2010年12月24日
スパイクを脱ぐ男② 阿部博一
V・V長崎でずっとベンチ外だった選手の昔を知る人が、その選手をこう評してるのを聞いた事がある。「レベルが違う。こっちの才能が1なら5とか6。」
その選手の技術やセンスは当時のチームの中で下から数えた方が早く、結局公式戦に出る事なく退団した。
トップを目指す世界はそれほどレベルが高い。
阿部博一もそんな世界の中で才能豊かだった訳ではない。フィジカルもスピードも鍛錬で培われた物だ。失礼な話だが、初めて彼を見た頃
「意識も高い好選手。でも才能という意味では上でやるには厳しいかな。」
と偉そうに思った。その後、彼は沢山の人を魅了し、俺もとても頼りにしたが印象が変わる事はなかった。それでも阿部博一は伸び続け成長する。
3月のアウェイのジェフリザ戦。同点のロスタイム、FKからの混戦に突進した。ゴールはアリだったが、誰もが今も「阿部の得点!」と口を揃える。
5月のアウェイのSony仙台戦。6戦未勝利で連敗中の長崎。彼の投入は反撃ムードを加速させ、逆転を呼び込んだ。
6月のアウェイのアルテ高崎戦。強烈な暑さの消耗戦。疲れきった高崎の選手はそのスピードを止める事が出来なかった。
9月の天皇杯、アウェイのFマリノス戦。地力の差を見せ付けられた後半に、最も皆を湧かせたのはJ1相手に勝負を仕掛け続ける背番号25。
そして、11月のアウェイの佐川印刷戦。0-3から投入され、8分で3点の中心になる離れ業「阿部の八分」をやってのけた。
ジェフリザ戦、「頼むよ、阿部ちゃん」と声をかけると顔を挙げ頷いた。Sony仙台戦、不可解なPKで逆転された時、誰よりも早く「2点取って逆転!」と口にした。佐川印刷戦、Senji君が「頼むよ、阿部ちゃん。俺の嫁さんに得点する所見せてやってー」と叫ぶと手を上げ頷いた。
今期の出場時間は全ての公式戦で300分。
300分で阿部博一は俺達の期待に応えてくれた。
俺の印象は覆る。
彼は「努力」と「諦めない心」というの2つの才能を持っていた。
12月2日の夜・・彼は言った。
「もうサッカーはやりません。長崎で勝負して駄目なら諦めるという気持ちで来ていたから。他の分野に進んで、そこで皆にまた名前を知られるようになりたいです。」
頑固で、負けず嫌いだから、もう見たくもない位に悔しくてたまらないから・・フットボールから距離を置くんだろう。
年末にJRを乗り継いで東京へ戻る様子がブログに綴られた。彼らしい色んな所に寄りながらの旅。それは自分を辿る旅なんじゃないかなと思った。
東京を出て、北海道へ行き、長崎へ来た。今までフットボールを追いかけるのに一生懸命で、素通りしてしまった物や行けなかった所を辿っているんだと思う。
フットボーラー阿部博一から、阿部博一に戻る旅。
東京に近づくにつれ、彼は旅を続けたい衝動に駆られたと言う。そこは、フットボーラーの内に行きたい所か、まだフットボーラーでいたかったと言う事か・・。
東京に着いた時の記述は
「東京は相変わらず何でもあるな。
ただ俺が諫早から降りて来た駅で最もくだらない。」
とても優秀で学もあり、人間性も素晴らしい彼だ。どの世界でも愛され評価され、その気になれば何でも出来るに違いない・・東京という町に何でもあるように。
でも、その阿部ちゃんが”何でも”を投げ打ってもやりたかった事は「上を目指すフットボール」だったんだと思う。
小さく、何もない諫早の駅。でも、そこに本当に欲しかった物があった筈だった。
今になって気付いた事がある。
「俺は自分で思う以上に阿部博一が大好きだったんだ」
美由紀さんがいつも熱烈に応援していたから、勢いに押されたのか・・俺の彼への見立てはいつも大事な事を見落とす。
そう、俺達はみんな、フットボーラー阿部博一が大好きだった。
走り続けたフットボーラーはその先に何を見たのだろう?
フットボーラー阿部博一はもう走らない。
週末のファン感とかボーリングとか
デザインしてみた!~アクセス数が低い話題でも気にしません~
7・8月のことをアッサリと語る
(後編)V・ファーレン長崎メモリアルOB戦~僕が見たかったもの~
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最後まで読み終えた後、涙が出そうになりました。
これだけの覚悟と思いを持って戦っていた選手がいた事を誇りに思います。
25番を継承してくれる選手が来季出て来てくれる事を個人的に熱望します。
私も自分が思ってる以上阿部博一が好きでした!!!!これからまた違うジャンルで阿部博一の名前を聞けるのを楽しみにしています。
この記事みつけて読めてよかったです。感動しました。サッカー選手としての阿部さんもまだ見てみたかったけど、新しい道に進む阿部さんも楽しみです。こんなに心底、尊敬し、憧れたスポーツ選手は初めてでした。ありがとうございます!