2007年10月08日
長崎旅団in平塚
準備までにも色々あったツアーだが、ダンマクを積み込み、リンガーハットで「ちゃんぽん」で腹ごしらえを済ませた我々は一路グランドハイエースに乗り込み平塚へ向かった。
ちなみに帰りは、この上に東京へ郵送していたバスドラが載り・・我々に大きな悩みを発生させるのであるが、それはここでは話したくない。
歌を歌ったり、太鼓叩いたり、豪快に浮かれながら順調に九州を突破、中国道では曲がりくねった道に悩まされながら安全運転で大阪入りし名古屋へ向かう。
そして、「静岡って細長いんだね」と楽しげに語っていた我々に岡崎の地で奇跡が!!
本能のまま生きるワイルドなULTRA若手の星「尚太朗」が恐らくあと数年は語られるであろう伝説を夜明けにあわせるように達成!!若手のハードルを一気に押し上げた。
そして我々は片道12時間かけて平塚へ到着。
片道4人の交代運転で疲労の少ない体に優しいターンオーバー制だ。
平塚ではメインのみ開放で横断幕をはる場所にも様々な制約があった。
しかし、真心を込めて希望を伝えると運営もイロイロと優遇措置を講じてくれた。
「住む場所は違っても誠意は通じるもんですね」とはササキさんの言葉だ。
飛行機で乗り入れたULTAR2名に関東在住のサポーターも参加して一緒に戦った。
長崎を背負ってピッチにいる選手とメインアウェイ側で全員が出来る手一杯をやった。
無論、本領を出せなかったのは俺らも選手もある。だが、それもこれも含めて長崎だ。
後悔はしない。満足もしない。
色んな人に逢えたのも本当に嬉しい事だった。
あと、秋田から平塚入りして長崎へ行くという逃亡する人みたいな行程の人もいた。
その後は関東のサポーター5人と一緒に食事をとり、埼玉での再会を約束し握手して別れた。そして長崎に残った仲間がくれた「足柄SA」で温泉に入って長崎へ戻った。
足柄SAを出てからは爆睡した・・その時運転していたのは伊勢田君だった。
目が覚めた時はSENJI君が運転していた。モロさんは俺が寝ていた間中運転していたと言い張っているが・・どうだろう?ササキさんは運転を医者から止められているので仕方ない。目が覚めた時は大雨降ってて驚いた。
帰りの高速では2件ほど事故があってた。2件とも車がひっくり返ってた。
とても怖いが、ターンオーバー制を採用し、常に助手席でセカンドドライバーが声をかけるシステムで安全運転を心がけた我々には無関係だ。
倉庫でダンマクを降ろし解散した我々だが
・・ある小さいトラブルの為に1時間半ほどSenji君の匠の技を観賞する機会に恵まれた。
こうしてULTRA・NAGASAKI・WEST・ENDとして初となる関東への旅団派遣となったのだが、抜群の存在感を発揮したSenji君だけでなく、長崎に残りながらもバスドラ発送や様々な情報で我々を助けてくれたやっちん、バスドラの発送先に名乗りをあげてくれた松本君等、沢山の人のお陰で快適な遠征を終える事が出来た。
この場を借りて、あらためてお礼を言わせてもらいたい。
ありがとうございました。
しかし、どういう事情であろうが、どんなアレだろうが・・負けるのはムカつく。
胸を張って帰って来てもムカつく。誇らしくて一杯でも負けるのは嫌いだ
週末のファン感とかボーリングとか
デザインしてみた!~アクセス数が低い話題でも気にしません~
7・8月のことをアッサリと語る
(後編)V・ファーレン長崎メモリアルOB戦~僕が見たかったもの~
(前編)V・ファーレン長崎メモリアルOB戦~なぜ、ぼくはOB戦を開催しようとおもったか?~
No.5で最後のコメントかもしれませんが・・・
『オイは大型二種まで持ってます(・∀・)♪』
って一応書かせて頂きます^^
伊勢田さんに宜しくです。
ツーマンでの運転は、長距離運転では大事なコトです^^
足利Pに温泉のでけちょるとは・・・(´・ω・`)
ではでは。。。ノシ