増強した資本金は運営費に当てないと・・そんな話が漏れてくる有様だった。
こうして5月から起きた一連のトラブルはV・ファーレン長崎にとってネガティブな印象と情報を広め、クラブはスポンサーへの説明に追われる事となる。フロントにとって本当に5月以来厳しい環境だったと言えるだろう。
そんな中で夢を感じさせたのが元代表選手を集めた「J・FREAMS」。最初の対戦候補は国見OBだったが佐世保選抜になったと言う。出場にはC大阪ファンなら涙を流して見たい選手や、仏W杯の頃に水をかけられた人や、「日本が南アW杯決勝戦まで行ったら」という条件付きで松井大輔も予定されていたという噂だ。上手く使いこなせない面はあったが、以後に生かしてもらいたい。
9月9日、クラブは選手へJ加盟断念を伝えた。
09年はクラブ→監督→選手と言う方法が取られたそうだ。しかし当時の岩本監督が直前までフロントであった為に選手の不信が集中し、結局11位まで下降した。その経験から、チームが全面に出て選手へ説明が行われた。クラブは関係先へ第一報を入れ、その後スタッフが分担して説明に回る。後に「まずは県民に説明すべき!」という意見が上がるのだが・・クラブも発表を後回しにしていたのではない事は記しておく。
9日に断念を伝え関係先へ連絡。11日はJFL公式戦移動日。12日に長野で試合。13日はオフ。14日はクラブ内の全体ミーティング。関係先へ変な形で情報が回れば混乱を招く、選手への混乱を最小限にした上で正式にマスコミ発表。流れは間違っていない。
だが、問題は2点。スピードと発表する情報の中身だ。
9日に選手に伝達が出来たのなら前夜から動いて、会見を10日夜に設定すれば2日で最低限の連絡は出来たと思う。また、16日の会見でクラブが何をしたいかハッキリさせる事が出来なかった。
さて、この昇格断念は強烈なものだったが不信が去年のように監督に向けられなかっただけマシだと思う。勿論、「フロント駄目だ」と思った者もいるが、「何とか俺達がしなければ!」と思う者もいた。こうしてフロントが非常に限界点を走行している頃・・順調であったピッチ内にも徐々に限界が迫ろうとしていた。
つづく・・一応、次回で最終回の予定。
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今までの私は、ただ試合をみる一人のファンでした。観戦中、隣のファンの方からクラブ内で起こっているあんなことやこんなこと等を聞く機会があった今シーズン後半、せっかく長崎にもサッカークラブが出来たと思ったら、もう沈没してしまうのかと、何とかならんかという気持ちになり、危機感からクラブに対する愛情が芽生えた私です。
最終回なんて言わずに、もっといろんな話を聞かせてください。