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Posted by のらんば長崎運営事務局  at 

2012年08月15日

”はじまり”と言う名のチームがあった。

ディナモ・キエフは1927年にソ連支配下にあったウクライナの首都で誕生した。
ソ連支配下にあってモスクワのクラブと互角に戦える実力を有するディアモ・キエフはウクライナ人の誇りでもあった。

1941年、ナチス・ドイツはウクライナへ侵攻しキエフを占領する。
ディナモ・キエフの選手たちはパン工場へ送られ強制労働をする事になった。
選手たちの唯一の楽しみは休息時間にボールを蹴る事だったという。
彼らは自分達のチームの名前を”始まり”と読んだ。1942年の6月の事だと言う。

それを知ったドイツ軍は同盟国のハンガリーやルーマニアのクラブと彼らの試合を行わせる事にした。
ドイツ軍にすれば単なる戯れだったのかもしれない。
試合でディナモ・キエフが勝利するとウクライナ人は力づけられた。
ソ連支配時代同様にディナモ・キエフはウクライナ人の誇りだったのだ。
敗れたチームにはドイツ軍のチームも含まれていた。

1942年7月、この状況に不快感を感じたドイツはディナモ・キエフを倒そうとドイツ空軍クラブをぶつけた。
更にディナモ・キエフの選手たちに試合で負けるよう強要する。

だが、彼らは誇りを捨てる事が出来なかった。
ディナモ・キエフの選手たちは1戦目を5-1。再戦でも5-3で勝利した。
この直後・・彼らはユニフォーム姿のまま逮捕され、強制収容所へ送られる。
そして多くの選手が銃殺。
”はじまり”と言う名のチームは2ヶ月で終わりを迎える事となった。

とても悲しい、空しい話だ。だが、当時の選手で数少ない生き残りの一人
ゴンチャレンコが後に語った
「殆どの試合では、ドイツチームであってフェアなふるまいをした」
「我々も彼らも政治的な事情はともかく、ただサッカーの試合そのものに意識を集中させた」
という言葉に救われた気になる。

今、いつだってフットボールの試合に集中出来る事を幸せに思いたい。

ちなみに・・このエピソードは後に「勝利への脱出」という映画のモデルとなる。
映画にはペレ、ボビー・ムーア、アルディレスらが出ており、
この映画を劇場で見た記憶があり、帰ってきて興奮しながらペレの凄さをお袋に語った事も憶えている。  

Posted by 藤原 裕久(KLM)  at 16:58Comments(0)その他フットボール