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Posted by のらんば長崎運営事務局  at 

2014年01月07日

遅ればせながら松橋君の引退のことを

昨日の有光君に続いて今日は松橋君の事を・・。

松橋章太 FW 8番
(V・VAREN長崎に所属しての全成績)
・22試合出場
・4得点
・4アシスト
・警告無し

 長崎で彼が大活躍した・・と書くと正直言って嘘になる。
並の選手で言えば充分活躍したと言えるが、松橋君のキャリアを思えばそんな事は言えない。

 何度か過去のブログでも書いたが1982年生まれ組はV・VARENファンの希望だった。
国見の高校三冠世代を中心に創設から数年の間は82年組のオールスターと言って良く・・
国見の田上渉、小嶺栄二、鹿実の久留貴昭、税所義博、清商の佐野裕哉・・
多い時でチーム内の82年組は10名を越えた。
(彼らの中の誰かは必ずJリーグまで一緒に行ける)
当時のファンは皆、そんな事を考えていた。
その82年組の中でトップを走っており、
同時に届かないほど遠い存在が大久保嘉人君と松橋君だった。

 ”スピード”
松橋君の特徴を知らないフットボールファンは居なかっただろう。
あれは届かない・・そう思うボールに松橋君は何度も追いついて見せた。

 2006年、TMで松橋君の所属する大分とV・VAREN長崎が対戦した。
この試合で松橋君は得点を挙げ・・その年はそのまま好調を維持し代表にも選出される。

  取材の時に、その当時の話を振ってみると
「あの頃、俺は長崎から得点して、そのまま調子良くリーグでも好調だったんですよ」
と嬉しそうに話してくれた。同時に、
「俺、V・VAREN出来てからちょくちょく見に来てたんですよ。
KYUリーグの試合が大分であると見たりしていました。
国見の同期がいるっていうのもあったけど、
自分の地元に出来たチームだから凄い嬉しかったし、気になっていました」とも。

 大分トリニータでの働きを考えると長崎のピッチで彼が実力を完全に発揮したとは言い難い。
色んな条件が整っていれば彼ならもっとやれるだけの実力はあったとも思う。
でも、彼は決してチームの中で奢らず、偉ぶらず、練習の先頭に立つ事でチームの柱を務めた。
単にチームに残るだけなら出来たが、松橋君はプロアスリートとして引退を決断したと言う。

 引退発表後に松橋君とも会う機会があったのだが、彼は
「悩みましたが、終わるなら長崎でって決めていました。
だから、代理人にも海外とかも含めて探さないで良いって伝えていましたから。
家族は現役を続けられるのなら続けたらと言ってくれましたけど、
自分の中でケジメをつけたかった。」

 これを聞いた時に自分の中で一つの答えがでた。
幾ら個人的に想い入れのある82年組とは言え、
2年しか在籍していない松橋君にこんなに自分が愛着を持っていたのか・・。
それは彼がV・VAREN長崎を注目し、見続けてくれていたからなのだと思う。
ありていに言えば、彼はV・VARENのファン・・
少なくとも近い気持ちを持っていたからだろう。

 1982年組は僕らの希望だった。
その先頭を松橋君は走っている一人だった。
希望の82年組の一人でV・VARENのファンだった選手がピッチを去る。
単なる選手引退の枠を超えて・・寂しさと同時に期待もしたい。
有光君と県北からJリーガーを誕生させる礎となる事を・・。
彼のようにV・VAREN長崎が好きな選手を育てる事を。


  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 19:00Comments(0)V・V長崎