2009年03月04日
長崎ジャーナリズム
まずは、以下に目を通してもらいたい。
玉木正之コラム 「日本にスポーツジャーナリズムは存在するのか?」
玉木正行コラム 「スポーツ総合誌の相次ぐ「廃刊・休刊」に関して考えられる理由」の12番目の所。
まぁ、読まない人向けに要約すると・・
日本ではマスコミがスポーツから主体的に利益を得ている。
スポーツイベント主催、所有(甲子園は朝日新聞、ジャイアンツは読売新聞、等)、独占放送権等・・。だから、利益を損なう可能性があるので批判は許さない体質にある。
この為に日本ではスポーツジャーナリズム「スポーツ報道」が育ちにくい。
更にスポーツが「学校体育」として発展した日本は、「アマチュア」と「プロ」という極端な対立図式を「必死に戦うアマチュア」と「エンターテインメントとしてのプロ」と単純化したイメージでしか考えない。
従って、日本のスポーツは
「よく頑張ったか否か」
「面白かったか否か」 という観点しかない。
このようにすれば、もっとスポーツが素晴らしいものになる、もっと社会が豊かになる、というジャーナリズムの観点が主張される事はない。
以上、要約終り。
まさに我が意を得たりな文だ。
俺はずっと批判をしてきた。今までフロント批判も監督批判も采配批判もしてきた。しかし、監督を批判すれば監督を解任させたいだけっという風に考えのない反論しか返ってくる事はなかった。
観客とファンとサポーターとウルトラは全て違う。
金銭の対価としてイベントを観る観客、
自信の好みを満足させるためにクラブを応援するファン、
チームの喜びを自身の喜びに感じて応援するサポーター。
チームと己を一体化させ、チームを先導しつつ土台になる事も厭わないウルトラ。
コアと呼ばれる応援者は無償でクラブに愛を捧げる。クラブが人生の価値を彼らに提供し、彼らはそれらの価値に感謝しながらクラブを愛し支えていく。
愛して支えるのは従う事ではない。クラブに健全な圧力をかけ続ける事だ。
クラブの背中を押し、先導し、時に盾となり、時に誤りを正す。
その為には、コアと呼ばれる応援者はチームへの深い愛と同時に、ジャーナリスティックな目線と意識を持たないといけない。
「頑張ったか?」「面白かったか?」だけではなく・・
「それは長崎の街に、V・VAREN長崎にとって本当に正しいか?」
その視点を忘れずにいきたい。
物言わぬ正義は、悪と変わらない。
っという訳で今年も生意気だと言われようが、何様と言われようが、キッチリと自分の意見、主張はしていきたいな等と考えます。