2009年12月18日
俺達が09年昇格出来なかった理由①
さて、今年も総括だ。
去年のこれの続きだ。
まずは去年の昇格決定後からザっと。開幕前の状況までを。
12月に昇格が決定した長崎は早々に「東川続投」を打ち出した。
「昇格という結果」と同時に契約が「昇格の場合続投」となっていた事や、3月開幕のJFLへの準備を考えると後任を探す事はかなり難しかったからだ。GKコーチをはじめコーチ陣の補強も予定されていたが、これは結果的に時間や人材の問題から補強はならなかった。
一方で契約満了や周囲との関係もあって中村重和強化部長が退団。地域決勝前にはチーム強化面で大きな影響力を見せていた重さんの退団、コーチ補充無しが・・東川さんに依存する傾向08年より一層強まった。
既存選手に関しては、絶対に外せない選手を東川さんが指定し、それ以外の選手の交渉は重さんの代わりに岩本さんが担当した。
昨年の時点でJFL突破を想定して集められたメンバーだけに大幅な補強ではなく各POSの強化が補強方針に定められた。新獲得選手に関しては色んな所に声をかけ、確認としてセレクションに参加してもらう事になった。ちなみにセレクションの結果、合格内定の選手はいたが、結果的に怪我などの事もあり正式入団に至らなかったケースもある。
由紀彦の加入は想定外だった。CB起用は色々言われたが、遅れての想定加入だった事が大きい。勿論、「最終ラインからビルドアップする為」と言う理由はあったが、加入時点で固まっていた中盤に動揺を与えず徐々に融合させて行く為の苦肉の策だったと思う。
由紀彦は右サイドの大塚、トップ下の元気とPOSがかぶる。大塚、元気の2人はサポーターの支持もあり、功労者でもある。特に元気はチームのムードメーカーの1人で監督の信頼も厚い。今年も元気が重要な位置を占めると監督は考えていた筈だ。そこに実績・能力で代表クラスの由紀彦が来れば中盤の構想は1から練り直しになる。しかし、是非欲しい。そこでCBとして迎える事で波風を立てずにチームに融合させたのだろうと思う。
こうして、2009年のV・VAREN長崎が揃う訳だが・・
読んで判る通り、かなりの部分で東川さんに依存して、クラブとしてのサポート体制が乏しいのが判ると思う。
2009年のV・VARENはフロントは一気に15名くらいに増えるのだが、この時点ではまだ増えていない。KYU時代の倍の試合数を誇る全国リーグへ初の参戦、更にJリーグ準加盟申請の準備など・・フロントはこの時期これらの作業に追われており、中村強化部長が退任している。
ピッチ上の事が言葉は悪いが東川さんに丸投げになっている部分があった。
丸投げの結果、東川さんの癖・・コンバートをはじめとする育成癖や、メンバーの固定化などが強く出るのは当たり前だ。
更に、昨年のメンバーの多くが残留していた事で昨年のように2月の練習試合で連敗を喫する事もなかった事で、危機感が乏しいまま・・シーズン前を送っていった。
「昇格バブル」・・まさにそれが色んな物を過大評価していたのに、それが指摘される事もなく開幕へ長崎は向かっていった。
実は1年前にブログで2008年の総括を書いたのだが、そこでもサポートの乏しさを指摘した。その状況が1年経っても改善されていない・・いや悪化していると言えると思う。
つまり、チームの所属カテゴリはKYUからJFLへ昇格したが、この時点のV・VARENフロント体制は成長していなかったという事だろう。
ちなみに2008年のシーズン前にクラブと会談した際に、俺がクラブの強化方針の一貫性の無さを指摘し、強化方針の明示をお願いした時、当時の事務局長は「今年から中村部長が強化部に着いて、これからは中村強化部の元でしっかりやっていく」と答えた。しかし・・重さんは1年で去り、俺に返答した事務局長は今、クラブにいない。
これが2008年までのV・VARENの状態だ。
一生懸命やっていればこれでOKと考えるファンはどれだけいるだろうか?
結局、クラブはこの後にJFLの壁、Jリーグの壁の前に苦労し、東川さん解任を機にクラブ改革を本格化させざる得なくなっていく。
(つづく)
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